2024年10月20日日曜日

スピリチュアルで言う「周波数が高い」の誤解。

 スピリチュアルで言う「周波数が高い」の誤解。

こんにちわ、冬生真礼です。

ーー今回の記事は過去ログからの改稿です。

今回の記事は、スピリチュアルの世界でよくいわれる「周波数」や「波動」に関して物理学と哲学的な視点から色々と書いていきたいと思います。

(注意。哲学的な考察からの知見です。筆者は物理学などはど素人です。鵜呑みにしないこと)


まず、物体の振動数としての周波数と見かけの運動の話から始めます。


全ての物体は物体固有の振動数というものがあります。

一般的に物理学では、固有の振動数が高い状態をエネルギーが高い状態として定義しています。

単純な理解の仕方として次の比喩があります。

野球のボールがただある状態と、ボールが小刻みに振動している(ぶれている。動いている)状態を比べたら、後者の方が運動エネルギーが多い(より運動している。より動いている)事がわかると思います。

上記の比喩でいう野球のボールの振動が物体の振動数、そのボールの振動から観測できる運動量をエネルギーと捉えてください。

実際の宇宙に存在するエネルギーというものは極論すると、運動エネルギーに還元できます。

熱エネルギー、電気エネルギーもしかりです。

それで、物体の固有の振動数がより高い(より小刻みに、素早く振動している)状態はエネルギーが高い状態です。

エネルギー高い状態ということは、エネルギーに関する法則であるエネルギー保存の法則が適用されます。

つまり、よりエネルギーの高い状態(周波数が高い)状態にするためにはどこからかエネルギーを持ってこなければいけないということです。

そこで利用されるているのが、物体の振動数(いわゆる周波数)と見かけの運動に使えるエネルギー(運動エネルギー。単純に速度の話)は互いに変換が可能という法則なのです。

一般に、速度(見かけの運動)が早い物体は、その物体の固有の振動数のエネルギーを見かけの運動に変換しています。

これは極論すれば、宇宙全体の保有するエネルギー量が決まっているということです。

元々の宇宙は、純粋にフラットな存在です。

つまり、偏りがない。歪みがない。全てが均一。

歪みがないから、反発がない。反発がないから、質量もない。

質量がないから、運動もない。運動がないから、エネルギーもない。

みたいな感じの存在です。

その状態から、偏りがある。歪みがある。偏差がある。

反発がある。質量がある。運動がある。エネルギーがある。

という状態に移行するために、色々と法則が生まれました。

その1つに、「最終的に全てを総合すると、元々のフラットな状態と等価でなければいけない」という物があります。

それが、エネルギー保存の法則の大元だと思われます

もっと言えば、物体が保有するエネルギーの量は決まっているという話にもなります。

つまり、物体の固有の振動数が高い状態は、見かけの運動につかうエネルギーを変換して実現しているのです。

ちなみに、この物体の固有の振動数が高い状態は、その物体の時間の流れが早いと表現でき、反対に物体の固有の振動数が低い状態は、その物体の時間の流れが遅いと表現できます。

いわゆる、相対性理論で語られる光速で移動する物体は時間が遅くなるという話は上記の理解だと古典物理学となんの矛盾のない理解ができます。

理解してもらいたいのは、物体の保有できるエネルギーの量が決まっていて、物体の固有の振動数が高くすると見かけの運動に使えるエネルギーが低くなるという点です。

周波数(振動数)のエネルギーと見かけの運動のエネルギーは相互に変換されるのです。




では、物体の周波数(振動数)と見かけの運動の関係を理解したら、スピリチュアルで言われる周波数の誤解を解いていきましょう。


まず、スピリチュアルでは高次の次元や存在ほど周波数が高いと表現します。

ハッキリ述べます。

上記の表現は、物理学でいう周波数の定義と矛盾します。

そもそも、魂や高次の存在とスピリチュアルで言われる存在は、物理的な特性が薄い、宇宙の根の方に近い存在です。

宇宙の元々は、存在質とも言うべきただ在るという状態のモノです。

本来的に、存在質は物質ではありませんから、固有の振動数も見かけの運動も存在しません。

魂や高次の存在というのは、物理的な観点から見たらエネルギーが低い状態に近くなければなならないのです。

実際は固有の振動数も見かけの運動のエネルギーの両方が低いという状態にはなりません。

宇宙に空間というものが存在している以上は見かけの運動がないと言うことはなりませんし、魂や高次の存在が個である以上、一定のエネルギーを持ちます。

実際は、固有の振動数のエネルギーをできるだけ低くして、見かけの運動に使えるエネルギーを高めています。

つまり、魂や高次の存在は実は「周波数は低い」のです。

よくスピリチュアルで、光の存在と言われるるのは次の理由です。

単純に、高次の存在は通常の物体より固有の振動数が低く見かけの運動のエネルギーが高い光により近いということ。

つまり、高次の存在ほど、物体の固有の振動数が低くなり、見かけの運動に使うエネルギーが増えるということです。

「どっちかって言うと、光(の状態)に近いよ」という単なる比喩です。



では、次は人間の脳と魂に関する話です。

人間の魂は、物質より存在質に近いです。

というか存在質そのものです。

通常人間の魂は、物質である肉体と同期をとっています。

同期をとると言うのは、肉体の固有の振動数と同じ振動数でいるということです。

同じ周波数(振動数)でいることでエネルギーの交流ができます。

これを一部では物理的なチャネルに合わせるとか、物理世界の振動数にチューニングするとか述べています。

チャネリングに関しては以前書いた記事を引用します。


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一般に音波、電波と呼ばれる 波長の話です。

単純に考えて、波長は同位相の波長と同調しますよね。

視覚から入りましょう。

~~~~ A波
~~~~ B波

の2つの波長があると考えます。

A波とB波は位相(波の形)が同じなら、同調(シンクロナイズ)します。

2つの波が完全に重なる感じです。

また、A波は位相の違うC波とは同調しないので、2つの波長がぶつかったら波長が乱れてしまいます。

しかし、同位相の波長が互いにぶつかったら、互いの波長が同調しつつすり抜けます。

この仕組を考えると、ある装置がA波を発信し続けると、同位相の波長のみをすり抜けさせてB波のみを検出することができます。

世の中の、電波の受信装置ってこんな仕組みなのかなと日々想像してます。

しかし、ちゃんと学んだことはないので想像止まりですね。

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引用した文章に書いてあるように、受信したい電波などと同じ位相の波を受信装置が発すると、同位相の波のみを受信装置で検出できるという仕組みがあります。

チャネリングはつまり、「自分の周波数を受信したい(何らかの)エネルギーの周波数に合わせると、受信できるよ」、という仕組みです。

魂も肉体に対して常にチャネルリングしているようなものです。

魂の周波数と肉体の周波数が一致しているので、肉体の発するエネルギーの波動を受け取れるのです。

この周波数を一致させることは、ある周波数にフォーカスするなどと言ったりもします。

魂から肉体に何らかのエネルギーの送信がしたかったら、肉体の周波数を魂と同程度にするか、魂の周波数をに肉体と同程度にするかどちらかです。

基本的に多くの人は、後者を選択しています。

もし、瞑想や気功で魂のエネルギーを高めたり高次のエネルギーを受け取りたかったら(周波数を合わせたかったら)、やることは1つです。

身体や意識を緩めるのです。

緩める、つまり固有のエネルギー(振動数、周波数)を高めるのではなく、低くするように努めるのです。

肉体の固有の振動数が低くなれば、宇宙の根の方の存在やエネルギーを受け取ることが可能になります。

それを確認するには、一般に脳波とよばれるモノが1つの指標になります。

ベータ波よりアルファ波、アルファ波よりシータ波の方がより緩んでいます。

また、チャネリングはエネルギーの受信であり送信でもあります

弱くエネルギーを発信(送信)することで受信のためのチャンネルを確保するのです、逆もしかりです。

強くエネルギーを発信(送信)することは、同時に受信の経路(チャンネル)を開くことでもあります。

宇宙の根の方に近いところに周波数を合わせることは、送信と受信の経路を確保するということです。

エネルギーを発することでエネルギーを受け取ることも容易にになるのです。 

スピリチュアルの世界で、「与えたものが受け取るモノ」だという話とに似ています。

何かを発信することは、それと同じようなものを受け取る経路を開くようなものなのです。

エネルギーの世界ではそんな感じです。

また、人間の心理の世界では、「相手をぶん殴ったら自分もぶん殴られる」や「相手に優しくしたら、自分も優しくされる」という返報性の心理みたいなものです。

しかし、エネルギーの世界とくらべて人間心理の世界の「与えたものが受け取るモノ」だというのはそこまで厳密ではないのです。

エネルギーの世界に比べて、人間の心理や人間の社会はより複雑で、新たな性質や仕組みも創発されています。

全く同じようには行かないものです。




いかがでしたでしょうか。

今回の記事をまとめると次の様になります。


1. 物体の固有の振動数(周波数)と見かけの運動(速度)のエネルギーは相互に変換されて、両方を合わすと常にエネルギー量は一定。

2. 魂や高次の存在は「周波数が高い」のではなく「周波数が低い」。

3. 高次の存在やエネルギーと交流したかったら、「意識と身体を緩める」ことで「周波数を合わせる」こと。



では今回の記事は以上になります。

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集団の力学から考える4つの性格類型。リーダー・サポーター・オブザーバー・フォロワー

 集団の力学から考える4つの性格類型。リーダー・サポーター・オブザーバー・フォロワー

こんばんわ、冬生真礼です。

ーー今回の記事は過去ログからの抜粋です。

今回の記事は、人間の性格タイプを集団の力学の視点から分析してみました。


古来から人間の集団には、基本的な四つの役割が見て取れます。


1つは、リーダー(先導者)。

集団の意思決定に大きな役割を果たし、集団の行くべき道、取るべき行動を集団の成員に対して提示し集団を先導します。他の集団の成員に影響されずに、自身の内的な導きに従います。

2つ目は、サポーター(後援者)。

リーダーの決定に従い、集団全体の利益の為に奉仕します。時には、自己の利益より集団の利益を優先し、集団の目的達成の為に集団を底支えします。

3つ目は、オブザーバー(観察者)。

集団においてリーダーを支持せず、また左右もされず集団が誤った選択をしないように常に一歩離れた場所から集団を観察します。
監察者(インスペクター)ではなく観察者(オブザーバー)なのは、多くの場合オブザーバーは集団を取り締まることをせず、一定割合のオブザーバーがいる事自体が集団が誤った方向に進む事を抑止する為です。

4つ目は、フォロワー(追従者)。

集団の成員の大多数を占めます。リーダーの提示した行くべき道、取るべき行動に追従して集団そのものを形成する。 フォロワーの性質として影響の受けやすさがあります。リーダーやサポーターやオブザーバーの影響を常に受ける事によって、集団の性質を決めるフォロワーの性質が偏らずいることができます。

以上の4つの役割が古来から人間の集団には存在したと考えられます。この4つの役割だけで、人間の集団を定義することが可能だと思います。


人間は上記の4つの役割を階層的に持ちます。

階層的にというのは、家庭という小集団の中ではリーダーな男性が、それ以上の規模の集団(会社や地域社会)ではフォロワーという場合があるということです。

また、基本的に人間は個人レベルで性質が完結しておらず、必ず集団レベルで性質のバランスを取ります。

簡単に言うと、一人でリーダー、サポーター、オブザーバー、フォロワーの性質をバランスよく持ち他者の助けを借りなく一人で全部出来て生きていけると言うことはないとうことです。

個人の役割のバランスには必ず偏りがあり、集団を形成することでそのバランスの偏りを解消する必要があります。

ひとことで言うと、「人間はたった一人で完結することはできない、人間は集団の中でしか完成できない」という事です。

具体的に言うと、全ての人間が社長(リーダー)に成ることは出来ないし、成る必要がない。会社を運営するには必ず社員(フォロワー)や投資家(サポーター)が必要で、時には外部の識者(オブザーバー)の助けが必要だということです。

注、(社員が必ずフォロワーだったり、投資家が必ずサポーターだったりするわけではないのでそこは注意が必要です)。



自分の性質は4つの役割でどれが一番強いかどのようなバランスになっているかを分かっていないと、無駄に苦労することがあります。

自分がフォロワーの性質が強いのに無理にリーダーの役割をやろうとしたり、オブザーバーに性質が強い人がサポーターやフォロワーの役割が上手くできないと悩んだり、リーダーの性質が強い人がフォロワーとして役割を強要されて問題を起こしたり、サポーターの性質が強いのに昇進して部下を持ってリーダーの役割を引き受たり、あまつさえリーダーの性質が強い人の真似をして失敗している場合があります。

フォロワーの性質が強い人は周りに影響を受けやすく自分の意思を貫くのが得意ではないので、基本的に強いリーダーには成れません。

オブザーバーの性質が強い人は基本的に他者から強い影響を受ける事を嫌うため、影響を受けやすいという特質が必要なフォロワーの役割は向きませんし、サポーターの役割も強い奉仕の精神など殆ど無いためその様な役割を求められても上手く役割をこなすことが出来ません。

リーダーの性質が強い人は生まれつき自己の感情や欲望に忠実な傾向あり、外部から影響に左右されないと同時に他者に従属する事を嫌います。そのため、そのような人がフォロワーの役割を求められても上手くやるどころが度々問題を起こすことになりやすいです。

サポーターの性質が強い人はリーダーの役割をやるには少々他者の意見を尊重しすぎです。また、伝統的な強いリーダーの真似は必ず失敗します。

フォロワーの性質が強いサラリーマンの方が、一念発起して起業しても他者から影響を受けて起業しようと思っただけで、苦手な決断や判断の連続や粘り強さが無いために失敗するという事もあると思います。

子供の頃からオブサーバーの性質が強い方が、日本の昔ながらの集団生活が苦手でなんとなく疎外感を覚えたり上手く友人が出来ないと悩んだりするかもしれません。

リーダーの性質が強い方が、就職した会社で我が強くて使いものにならないと判断されないともかぎりません。

人を支えたりするのが好きなサポーター性質の強い方が、他に仕事ができる人がいないとプロジェクトのリーダーに大抜擢されて、前任者がリーダーの性質が強い方でその真似をして上手く行かず大失敗したりする事があるかもしれません。

フォロワーの性質が強い方は、自分が大きな決断が苦手でや粘り強い行動できずや強い意思に欠けることを自覚しましょう。必要なのは、より良いリーダーを見つけそれに付いて行く事です。あなたは環境次第リーダー次第でおお化けする可能性があります。自分が苦手なことを他者任せるという態度があなたを上手く生かせるでしょう。男性なら自分の中のリーダーの性質から強いリーダーに憧れるかも知れませんが、その憧れはより良いリーダーを見つけることに使いましょう。影響の受けやすいあなたは、多くの人に影響を受け自分のブレた行動の中に自分なりの軸を見つけましょう。

オブザーバーの性質が強い方は、自分が他者から強い影響を受けることが嫌いなことを理解しましょう。人間関係は、自分が相手に影響を与え、自分自身も相手から影響を受けること受容しなければ成り立ちませねん。あなたの他者からの影響を拒絶する態度は、ともすれば偏屈頑固、心を閉ざしているなどと言われるかもしれません。しかし、そんなことはありません。あなたは自分の心地よい距離感の中では非常にフレンドリーにも成れますし、礼儀正しくも成れます。少しの他者からの影響の受容と、心地良い距離感でいられる相手を見つけることによりあなたは多くの友人に恵まれる事ができます。
 
リーダーの性質が強い方は、自分の中に譲れない意思や感情がある事を自覚しているかもしれません。その感情や意思はあなたの武器にもなり、弱点にもなる諸刃の剣です。自分の中の意思や感情を育てつつ、御することを覚えましょう。それを御する事ができるか出来ないかで、あなたの人生は両極端に振れます。大きな成功か大きな失敗か、あなたはどちらかに極端に振れやすいことを理解しましょう。また、オブザーバーの友人を持ちましょう。あなたに必要な、冷静な視点を彼らは提供してくれます。大いに耳を傾ける必要があります。

サポーターの性質が強い方は、もしなんらかのリーダーの役割に選ばれたら、自分が決して強いリーダーにはなれないことを受け止めましょう。あなたは、サポーターです。サポーターにはサポーターなりのやり方で集団を支え導く必要があります。あなたは導くというより、信頼する人間です。オブザーバーやリーダーの性質の方のち力を十分に頼る必要があります。あなたは信頼する人間ですが、信頼するかどうかは見極める必要もあるでしょう。


いかがでしたでしょうか。

今回は集団の力学という視点から、人間の性格を類型分析してみました。

しかし、上記の分析と似たようなものが色々とありそうな感じですね。

また、私は自己分析では、オブザーバー > サポーター ≒ フォロワー > リーダーな感じですね。

もともとサポーターの性質が強かったと思いますが、色々理屈こねくり回していたらオブザーバーの性質が強いくなった感じです。

では今回は以上になります。

ではでは。

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相対性理論と量子力学のホントの話

相対性理論と量子力学のホントの話

こんばんわ、冬生真礼です。

ーーこの記事は過去ログの記事の改稿です。


今回の記事は、量子力学や相対性理論に関わる話です。


先ずは、数学の話から。

数学における計算式は、純粋な論理だけの世界に見えます。

しかし、その向こうには、物理的な世界の実際的な何かに関連付けられています。

というか、その実際に的な何かがなければ人間は数式を理解できません。

数式の理解は、言語の理解と同様に脳が数式の意味を内部的に再現します。

そのため、数式の理解は必ず身体感覚が必要になります。

視覚や聴覚などにとどまらず、身体そのものを使って理解しています。

通常は、内部的な再現が微弱なためそのことに気づきませんが、数学に高い適性を持った方の中には身体感覚が強烈に感じられる場合もあります。

単純に、視覚的な物理運動で再現したり、数が増える減るという感覚を再現したり、抽象的な感覚で理解したりしています。

そこで問題となるのは、虚数です。

虚数というのは実際的な何かに関連付けるのは非常に苦労します。

二乗するとマイナス1になる数。

非常に厄介です。

しかしこれは、虚数というのが物理的な世界の実際的な何かと関連付けられていると考えればそう難しい理解ではないのです。

単純です。

虚数が出てくる数式がどのような現象を記述するかによるのです。

虚数はその現象の世界の何かに関連付けられているのです。

単純なマイナスの数に関しても、身長を記述する計算式の解に、マイナス163cmとでればそれはそれは間違った計算式になります。

というか身長の世界にマイナス163cmは存在しないのでマイナスの概念は身長の世界では引くという範囲でしか適用できないのです。

マイナスという数学の世界で至極基本的な概念ですら、現実の世界では適用範囲が在るということ(つまり、現実の世界の実際的な何かに関連付けられないことがある)は、数学の計算式は現実の世界の実際的な何かに関連付けられる範囲で使用しなくてはならないし、その世界には必ず数式と関連付けれた実際的な何かがあるということです。

マイナスという概念は、借金の計算や、数直線の動きなどの適用できる範囲の中でしか存在しないのです。

もし、量子力学など範囲で虚数が計算式の中にどうしても出てくるのなら、虚数に関連付けられるような現実の世界の実際的な何かがあり、虚数が計算式の中に登場しない範囲(つまり、身長の話とか)のではありえない何かが在るということです。

それを考えると量子力学などで出てくる虚数は、量子の世界の実際的な何かと関連付けられるというのが分かります。

それは超紐理論で登場する1次元の紐も同じです。

単純に1次元の紐があると考えるのではなく、1次元の紐と数学の世界で表すことができる何かが在るということなのです。

さらに言えば、数式に存在する次元すらもその数式がどのような現象に適用されるかで、次元が関連付けられる物理的な世界の実際的な何かが変わってくるのです。

もしある数式を現実世界の何らかの現象に適用できるなら、その現象にその数式と関連付けられる現実世界の物理的な実際的な何かが在るということだけなのです、それは別の数式が表す別の現象とは結構無関係なのです。

というわけで数学の話は終わります。


次に量子力学の話。

私は別の記事で、次のようなことを述べています。

物質は気からできている。

物質は気がなんかエネルギーが渦巻いているような状態です。

気とは存在質ともいうべき、実際に存在しているけど物性(現代物理学でいう量子場のようなものです)は持たない存在です。

気は世界につながりを持って広がっていて、それを気の場(比較的、量子力学でいう波動関数など)という。

気の場は、当たり前ですが基本的なフラットなものです。

フラットというのは歪みや偏りがなくドコまでも平坦ということです。

しかし、物質はある種の気の場の歪みです。

しかし元々は気の場は、フラットな存在ですのでエネルギーが渦を巻いているような歪みは存在できません。

フラットな存在がエネルギーが渦を巻いているような歪みを持つには、方向性の概念が必要でした。

1次元のベクトルで表せるような、エネルギーの渦は向きがあります。

フラットな存在である気の場は、右まわりのエネルギーの渦を生み出す代わりに、左回りのエネルギーの渦を産み出して、2つのベクトルを合成して相殺したら結果的に気の場がフラットに成るようにしました。

なので、基本的に逆向きの同質のエネルギーの渦がであってしまったら、互いのベクトルを相殺してフラットなただの気の場にもどります。

また、物質は気の場が素になっていて、つねに気の場とつながっているので、物質が存在する周囲の気の場は、物質のエネルギーの渦に影響されて、若干歪みます。

また、あらゆる物質は歪みの合成です。

大元である、気の場から生み出されたエネルギーの渦である物質は、重なりあうことができたり、あるいは分裂して、エネルギーとベクトルを、最終的に気の場がフラットになる感じで産み出したりします。

また、量子レベルの話になると、粒子は気の場にもどります。

ミクロの世界になると、物質はエネルギーの歪みから、気の場に近い状態もどることもある。

マクロの世界になると、物質はエネルギーの歪みが固定されるので気の場に戻ることがない。

量子力学の世界では、量子は重ねあわせの存在だとか、観測により確率が収束するとか、空間的に広がりを持つとか言われている。

その実態はなんてことはなく、次の通りです。

物質は気の場のエネルギーの歪みであり、空間の0次元の点でもなく、なんかそこら辺を渦巻いている状態です。

ミクロの状態では、なんかそこらを渦巻いている状態なので、あるい一点に存在しているということはない、といか広がりをもっている。

また、存在の確率が分散しているというより、エネルギーの総量を1として密度が薄いところとか濃いところとかバラバラな状態で存在して、かつ高エネルギーが渦巻いておりかつ軸もないためぶれている(振動している)。

観測というか、粒子をそのエネルギーの渦巻いて広がっている所にぶつけると、運動量を与える事になって、その一点に反発力がうまれてエネルギーが集中して密度が上がる(だいたい100%)。

物質として、質量がある(観測できる)状態はこの密度が100%の状態の時だけ。

みたいな感じでしょうか。

ちなみに量子もつれを利用した量子通信は、そもそも気の場がフラットな存在だということから理解できます。

物質が存在するときには、最終的にフラットな形にならなければならないので、量子もつれ状態のスピンも総合してフラットな形に成らなければいけないため、スピンの向きは絶対に同じなりません。

量子テレポーテーションも、高速より早いとか言われていますが。

次の説明のようなものです。

一本のめちゃくちゃ長い木の棒(例えば、1億kmあったとして)を、両端の人間もって右回りに回転させたら、反対側の人間からは必ず左回りに回っているように見えるはずです。

それは右回りの情報が伝わって左回りなっているのではなく、1つの繋がったものを別側から見ているだけというわけです。

量子もつれを持つ対になる量子も、気の場がフラットな存在であるために、つながっています。

対になる量子は、木の棒というより、一枚のビニール製の布のイメージですね。

ビニールを表側から引っ張ってビヨーンと伸ばして膨らませたら、反対側から見たら凹んで見えますよね。

ビニールは平面ですが、現実の物理空間でも同じようなことが起こっています。

フラットな平面で歪み(物質)を生じさせるには、膨らみとヘコミは、同時存在しなければなりません。

平面ではないですがフラット(歪みのない平坦)な気の場においても、若干次元がちがいますが同じようなことが起こっています。



次は相対性理論の話。


相対性理論では時間に対する解釈が間違っている可能性があります。

相対性理論では、光速度は普遍で、光速で運動している光子から、新たに光子を発射してもそれは光速だと言っています。

相対性理論では、相対性とか言いながら時間の測定は絶対時間を基準として時間測定から逃れていません。

時間とはそもそも、1つの基準となる系があって、その系と測定対象の系によって導き出されるものです。

しかし、一般に相対性理論を理解する時は、あくまで時間の測定の基準に従来の絶対時間を基準とした時間測定を想定しています。

相対性理論では、その式の時間は、絶対時間を基準としたものではなく、測定者を基準としたものです(というかそういうことに成らざるを得ません)。

光速で運動している物体から光子が発射されたら、それは光速であるというのは次の理解です。

時間の測定は、測定者の固有のエネルギー量(物体の運動量)と対象の運動量の関係であらわせます。

例を出します。

車が10kmの道路を走り終える速度を計算します。

簡単に表すと、時計の針が動くスピード(変化量=エネルギー量)と車が10kmの道路を走り終わる(絶対空間内での物体の移動)で表せます。

車がスタート地点からゴール地点もで移動するのに時計の分針が12から6まで移動した場合を考えます。

これは単純に10kmはしるのに30分かかったと言えます。

時速20kmです。

では、二回目の測定では、車が10kmの道路を走り終えるのに、分針が12から3に移動したとしたます。

これは単純に考えれば、15分かかったといえます。

つまり、時速40kmです。

くるまのスピードが速くなっています、アクセル全開にでもしたのでしょうか。

ですがちょっとまって下さい。

本当に車のスピードが速くなったのでしょうか。

もしかしたら時計の針が遅くなっただけかもしれないですよ。

車のスピードが早くなったのか、時計の針が遅くなったのか、この2つだけをみてもわかりません。

しかし、そこに全く関係のない第三者がいたら一目瞭然です。

その第三者の時間が変化していないとしたらですが。

相対性理論を突き詰めるとこのような話になります。

もし、光速度で運動する物体から、発射された光子が高速度に見えるというなら。

そして、高速度がどのようなときでも同じなら。

物体は高速度に近くなると、その物体の時間が遅くなる。

つまり、潜在的なエネルギーを見かけの運動量に変換しているという話になります。

そのように考えるなら、光速にたっした物体は、自身の時間が遅くなり、相対的に絶対時間で高速度の光子が、光速に見えることになります。(相対速度とかはまったく気にしていないのであしからず)

しかし、それは光速で運動する物体と、そこから発射された光速で運動する光子の2つだけの関係です。

第三者からみたら、単純に光速で運動する物体とそこから発射された光子が、光速で運動するという当たり前の光景です。

ちなみ、空間が縮むという話は次の理解です。

上記の車が10kmの道路を走り終える時間を時計で測る例です。

コピペ

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では、二回目の測定では、車が10kmの道路を走り終えるのに、分針が12から3に移動したとしたます。

これは単純に考えれば、15分かかったといえます。

つまり、時速40kmです。

くるまのスピードが速くなっています、アクセル全開にでもしたのでしょうか。

ですがちょっとまって下さい。

本当に車のスピードが速くなったのでしょうか。

もしかしたら時計の針が遅くなっただけかもしれないですよ。

車のスピードが早くなったのか、時計の針が遅くなったのか、この2つだけをみてもわかりません。

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よーく読んでください。

この具体例、時計の針が遅くなっても、車のスピードが早くなっても時速40kmという結果は変わりないのです。

つまり、自分の時間が遅くなっている状態では、空間が広がって見えるのです。

時間が遅くなるというのは外から見たらですが、測定者は絶対に自覚できません。

だって、測定者自身は自分の時間を自覚できませんから。

時間の測定は、基準となる1つの系と対象の系の関係で決まるのですから。

自分自身の時間を測定したくても、系が自分1つしかありません。

さらに、速度というのは、速度  = 距離 ÷ 時間 で計算します。

で、速度に✕2した時、距離に✕2しても時間に✕2しても計算式上ではわかんないのです。

で速度が上がって見えた時に、時間が遅くなった時、時間にX2した(つまり、より多くの時間をかけて10km移動した)と考えるのではなく、距離に✕10した(同じ時間で20km距離を進んだ)と考えたのです。

測定者自身は、自分の時間が遅くなっているとは考えないため、どうしても空間が歪んで見えるのです。

結局、時間という概念を厳密に定義したら、このように単純に相対性理論を理解できたのです。



いかがでしたでしょうか。

では今回の記事は以上になります。

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戦略型ポジティブシンキングあるいは戦略型ネガティブシンキングのすすめ

 戦略型ポジティブシンキングあるいは戦略型ネガティブシンキングのすすめ

こんにちわ、冬生真礼です。

ーーこの記事は過去ログからの抜粋です。

今回の記事は、ポジティブシンキングとネガティブシンキングに関する記事です。

巷に蔓延るポジティブシンキングとネガティブシンキングに関する誤解を解き、戦略型ポジティブシンキングと戦略型ネガティブシンキングを紹介します。



皆さんは、ポジティブシンキングやネガティブシンキングについてどう理解していますか。

単純にポジティブシンキングはを「何に対してもポジティブ(肯定的)に捉えようとすること」、ネガティブシンキングを「何に対してもネガティブ(否定的)に捉えようとすること」だとお考えでしょうか。 

実は、ポジティブシンキングとネガティブシンキングは、科学的に定義できるのです。

人間は平常状態で肯定的感情をベースにしている方と、否定的感情をベースにしている方が両方いらっしゃいます。

前者の方は、脳の感情を司る部位が快を出力しており、後者は不快を出力しています。

私は別の記事で、人間が言葉を理解する時には、常に自分の内部で言葉の意味を再現していると書きました。

また、人間が他者に共感するときには、他者の脳内状態を模倣して再現して理解しているとも書きました。

文章をを理解するときには、単純に意味を再現しているだけです。

他者が話す言葉を理解するときには、脳は言葉の意味を内部で再現しながら相手の感情状態などを共感能力で模倣しています。

平常状態で肯定的感情を脳が出力している人は、文章を理解したり他者の言葉を理解するときには元々脳が肯定的感情を出力している所に、言葉の意味を再現したり相手の感情状態などを模倣しようとします。

当たり前ですが、元からあった肯定的感情(快の感情)は言葉の理解などに影響を及ぼします。

肯定的感情が、文章や言葉の理解時に上乗せされ混ざるのです。

そのために、他者の言葉を肯定的に捉えがちですし、時には過度に信用してしまいます。

平常状態が否定的感情の人がその逆です。

他者の言葉を否定的に捉えがちで、時には過度に不信を抱いたりします。

また心理的には、自分の抱いている感情状態と合致した印象を物事にいだきやすくなります。

肯定的感情を抱いている状態では物事の肯定的な感情を喚起する側面に注目が行きがちです。

否定的感情を抱いている状態でその逆です。

これは、ベースにある感情状態と結びついた記憶を引っ張り出しやすくなるためです。

これらを要約すると、ポジティブシンキングは「平常状態で脳が肯定的感情を出力しているために起こる心理的傾向あるいはその傾向があること」となり、ネガティブシンキングは「平常状態で脳が否定的感情を出力しているために起こる心理的傾向あるいはそれの傾向があること」となります。

どうでしょう、理解できたでしょうか。


では、巷に蔓延るポジティブシンキングやネガティブシンキングに関する代表的な誤解を解いていきましょう。

誤解その1

 ネガティブシンキングは悪いことだ。

誤解その2

 ポジティブシンキングは良いことだ。

誤解その3

 ポジティブシンキングをしたほうが物事(仕事・勉強・スポーツ)がうまくいく

誤解その4
 
 ポジティブシンキングをし続けることが、幸福をもたらす

誤解その5

 (ネガティブ・ポジティブ論争における)ポジティブシンキングは逆に不幸をもたらす

誤解その6

 ネガティブシンキングはし続けると、不幸をもたらす


まずは誤解その1から訂正します。

 ネガティブシンキングは悪いことではありません。

 ネガティブシンキングをすることで、犯罪や事故から身を守る事が出来ます。
 他者に対して、ネガティブな態度を貫く事が必要な場面は多々あります。海外旅行で治安の悪い地域を旅行する場合は、ネガティブシンキングは有効です。詐欺や誘拐や強盗に合うリスクを下げます。
 ネガティブシンキングで致命的なミスや過度な楽観視を避けることができます。
 自動車運転では、ネガティブシンキングの適度にストレス(不快)がある状態は運転に適しています。もしかしたら事故に合うかもしれない、事故をおこすかもしれないという事を考えることで脳は手抜きをしなくなります。

 もちろん、ネガティブシンキングの悪い側面もあります。
 通常特に疑う必要のないことに対して、過度に疑念を抱く。
 人と信頼関係を気づきにくいため、人間関係に躓きがち。
 本当に良い商品やサービスなのに、広告宣伝が下手だったり、無名だったり、怪しいくらい効果が高いと怪しい商品だと判断して購入せず利益を逃してしまいます。

誤解その2の訂正です。

 ポジティブシンキングが困る場面は多々あります。

 基本的に他者に対してポジティブな態度を取るので騙されやすくなります。相手の悪意や害意を想像しにくいので、相手に悪意があることに気づきにくいです。海外旅行で治安の悪い地域を旅行する場合、ポジティブに物事を捉える癖が、犯罪者に対して付け込まれる原因になります。
 書かれている文章に対して否定的感情を持ちにくいので、怪しい通販や商材に騙される可能性が高くなりがちです。
 批判したり訂正したり改善すべき事に対しての許容度が高くなりがちなので、それをするべき事柄が自分や友人や家族、恋人にあっても許容してしまい、相手や自分の将来の利益を失わせてしまう。(具体例、子供が友人に対して暴力や暴言を吐く。友人が他人家の冷蔵庫を勝手に開ける。夫が子供の前で煙草を吸う。毎日酒を大量に飲む等)

 もちろん、ポジティブシンキングの良い面もあります。
 他者に対して肯定的感情を持ちやすいので、人間関係が楽、上手く行きがち。
 世の中をよく捉えがちなので生きてて楽。
 どうしようもない状況でも、肯定的に捉えることによりそれほどストレスがない(逆境に強い)。


誤解その3の訂正です。

 ポジティブシンキングは勉強・仕事・スポーツに対して良い面と悪い面があります。

 ポジティブシンキングの方は、平常状態で肯定的感情(快)を抱いているので、勉強や仕事やスポーツに対して積極的に行動できます。何かを始める時に心理的抵抗が少ないからです。
 逆に、勉強や仕事やスポーツのここぞと頑張らなければいけない場面など、ストレスが必要な場面ではストレスを弱めてしまうのでガツンと頑張れません。

誤解その4の訂正です。

 場合によります。

 ポジティブシンキングでどうにもならない場合は多々あります。

誤解その5

 場合によります。

 ポジティブシンキングで物事をうまく生かせる事は可能です。
 やり方次第です。

誤解その6

  場合によります。
  ネガティブシンキングをする方で、幸福な方も沢山いらっしゃいます。
  ネガティブシンキングをする方で、不幸になることもあります。

6つの誤解を解いていきました。



では次は、タイトルにある戦略型ポジティブシンキングと戦略型ネガティブシンキングの説明になります。

大事なことを述べます。

実は、ポジティブシンキング―ネガティブシンキングの裏には、隠れたもう一つの軸があります。 

それは理想主義―現実主義の軸です。

多くのポジティブシンキング―ネガティブシンキング論争ではあまり指摘されていませんが、ポジネガの他に理想現実という隠れた変数があったのです。

多くの場合、この理想主義―現実主義の軸が語られることが無いので、よくわからない議論になってしまいます。

まずは言葉の定義からです。

理想主義とは、ある理想的な状態を目指して物事の判断や選択をしていく事、あるいは理想的な物事の状態があるという考えです。

現実主義とは、現在の状態でもっとも適した判断や選択をしていく事、あるいは理想的な状態があると考えず現在の状態(現実)があるという考えです。

多くの場合、ポジティブシンキングという言葉を使う時、その裏には理想主義があります。

ネガティブシンキングという言葉を使う時、その裏には現実主義があります。

実は、これらの組み合わせはリスクを伴います。

理想的な状況が肯定的な判断や選択だけで実現することは少なく、現実的な状況で否定的な判断や選択を行い続けてしまうと状況をより悪い方向へ行かせがちだからです。

前者は、自己啓発のポジティブシンキング教にハマり過ぎて人生を崩壊させるような方が代表的です。

後者は、より良い政治判断したつもりが、国内情勢や世界情勢をより悪化させてしまった政治家などが典型例です。

よって、ポジティブシンキングをする時は現実主義で物事に向き合い、ネガティブシンキングをする時は理想主義で物事に向き合うことが必要になります。

ポジティブシンキングと現実主義の組み合わせを、戦略型ポジティブシンキングと呼ぶことにします。

ネガティブシンキングと理想主義の組み合わせを、戦略型ネガティブシンキングと呼ぶことにします。

ポジティブシンキングと理想主義の組み合わせを、単純型ポジティブシンキングと呼ぶことにします。

ネガティブシンキングと現実主義の組み合わせを、単純型ネガティブシンキングと呼ぶことにします。

戦略型ポジティブシンキングは、平常時の脳が快の状態で物事を現実的に判断しますから、無駄な恐れを感じず徹底的に現実的に考えることができます、理想的な状態を目指すのではなく現実的な状況判断をするので、騙される事過信する事を回避できます。

戦略型ネガティブシンキングは、平常時の脳が不快の状態で物事を理想を目指して判断しますから、徹底的に様々な条件を否定的に考えることができ、そして現在の状態の向こう側(理想的な状態)を常に想定する事で短絡的な判断を回避できます。

戦略型のポイントは、バランスです。

脳の状態と、判断基準の組み合わせで、思考と主義の持つリスクを低減しています。

単純型は、思考と主義の持つリスクを高くしています。

ポジティブシンキングやネガティブシンキングについて語る時、それが単純型か戦略型かで大きく違ってきてしまいます。

ネガティブシンキングでそれにお困りの方が、無理にポジティブシンキングになる必要はなく、単純型から戦略型に移行するだけでよいのです。

単純型ポジティブシンキングの方は、戦略型に移行することが必要な場合も多いでしょう。



以上がポジティブシンキングとネガティブシンキングについての記事です。

ありふれた内容を長々と書いてしまいました、読んでいただいた方に感謝です。

ちなみに、戦略型ポジは起業家に、戦略型ネガは学者の方に多い印象です。

起業家の方が単純型ポジだと、社員が不幸です。

学者の方に単純型ネガ多いと、懐疑論者だらけで学問が発展しないです。


今回はこれで終わります。

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存在質とは 物性を獲得する前に

 存在質という概念

こんにちわ、冬生真礼です。

ーーこの記事は過去ログからの抜粋です。

最近、このブログアクセス数が増えてきて嬉しいです。

今回の記事は、そろそろ現代の科学は物質・エネルギーという概念の上位である「存在質」という概念を取り入れた方が良いのではないかと思い記事にしました。


「存在質」は簡単に説明すると、「在る」という性質そのものの体現です。

存在しているものは全て存在質に含まれます。

物質は、物性を持った存在質ですし、エネルギーは変化量の現れである存在質。


まずは、私が何故存在質というモノを想定するようになったのかという説明をします。

私は昔こんな疑問を持っていました。

「何故、宇宙は何も存在しないのではなく、何かが在るのか」 

宇宙も、物質も、エネルギーも、人間も、自分という存在さえも、「存在する」という原因も因果もないように思えたのです。

宇宙も、物質も、 何もかも、何故存在するのかという事を突き詰めて考えたら、それに原因とか理由とか因果とかそういったモノが無いのに、何故か存在している。

「何故、宇宙は何も存在しないのではなく、何かが在るのか」

因果とか理由とかそういったモノの考えを突き詰めてしまったら、宇宙は存在しているはずがないし、自分の心も存在しているはずがない、そんな結論に達しざるを得ないのです。

こういった考えは、他の人も考えていたようでウィキペディアで調べたら同じようなこと書いてあってびっくりした覚えがあります。

そのあとしばらくは、そのような考えでウンウン唸っていたのですが、ある時こう考える様になりました。

「何故、宇宙は何も存在しないのではなく、何かがあるのかと考えていたって、現実に目の前に宇宙は存在している。これはもう、原因とか理由とか因果とかは瑣末なことで、そもそも存在するという根本性質が宇宙にあるのではないか」と。

そういった考えで、思考をしていったのです。

余談ですが、そうした結果、時間とはそもそもベクトルで表される方向を持ったものではなく、「物の変化量」を人間の脳が観測した結果生まれたものだと考えるようになり、時間とは「変化したか、しないか」で計測するものであり、ベクトルのような方向性を持たないと考えるようになりました。

宇宙には根源的に存在するという性質があり、すべては宇宙の根源的な存在するという性質、存在質が大元になっているのではないか。

存在質から派生し、物性を獲得して物質になり、エネルギーが生まれた。

そう考えていったのです。

ちなみに、現代物理学ではこの存在質に近い考えは量子力学で研究されていますが、量子力学はまだ物性にこだわりが多く、存在質という性質を想定しきれていません。

現代物理学は、物質・物体の研究にその端を発しているため、思考の出発点が物性になってしまっています。

しかし、現実には物質は存在質が物性を獲得したものと考えるべきなのです。

何はともかく、全ては存在しているという性質から出発しているのですから。


このような思考があり、私は「存在質」という概念を築いていきました。

さらに、物質は存在質が物性を獲得したのものだ。

ならば、逆説的に考えてそもそもの存在質は物性をもたないだろうと考えるようになりました。

また、古典的ですが、エーテルの概念に近いものがあります。

私の想定する存在質とエーテルの差異は、存在質はエーテルと違って(現代物理学で想定されるような)物性を持たないということです。

つまるところ質量をもたない(より正確には、質量を観測できない)。

そういった事が考えられます。



私の存在質という概念に対する思索はいかがだったでしょう。

思考の出発点が哲学的な問いなため、物理学と相容れないようにも思えますが、現代物理学の最先端では、物性をもたないが存在する何かを想定せざるを得なくなっているように思えます。

しかし、そもそも「物」理学ですので物性から離れてものを考えるのが難しいように思えます。

色々書きましたが、今回の記事は以上になります。

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時間に対する考察 その1

 たまには雑記、時間とか

こんばんわ、冬生真礼です。

ーー過去ログからの抜粋になります。




私、実は時間逆行ものの小説や映画が大の苦手なのです。

何故かと言うと、絶対に物語に決して消せない矛盾が生じてしまうからです。

また、時間逆行の理論的説明として「世界はパラパラ漫画の~」などといった説明がなれていると、もう頭を抱えてしまいます。

この物語の作者は、宇宙のどこかに、過去のある一時が物理的に存在しているとでも思っているのだろうかと悩んでしまいます。

過去のある一時が物理的に宇宙のどこかに存在しているならば、その一時は無限に連続する時間のどの一瞬をどの程度の長さで切り取ってあるのか。

仮に、0.00001secとして、それが時間の最小単位になるのか、それ以下はないのかなどと考えてしまいます。

このような事を考えてしまうので、一般にアインシュタインの相対性理論では時間の逆行が理論上可能であるといった事が言われていると、そもそも現代物理学は時間というものをどう捉えているかと不思議に思っていました。



そういった思索を得て、時間に関する議論は古来からいろいろあると思いますが、私はある結論を得ました。

 それは、時間はベクトルで表すような「向き」のあるものではなく、完全な「相対的な変化量」で計測されるものだというモノです。

私が過去に時間についての思索をした時に、まとめた文章をコピペして載せます。

----------------------------------------------
 

時間についての考察

 

 「時間がない、時間がない。あ~、いそがしい」

 

 「うわ~、もう2時!? 時間経つの早いよ~」

 

 「失敗したー。 7時前に戻れたらやり直せるのに~」

 

 人間は明らかに時間というものを認識している。
 

 当たり前の様に、時間というモノがある前提で生きている。

 
 

 しかし。

 

 時間というモノの正体を知っている人間はどれだけいるのだろうか。
 

 時を巻き戻すとか、過去に戻るのは理論的に可能とか、時間は過去から未来に流れるとか。

 

 時間というモノを誤解していなければ出てこない様な言葉のオンパレードである。

 

 そこで、ここでは筆者が時間について考察した結果得られた事を説明したいと思う。
 

 

「時間を測る」
 

 

 まず、一番初めに説明しなければならないのは、時間の測り方である。

 

 通常、私たちが時間を測る時には時計を使う。
 

 秒針が6度傾けば1秒。分針が180度傾けば30分。時針が30度傾けば1時間が経過したと判断するだろう。
 

 デジタル時計ならもっと解りやすいだろう。

 

 だが、ここで問題がある。
 

 時計が使えなかったら、どう測ればいいのだろう。
 

 あるいは、何もない真っ暗な部屋に閉じ込められていたら、時の経過をどう判断すればいいのだろう。

 なんの道具もない、なにも見えない状況で何を基準に1分あるいは1時間を測ればいい。

 

 よくよく考えると、このような状況でも、「1234・・・」と口で数えれば精確ではないが時間を測れるだろう。

 

 ではもっと突っ込んで考えよう。

 

 もし、口が聞けない様に、さる轡を噛まされていたらどうだろう。
 

 口がきけないなら頭のなかで数えればいいのだろうか。

  

 では、寝ていたらどうだろうか。
 

 思考ができないほどぐっすり寝ている人間が時間を測るにはどうしたら良いだろうか。

 

 ここまで考えたら分かっただろうか。

 

 つまり、時間を測るには何か基準になるモノが必要だということ。
 

 そして、その基準になるものはずっと動いていなければならない。

 

 たとえぐっすり寝ていたとしても、翌朝起きて時計が7時を指していたら大体7時間ぐらい寝ていたと解るように。

 

 だが、もしその時計が自分が知らない間に、いつもより早く動いていたら・・・。
 

 

「時間の矛盾」
 

 

 前章で説明したように、時間の計測には一定速度で動き続ける基準となるモノが必要である。

 

 ここで問題。

 

 「一定速度」というのはどのように定義されるのか。

 

 答え。

 

 そのモノが「ある時間」に「どの程度」動いたかどうか計測して定義する。

 

 ここで、時間を測るための基準を求める時点で、時間が計測可能である必要があるという矛盾が産まれるのだ。

 

「変化量」

 

 ここで視点を変えてみる。

 

 人間はどうやって時間の経過を認識するかという視点。

 

 単純に、時計や基準となるモノがどれだけ動いたか。
 

 つまり、どれだけの変化があったのかで時間の経過を認識する、

 

 端的に表してしまえば、人間は時間の経過を変化量で認識するのだ。

 

 

 人間にとっての時間は変化量として表現できる。

 

 さらに、原子時計やこの世のあらゆる時間の測定装置はこの変化量を計測することによって機能しているのだ。

 

 しかし、ここで一つの問題が出てくる。
 

 人間が時間の経過をある対象の変化量で測るというのに、その人間自体も常に変化量が一定ではない事だ。

 

 人間も心拍や呼吸によって意識や身体の状態が変化する。
 

 

 人間の視点で言うと、時間の経過というのは基準となるモノの変化量とそれを解釈判断するモノの変化量というバランスの上に計測される事になってしまう。

 

 そして、それは時計などの機械も同じである。

 

 シンプルに説明すると、時間の経過は基準となる二つのモノの相対的な変化量でのみ計測される、ということだ。

 

「時間の正体」

 

 哲学の時間です。

 

 宇宙が産まれる前、時間というものはあったでしょうか。

  

 宇宙が生まれる前は、物質がありません。
 

 さらに言えば、物質が運動することで得られる変化量がありません。
 

 さらにさらに言えば、時間の経過を認識する人間も存在しません。

 

 果たして時間って、存在するのだろうか。

 

 結論から言ってしまえば、筆者は時間と言うものが独立して存在する絶対的なモノとは考えていません。

 

 人間の認識の中にしか存在しないモノだと思っています。

 

 言ってしまえば、現実世界の物理的な情報である物体の変化量を、相対的な尺度で観測した結果産まれるモノ。
 

 それが時間だと考えています。

 

「補記」

 

 時間の経過とは変化する事なので、過去に逆行するという概念は間違った時間の解釈によって得られた空想です。

 

 たとえば、1時間まえに壊した高級な壺をもとに戻すために時間を巻き戻すという表現が創作物の中でよく見られます。
 

 しかし、元に戻るという現象は、物理的なベクトルが逆方向を向いていますが、変化量が計測できます。
 

 つまり、これは時間の逆行ではなく時間の経過です。

 

 また、時空のトンネルを抜けると20年前の日本に辿りついたという表現がありますが、時間が経過するという現象は、宇宙の物理状態が変遷するということです。
 

 なので、過去のある状態がどこかに保存されているとか、4次元時空の中では世界とはパラパラマンガの様なモノである、とかはありえません。

 

 そして、この変化量という考え方は筆者の思索の中では頻繁に出てくる重要な概念です。
 

 今後、色々なところでこの言葉が登場すると思います。

 

 それでは、さようなら。

---------------------------------------------

どうでしょうか、1年以上前にかいた文章なので色々と拙いですが私がの思索の過程をご理解いただけたと思います。

私はこのような思索の結果、「過去は記憶」でしかなく、「未来は想像」でしかないと思っています。

宇宙には「今、ここ」しかなく、全ては「一つしかない物理的な宇宙の状態のが変化しているだけ」でしかないという考えに至ったのです。


今回の記事は以上になります。

時間や空間といった哲学的な話は、一見難しそうですが、深く考えだすと延々と考え続けてしまうような面白さがあります。

いずれは、空間などの話もしたいと思っています。

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2024年10月13日日曜日

ゲシュタルトの理解 過去記事の転載です。

 ゲシュタルトの解りやすい説明とその理解。

 こんにちわ、冬生真礼です。

 この記事ではゲシュタルトについて、読者の方々と一緒に理解を深めていきたいと思います。

 
この記事は過去ログにも収録されている内容です。

 私はゲシュタルトという言葉は大学の心理学の講義で知りました。
 その講義では、ゲシュタルトとは心理学の用語であり、『複数の「部分」から成り立ち。その結果出来上がった「部分の総和」より大きい「全体」』の事だと学びました。

 みなさん、どうですか理解出来ましたか?

 「何のことだがさっぱりだ」、と思う人が多いのではないでしょうか?

 「部分」とは「部分の総和」とは「全体」とは?

 では、それらを説明していきます。
 

 

 まず、簡単に理解できる具体例として、「三角形」があります。

 

 

 ちょっと試しに、ノートか何かを用意して、バラバラに点を3つ打って下さい。

 

 

 次に、そのバラバラの点を頂点とする三角形を、「実際には線を描かずに」、思い描いて下さい。

 

 

 どうですか? できましたか?

 

 

 殆どの人はなんとなくイメージできたと思います。

 今やったのは、人間の脳は三角形の線分を描かかないでも、3つの頂点があれば三角形を認識できる、ということの簡単な実験です。

 

 

 次に、空のティッシュボックスを用意して下さい。

 

 

 べつに、中身を捨てなくて構いませんよ(笑)?

 

 

 そのティッシュボックをよく観察してください。

 

 

 ティッシュボックは面長の立方体です。

 

 そして、立法体は6つの面から成り立っています。

 

 ここで質問です。

 

 

 その6つの面を部品として、何かを作る時それは必ず立方体になりますか?

 

 

 皆さんお分かりだと思いますがここでははっきり明確に述べます。

 答えはNOです。

 

 

 6つの面を部品としても、作り方しだいで様々な物が出来上がります。

 つまり、ティッシュボックスは単なる「面が6つあるモノ」ではないのです。

 また、単純に「6つの面」で何かをつくろうとした場合、一番簡単なのは面を全部重ね合わせることです。
 
 しかし、その厚紙は先程述べた「6つの面の総和」でしかありません。
 
 そこには「総和より大きい全体」が存在しません。
 それは、「単なる1つの面と比べて少しだけ厚い面」です。
 
 1つ1つの面をパーツ(部分)として考えて、複数のパーツ(部分)から成るティッシュボックスは、単なるパーツ(部分)が合わさったもの(部分の総和)ではないのということです。 
 

 

 そこには、単なる「6つの面」には無かった「立方体という性質」が生まれています。

 この「立方体の性質」こそがゲシュタルト(部分の総和より大きい全体)なのです。


 ゲシュタルトについての説明は以上で終わりです。
 ここまでの説明を理解できれば、ゲシュタルトについて理解していると言えるのではないでしょうか。

 しかし、以下は脳にとってのゲシュタルトの説明になりますので、疲れたり、これ以上難しい話はたくさんだという人には以上の理解でも十分です。

 お疲れ様でした。










 では、もっと深く掘り下げてみましょう。
 
 まず内省してみ下さい、あなたの脳はティッシュボックスをどの様に認識していますか。
 あるいは、何故はあなたの脳はそれをティッシュボックスだと認識しているのですか。

 まずは観察からです。
 
 貴方の目の前のティッシュボックスは、本当に6つの面だけで成り立っていますか?

 

 さらによく観察して下さい。

 

 

 そこには、ティッシュボックスの内部の空間はありませんか?

 

 

 しかし、よく考えてみてください。
 本当に、その空間は実在しているのでしょうか。

 

 それの空間は、決して見えないですし、触れもしません、味もないですし、匂いも嗅げない上に、空間に音があるわけでもありません。

 

 しかし、その存在は認識できますし、ティッシュボックスを構成する重要なモノの一つです。
 

 

 ならば、その空間はあるのです。

 

 何故なら、その空間が無ければティッシュボックスはただの厚紙にしかならないからです。

 

 

 では、この観点を、さらに深めてみましょう。

 空間はティッシュボックスの内部だけに存在しているのでしょうか?

 

 

 そうです、ティッシュボックスの外部にも空間は存在しているのです。

 つまり、ティッシュボックスは6つの面と内と外に存在する空間から、その存在が構成されているのです。

 しかし、実際はティッシュボックスを作るときに必要なのは、6つの面だけです。

 なぜなら、ティッシュボックスを作る人は「内と外の空間」まで用意する必要がないからです。

 なぜでしょうか?

 その理由は、ティッシュボックスの「内と外の空間」は「6つの面」の相対的な位置関係により自動的に決定するからです。

 その相対的な位置関係とは物質的なものではありません。

 正に表現すれば、「6つの面」のが存在している限り自動的に定義される情報なのです。

 その情報は、物質的な情報ではありません。
 しかし、物理空間には存在してます。
 その事をここでは便宜的に、「ティッシュボックスという存在」は論理構造に関する情報を持つ、と表現します。

 これを、ティッシュボックスは『6つの面(物質)とそれについての情報(論理構造)から成り立ち、立方体として表象(人間の認識のなかで表現される)ゲシュタルト(部分の総和より大きい全体)を持つ』と表現しましょう。

 ここまで、ついて来られた方は、今脳内に「ゲシュタルトという言葉」についてのゲシュタルトが構築さているはずです。

 次に、本当に人間がゲシュタルトを用いて現実を認識していることが体験できる実験を行います。

 では、試しにティッシュボックスを解体してみましょう。
 最近のティッシュボックスは楽に捨てられるように作られていて、簡単に潰せます。
 もう、潰しましたか。
 では、あなたはそれをどの様に認識していますか?
 
 内省しつつ、実際の世界をよーく認識してください。

 では、今度は潰れたティッシュボックスをはさみでバラバラにしてみましょう。

 バラバラに出来たら、また内省と認識している世界の観察です。
 
 それは、あなたにとってどのようなものですか?

 ちょっとしばらく、バラバラになったパーツで遊んでみて下さい。

 なめたり、曲げたり、匂いを嗅いだり、何をしてもかまいませんです。

 しらばらくして遊び終わったら、バラバラにしたパーツを全部一箇所に集めてください。

 そして、それら全てのパーツを用い、なんでもかまいせんですので、何か物を作ってみて下さい。

 小さなお子様をお持ちでいらっしゃる方なら、一緒に工作をして見るのも楽しいですので、試しに一緒に遊んでみてあげて下さい。

 では、出来上がったモノをよく観察して下さい。

 そして最後に、出来上がったものに名前を付けてあげてください。

 名前を付けられましたか?

 では、最後の解説に入ります。

 かしこいあなたは、もうお気づきだと思いますが、説明させて下さい。

 あなたが今やった行為は、ティッシュボックスというゲシュタルトを壊す行為です。

 ちゃんと名前を付けてあげたとしたら、あなたはもうすでに新たに付けた名前でそれを認識していることでしょう。

 そして、人間の脳はこのように現実世界を認識していると考えられます。

 ちなみに、この記事をよんで試しにティッシュボックスをバラバラにしてみたけれど、面倒くさくてゴミ箱に捨てたという方もいらっしゃると思います。

 そのような方の場合はティッシュボックスをバラバラにした瞬間に、それを「ゴミ」と認識してしまったのです。

 もし、自然と、「試しにバラバラにして見たけど何もかわってないじゃん、あ~くそ。めんどくさい。捨てよっ」、などといった思考があったとしたら、かなりのめっけものです。

 なぜなら、そのような言葉が心の底からでた瞬間、「ティッシュボックス」というゲシュタルトが崩壊して、一瞬の内に目の前のそれが「ゴミ」に変わったコトを実感できたからです。


 どうですか? 「ゲシュタルト」という言葉を実感出来たのではないでしょうか?

 終わりに。

 上記のゲシュタルトの体感実験方法は今回の記事の為に即席で作ったオリジナルの方法です。
 即席で考えた事を無責任に記事にする事は出来ないと思い、実際に自分で試てみたら 、私はティッシュボックスを「ゴミ」として認識してしまいました(笑)。
 自分で考えた実験方法なのに、ティッシュボックスをハサミでバラバラにした瞬間に「こんなのゴミじゃん!」とっ思いっきり叫んでしまい、思わず爆笑してしまいました(爆笑)。

 最後の文章は笑いながら書いてますが、いわゆる「認知科学の解説本」や「苫米地英人氏やNLPの本」を読んで、理解できたと「思って」いる方には、特に実際に試してみる事をお薦めします。

 現在まで認知科学を独学で学び続けて来ましたが、今回のこの記事を書くにあたって、また新たな発見があったことを嬉しく思います。
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世界が変わり始める内に…


人生のエビデンス(根拠)はあなた自身でいい

こんばんわ、冬生真礼です。

今回の記事は、「人生のエビデンス(根拠)はあなた自身でいい」です。

旧ブログより抜粋ーーー


人は、人生はこうやったら上手く行くはずだという根拠を自分以外に求めがちです。

他人の話や、学問や、あるいは宗教や道徳に求めています。

誰かが、「人生はこうやったら上手くいく」と言う話をしていたとします。

あなたは、人生をうまく行かせたいので「こうやったら上手くいく」と言う話はかならず「根拠」を聞くようにしています。

それらはあなたの周りの人間も同じです。

また、あなたの周囲の人間は「こうやったら上手くいく」という方法をあなたに教えてきました。

あなたの親は「お母さんはこうやったら上手く言ったのよ」とか「お父さんはこれは上手くいかなかったよ」とあなたに色々と聞かせてきました。

その根拠は「両親がそう経験したから」というものです。

あるいは、宗教は「神はこう仰った」とそれが神の言葉であることを根拠とします。

学問は「研究をした結果、そのような傾向がある事がわかった」という実験で得た事実であることを根拠とします。

道徳では、「そうあるべきだから、そうなのだ」とそれ自身を根拠とします。

でも、それらはあなたが「こうしたら上手くいくんじゃない」といった時に、「その根拠はなあに?私の言うことを聞いたほうが良いよ」と諭します。

そのような時に、あなたは大抵「根拠を提示できなく」、周囲の人間を説得できません。

何故なら、あなたの根拠は「あなたがそう思った」からにほかならなく、「あなた自身以外になにもない」からです。

あなたは「他人を説得する」ために「他人が納得する、自分以外の根拠」というのを提示しようとします。

もしかしたら「運良くそれを見つけられる」かもしれませんが、多くの場合そんな都合よく根拠は転がっていませねん。

なので、あなたが思った「こうやったらうまくいく」というアイディアは、実行してこなかったかもしれません。

そして、その延長線上で、周囲の人を説得する必要がなくなった後でも「こうすればうまくいく」ということを思いついたとしても「自分以外の根拠」を探そうとして失敗して「やっぱりうまくいかなそうだから、これはやめよう」という判断をしてきたのかもしれません。

あなたは、周囲の人間に「根拠を示せ」と言われてきたのかもしれません。

そして、「あなたがそう思ったから」ということだけでは納得してもらえなかったのかもしれません。

しかし、です。

あなたの中にはつねに「こうやればもっと上手くいくんじゃないか」というアイディアがあり、それはくすぶり続けていませんか。

だから、ここでハッキリ述べさせてください。

「根拠はあなた自身でいい」のです。

あなたが「こうすれば上手く行くんじゃないか」と思いついたアイディアを実行するのに、根拠を自分以外に求める必要はありません。(もちろん、周囲の人たちにはなるべく理解をしてもられるように努力することは大事です。時には慎重になることも必要な場合があるのも事実でしょう

なぜなら、大昔から「こうすれば上手くいくんじゃないか」というアイディアに「根拠なんてない」からです。(大抵の場合はです。そして、大きく失敗する事も多いのが珠に瑕ですがね。

昔の偉人が、偉大なことを為したのは「こうすれば上手くいくんじゃないか」と言う発想に「根拠を求めなかった」からです。(これがインスピレーションを信じるという行為です。ただ、おおくの雑多でたらめな妄想や破壊的な歴史を生み出した原因でもあるので、自分がただ妄想しているだけではないかというのは今も気にして、自分の中で確かめる必要があります

逆に、その当時に根拠を求められて他人が納得するものを提示できたとしたら、「当時の常識内の発想」でしかなく、偉大な躍進を遂げるのには不十分なアイディアだったはずです。(同時に既存の社会や文化に対するカウンターカルチャーとして、多くの人の理解を得られないことがありました。

当たり前ですが、根拠を「他人の理解できる範囲の過去の物」から導ける様なアイディアは、かならず古いアイディア、固定観念の上のアイディアでしかないです。(そして、それは多くの場合既存のシステムの延長線上のアイディアであり、古い社会の慣習を強化するものになります

逆に、「新しく躍進的なアイディア」だったら、どうして「他人の理解できる範囲の過去の物」から根拠を導けるのでしょうか。(本当にこれはその通りの場合が多いです。ただ、その分破壊的な作用が生じないかの検討や議論が成されないまま今までの文化を多くの人類社会が継続されています

論理的に矛盾しています。(論理はそこまで重要な要素ではありません。現実として有効かどうかただそれだけです。それにはより多くの人達にアイディアを出し合い議論を深めて戦わせる必要があるのです。

「他人の理解できる範囲の過去の物」である根拠が「過去に成功した物の蓄積」であるなら、「新しく今までにない物」の根拠にする事ができようもありません。(ただ、多くの社会や文化の経験と知識の蓄積の中から導き出した相応しい根拠を提示するのは必要であり、それが成されないまま先に進んでもニッチもサッチも活きません

 
もちろん、新しいアイディアには上手くいくものと、上手くいかないものがあるのは事実です。

でも、本当は「新しいアイディアに根拠なんてない」のですよ。
多くの場合はそうですが、稀にちゃんと根拠を提示できる人たちがいます。より進んでいる考えを持った人たちは世の中それなりにいるものです。


多くの人は、アイディアの根拠を提示したら「それっぽい適当なものをでっち上げている」にすぎません。(これが非常に問題で、学者や知識層や統治者はこのようなものに騙されやすかったりします。ただ、多くの無学の庶民文化はこのような誘導には引っかかりにくいのです。なぜなら思考の仕方がより現実での生活や文化や習慣や風習に根付いているから。多くの異文化や新しい思想により俯瞰的な眼で見れます。

本当に今までにない新しいアイディアなら「根拠なんて提示できない」のが当たり前なのです。
これはマジでその通りなので、あまりそのような根拠のない(ように見える)アイディアを出す人を異常者扱いするのも困りますね。社会の発展が停滞します。ただ、根拠をちゃんと聞いてあげて、一緒に考えてあげるだけで良いはずです。
もし、簡単に根拠を提示できるのなら、それは今までと変わらない似たようなアイディアだからです。(そしてそのような社会がいつまでも続くと、新しい世代と古い世代の意識と生活スタイルの隔絶が起きて、多くの民族内紛争や人種間戦争の火種になります。

そこに、進歩と飛躍も望めません。(停滞している社会が悪というわけではありません。世代交代の時期にスムーズに新しい生活スタイルを受け入れないと多くの方が遺伝的な影響などにより心のバランスを崩すために、絶望と荒廃思想が広まります。

昔の偉人は「こうやれば上手くいく」という根拠もないアイディアを試行錯誤の上でものにしていったにすぎませえん。(それに社会が追いつくまでに多くの闘争と奮闘があったと思います。そして周囲の人間からの不理解も。庶民というのは無学なものなのですので。ただそれは、社会環境や教育制度の問題にあるので、多くの人が責められる言われもありませんし、そのような方たちが実践する民間の学問というのは非常に重要な智慧が詰まっているのでしょうし、全く協力が取れていないのが多くの問題認識の不一致を産んでいるんです。

逆に当時に偉人が「根拠のあるアイディア」しか実践していなかったら、既存の枠組みに収まるばかりで飛躍も躍進もなかったはずです。(そして現代社会で生み出されてきた文化的な退廃も産まれ得なかったのは事実なのでしょう。


だから、あなたは自分の思う通りにやっていいのです。

エビデンス(根拠)はあなた自身で良いのです。

あなたが良いと思ったやり方を自分自身で確かめてそしてみんなでアイディアを試して、磨いて傷つけて修正して形作っていくしかないのです。修正していくしかないのです(これ重要)。

試して(try)、洗練(refine)磨いて(polish)いくしかないのです。それで良いのです。

 

智慧の実を着けた木を育てるためには、実を磨いていて、汚れや虫食いのないキレイで美味しい実を見つけて選別するようにしなければいけないのです。

 

その種を植えることによって、多くの人達がお美味しい実を食べることができるのです。(少なくとも私はそう思います)

その時の考え方は、トライアルアンドエラーでないのです。

トライアンドリファインアンドポリッシュなのです

エラー(失敗)したとは考えずに、リファイン(修正、洗練)すると共にポリッシュ(磨いていく)と考えるのです。それがよりベターなやり方だと私は思います。
 
むかしから、大きなことを為した人はうまくいかないことを「失敗」とは考えてはいなかったと思います。(そして反省と後悔と立ち直りそして立ち上がる気概を忘れずに行くこと、そのような大人の精神をもって、自分たちの置かれている状況と現実と未来と過去に起きた事と過ちたちと永遠に付き合ってその度に信じる気持ちを忘れずに生きることでのみ未来は開けていかないのでしょうね

むしろ、上手くいないことがあるたびに「修正、洗練、研磨、精錬」していき、どんどんゴールに近づいていくと考えたのではないでしょうか。(そのような精神を持って覚悟を決めて来て生きて、生ききったのではないでしょうか)

あなたは、「こうすれば上手くいく」というあなたのアイディアを、どんどんトライしてリファインしていってください。(まずは、自分自身でそれを行い確かめること。過ちを繰り返して間違っている考えをその度捨てて一新して刷新するひつようがあります。そうしなければ何も私たちの世界は変わらないし、変われないと思っています。すこしづつ、一日一歩確実に着実に、3日進んでは牛歩の如くしっかりと大地を踏みしめて、年をとった亀のごとき歩みで自らを律しながらすすんで、間違っていたら最初に戻って振り出しから初めてその度にやり方を変えて。明日の風はドコ吹く風と思いながら、風見鶏と天気をみながら空気を読んで周囲の人たちと仲良くしながら、行きたい未来へ歩いて行くのが必要です。アラジンと魔法のランプのような魔神の力を借りたいと思ってもそんなの当てにしている内はまだまだ子供です。ガキンチョの精神では未来は作れません。

最終的に、あなたの人生で起こること、その全ての根拠をあなた自身でそして皆の力で持って証明してしまえばいのです。

人生のやりたいこと、上手く行かせ方、そのエビデンスは最初から最後まで「あなた自身」でよいのです。

 

そのような信じる心が未来を作るのです。

そして自分以外の人たちもそれぞれ譲れない何かを信じているということを理解しよう。例えあなたがそれ自体を理解できなくても。

 

なぜなら、人には個人的な信念と理念と得意な事がありそれはひとそれぞれ結構違うからです。マジで大事ですよこの考え方は。

だから、とりあえずはあなたはあなたのやり方でよいのです。

時間が立つに連れて人は成長していくものなのだから。


いかがでしたでしょうか。

親や教師や上司は、あなたの主張に必ずと言っていいほど「根拠」を求めます。

あなたは、いつも思っているはずです「根拠なんてないよ、好きにさせろよ」と。たぶん。

でも、あなただって同じだと思います。他人の主張に根拠を求めている。

でも、自分自身が人生でやりたいことに「根拠」も必要ないし「他人を説得」する必要も本来ありません。

とにかく、やってみるしかないのです。

 

そこから始めるのが人生をうまくいかせる最も確実で大胆なやり方です。そして、それを信じられるのかがいつだってあなたの人生を左右してきたはずです。

なので、とりあえずやってみて、やってから初めて考え直してやり直すその都度磨き直してはやり方を変えてみるみたいな考えとやり方が適切でしょう。

 

”Try And Refine And Polish Thinking And Trust Our Policy of  Each Other And Respect Another Values and Differences of Senseor of Visual and Sounds and Preferences for Life Style  snd Saint Poeple and  UnderStand for Coropration with Every Organization On the Planet and Total International Organization Network System and Local  Organiztion's Actions and Decisions To The Our Future(TARAP Thinking and Trust TOP of Each Other And Respect Another Values and Differences and Preferences for life Style and Saint Poeple and Understand for CEO Options and LOAD To The Our Future”) 方が億倍も万倍もましです。

それが、シンプルで間違いないです。


では、今回の記事は以上になります。

ではでは。

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おひさしぶりです。元dokubo_tosho

はじめまして


冬生真礼(ふゆう まれい)と申します。


この度、冬生真礼の人生迷宮(ふゆうまれい の ライフ・ラビリンス)の管理人として、livedoor blog 独房図書の覚書の閉鎖から7年ぶりにブログSNS活動を再開しました。

元のハンドルネームは

dokubo_tosho

tosho

です。

現在は他にも並行してdokubo_tosho_のハンドルネームで「dokubo_tosho統合失調者の闘病記。」も執筆しておりますが、これはこのブログとは別枠のメンタルヘルスブログなの当ブログでは基本的に言及しませんが、気になる方はdokubo_toshoで検索していただけたら幸いです。

このブログは、オカルト・スピリチュアル・超心理学等の現代社会ではあまりなじまない領域の知識やknowhowにできるだけ解りやすく丁寧に科学的な視点から光を当て冬生真礼の個人的な探究心をみたしつつ社会に実益を供しようとせんとするも目的で開設されました。


どうぞよろしくお願いします。

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 引き寄せの法則:最終決定稿

こんにちわ、toshoです。

 

今回の記事は「引き寄せの法則:最終決定稿」になります。

 

引き寄せの法則に関する理論が完成したので最終決定稿としてまとめました。

 

 

引き寄せの法則とはイメージングを利用した願望実現法です。

 

自分の願望が叶った状態をリアルにイメージして願望が叶った喜びをありありと感じたら、いずれ現実でもその願望が叶うという方法です。

 

結構昔からこの引き寄せの法則はスピ界隈では流行っていて多くの方が試されて、願望が叶ったり叶わなかったりしています。

 

で、ようやく引き寄せの法則がどのような原理でそれを行う者の願望を叶えるのか分ったのです。

 

キーワードは、松果体、無意識のグローバル通信、脳の同調・模倣・共感能力・インスピレーション、集合意識、シンクロニティ、電磁波などです。

 

人間の脳にある松果体という部位は、人間の身体で電磁波の送受信をするエネルギーセンターになっています。

 

人間が他者の悲しみをありありと感じるときには、悲しんでいる人のの生体活動から発した電磁波を松果体で受信して、ミラーニューロンが電磁波から他者の生体活動の情報を読み解き電磁波を受信した人間のなかで読み取った生体活動から悲しみの情動を生み出す神経活動をを再現・模倣してそれを自分の中で感じて共感しています。

 

それが、「脳の同調・模倣・共感能力」の仕組みです。

 

そして、松果体は常時他者の生体活動からはっした電磁波や、宇宙から降り注ぐ電磁波など中空を漂う電磁波を受信しては神経活動や神経活動を担うエネルギーに変換しています。

 

それは無意識で行われているために、脳は常に無意識のグローバル通信と呼ぶべき離れて存在する人間どうしの無意識レベルの通信をしています。

 

無意識のグローバル通信のための思考や生体活動から生じた電磁波が中空にビンビン飛んでいてそれが物理的に人間の集合意識を形成して言います。

 

東京に住んでいる人間が無意識のグローバル通信のために放出した電磁波は主に東京に滞留しているので、そこに東京都民の集合意識が出来、同様に日本の集合意識、アジア太平洋地域の集合意識、アメリカ大陸の集合意識、地球の集合意識が生じています。

 

また、無意識のグローバル通信は基本的に同種の生物どうしにより行われ、人種や生物種が遠ければ無意識のグローバル通信は難しくなったり不可能になったりします。

 

人間がある思考、「Aさんと電話したいな」をした時に、その思考から生じる生体活動の電磁波はもちろん頭蓋の外に放出されます。

 

その思考が集合意識に加わり、その集合意識に属する「〇〇さん」やその他の人が脳の同調・模倣・思考能力により無意識に誘導されたり、またはAさんが「インスピレーションを受け」急にその思考に発信もとであるBさんに電話を掛けるというながれがあります。

 

または、そももそも「Aさんと電話したいな」という思考がAさんの「Bさんと電話したいな」という思考が元に生じたインスピレーションかも知れません。

 

シンクロニティはまずこの様な原理があります。

 

そして、引き寄せの法則も上記の原理を利用しています。

 

Cさんが「車を購入する為に300万円必要」だとして、引き寄せの法則を利用してイメージングを行いました。

 

「300万円手にいれてほしい車をてにいれて喜びに溢れている自分をイメージして喜びの感情に浸りました」

 

まず喜びの感情に浸るにはそれが本当に欲しいものでなければイメージしても感情が湧きません。

 

そして、感情は頭蓋の外に放出する電磁波のエネルギー量を爆上げします。

 

感情を伴わないイメージでは、電磁波の強度が足りなくて上手く集合意識に届いてくれません、届いても自宅の中とか近所とかそんなレベルです。

 

また、感情を味わっても一瞬ではエネルギー量が足りないので、暫くの間15秒はその状態を維持する必要がります。

 

上記の条件が満たされていれば、イメージングによりCさんのイメージは集合意識に加わり多くの人の無意識に影響を与えます。

 

そして、脳の同調・模倣・共感能力により、多くの人に無意識から思考の誘導が起きたりインスピレーションが起きるなどして結果的にCさんの願望が叶います。

 

また、多くの場合Cさん自身にもインスピレーションが湧きそれにしたいがい行動する必要があるでしょう。

 

この原理に従えば、Cさんが行動しなくても願望が叶う可能性もありますがなにも行動しないで願望が向こうから歩いて来てくれるのではない場合の方が多いでしょう。

 

ただ、もちろんいつ叶うかはわからないし、集合意識がCさんの願望を叶えないことを選択するかも知れませんし、条件的に無理な可能性もありますし、300万円が手に入るのではなく直接車が手に入ったりすることもあります。

 

なので、引き寄せの法則を使えば絶対願望が叶うというわけではないし、そもそも貴方の願望事態が誰かの引き寄せの法則が原因のインスピレーションや思考の誘導かも知れません。

 

過度な期待は禁物だったりします。

 

もちろん、集合意識が判断するので独りよがりな願望より多くの人が支持するような結果が起きる願望のほうが叶いやすいでしょう。

 

 

いかがでしたでしょうか。

 

ひさしぶりに、願望実現関係の記事なりました。

 

今回の記事は巷のあふれる引き寄せ本の理論に関して最終決定稿になるのではないでしょうか。

 

今回も鵜呑みにしないでくださいと言いません。

 

ある程度確度が高い内容になっています。

 

この理論を元に引き寄せの法則で願望を叶えたい方は叶えるの良いでしょう。

 

では今回の記事は以上になります。

 

ではでは~。

 

 

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アファメーションおすすめ色々

こんにちわ、toshoです。

 

今回の記事は、「アファメーションおすすめ色々」です。

 

様々な効果が期待できるアファメーションを紹介します。

 

また、今までの記事で取り上げたものを含みます。

 

 

まずは心理作用アファメーションから。

 

『私は私の個性を愛しています、受け入れています、完全に認めています、感謝しています、尊重しています、尊敬しています』

 

自分の性格や身体的特徴、得手不得手等の自分の個性をありのまま受け入れるためのアファメーションです。

 

自分で自分の個性をありのままを受け入れるので、心理的抵抗や課題の解消に繋がり、それが原因の体調不良や病の解消が期待できます。

 

個性の部分を「肉体の個性」「女性性(男性性)「人生」などに変えても良いでしょう。

 

 

女性におすすめ。

 

『私は私が美しいことを、認め、許し、受け入れ、愛しています』

 

美容に対して期待ができます。

 

 

自己肯定感を養います。

 

『私は私を愛しています、感謝しています、尊敬しています』

 

メンヘラが治るかも。

 

 

身体的コンプレックスを無くしましょう。

 

『私は私の肉体を愛しています、感謝しています、尊敬しています』

 

身体が健康になるかも。

 

 

肉体作用系アファメーションです。

 

 

知的能力や自制能力の向上が期待できる。

 

『前頭葉が活性化している』

 

 

記憶能力の向上、記憶能力低下を防ぐ。

 

『海馬が活性化している』

 

 

直感や共感能力の向上、スピリチュアルな能力も目覚るかも。

 

『松果体が活性化している』

 

 

認知症予防。

 

『脳の血流が良くなっている』

 

 

イメージ能力(自己抑制能力)の向上

 

『右脳(左脳)が活性化している』

 

 

ダイエット効果

 

『余分な脂肪が燃焼している』

 

 

心身の健康に

 

『胃腸が健康になってる』

 

 

視力低下予防

 

『目の筋肉がリラックスしている』

 

 

いかがでしたでしょうか。

 

今回の記事は「アファメーションおすすめ色々」でした。

 

結構雑な書き方になってしまいましたが、そこそこ効果の期待できるアファメーションの文言をまとめてみました。

 

私が使用しているモノがほとんどなので危険のあるアファメーションはないので、好きな効果のアファメーションを使用してください。

 

頭の中だけで唱えても効果はありますが実際に口に出して喋ってそれを自分で聞いている方が効果が高いです。

 

今回の記事は以上なります。

 

ではでは~。

 

 

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アファメーションと意念法で病気治してみる?

こんにちわ、toshoです。

 

今回の記事のタイトルは「アファメーションと意念法で病気治してみる?」です。

 

突然ですが、宇咲愛さんってご存知でしょうか。

 

スピ界隈ではそこそこ有名で、アシュタールという宇宙存在のチャネラーをしているそうです。

 

その方が書いた本を読んだことがあるのですが、彼女がチャネラーになるきっかけになったのが宇宙からのメッセージで手術が必要とまで言われた子宮筋腫を直したことだそうです。

 

なぜ、子宮筋腫になったかと自分の身体に問うてみたら「男社会で女性性を犠牲にして働くことが原因だ」と返ってきたので、女性である事を尊重した生き方に変え自分が女性である事を尊重する旨のアファメーションをしたら次第に子宮筋腫が治っていったそうです。

 

それを切っ掛けに宇宙からのメッセージを次々とチャネリングしていくことになったそうですが。

 

それはさておき。

 

このブログの読者の皆さんはこのような現象(手術が必要と言われた病気を自分で治す)についてどう思いますでしょうか。

 

この本をよんだ方は「そんなことがあるのか!」と思われたでしょうか。

 

「まさに奇跡だ!」とでも思ったでしょうか。

 

私がこの本を読んだ時の感想は「普通」「不思議なことじゃない」「結構当たり前」です。

 

このブログでは以前から、アファメーションの原理や効果、意念法のついて述べてきました。

 

アファメーションで脳を活性化したり意念法で病気を治癒できるなら、その逆も出来て当然だと思いませんか?

 

言葉や意念が原因で病気が生じるということが当たり前にあると思いませんでしょうか。

 

上記の宇崎愛さんの例で言えば、自分が女性であることを犠牲や否定した生き方をしてれば当然ですが女性性の源である卵巣や子宮に対して臓器が活性化して身体や精神に女性らしさを発揮させるホルモンの産出や女性にしか出来たい子供を産むといった機能の阻害を脳がトップダウン経路で身体に大して命令します。

 

もちろん、子宮筋腫になるような身体機能の阻害が起きるかは人それぞれだと思いますが、卵巣や子宮周りに対して機能を阻害するような出力を「自分が女性であることが憎い」というような心理や思いがあればしてしまうでしょう。

 

これは意念法の原理に基づいています。

 

また、普段から、自分が女性であることを否定したり恨んだりするような発言や思考をしていれば同じようなことがアファメーションの原理によって行わるでしょう。

 

心理や思いや言葉というのは、普段から人間の身体に様々な作用しています。

 

スピリチュアルな世界では、病気や怪我は自分の霊的な抵抗や課題があることを現して気づかせてくれるギフトだという考え方があります。

 

私は病気がギフトだとは考えておりませんが、上記のような事がある理由としては心理や思いや言葉というのは人間の肉体に様々な作用をしている為にネガティブな思いや自己否定やらの心理や霊的な課題や抵抗があれば普通にそれが身体に色々な形で現れるので、病気の症状を元にどの様な抵抗や課題があるか逆算して導きだせるからでしょう。

 

そして、そのような抵抗や課題を解消すれば身体の不調も同時に解消されると言う寸法です。

 

その他で言えば、怒りっぽい正確なのに無理に起こるのを我慢していれば肝臓を痛めるかも知れませんし、自己否定は胃腸を痛めるかも知れません。

 

そこらへんは東洋医学的な考えを学べばもっと詳しく分るかも知れませんね。

 

なので、アファメーションや意念法を用いて病気の治癒も可能でしょう。

 

もちろん、課題や抵抗などの「本来の自分」から外れていれば身体に様々な作用を及ぼしますが、単に食生活の乱れとか運動不足などの方はそれを正す必要があると思いますので、病気なら何でもアファメーションと意念法を使えばよいというわけではないとは思います。

 

しかし、一般に心理的な抵抗や課題の為に身体が病気になるというのは決して珍しいものではないので今体調不良の方やご病気の方は今一度自分に心理的な抵抗や課題がないか、本来の自分から外れていないかということを考え見るのもいいでしょう。

 

また、単純にアファメーションや意念法のテクニックを浸かって、胃腸を活性化するとか、肝臓を労るとかでも体調不良には効果があるでしょう。

 

 

いかがでしたでしょうか。

 

今回の記事は、「アファメーションと意念法で病気治してみる?」でした。

 

記事冒頭の宇崎愛さんのエピソードは決して奇跡でもインチキで任せではないでしょう。

 

結構普通で当たり前なことです。

 

今までの私が書いた様々なブログ記事を読んでいれば、すんなり理解できると思いますのでご興味があれば過去の記事をあさってみてはいかがでしょうか。

 

もちろん、今回の内容も鵜呑みにしてはほしくないのですが、体調不良の方やご病気の方は自分の「本来の姿」から外れていないかそれが抵抗や課題を産んでいないかを今一度考え、あるならば意念法とアファメーションを用いたアプローチをしてみるのも良いでしょう。

 

では今回の記事は以上になります。

 

ではでは~。

 

 

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政治責任の分散:大きいことは良いことなのか?

こんにちわ、toshoです。

 

今回の記事は、「責任と影響力の分散」、まあ政治に関する記事です。

 

 

連日連夜政治のニュースがTVから流れてきますが、国会も総理大臣もどうしてこうも批判されたりするのでしょう。

 

多くの国会議員は選挙で民衆の支持があったから当選したはずです。

 

わざわざ政治家になろうとするくらいだから志だってあるでしょう。

 

仕事だってそれなり真面目にやってるはずです。

 

しかし、与党と野党はあいかわらずバチバチ対立していますし、野党の足並みはまあそろっていません。

 

ネットでは、多くの人が気軽に与党批判野党批判政治家批判総理批判をしています。

 

今や政治は混沌とした情報の渦に飲み込まれて何が正しい判断でなにが間違った判断なのかはよく分かりません。

 

すくなくとも私はよく分かりません。

 

この様な状態が起きるのは政治の責任の集中が原因ではないでしょうか。

 

責任とはつまり、責(役割)を任される事です。

 

役割を引き受ければ権利と義務と影響力が生じます。

 

誰かに責任を集中させるということは、その人に大きな役割を任せて他の人には役割を任せないことです。

 

そのために、責任を集中させることは個人に多大な権利多大な義務多大な影響力をもたせて、他の人を無責任し権利と義務と影響力を放棄させる行為です。

 

現在日本はおおよそ1億2千万人の人口と47の都道府県を持ち世界第3位の経済規模を持つ大国家です。

 

地方自治体と地方議会があれど、一つの国会と政府が広い日本の国土と人口を収めるのには無理があります。

 

国会議員は衆参あわせ約700名。

 

この700人に、日本の持つ資源・人材・資金を用いて日本をより良い国にする権利と義務と影響力を集中させているのです。

 

そして、その他非国会議員である多くの国民は選挙の時以外それらを持たないのです。

 

政治システムとしては、とても不出来と言わざるを得ません。

 

その700名は様々な政治信条を持ちますが、国会での多数派の制定する政策だけが日本全土に敷かれるのです。

 

その政策で利益を受ける人はもちろんいますが、反対に不利益をうける人もたくさんいるのです。

 

ここまで独占的に国民の財産を使用できるのは少々不味いでしょう。

 

なので、責任を分散させるべきです。

 

簡単に言えば、霞が関の国会と政府を解体して、地方地方により政治の責任(と権利と義務と影響力)を分散させるのです。

 

大きな責任を少数の人間に任せて大きな国を運営するのではなく、それぞれ程よい大きさの責任を多数の人間に任せて自ら自治させるのです。

 

戦前の日本は大日本帝国を築いていましたが、今後は日本同盟国でも作れば良いのです。

 

地域地域で小さく政治主体を分けで責任を分散させることで、独裁的な政治・多数派のみ利益ある政策を防止するのです。

 

手始めに、政治を西と東でそれぞれ分けて自治をさせるべきです。

 

東京を中心とした東日本自治区、京都を中心とした西日本自治区を作って中央集権的な政治をやめれば良いのです。

 

それから徐々に、各都道府県ごとの自治を強化していけばいいでしょう。

 

大きくするのが良いことだという考えを捨てるべきです。

 

国や会社は大きければ大きいほどよいというのは幻想です。

 

適切な規模というのは何にでもあります。

 

中国とアメリカだって政治を良くしようとしたら中央集権的な政治をやめて地方自治権を強化すればよいのです。

 

地域ごとに住んでる人間や地元の文化や伝統、強い産業などまるで違うのに大国を一律の政策で統一しようするから無理や理不尽や利権が生じるのです。

 

アメリカや中国や日本は国としてデカすぎるのです。

 

もっと小さく分けるべきです。

 

基本的に集団を大きくしようとするのは外敵に対抗するためです。

 

しかしもはや、地球上には侵略国家は存在しません。

 

互いに国を大きく大きくして争うより、大きくなりすぎた国を互いに小さく分けて地域住民が住みよい自治をするだけで戦争も過当競争もなくなるでしょう。

 

経済も政治も大きくするのは良いことだという幻想を捨てるべきです。

 

大きくなりすぎたなら必要なら小さく分割すべきということも知っておいてください。

 

国も企業も今後は「大きすぎるということは不便だし危険だ」ということを理解するようになるでしょう。

 

責任もそれにともなく権利や義務や影響力も小さく分散すべきなのです。

 

あとは、地域住民の代表者に政治の権利と義務を信託するのではなくIT技術を用いた直接民主的な政治システムを構築するべきです。

 

地方議員の責任を強化するのではなく、地域住民一人ひとりが自ら住む地域の政治に直接参加し責任をもてるようにすべきです。

 

21世紀の新しい政治システムは、「小さく分けて分散させてネットワークでまるく繋がる」という分散型政治システムを採用すべきでしょう。

 

 

いかがでしたでしょうか。

 

今回は政治と責任について語ってみました。

 

個人的に考えている事を書いただけなので、本職の政治家や政治研究者の方から見たら拙いことを言ってるかも知れません。

 

まあ、あまり鵜呑みにせずにこんな事を考えているやつがいる程度に考えてください。

 

個人的に「大きいことは良いことだ」、というのは好きではないですし、日本や中国やアメリカと言う国が今後何百年もそのままの形で残るなんて思っていません。

 

すくなからず国としての形は変わっていくと思います。

 

それが、「大きくなりすぎた国を小さく分割して分散型政治システムを導入する」ということになるかは未知数ですがね。

 

今回の記事は以上になります。

 

ではでは~。

 

 

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松果体が活性化している!

こんにちわ、toshoです。

 

今回の記事はおすすめアファメーションの紹介です。

 

今までこのブログでは、アファメーションの原理を説明したり、勉強におすすめなアファメーションの紹介などしてきました。

 

アファメーションの原理は、「人間が言葉を理解する時は、言葉の意味を身体が再現してそれを感じている」ですね。

 

勉強におすすめなアファメーションは「前頭葉が活性化している」や「海馬が活性化している」です。

 

前頭葉という言葉の意味をちゃんと理解している(前頭葉が人間の脳の何処の部位であるかを理解している)ならば、「前頭葉が活性化している」というアファメーションを唱えれば、前頭葉に脳血流が集まって前頭葉の機能が活性化します。

 

「私は私を愛している」の様な心理に作用する類のアファメーションと違い、上記のような肉体操作系のアファメーションはダイレクトに効果が肉体に現れます。

 

肉体操作系のアファメーションは、人体に対する知識があれば様々な効果が期待できます。

 

胃腸の調子が悪い時に、「胃腸が活性化している」とか酒を飲んで二日酔いの時に、「肝臓が活性化してアルコールを分解している」とか。

 

人体の知識が豊富なお医者さんなんかは、自分で考えたアファメーションで色々な効果を期待できるでしょう。

 

そして、今回紹介するアファメーションはタイトルにもある通り「松果体が活性化している」です。

 

もちろん松果体が脳のドコの部位であるかという医学知識を知っている必要がありますが、そんな物は今の御時世ネットで簡単に調べられるので説明しません。

 

この「松果体が活性化している」のアファメーションの効果は、「松果体に血流が集まって松果体の機能が活性化する」です。

 

そして、松果体は、このブログで提唱している「脳の同調・模倣・共感能力」に関わってくる脳の部位で、他にもスピリチュアルな能力に関わってくるとされています。

 

松果体は、その構造としてケイ素を多分に含んでいることが予想され、頭蓋の外に漂う電磁エネルギーを脳に引き入れたり、脳神経の活動から生じるエネルギーを電磁波として頭蓋の外に放射する機能があると思われます。

 

松果体が健康で活発に機能しているならば、「脳の同調・模倣・共感能力」が強まりテレパシーじみた感応能力が得られるかも知れませんし、大気中に漂う電磁波や宇宙から降り注ぐ電磁エネルギーを脳に取り入れて心身が活発になるやも知れません。

 

なので、勉強が出来るようになるかもしれない「前頭葉が活性化している」のアファメーションと同様、「松果体が活性化している」のアファメーションをお勧めします。

 

もちろん、そんな物には興味がないという方はこの「松果体が活性化している」のアファメーションをやる必要はありません。

 

なので、興味がある方だけにこのアファメーションをお勧めします。

 

このアファメーションをやれば、すぐに松果体に血流が集まって松果体の機能は活性化します。

 

あとは、継続して暇な時に自室でブツブツ呟く程度で徐々にあなたの松果体の機能はアップしていくことでしょう。

 

このブログはスピリチュアルブログランキングにも登録していますし、スピ界隈の人も多く見に来ると予想されるので紹介したしだいです。

 

難しい瞑想をすることなく松果体の機能をアップさせて見たいという方にはお手軽に試せる簡単な方法です。

 

もちろんアファメーションをやって不快だとか気持ち悪いとか具合が悪くなったらすぐに辞めて様子を見てくださいね。

 

どうしても合わない場合もあるでしょうからその場合はこのアファメーションはやらないでください。

 

健康事情は個人個人千差万別ですし、そのような方がいてもおかしくはないですから。

 

 

いかがでしたでしょうか。

 

今回の記事は、おすすめアファメーションの紹介でした。

 

昨今のスピブームで松果体だの高次エネルギーだのアセンションだの色々言われていますが、このブログでもそのブームに乗っかってみました。

 

今回は鵜呑みにしないでくださいとは言いません。

 

なぜなら、アファメーションの原理についての仮説は個人的な検証により確度がほぼ100%に達しているからです。

 

それにおすすめとわざわざ言っているのに鵜呑みにしないでくださいというのはかなり無理があるでしょう(笑)

 

まあそんな感じなので興味がある方は試してみるのも一興でしょう。

 

では今回の記事は以上になります。

 

ではでは~。

 

 

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電気エネルギーと人体

こんにちわ、toshoです。

 

GWで役所が休みなので色々手続きが進みません。

 

まあtoshoのプライベートな事はさておき、今回の記事は「電気エネルギーと人体」です。

 

 

人体には電気エネルギーと関わりが深い場所がいくつかあります。

 

例えば、毛髪。

 

大気中を飛び交う電磁波のアンテナとして機能しています。

 

水分と油分を含んだ健康な毛髪は、電気エネルギーの通り道やコンデンサとして機能します。

 

また、取り込んだ電気エネルギーは毛髪を通して頭蓋内に通され松果体を通し脳全体にエネルギーを供給すると思われます。

 

余談ですが、松果体はスピリチュアル業界では古くから神聖視され、魂の座とかテレパシーを可能にするとか言われています。

 

おそらく松果体は胸腺や脾臓と同じでケイ素含有量が多い臓器なのでしょう。

 

ケイ素は半導体にも多く使われています。

 

電気エネルギーとの相性もいいので、松果体や胸腺は大気中の電気エネルギーを受信したり、生体活動から生じる電気エネルギーを電磁波として大気に放出したりするエネルギーセンターにもなっているのでしょう。

 

また、電気エネルギーからホルモン物質を生成する機能もあると思われます。

 

松果体だったらメラトニン、胸腺だったら胸腺ホルモンとかですね。

 

なお、松果体とケイ素の関係を指摘するのはスピリチュアルな世界ではすでにまことしやかに言われていますが、ケイ素は人体に必要な成分ですし内分泌器官である胸腺だってケイ素を多分に含んでいるとすでに科学で認められているし、同じ内分泌器官である松果体がケイ素を多分に含んでいたとして全然不思議ではないのです。

 

別に非科学ではないですね。

 

話を戻しますが、毛髪は電気エネルギーの通り道だったり、電気エネルギーを蓄えるコンデンサとしての役割を果たします。

 

昔から、魔女が髪を伸ばすとか坊さんが髪を剃るとかはこれらの意味合いが多分にあると思われます。

 

スピリチュアルな能力を要求する魔女と呼ばれる人たちは、毛髪から体内に電気エネルギーを引き入れ脳の神経活動に必要なエネルギーを賄っていたり他人の生体活動から発する電磁波のアンテナとしてマインド・リーディングや直感に役立てていたと思われますし

、髪を伸ばすことでコンデンサの容量を増やしていたのでかと思われます。

 

坊さんなんかは、有害な電磁波を毛髪を通して体内に引き入れないようにしたり、脳がエネルギー過剰になって暴走しないように無駄に大気から電気エネルギーを引き入れないようにしていたのではないでしょうか。

 

毛髪の他にも電気エネルギーと関わりの深い箇所があります。

 

鼻(正確には鼻腔)です。

 

おそらくですが、鼻腔は電気エネルギーのセンサーになっていて、鼻腔内の電磁波の共鳴ぐあいから地磁気の方角を割り出したりすることが可能になっていると思われます。

 

渡り鳥なんかは多分この感覚がすごく繊細なのだと思います。

 

多分ですが、多くの生物が感度に差こそあれこの鼻腔内の電磁波の共鳴センサーを持っているのだと思われます。

 

人間にも知らない場所に行ってもすぐどちらが北でどちらが南といった方角をすぐに分かる人が居ます。

 

その様な人は、この鼻腔の電磁波の共鳴センサーが常人より発達しているのではないでしょうか。

 

ちなみにこの様な類の人は鼻づまりや副鼻腔炎や花粉症などの状態であればたやすく方角の感覚がわからなくなると思われます。

 

普段何処行っても道に迷わない人が何故か道がわからなくなってしまった時は、風邪気味で鼻の調子が悪いときかも知れません。

 

昔の拷問で犯罪者の鼻を削ぐ場合がありますが、鼻を削いでしまえば鼻腔内の電磁波の共鳴がなくなりますので犯罪者が逃亡しても道がわからなくなって迷子になってたやすく逃げおおせることを防ぐことが出来ます。

 

昔の街道や乗り物などのインフラが発達していない時代には、そのような鼻削ぎは犯罪者の逃亡を防ぐには結構効果を発揮したのではないでしょうか。

 

また、地下のマグマの滞留や流動は地磁気を大いに揺らします(マグマの成分に金属質が多く、流動の速度も膨大かつ高速なので)ので、火山の噴火や地震の予兆を感知する超能力者じみた方もいらっしゃいます。

 

そのような方は、大きなエネルギーのうねりを感じるとか、大地の鳴動を感じるとか、龍神が暴れているとか言いますが、単純に地下深くのマグマの動きを地磁気のゆらぎから鼻腔のセンサーで感じているだけですね。

 

そのような方は別段特別な能力者ではなく、鼻腔の電磁波共鳴センサーの感度がすごく良いだけです。

 

地震や火山の噴火を予言しようとしても、火山の噴火や地震のメカニズムはそんな単純じゃないのでまま外します。

 

また、もちろんですが、センサーになっていると言うことは外部エネルギーとのインターフェイスになっているわけでここからエネルギーを体内に取り入れていもいます。

 

めちゃくちゃでかいマグマの流動などがあった場合は、地磁気の乱れが発する膨大な電磁エネルギーが鼻腔から流入するために、気持ち悪くなったり酔ってしまったり具合が悪くなる場合もあります。

 

その様になってしまった方は、水で湿らしたティッシュを鼻の穴にツッコミ深呼吸(鼻ですって口ではく)すると、気持ち悪さを低減させる事ができるので知っておいてください。

 

他には筋肉もあります。

 

筋肉はおそらくですが電気エネルギーを蓄える機能も少なからずあります。

 

おそらく筋膜とかに蓄えられるではないでしょうか。

 

筋肉量が多い方は、筋肉から発せられる電気エネルギーが大きいのでいわゆる気配が大きくなります。

 

人間には電気エネルギーを感じるセンサーが鼻腔にありますので、漫画の武術の達人のように相手の筋肉量を感知することが可能な人がいます。

 

そのような人は今では少なくなりましたが、着痩せしているけど実はマッチョのような人間を見抜ければ勝てない喧嘩などしなくなります。

 

見た目強そうなやつと実は強いやつと戦わなければ危険はだいぶ回避されますので。

 

筋肉の重さに対する出力は全生物共通なので、動物なんかも相手の筋肉量などを鼻腔のセンサーで感じて勝てるか勝てないか判断しているのではないでしょうか。

 

また、筋肉量が大きい人は体から発するエネルギー量が大きいので相手に威圧感を与えてしまいます。

 

その様な人は服で体型を隠していても、敏感な人なら筋肉が蓄えているエネルギー量を察知してしまいますのでなんか怖いとか威圧感があるとか避けられてしまいます。

 

基本的に動物は相手のエネルギー量(筋肉量)で強さを感知するのでそのような人は動物にはなつかれにくいかも知れませんね。

 

ちなみに、テレビや写真などの映像媒体を通して相手をみても筋肉が発する電気エネルギーを感知できないのであまり威圧感や気配やオーラなどは伝わりません。

 

実際に対面するときにしか、相手の筋肉から発するエネルギーは感知できないのです。

 

なので、テレビで人気のタレントが実際に対面してみるとすごく強い気配を発するのでびっくりしたとかあるでしょう。

 

わたしもあります。

 

次に神経系。

 

神経系は電気エネルギーの通り道です。

 

神経系は全身広がっており常にエネルギーが流れています。

 

神経系に流れる電気エネルギーと筋肉が蓄えた電気エネルギーにより、生体磁場が形成されます。

 

これがいわゆるオーラです。

 

筋肉が発するエネルギーが大きければオーラは大きいです、体内の神経活動が活発であればそこから発するエネルギーも大きくなりますのでオーラは大きくなります。

 

また、筋肉は生体が発する電磁バリアーとしても機能します。

 

筋肉量が少ない人は、体外の電磁エネルギーに対する防御が弱いです。

 

筋肉量がでかい人は、生体磁場の出力も範囲も大きいのでちょっとやそっとの電磁エネルギーはシャットアウトします。

 

ただ、それは筋肉に水分と油分が十分に蓄えられている状態に限りますので、マッチョでも風邪引いてるときなど身体がカラッからになるので電磁的な防御は弱くなります。

 

なので、マッチョというのは健康な時は気が強いですが風邪など引いてる時はすぐ気弱になります。

 

旦那さんや彼氏がマッチョで普段気が強いのに風邪引いた時はめっちゃ気弱になるという方は、まあそういう理解でいたわってあげましょう。

 

そういう時はチョコ食わせてココアでも飲ませておいてください。

 

チョコは弱った神経系によく効きます。

 

こころが弱った時はチョコはよく効きます。

 

そういう成分が入ってるのです、詳しくはきかんといてください。

 

ちなみに、神経過敏な人にもチョコとココアはおすすめですね。

 

最後に足。

 

人間歩いているときには、足が地面と衝突する運動エネルギーで足に電気エネルギーが生じてそれが生体活動のエネルギーに使われます。

 

車が通過する振動で発電する道路とかありますが、車が通過する振動で発電するなら人間の足だって歩く時の衝撃で電気エネルギーを生み出します。

 

普段ゴム底の靴を履いている人は歩く時に足で生じるエネルギーが全部体内に流入します。

 

なのでそういう靴は歩いていても非常に疲れにくいです。

 

木底の靴などは歩くことで発生する電気エネルギーが地面に逃げますのでちょっと疲れやすいです。

 

ちなみに身体に電気エネルギーが溜まりすぎている時は、素足で地面たって足の裏から地面に過剰なエネルギーを流すイメージワークをしてやれば過剰なエネルギーを流すことが出来ます。

 

身体の油分が少なくなっている人が、身体に電気エネルギーを溜めすぎると神経過敏とかになったりすることがあるので、そういう人におすすめです。

 

 

いかがでしたでしょうか。

 

今回の記事は「電気エネルギーと人体」になります。

 

まあいつものごとく、鵜呑みにすることなくそんなこといっているやつがいる程度に留めてください。

 

まあ、ダイエットして油分からからで神経過敏になっている人はチョコ食うのはおすすめです、とは言っておきます。

 

非常に長くなってしまったので、疲れました。

 

今回は以上になります。

 

ではでは~。

 

 

 

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精神病の新しい治療薬の可能性?

こんにちわ、toshoです。

 

とつぜんですが、「サンバイオ」って企業を知っていますか?

 

日本の製薬ベンチャーなのですが、実は私この企業にすこし期待しているのです。

 

というのもこの企業が治験中の新薬があるのですが、この薬が精神病に有効ではないかと考えているからです。

 

その新薬は「SB623」と言う名前で脳梗塞などの脳の外傷に対する治療が期待できるものです。

 

すでに発症した脳梗塞などの傷ついた脳部位に作用してその傷を修復する事が可能とされています。

 

飲み薬ではなく頭蓋骨を開いて脳梗塞部位に薬品を注射で打ち込むという必要があるという薬なので使用するとしたらちょっと大変ですが。

 

この薬は今の所脳梗塞の治療で治験の通過を目指していますが、将来的にはアルツハイマーなどにも期待できるそうです。

 

そして、私はこの薬はもしかしたらうつ病や統合失調症にも効果があるのではないと見込んでいます。

 

全然メジャーな説ではないのですが、うつ病・統合失調症の原因が脳の扁桃体の傷にあるのではないかと主張する方がいらっしゃいます。

 

まあ、この説は医学界では全然支持されていない説であるのですが。

 

私としては脳の扁桃体に傷ができるためにドーパミンとセロトニンの生成に異常が起きるというのは十分に有り得るのではないかと思っています。

 

それで、この「SB623」という新薬が扁桃体の傷の治療に有効ではないかと思っているわけです。

 

もちろん、医学的にメジャーでない説なので全然見当違いだったということもあるかと思います。

 

ですが、個人的には結構可能性が高いのではないかと思っています。

 

もし、「SB623」が治験を通過して新薬として承認されたら、そのうちうつ病や統合失調症の治療に劇的な効果があるのがなんらかの切っ掛けで発見されるのではないかと予想しています。

 

そんなことが起これば精神医学会に大激震が起きると思いますが。

 

もしかしたらと秘かに期待しているわけです。

 

 

いかがでしたでしょうか。

 

今回の記事は精神病に効果あるかもしれないと個人的に期待している薬の紹介でした。

 

ひそかに期待しているだけなので、本当にそうなるかは未知数でそもそもうつ病や統合失調症が扁桃体にある傷が原因であると言う説そのものが間違っていることも大いにあるわけです。

 

変に期待せず、もしかしたらそうだったらいいなぁと淡い気持ちで期待する程度が一番良いですね。

 

過度に期待したらそうでなかった時のショックが大きいですし。

 

まあ、今うつ病や統合失調の方は変に期待せず、素直に今あるお薬を飲んで体調と生活を整えましょう。

 

今回の記事は以上になります。

 

ではでは~。

 

 

 

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外部エネルギーとのインターフェイス:目とか耳とか

こんにちわ、toshoです。

 

今回の記事のタイトルは「外部エネルギーとのインターフェイス:目とか耳とか」になります。

 

 

人間が物を見るときには物体に反射した可視光を目の網膜で受け取っていますよね。

 

その際に、従来の考えでは物を見えるということはそれ以上のことではなく後は眼球から信号が脳に送られ物を認識する程度のことでしかないと考えられていました。

 

しかし、よく考えれば物を見る時に網膜で受信した光エネルギーは神経活動に必要な電気エネルギーに変換されて体内に流入するということがわかります。

 

目の他にも耳で受信した音エネルギーが神経活動に必要な電気エネルギーに変換されています。

 

実は、この目や耳などの感覚器は外部エネルギーとのインターフェイスになっていてこのインターフェイスで受け取ったエネルギーは神経活動や精神活動に利用される貴重なエネルギーです。

 

例えば、リンゴを見ている時にはリンゴをみているだけでリンゴとは他に何も関わっていないと考えがちですが、リンゴが放射するエネルギーを視感覚器を通じて体内に取り込んでいるのです。

 

ほかにも太陽光を見るときには視感覚器を通じて太陽光のエネルギーを体内取り込んでいてそれを神経活動や精神活動に利用しているのです。

 

オカルト系にテクニックに太陽凝視というものがありますが、この太陽凝視は通常は危険とされる肉眼で太陽を見つめる行為です。

 

日の入りや日の出のあまり太陽光のエネルギーが強くない時間帯に、太陽光のエネルギーを積極的に視感覚器から取り入れる事により、神経活動や精神活動やホルモン生成に必要なエネルギーを供給すると言う行為です。

 

太陽光のエネルギーが神経活動やホルモン生成に必要なエネルギーとしか使われるので、若返りや食事量の減量などが期待できます。

 

通常は食事から体内に取り入れるエネルギーを生体活動の主なエネルギー源として人間は使っていますが、外部エネルギーインターフェスから取り入れたエネルギーが生体活動のエネルギー源として使われれば食事によるエネルギー摂取量が減りますし、取り入れたエネルギーにより様々なホルモンが生成されるので成長ホルモンやセロトニンやβエンドルフィンなどが生成されることにより精神や肉体がより健康になります。

 

他にも気功などの身体から発するエネルギーを利用する代替療法では、気功師は視感覚器から取り入れた光エネルギーから気功に使うエネルギーを賄ったりしています。

 

気功というのは脳でコントロールするものなので、外部インターフェイスから取り入れたエネルギーが気功に必要な神経活動を支えるエネルギー源になったりするのです。

 

音やボディタッチや味なども外部インターフェイスから流入するエネルギーであります。

 

それらから多くエネルギーを得ている人と得ていない人では、食事量や若々しさも変わってくると思われます。

 

勉強する時に流している音楽が実は脳の神経活動のエネルギーとして使われていたりします。

 

まったく無音で勉強するよりは雑音がある場所のほうが勉強に集中できるというのは、音エネルギーをエネルギー源として脳神経の活動が行われるという面もあるでしょう。

 

ボディタッチは行う者同士で結構大きなエネルギー源になりますので、子供や恋人がいるなら積極的に行ったほうが互いに精神活動や意欲が活発になりますよ。

 

ボディタッチがそうならもちろんセックスもです。

 

セックスが互いに大きなエネルギーを与え合う行為なので恋人や夫婦間では大切なコミュニケーションでありエネルギー源になります。

 

日本人は諸外国よりセックスレスの人の割合が多いそうですが、愛し合う男女間でのセックスは大きなエネルギー源です。

 

もっとポンポンやってもいいと思いますね。

 

それにむりに本番行為をする必要はないのですよ。

 

裸で抱き合うだけでも互いにエネルギーを与え合う行為になるので、セックスレスの恋人や夫婦はまずはそこから始めるのもいいと思います。

 

 

いかがでしたでしょうか。

 

今回の記事は大して中身のない記事になってしまいました。

 

最近新しい記事を書こうとしても書く事があまりなかったりして、短い記事なってしまいます。

 

そろそろこのブログも寿命かな~と思わなくもなかったり。

 

体調崩してから記事の更新が少なくなることは公言していました、病気関連の記事をいくつかアップロードしましたがもうネタ切れのすかんぴんです。

 

病気自体はもう落ち着いているのですが、なんか新しいことを学ぶ気力がわかなくてそれまでのインプットだけ記事を書いているが原因になってるのかなと思います。

 

それまでは長い目でみて研究者を目指そうかなと思っていたのですが、病気で痛い目をみてその気力はもうないですし。

 

いま無職なのでお金もなくて新しいことをはじめたり書籍を買うのも制限していますしね。

 

愚痴になってしまいました。

 

今回の記事ももちろん鵜呑みにしてはいけません。

 

そんなこと言っているやつがいるぐらいでとどめておくか、自分で内容を検証してみてはいかがでしょうか。

 

疲れました。

 

今回の記事は以上になります。

 

ではでは~。

 

 

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双極性障害、いわゆる躁うつ病に関しての考察

こんにちわ、toshoです。

 

今回の記事は、双極性障害いわゆる躁うつ病に関してです。

 

 

とつぜんですが、toshoの父(60歳)は実は双極性障害と診断されたりしています。

 

いまではお薬を飲んでて症状もほとんど出て無く落ち着いていますが、toshoが高校生や専門学校生の時は躁状態で色々暴れまわっていたりしたときもあります。

 

高校生当時は、父が双極性障害だとは知らず知らされず躁状態の父の言動にだいぶ傷ついた覚えがあります。

 

専門学校時は父の躁状態が悪化してむりやり病院に連れていたり入院したり見舞いに行ったりしてました。

(実はtoshoの父方の家系は精神病を患っている人がちらほらいました。toshoもそんな家系の遺伝子を受け継いでいるわけです。母方の家系にはほとんどいなく、母方の血が濃い兄と父方の血が濃いtoshoでは体質・気質・病歴など大きく違います。兄はストレス耐性も高くtoshoのようなHSPとも程遠いですね)

 

私自身は統合失調症と診断されておりそれに関して(あとうつ病も)は今までちらほら記事にしていましたが双極性障害に関しては全くと言っていいほど触れていませんでした。

 

統合失調症とうつ病は脳内のセロトニンとドーパミンの乱れで起きていると言われ実はこの二つは結構病気として似ています。

 

統合失調症とうつ病を同じ病気として扱うべきとする説もメジャーな説ではありませんがあるくらいです。

 

しかし、双極性障害に関してはよくうつ病と旧名の躁うつ病とがにているために似たようなものと思われがちですが、全く違う病気です。

 

病気としてもかなり別物なのです。

 

なので今まで双極性障害に関してはまったく言及していなかったのですが、今回の父の病気の症状を間近で見ていた時の経験とネットでさらっと調べられる程度の病気の知識を元にこの病気に関して考察していきたいと思います。

 

 

統合失調症は脳内のドーパミンとセロトニンの乱れにより様々な症状が生じていると考えられています。

 

統合失調症の陽性症状は脳内ドーパミンレベルの過剰、陰性症状ならドーパミンレベルの過少が原因と思われます。(あと脳内セロトニンレベルの減少も微妙に関係すると思います)。

 

うつ病であればドーパミンレベルの過少とセロトニンレベルの過少が原因だと思われます。

(あと認知的なモノも関わってくるとは思います)

 

以上が直接的な原因ですが、何故その様な減少が脳内で起こるかはあまり判っていません。

 

おそらくですが、脳のドーパミンやセロトニンの生成をする箇所に物理的あるいは機能的な障害が発生する事が原因だと思われますがさだかではありません。(あとはドーパミン量が低下するような欲求不満な生活や、セロトニンを大量消費するような高ストレスな生活を送っているかなどもあると思われますが。ただ、これは初期症状であり病気とまではいかないものです。このレベルの方には先ずは生活を整えましょう)

 

それに対して双極性障害はおそらくはですが脳内のノルアドレナリンレベルの増減が関わってくるとお思われます。(コレはこのブログの仮説であり実際には双極性障害の原因は判っていません)

 

ノルアドレナリンは人間の精神状態に影響を与える興奮性神経伝達物質です。

 

ノルアドレナリンが脳内に多く放出されると精神活動が活発になったり興奮状態になったり闘争状態になったりします。

 

双極性障害の方はおそらくノルアドレナリンの生産に関わる副腎になんらかの異常がおこり、周期的にノルアドレナリンの過剰分泌と枯渇が繰り返されるのではないでしょうか。

 

また、ノルアドレナリンの体内の分泌量は月の満ち欠けにも左右され、満月の夜には体内のノルアドレナリン量が増えるなど生理的な周期もあると思われます。

 

食事で言えば腎臓を労るのであれば自然薯やごぼうなどの根菜類が腎臓の疲労回復に効果があると思われます。

 

双極性障害と言わないまでも、気分にムラっけがある(体内のノルアドレナリン量の微増微減が多い)方はそのような食材を日常的に食すことによって腎臓を壊さないように努めるのも良いでしょう。

 

また、日常的に食さなくても満月の晩には自然薯のすりおろしを醤油でいただくなどすれば腎臓の疲労を防止できるかも知れません。

 

 

いかがでしたでしょうか。

 

実のところtoshoは統合失調症と診断された経験があるのでそちらには一家言ありますが、双極性障害に関しては父を傍からみていただけなのであまり見識をもちません。

 

ですが、傍から見ていて観察した内容とお勉強的な知識を元にすこしばかり書いてみたいことができたので今回の記事を書きました。

 

もちろん、仮説ベースの考察なので鵜呑みにしてはイケません。そんなこと言っているやつがいる程度にとどめておきましょう。

 

ただ、双極性障害の方や気分にムラっけのある方は、腎臓を労る為に自然薯やごぼうなどを積極的に食すことはおすすめします。

 

たとえ病気に対する効果がなくても腎臓を労るのは悪いことではないからです。

 

それで今回の記事はここまでとなります。

 

ではでは~。

 

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深夜2時~3時の丑三つ時:一日のホルモンバランスサイクル

こんにちは、toshoです。

 

今回の記事は、ちょっとしたTIPSです。

 

突然ですが、人間の体内のホルモンバランスは一日の中でサイクルがあり、増減があります。

 

一日の内でドーパミンレベルやセロトニンレベルの増減があり、時間帯によって人間の精神活動や知的活動が捗る場合と滞る場合があります。

 

セロトニンレベルに関しては朝起きた時(一般に朝の6時~7時)が一番高いと思いますし、日中は低下して昼食後から徐々に上がっていき夕方6時~7時くらいがピークになり、深夜にかけてまた低下していくと思われます。

 

ドーパミンレベルに関しては一番低い時間帯が昼食後の午後2時~3時であり、一番高い時間帯が深夜2時~3時くらいだと思われます。

 

また、睡眠中のドーパミンレベルは非常に高くこの時間帯に脳内の情報の整理や統合を行っていると考えられます。

 

余談ですが、前にtoshoが深夜3時に睡眠中突然意識が覚醒してしまったことがあります。その時は起きた瞬間自分がものすごい勢いで様々な考え事をして頭を整理している状態なのに気づいて非常に驚いたことがあります。

 

基本的に寝ている最中はドーパミンレベルが高いです。

 

寝入る前に変な幻覚や幻聴を見聞きする場合がありますが、これは寝入る際にドーパミンレベルが上って普段閾値を超えない脳の情報処理がドーパミンの作用で閾値を超えてします為に生じると思われます。

 

私なんかは寝入る前のうとうとしている時は、毎回自分が変なこと考えているのを気づいたり、妙に鮮明な映像が見えていたりします。

 

また、ドーパミンレベルが高いのであれば意識は覚醒しているはずではないかと思われる方もいらっしゃるとは思いますが、寝ている時はドーパミンレベルが高くても意識(あるいは魂)の周波数が宇宙の根の存在質に近づいて肉体から発生するエネルギーは受け取れなくなるので肉体があるから生じる感覚はなくなる(正確には感覚知覚できなくなる)のです。

 

それはさておき。

 

ドーパミンもセロトニンは、12時間 or 6時間サイクルで上がったり下がったりしているのだと思われます。

 

ドーパミンレベルが一番低下するのは昼食後の2時~3時くらいですので、この時間帯は眠くなったり知的活動をする方がどうにも調子が出ない時間帯でしょう。

 

朝6時~7時くらいに起きて、陽の光を浴びながら15分~30分程度軽くウォーキングなどの運動をすればセロトニンレベルが上って一日中高いセロトニンレベルを維持できるでしょう。(朝のピーク時のセロトニンレベルを上げることによってその影響が日中にも及ぶ)

 

クリエイティブな職業の方は深夜2時~3時に起きて作業をしていると日中より格段に作業が捗る場合がありますが、それはホルモンバランスのサイクルにより昼間より深夜のほうがドーパミンレベルが高くアイディアやインスピレーションが湧きやすくエネルギーレベルも高くなるのが原因であるので、別段本人が不摂生だったりズボラだったりするわけではありません。

 

クリエイティブ系の職業の方は得てして深夜までツイッターやったりしている人が多いですが、彼らは彼らなりの生活リズムの中でうまく仕事や生活をしているのです。決して人として不出来だとか生活が退廃しているわけではありません。

 

深夜にシコシコ作業をしているる絵描きとか物書きの方にそういったイメージを持つのはあまり適切ではないでしょう。

 

昔から深夜2時~3時くらいは丑三つ時と言いまして化生や幽霊の時間帯などと言われていますが、これはこの時間帯はホルモンバランスの増減のサイクル的にドーパミンレベルがかなり高くなる時間帯なので、この時間帯まで起きていると自然と幻覚や幻聴などが生じやすくなるために昔から幽霊や化生を見聞きしやすし時間帯だと言い伝えられきたのではないでしょうか。

 

昔からある「丑三つ時」のような伝承も、生理学レベルではこのように解釈ができるのです。

 

また、この丑三つ時の時間帯は瞑想をすればインスピレーションやアイディアが湧きやすく成り瞑想のおすすめ時間帯でもあります。

 

この時間帯の瞑想はそのような作用があるので、スピ系の方は興味が有ればやってみることをお勧めします。

 

その際に、人間の無意識のグローバル通信をキャッチしてしまったり、感覚が研ぎ澄まされてマンションの隣室の人の思考や生活をキャッチしてしまったりする場合もあるのですが、その際にはあまりおどろかずそういうこともあると流してください。

 

そういうのにのめり込むのは魔境の入口ですので、やめておいたほうが良いと思います。

 

ただ、精神病や体調悪い方がこの時間帯まで起きて作業をやっていると変にドーパミンレベルが上ってしまい脳内ホルモンバランスが乱れて病が悪化したりエネルギーレベルが上ったまま戻らなくなって病気になってしまったりします。

 

統合失調症の方はこの時間帯まで起きて作業行ったりやデジタルデバイスを使ったりするのは絶対にやめてほしいですね。

 

確実に病状が悪化してしまいますし、脳内ホルモンバランス調整の自律作用が働かずそのまま昼夜逆転してしまう事が考えられます。

 

うつ病の方は人によってはこの時間帯まで起きて好きなことをやるとドーパミンレベルが上がるので抑うつ症状に効果があるかも知れませんが、その所為で睡眠時間を確保できなくなる場合は絶対にうつ病が悪化するので基本的に夜更かしはお勧めしません。

 

また、精神病を患っている方は朝6時~7時に起きて15分~30分のウォーキングをするのはすごくおすすめの健康法であります。

 

そうすることによって、日中のセロトニンレベルが下がりすぎることを防ぐことができます。

 

場合によっては、散歩した後に二度寝しても問題ありません。

 

朝6時~7時の体内セロトニン量のピーク時にセロトニンレベルを上げる事が重要なので、その後二度寝してもセロトニンレベルは維持できます。

 

その際には二度寝する前に軽く朝ごはんを食べるとなおよしです。

 

おにぎり一個とバナナ一本とかそんなんで良いので朝食をとるこで体調を整えることが出来ます。

 

受験期の学生さんは、午後2時~3時の時間帯は知的活動に適さないし眠くなる時間帯なので、この時間帯に15分~30分くらい昼寝すると寝ている間にドーパミンレベルも上がって眠気も取れるのでおすすめです。

 

深夜2時~3時くらいに起きて勉強するのはドーパミンレベルとエネルギーレベルが上がって知的活動が捗るので、しっかりと別の時間帯に睡眠時間が確保できるのならばおすすめではあります。

 

もしその時間帯に勉強するのならば、3時すぎたらすぐお風呂入って寝ることを徹底するべきです。調子が良いからって4時や5時まで勉強するのはおすすめしません。

 

体調や精神を崩す原因にもおなりますので気をつけましょう。

 

 

 

いかがでしたでしょうか。

 

今回の記事も仮説ベースの内容なのであまり鵜呑みしないようにしましょう。

 

ただ、統合失調症の方の深夜の夜更かしがアウトなのはマジなのでこれは徹底して欲しいです。

 

あと、精神病の方の早朝ウォーキングはマジでおすすめなので強く推奨しておきます。

 

べつに二度寝しても問題ないのでやってみることをお勧めします。

 

この様な方は無理して起きているのも身体と脳に悪いので眠ければ二度寝すればいいと思います。

 

今回の記事は以上になります。

 

ではでは~。

 

あ、あと今までは特に言及してなかったのですが、記事の内容が面白かったor為になったという方はブログランキング投票をお願いします。

 

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ワクワク? ゴキゲン? アセンション?

こんにちは、toshoです。

 

今回の記事は久しぶりにスピ関連の話題になります。

 

しばらくスピ系の記事は封印していたのですが、スピ界隈がまた混沌としてきたので少々記事を書きたいと思います。

 

 

ここ最近スピリチュアル業界ではずっと「アセンション」という事が囁かれていました。(最近といっても十数年もですが)

 

曰く、「次元上昇」「周波数が上がってポジティブな世界になる」「人類が進化する」とか色々。

 

しかし、現実では相変わらず世界は様々な問題で混沌としており、私たちの生活が劇的にいい方向に変わっているとは言えません。

 

こうなってくると、そもそもアセンションって何だったのか、という疑問すら湧いてきます。

 

アセンションをスピリチュアル詐欺だったのじゃないかと思う人も多いでしょう。

 

なので、アセンションについてこのブログ流ではありますが少し書かせていただきます。

 

まず第一に知ってもらいたいのが、このブログで主張している「波動の高い」についての説明です。

 

スピリチュアル業界で波動が高いとか周波数が高いとか呼ばれる事は、生物学的には「脳内ドーパミンレベルの高低」で表現することが出来るということです。

 

Aさんの「脳内ドーパミンレベルが高い状態」をAさんが「波動が高い(あるいは軽い)。周波数が高い(あるいは細かい)」と表現します。

 

Aさんの脳内のドーパミンレベルが高いとAさんの意識の覚醒度(明瞭度)は高くなり、ある一定のレベルの覚醒度を超えるとAさんのことを霊的に目覚めた(覚醒した)人とか覚者とか読んだりします。

 

また、Aさんはドーパミンの作用により心身のエネルギーレベルは非常に高いものとなり、ドーパミンは快楽物質でもあるのでAさんは精神的にはとても気分が良い状態になります。

 

以上のような事がスピリチュアルでいう「波動が高い状態の人」の説明として上げられると思います。

 

 

アセンションとは上記の様な「波動の高い=脳内ドーパミンレベルが高い」人が地球規模である一定数以上増えることによって起きます。

 

基本的に現代以前では、戦争や貧困などの社会的な問題や政治や経済システムの不具合により人類は色々と抑圧されており「人類総抑うつ」のような状態にあったために波動が高い人はとても少なかったです。(ちなみに、これも仮説ですがこのブログでは抑うつ症状は脳内ドーパミンレベルが低下している状態だと考えています)

 

なので、人類は今まで全体としてずっと「波動が低い状態=抑うつ状態」で存続していたわけです。

 

大体の人はカネがない状態で奴隷労働に近い状態を強いられていたり、戦争が起きて苦しい状態にあったりしていたのです。

 

しかし、そういった人類総抑うつ社会も段々と個人的な幸福を追求して自己実現して社会で活躍する人も増えてきました。

 

まばらですがそのような「波動が高い=脳内ドーパミンレベルが高い=抑うつ状態から脱して幸福感を感じている」人が増えてきて社会に浸透してきたのです。

 

そして、人間には「脳の同調・模倣・共感システム」が備わっています。

 

「波動の高い人=脳内のドーパミン生産量が多い人」の生体活動から発せられた電磁波は、その電磁波を「脳の同調・模倣・共感システム」を介して受信した人の脳内でドーパミンの生成するのです。

 

これを端的な言葉で表すと、「波動の高い人から発せられるエネルギーは周囲の人々の波動も上げる」ということです。

 

なので、波動の高い人の数が増えていくほどに、周囲の人の波動も押し上げていく形となり、ある一定数以上の高波動の人間が確保されることにより、爆発的に人類全体の波動も上がっていく状況が生まれるわけです。

 

そして、スピリチュアルな人々の言うことによればすでその一定数の高波動の人間が確保されているらしいのです。

 

なので、アセンションはすでに無事完了しているというわけです。

 

これから徐々に人類全体の波動も上がって、総抑うつ社会から脱却も可能になっていくのではないでしょうか。

 

 

ただ、「波動が上がる=脳内ドーパミンレベルが上がる」事は純粋に良いことだけではないのです。

 

脳内ドーパミンレベルが上がることにより感情が増幅されたり、自己抑制が効かなくなったり、ホルモンバランスが崩れて体調を崩す事もあります。

 

感情が増幅されるので、怒りや悲しみや憎悪が増幅されることもありますし、自己抑制が効きづらくなって暴力衝動や問題行動を起こしてしまったり、ホルモンバランスが崩れて寝込んだりする可能性もあるのです。

 

また、意識の覚醒度が上がって、無意識に抑圧していた自分の本心や記憶なども暴かれていったりします。

 

なので、スピ業界ではアセンションと共に潜在意識の浄化やネガティブなエネルギーを手放すことも言われているのです。

 

波動が上がった状態で色々と溜め込んでいると結構不味いことに成りかねないからです。

 

 

またコレは別の話ですが、スピ業界で有名なバシャールが推奨するワクワクも、アシュタールの推奨するゴキゲンもおそらくはどちらも脳内のドーパミンレベルを落とさない様に勧めているのです。

 

自分のやりたい事をやって自分の人生を楽しんでいる人は抑うつ状態にはなりませんからそのような人が増えて社会全体が明るく軽やかになることが重要なのです。

 

また、社会制度や政治制度や経済制度の改革などはぜんぜん違う問題になるのでアセンションとは関係ないです。

 

そういうのを期待している人は人類皆で頑張って実現するしかないですと言っておきます。

 

 

いかがでしたでしょうか。

 

アセンションとか結構うさんくさいですよね。

 

人類の波動が上がってポジティブな世界にいくとか、次元上昇が起こるとか、わけわかんないですよね。

 

今回はわけわかんないなりにアセンションについて説明してみました。

 

ちなみにこれらはこのブログ流の説明になるので、「全く違う!」「そんなしょうもないことじゃない!」とか言う方が居てもスルーしますのでよろしくおねがいします。

 

そのような方はこのブログをスルーして頂く形でお願いします。

 

また、スピリチュアルや精神世界の事柄についてはやたら壮大な事をイメージしたり語りたがる人が多いのですが、このブログでは具体的実際的な話を平易な表現で行うことを心がけているのでその様な方はがっかりしてしまうかも知れませんね。

 

そして、今回の記事もtoshoが勝手に行っていることなので、鵜呑みにしないでそんな考えもあるんだ程度に留めておいて下さい。

 

まあ結局の所、アセンションとか変に期待してもあれですよと言いたいです。

 

ではでは~。

 

 


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鼻呼吸と口呼吸。鼻呼吸すればいいってもんじゃない!

こんにちは、toshoです。

 

今回の記事は、鼻呼吸と口呼吸に関する話を少々します。

 

 

一般に口を半開きにして口呼吸をしていたら多くの人から「だらしなく口が空いている」とか「ボケーッと口を開けてみっともない」とか「最近の若者は口もまともに閉じられないのか」とか言われたり思われちゃったりします。

 

そして、「鼻呼吸をしろ」とか、果ては「鼻呼吸をすれば健康に良い」とか、「口は物を食べるためにある、呼吸は鼻でするもの」とまで言われることがあります。

 

上記に対して私のコメントは「そんなこっちゃない」です。

 

「鼻呼吸すればいいってもんじゃない」のです。

 

では、その説明をば。

 

端的に言いますと、「鼻呼吸は脳内ドーパミンレベルを上げ」「口呼吸は脳内セロトニンレベルを上げ」ます。

 

統合失調症で幻覚や妄想が生じている方が、鼻呼吸を常にしていると脳内のドーパミンレベルを上げてしまい幻聴や妄想の症状が強く出てしまうことがあるので、この様な方は意識して常日頃から口呼吸をすると脳内セロトニンレベルを上げてくれるので幻聴や妄想の症状が強く出てしまうことを抑制します。

 

うつ病での抑うつ症状は仮説ではありますが脳内のドーパミンレベルの不足が原因だと思われますので、そのような症状が出ている方は意識して鼻呼吸に変えるだけで脳内のドーパミンレベルが上がり易くなるので、抑うつ症状が軽減する可能性があります。

 

このように、鼻呼吸と口呼吸ではその人体に対する効用が全く違いますので、鼻呼吸を意識して行ったほうが良い方と口呼吸を意識して行ったほうが良い方がいます。

 

また、時と場合によりけりです。

 

ランニングやジョギングをする際には口呼吸が適していてその方が苦しさが減るし、筋トレする際には口をしっかり閉じて鼻呼吸をするほうがパワーが出ます。

 

ウォーキングの際には、ランニング等と違ってハードじゃないので苦しさが減る口呼吸をする必要はなく、鼻呼吸もしくは鼻から吸って口から吐く呼吸の仕方をすると脳の活性化に良くて軽い脳トレになって認知機能の向上が見込めます。

 

幼児期の子供におしゃぶりをさせる親は多いですが、子供に無理やり鼻呼吸の習慣を強いることによって場合によっては脳内ドーパミンレベルが変に上ってしまい幻覚や酩酊感が生じやすくなるので、子供がおしゃぶりを嫌がるようであれば無理におしゃぶりをさせるのはやめたほうが良さそうです。

 

また、健康や能力開発のために瞑想や気功で呼吸法を取り入れている方がいると思いますが、呼吸法は流派によって様々なので自分に合う呼吸法に出会えず逆に体調や調子を悪くしている方がいるかも知れません。

 

さらに、「口呼吸はセロトニンレベルを上げ」「鼻呼吸はドーパミンレベルを上げ」ますが「息止めはとても脳内ドーパミンレベルを上げ」ます。

 

統合失調症で陽性症状がある方が、呼吸法で「息止めテクニック」や「鼻呼吸」を使うことは、脳内ドーパミンレベルを飛躍的に上げ幻覚や妄想を生じさせやすくしてしまう事があるので注意が必要です。

 

統合失調症で陰性症状がある方であれば、鼻呼吸か鼻から吸って口から吐く呼吸法を取り入れる事で陰性症状を緩和する可能性があります。(この場合でも息止めテクニックは使ってはいけません)

 

ここでは主に精神病に言及しましたが、学習に適した呼吸法や催眠や洗脳をしやすい呼吸法とかありますね。

 

そこらへんは今回は取り上げませんが、理論に関しては提示しているのでご自分で考えてみるのもいいでしょう。

 

 

いかかでしたでしょうか。

 

今回の記事は、鼻呼吸と口呼吸に関してでした。

 

気功とかヨガでは様々な呼吸法がありますが、呼吸法を生活に取り入れている方はこの記事で提示した理論でもって自分が行っている呼吸法が自分にあっているか再検討してみても良いかも知れません。

 

また、この記事の内容を鵜呑みにするのはよくありません。

 

仮説段階とまではいきませんが、科学的に実証済みなわけではありませんので要注意です。

 

そんな事言ってるやつがいる程度に留めておきましょう。

 

今回の記事は以上になります。

 

ではでは~。

 

 


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食生活の精神病への関わり

こんにちは、toshoです。

 

今回の記事は、食生活の精神病への関わりにかんして少しばかり書きたいと思います。

 

 

突然ですが、現代社会では統合失調症は100人に1人の割合で発症すると言われています。

 

これは、どの地球上のドコの文化や人種でも変わらない割合であるそうです。

 

現代社会において統合失調症は決して稀有な病気ではありません。

 

休日に駅前を歩いていればその統合失調症の方と一人はすれ違うレベルの一般的な病気です。

 

なぜ、現代社会において統合失調症はこうもメジャーな病気となりえたのでしょうか。

 

統合失調症はその発生の原因はマダよく判っていない病気です。

 

脳内のドーパミンなどのホルモン物質のバランスが崩れることで生じるという仮説があり、それを元に開発された抗精神病薬は病気の治療に役立っていますが、なぜホルモンバランスが突然崩れてしまうのかその根本的な原因は解明をまたれています。

 

私は将来的に統合失調症の様な精神病を地球から駆逐したいとおもっています。

 

私自身が10代の頃から統合失調症と診断され今までに何度か入院するハメになったこともあり、統合失調症や他の精神病に対して少なからず思うことがあるからです。l

 

このブログでは、今までいくつもの記事を書いてきましてがその大部分は全くの仮説や仮説を元にした考察によってできています。

 

ブログ開設から2年以上たった今、様々な思索を経て統合失調の原因に関してすこしばかり書けること書きたいことが出来たのでそれを今回の記事に書きたい思います。

 

現在、現代日本では日本は単一民族国家だと教えられていると思います。

 

しかし、現代日本社会には潜在的な遺伝的多様性は日本人の見た目以上にあると思われます。

 

それに関して過去のブログ記事で言及していますのでここでは詳しくは述べません。

 

日本人の遺伝的多様性はおそらく世代が新しくなるごとに大きくなっているだろうと思われます。

 

そして、その遺伝的な多様性は遺伝子由来の食材や料理や調味料などへの耐性・適性の多様性もウンでいると思われます。

 

日本人の潜在的な遺伝的多様性が食生活の多様化とそれにたいする耐性・適性の個々のバラツキをウンでいると思われます。

 

そして、自分の所属する集団においてその所為で自分に合わない食生活を採用することになり、精神・非精神にかからず病気を生み出していると思われるのです。

 

おそらくは、アレルギー反応に似た症状が脳に出てしまっているのかと思われます。

 

遺伝的に適さない食生活が脳に対してダメージを与えている可能性が高いと思います。

 

そして、世界的に多くの民族や集団の中に生まれる新世代の遺伝的多様性の中に伝統的な食生活や食習慣に耐性・適性を持たない人が一定割合生まれるのではないでしょうか。

 

世界中どの文化や人種でも一定割合統合失調症が発生するのは、新世代の遺伝的撹拌立において耐性・適性を持たない人が生まれるのが100人に1人くらいの確率になるのだからではないでしょうか。

 

つまり、食生活が合わない環境において生活をしていると首から下は健康でも知らず知らずの内に脳内が破壊されてホルモンバランスが崩れる原因になるというわけです。

 

つまり、現状統合失調症を発症している方の中には体質に合わない食生活を改善することにより、症状が改善する可能性がある方がいるというわけです。

 

逆に言えば、病状が悪化して入した病院が患者に合わない食生活を強いるならば病状が悪化したままずっと入院するハメに成りかねないというわけです。

 

コレを考えると、精神病を治すためには遺伝子分布の研究がこれから時代必須になるかも知れないですね。

 

 

いかかでしたでしょうか。

 

もちろん忘れないでほしいのが、この記事に書いたことは全くの仮説なので絶対に鵜呑みにしないでもらいたいということと、安易に薬をやめて食生活の改善だけで病気を治療するのは絶対にNGだということです。

 

けっして鵜呑みにせず、そんなこと言っているやつがいるという程度にとどめておきましょう。

 

そして、この仮説が実際に精神医学の定説になるまで絶対に信じないでください。

 

永遠に仮説のままなら、永遠に信じないでくださいということでもあります。

 

また、もしコレを読んでいる貴方が統合失調症で食生活の改善にいくらか興味があるなら、あなたの両親の食の好みと食生活と出身地域の食文化を参考にしてみるといいかも知れません。

 

祖父母世代の食習慣が体質に適してないかを見たり、食の好みが近い方の両親の食習慣を真似てみるのもいいかも知れません。

 

もちろん、これらをやるとしたら完全に自己責任になりますので、食生活を変えてみるのなら慎重に慎重を期して少しずつやることをお勧めします。

 

当方責任をとるつもりは一切ございませんのでご了承願います。

 

まあ、食生活を変える程度で有れば深刻な病になるリスクもあまりないので気軽にやってみてはいかがでしょうか。

 

運良ければ症状が改善するかもというレベルですので。

 

やるとしたら大きな期待をせずにやるのがいいでしょう。

 

それでは、今回の記事は以上になります。

 

長文失礼しました。

 

ではでは~。

 

 


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右脳開発について

こんにちわ、toshoです。

 

最近見たテレビ番組で見たのですが、東大生の多くの方が子供の頃公文式と七田式教育をやっていたらしいです。

 

公文式に関してはおいておきます。

 

七田式教育は右脳開発教育として有名ですね。私は10年以上前から七田式教育や七田式右脳開発については知っていましたが、今ではそんなメジャーになったのかと思いました。

 

それで、今回の記事では右脳開発に関してすこし書いていきたいと思います。

 

 

七田式右脳教育ではフラッシュカード記憶や図形記憶の訓練などで右脳記憶を開発すると聞きます。

 

この右脳記憶で重要なのでは映像記憶だったりします。

 

で、右脳を開発して映像記憶能力を開発することができるのは、右脳にドーパミン神経回路があるためだと思われます。

 

なので、右脳を使うと映像で記憶出来るようになるというわけではなく、右脳のドーパミン神経回路を鍛えると鮮明に視覚に映像を出力できるようになる(つまり、記憶の想起能力が上がる)というわけなのだと思います。

 

視覚に対する映像の出力能力が上がるので、記憶を思い出そうとすると鮮明に思い出したい記憶が視覚に映像として出力されるようになるのです。

 

左脳のセロトニン神経回路と右脳のドーパミン神経回路とう機能の違いにより、右脳を鍛えると映像記憶能力が開発出来ると思われます。

 

また、アカデミックな脳研究者からは、右脳と左脳に大きな構造的違いがないために右脳開発といった行為はだいぶ疑問視される事が多いのですが、右脳と左脳の神経回路の種類の違いにより右脳開発というのは有効だろうというのが私の立場になります。

 

なので、アカデミックな研究者からは否定されがちな右脳開発も十分有効なので興味がある方は右脳開発を頑張って見るのも良いと思います。

 

その際に、訓練上達のコツなのですが、映像をより強く記憶するようにするのではなくより鮮明に思いだす(視覚に出力する)ことを意識して訓練すれば訓練が上達しやすいのではないでしょうか。

 

視覚に思い出す事しないで訓練していると、はじめの内はうまくいっても映像記憶能力が上がらないのでより高いレベルにはつまずいてしまうと思うので、なるべく最初の内から視覚的な鮮明に思い出す訓練をしていったほうが良いと思います。

 

いかがでしたでしょうか。

 

今回の記事はとても短いですが右脳開発についてすこしばかり書いてみました。

 

実はアカデミックな脳研究の世界では、右脳開発というのはインチキ扱いされがちです。

 

というのも、最近の研究で右脳と左脳に大きな構造的違いがないことが判ってきたために、左脳に比べて右脳に大きな能力があるとは考えづらいと思われているからです。

 

しかし、このブログの研究では、右脳側に存在するドーパミン神経回路の機能をフルに活かせれば右脳開発というのは可能だと結論づけています。

 

右脳開発なんてインチキくさいからやらないという方には、そんなにインチキじゃないですよとだけいっておきます。

 

興味がある方は、右脳開発してみたらいかがでしょうか。

 

では、今回の記事は以上になります。

 

ではでは~。

 

 


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セルフ・カウンセリング~ペンと紙があればできるお手軽相談~

こんにちは、toshoです。

 

久しぶりに記事をアップします。

 

今回の記事のタイトルは「セルフ・カウンセリング~ペンと紙があればできるお手軽相談~」です。

 

人間の日々の悩みは尽きないものです。

 

仕事、人間関係、恋、家族の問題など困っている・悩みがあるけど誰かに相談するほどのことでもなかったり・身近に相談できる人がいなかったりして放置している大問・小問様々あると思います。

 

中には高いをお金をかけて占い師やカウンセラーなどに相談をする方もいらっしゃるかと思いますが、得てして良い占い師やカウンセラーに出会わなかったり最悪インチキだったり詐欺まがいの相手に相談してしまうこともあるでしょう。

 

なので、私自身はそういった問題がある場合には紙とペンを使ったセルフ・カウンセリングを用いて悩み事や問題に対処しています。

 

セルフ・カウンセリングは悩みや問題に対して他の人間に相談すること無く、自分自身に対処方法や解決方法をを問いかけます。

 

そして、その問いかけには自分自身の潜在意識下にある普段自覚できない膨大な経験値をつかって答えるのです。

 

 

方法について説明します。

 

1 ノートを用意します。

2 ノートにペンで自分が相談したいことを書きます。(例、仕事について今の職場を転職したいと考えているのですが、やめておいた方がいいでしょうか、それとも転職すべきでしょうか?)

3 ノートに相談事から一行開けて、その相談について自分で他人になったつもりで相談への返答を書きます。

4 その後は、応答の形をとったりしながら、より詳しく相談するなどします。

 

この方法の要訣は3です。

 

例えるなら自分で創作した小説のキャラクターを動かすつもりで、そのキャラクターならどんなことを言うだろうかと考えながら思うがままに相談へ返答します。

 

また、その際にキャラクターの設定を創作して(例えば、35歳主婦二児の母だったり、古代の時代の巫女15歳だったり、75歳の元軍人のおじいさんだったり。わかりやすいように名前をつけるのも良いです)そのキャラクターに答えさせたり、腑に落ちなようなら複数のキャラクターを使って相談への回答をします。

 

この方法を使ってセルフ・カウンセリグをすると、意外にも自分というのは冷静に客観的に自分自身の問題や悩みを見つめる事ができるものだなと自覚すると思います。

 

普段頭を悩ませている悩みや問題は意外に時間をかけて自分自身の頭で考えるならば簡単に答えや回答を得られるものです。

 

まず第一に言えることは、例えば他人に相談する場合にはそもそも人間は自分が納得できない意見や解決方法を言われても一切耳をかさないどころか不快になるだけということです。

 

親に悩みを相談したら延々と納得がいかない意見を主張されて押し付けられただけというのは珍しくないでしょう。

 

そのように時間を無駄をする事もあります。

 

セルフ・カウンセリングによる相談は上記の様な問題が起こることを他人に相談しないことで一切省くという意図もあります。

 

そして、他人になったつもりで自分の相談に自分で答えるというのは、普段に人間が己を見つめる自己客観能力をフルに発揮する方法でもあります。

 

よく他人の問題は客観的に見れるけど、自分自身の事はそうもいかないということが言われると思います。

 

自分の事を客観的に見れる人がいたらそれだけですごいことですよね。

 

しかし、普段の私たちは他人に対しては簡単に客観的に見ること出来俯瞰したアドバイスなり意見ができます。

 

セルフ・カウンセリングは自分を他人の様にみて意見するのではなく、自分が他人になったつもりで自分の相談をうけるのです。

 

必然的に、自分の元々の悩みや感情を尊重せずに不躾にただ客観的な意見を述べるという事はなくなりますし、相談への回答を他人になったつもりで書いている時には自分自身の悩みや問題を一時的に感情的に切り離されて俯瞰的に見ることができます。

 

この様なやり方をすれば自分自身のことを客観的に見ることが出来、自分が創作したキャラクターがそれなりに独自の視点をもって相談に回答してくれるでしょう。

 

そしてなにより、相談への回答はあくまで自分自身が書いたことになりますので、相談した相手に責任を押し付けるという逃げや責任転嫁の思考は一切しなくなるということが大事です。

 

他人に相談した場合や、その回答がどんなものであれ自分が出した答えではないということで「あの人がそういったんだから」「この人がそういうならば」といった他者本位だったり他力本願だったいるすることがすくなからずあるものです。

 

何もなければ良いですが、何か問題が起こった場合自分自身の責任逃れの言い訳なったりしていまします。

 

セルフ・カウンセリングはあくまで他人なったつもりで回答しても答えるのは自分自身です。自分で書いた回答に納得するのも納得しないのも自分次第ですので最初から最後まで自分次第の自己責任です。

 

甘えを一切許されない自己責任の中でおこなう相談は有意義なものになること請け合いです。

 

 

また、これはちょっとスピリチュアルな話にもなるのです、人間の潜在意識には過去生の記憶や人格が大量に眠っていることが予想されます。

 

このセルフ・カウンセリングは潜在意識下に眠っている自分自身の過去生の人格の力を借りることも出来うるということです。

 

過去生の記憶は普段は潜在意識下にしまわれ眠っており有効活用されておりません。

 

しかし、過去生の人格は普段は全く意識されませんが人によってはあなたの主人格と別にサブ人格として潜在意識の中でバックグランドプログラムとして可動している場合があります。

 

このサブ人格である前世の人格は、人によっては守護霊やエンジェルと言われたり潜在意識の中で動く自動プログラムとして重宝がられています。

 

サブ人格が自分の主人格をサポートする形でインスピレーションやひらめきを与える場合もありますし、ドーパミンレベルの高い霊能者やESPなどには声としてサブ人格の言葉を知覚する人もいるでしょう。

 

セルフ・カウンセリングは自分自身が他人を演じて自分自身の相談に回答するという形を取りますが、まれにこのサブ人格を使った回答が現れる場合があります。

 

自分が設定したキャラクターが自分自身の過去生の一人だったというかんじです。

 

また、あえてキャラクターを設定せずにセルフ・カウンセリングをした場合自然とサブ人格が相談の回答に応じる場合もあります。

 

この場合、キャラクター設定をしないでも自然とキャラクターが完成されていたり名前があったりするわけですが、まあこれをそうと区別するのは簡単ではないでそのような事があっても気にしなくて良いでしょう。

 

まあ、別にサブ人格の回答でなくても、過去生の記憶というのは潜在意識下に大量に眠っているわけで自分が設定して作ったキャラクターであっても想像力使って回答するとなにかしら過去生の記憶を引き出してきて回答できたりするのですが。

 

 

いかがでしたでしょうか。

 

今回の記事は「セルフ・カウンセリング」のお話でした。

 

多少スピリチュアルな話も出てしまいましたが、別段スピリチュアルな方法ではないのであまり気にしないでください。

 

悩み事や問題がある時に誰かに相談したいけど、相談相手も時間もお金もないという事は現代社会ではままあります。

 

私なんかは親がよき相談相手だったりもしますが、親に相談しにくい話なんかもありますし私は友人が少ないので相談相手に困る場合も多いです。

 

その様な場合にこのセルフ・カウンセリングをするとそれなりに納得できる対応や対処ができたりします。

 

もちろん自分の視野の広さ以上の事を対処するのは難しいですが、案外自分自身の問題というのは自分自身で対処が可能なものがほとんどです。

 

セルフ・カウンセリングで対処できない問題や悩みに対してのみ専門家に相談することで手間もお金も節約になります。

 

その場合、セルフ・カウンセリングを事前にやっておけば問題点や感情的な問題の整理もできますのやって無駄というのもないです。

 

なので、世の中些細な問題や悩みで延々悩んだりストレスをためている人が結構いるのでそのような方にはセルフ・カウンセリングはかなりお勧めします。

 

では今回の記事は以上になります。

 

ではでは~。

 

 


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統合失調症の幻聴について

こんばんわ、toshoです。

 

すごい久しぶりにブログを更新します。

 

病気が悪化して入院してブログの更新を止めていたのですが、病気に関連した記事ならいいだろうと久しぶりに記事を更新します。

 

今回の記事は統合失調症の幻聴に関してです。

 

なお、このブログの読者の中には統合失調症の方やその家族の方がいるかもしれませんが、これは私の個人的な経験に基づく物なので全ての統合失調症の方に当てはまるとはいえないと思います。

 

一般に統合失調症の代表的な症状に「幻聴」があります。

 

多くの統合失調症の方はこの幻聴に悩まされていると思いますが、個人的な体験として私は幻聴がほとんどないタイプの統合失調症です。

 

ですが、病気が悪化した際にはやはり幻聴が生じることがおおいです。

 

しかし、治療の過程で幻聴が消失するのも早いタイプなのです。

 

多くの幻聴が顕著な統合失調症の方とちがいますので私が珍しいタイプなのかもしれないですが、個人的な経験としてこうやれば幻聴がなくなるという経験があるのでそれについてお話したいと思います。

 

一般に幻聴というのは勝手に聞こえてくるとされていますが、私の経験では幻聴というのは必ず統合失調書患者が意図して生み出しています。

 

単純にそれは、「予想」や「期待」というのが根っこにあると思います。

 

他人に悪口を言われる幻聴というのは、つまり「誰かが私の事を悪く思っているかもしれない」という「予想」がまずはじめにあり、それに応ずる形として「本人が幻聴を生み出す」という事があるように思えます。

 

一般に幻聴というのは自分自身ではない声が聞こえてくるという認識があると思いますが、幻聴というのは「自分自身の思考が表面的に他者を装っているだけ」というのが私の経験からの推察です。

 

単純に他者を装っているので幻聴の内容というのは統合失調症患者本人が考えているものであり、その応答もいわば一人芝居そのものであるように思えます。

 

自分自身の頭のなかで声色を変えて自分以外の誰かを演じてそれを自分ではない誰かだと思いこんでいるのが幻聴が聞こえてる時の状態だと思います。

 

そもそも脳を動かしているのは患者本人であり、幻聴が聞こえるとしてそれが生じる様に脳を操作しているのも患者本人以外ありえないのです。

 

なので、自分自身の「予想」や「期待」を滅殺してあげれば、簡単に幻聴というのは消えるのです。

 

それが私自身の病気の経験から幻聴の真実だと思います。

 

多くの場合幻聴は患者本人に対する悪口として出現すると言われますが、それは「患者本人が自分が嫌われているという認識の元生み出した自己評価」が幻聴として現れていると思います。

 

私自身の経験がそうなのですが、幻聴が聞こえる際にはかならず誰かの意見を聴きたいと思ってたり、自分以外の人間の後押しや肯定や否定が欲しい時でした。

 

つまり、私が他者から嫌われていると思っている時に、誰かに「そうだね君はあいつに嫌われているよ」といって欲しいタイミングで「お前は嫌われているぞ」という幻聴が聞こえてくるのです。

 

まあ幻聴の内容はこのような単純なものでなかったりして、そもそも私は悪口系の幻聴はありませんでしたけれども。

 

なので、私の場合はですが、ふとした時に誰かの意見や後押しを欲しがる癖を改めるだけで幻聴というのはすぐに聞こえなくなりました。

 

「予想」や「期待」をやめるだけで、それに乗じて幻聴が聞こえるのはすぐなくなったのです。

 

幻聴そのものは自分自身の一人芝居なので、芝居が始まる切っ掛けがなければ芝居(幻聴)は始まらないのです。

 

またこれは別の話になりますが、私の場合「幻聴」と「妄想」の区別が曖昧だったのです。

 

「自分自身が生み出したわけでない声」が幻聴で「自分自身が生み出したと分かっている声」が妄想だと思っているのですが、感覚的に幻聴も妄想の一種だという感じがあって、お医者さんの診断でも幻聴といったらいいのか妄想があると言ったら良いのかちょっと面倒くさいなぁとおもっています。

 

幻聴も妄想も似たようなものなので、お医者さんがどう診断しているのか今でも不思議です。

 

聞こえる声の明瞭度は単純にドーパミンレベルに左右されると思います。

 

また、単純に幻聴は「自分の脳内発話を自分自身が生み出していないと錯覚して、それが現実の声と同じレベルの重要度になってしまうこと」だと思います。

 

重要度としたのでは、私の場合あとあと考えると幻聴が現実の声と違うというのは一目瞭然だったからです。

 

現実の声と同じ聞こえ方がする方もいらっしゃると思いますが、そうでない幻聴もあるので重要度という言葉を使っています。

 

また、「予想」や「期待」の止め方は、幻聴が聞こえた後に「聞こえる前に自分が予想や期待をしてなかったかと内省して、予想や期待があったことを自己認識していく」ことをすれば、次第に予想や期待が自然と減じていくと思います。

 

また、幻聴に応じてしまうのは一人芝居を助長してしまうことになるのでしてはいけません。

 

否定肯定どちらもです。

 

 

いかかでしたでしょうか。

 

今回の記事は久しぶりに書いたのすこし構成がどっちらかっていると思います。

 

今回の記事はあくまで個人的な経験を元に書いてますので万人の受け入れられるものではないと思います。

 

幻聴と言っても色々あると思いますし。

 

精神病は色々なのでそんな鵜呑みにせず一経験談として参考にしてください。

 

個人的に幻聴というのは結局のところ一人の人間の内部で生み出されているので、生み出しているのは本人以外あり得ないという感じです。

 

ホルモンの作用とか色々あると思いますが、メカニズム以前にそういうことを思うわけです。

 

では、今回の記事は以上になります。

 

ではでは~。

 

 


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病気悪化してました(笑い)

こんにちは、toshoです。

 

今回の記事は短い近況報告です。

 

ここ最近のブログの更新が止まっていたのは、プライベートで病気が悪化して入院していたからです。

 

今後、このブログは恐ろしくスローペースの更新になるか更新自体がなくなるかもしれません。

 

このブログの記事を楽しみにしている方には申し訳ないですが、ご理解ください。

 

長い間寛解状態だった病気が悪化した今では、この類のブログの記事を書く資格自体もないかなぁと思う次第です。

 

こういうたぐいの記事は病気が悪化することがある人間が書くものではないと思います。

 

妄想を垂れ流しても仕方がないので。

 

では、今回の記事は以上になります。

 

ではでは~。

 

 


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人生のエビデンス(根拠)はあなた自身でいい

こんばんわ、dokubo_toshoです。

今回の記事は、「人生のエビデンス(根拠)はあなた自身でいい」です。

--記事の内容を更新しました。2017/10/17


人は、人生はこうやったら上手く行くはずだという根拠を自分以外に求めがちです。

他人の話や、学問や、あるいは宗教や道徳に求めています。

誰かが、「人生はこうやったら上手くいく」と言う話をしていたとします。

あなたは、人生をうまく行かせたいので「こうやったら上手くいく」と言う話はかならず「根拠」を聞くようにしています。

それらはあなたの周りの人間も同じです。

また、あなたの周囲の人間は「こうやったら上手くいく」という方法をあなたに教えてきました。

あなたの親は「お母さんはこうやったら上手く言ったのよ」とか「お父さんはこれは上手くいかなかったよ」とあなたに色々と聞かせてきました。

その根拠は「両親がそう経験したから」というものです。

あるいは、宗教は「神はこう仰った」とそれが神の言葉であることを根拠とします。

学問は「研究をした結果、そのような傾向がある事がわかった」という実験で得た事実であることを根拠とします。

道徳では、「そうあるべきだから、そうなのだ」とそれ自身を根拠とします。

でも、それらはあなたが「こうしたら上手くいくんじゃない」といった時に、「その根拠はなあに?私の言うことを聞いたほうが良いよ」と諭します。

そのような時に、あなたは大抵「根拠を提示できなく」、周囲の人間を説得できません。

何故なら、あなたの根拠は「あなたがそう思った」からにほかならなく、「あなた自身以外になにもない」からです。

あなたは「他人を説得する」ために「他人が納得する、自分以外の根拠」というのを提示しようとします。

もしかしたら「運良くそれを見つけられる」かもしれませんが、多くの場合そんな都合よく根拠は転がっていませねん。

なので、あなたが思った「こうやったらうまくいく」というアイディアは、実行してこなかったかもしれません。

そして、その延長線上で、周囲の人を説得する必要がなくなった後でも「こうすればうまくいく」ということを思いついたとしても「自分以外の根拠」を探そうとして失敗して「やっぱりうまくいかなそうだから、これはやめよう」という判断をしてきたのかもしれません。

あなたは、周囲の人間に「根拠を示せ」と言われてきたのかもしれません。

そして、「あなたがそう思ったから」ということだけでは納得してもらえなかったのかもしれません。

しかし、です。

あなたの中にはつねに「こうやればもっと上手くいくんじゃないか」というアイディアがあり、それはくすぶり続けていませんか。

だから、ここでハッキリ述べさせてください。

「根拠はあなた自身でいい」のです。

あなたが「こうすれば上手く行くんじゃないか」と思いついたアイディアを実行するのに、根拠を自分以外に求める必要はありません。(もちろん、周囲の人たちにはなるべく理解をしてもられるように努力することは大事です。時には慎重になることも必要な場合があるのも事実でしょう

なぜなら、大昔から「こうすれば上手くいくんじゃないか」というアイディアに「根拠なんてない」からです。(大抵の場合はです。そして、大きく失敗する事も多いのが珠に瑕ですがね。

昔の偉人が、偉大なことを為したのは「こうすれば上手くいくんじゃないか」と言う発想に「根拠を求めなかった」からです。(これがインスピレーションを信じるという行為です。ただ、おおくの雑多でたらめな妄想や破壊的な歴史を生み出した原因でもあるので、自分がただ妄想しているだけではないかというのは今も気にして、自分の中で確かめる必要があります

逆に、その当時に根拠を求められて他人が納得するものを提示できたとしたら、「当時の常識内の発想」でしかなく、偉大な躍進を遂げるのには不十分なアイディアだったはずです。(同時に既存の社会や文化に対するカウンターカルチャーとして、多くの人の理解を得られないことがありました。

当たり前ですが、根拠を「他人の理解できる範囲の過去の物」から導ける様なアイディアは、かならず古いアイディア、固定観念の上のアイディアでしかないです。(そして、それは多くの場合既存のシステムの延長線上のアイディアであり、古い社会の慣習を強化するものになります

逆に、「新しく躍進的なアイディア」だったら、どうして「他人の理解できる範囲の過去の物」から根拠を導けるのでしょうか。(本当にこれはその通りの場合が多いです。ただ、その分破壊的な作用が生じないかの検討や議論が成されないまま今までの文化を多くの人類社会が継続されています

論理的に矛盾しています。(論理はそこまで重要な要素ではありません。現実として有効かどうかただそれだけです。それにはより多くの人達にアイディアを出し合い議論を深めて戦わせる必要があるのです。

「他人の理解できる範囲の過去の物」である根拠が「過去に成功した物の蓄積」であるなら、「新しく今までにない物」の根拠にする事ができようもありません。(ただ、多くの社会や文化の経験と知識の蓄積の中から導き出した相応しい根拠を提示するのは必要であり、それが成されないまま先に進んでもニッチもサッチも活きません

 
もちろん、新しいアイディアには上手くいくものと、上手くいかないものがあるのは事実です。

でも、本当は「新しいアイディアに根拠なんてない」のですよ。
多くの場合はそうですが、稀にちゃんと根拠を提示できる人たちがいます。より進んでいる考えを持った人たちは世の中それなりにいるものです。


多くの人は、アイディアの根拠を提示したら「それっぽい適当なものをでっち上げている」にすぎません。(これが非常に問題で、学者や知識層や統治者はこのようなものに騙されやすかったりします。ただ、多くの無学の庶民文化はこのような誘導には引っかかりにくいのです。なぜなら思考の仕方がより現実での生活や文化や習慣や風習に根付いているから。多くの異文化や新しい思想により俯瞰的な眼で見れます。

本当に今までにない新しいアイディアなら「根拠なんて提示できない」のが当たり前なのです。
これはマジでその通りなので、あまりそのような根拠のない(ように見える)アイディアを出す人を異常者扱いするのも困りますね。社会の発展が停滞します。ただ、根拠をちゃんと聞いてあげて、一緒に考えてあげるだけで良いはずです。
もし、簡単に根拠を提示できるのなら、それは今までと変わらない似たようなアイディアだからです。(そしてそのような社会がいつまでも続くと、新しい世代と古い世代の意識と生活スタイルの隔絶が起きて、多くの民族内紛争や人種間戦争の火種になります。

そこに、進歩と飛躍も望めません。(停滞している社会が悪というわけではありません。世代交代の時期にスムーズに新しい生活スタイルを受け入れないと多くの方が遺伝的な影響などにより心のバランスを崩すために、絶望と荒廃思想が広まります。

昔の偉人は「こうやれば上手くいく」という根拠もないアイディアを試行錯誤の上でものにしていったにすぎませえん。(それに社会が追いつくまでに多くの闘争と奮闘があったと思います。そして周囲の人間からの不理解も。庶民というのは無学なものなのですので。ただそれは、社会環境や教育制度の問題にあるので、多くの人が責められる言われもありませんし、そのような方たちが実践する民間の学問というのは非常に重要な智慧が詰まっているのでしょうし、全く協力が取れていないのが多くの問題認識の不一致を産んでいるんです。

逆に当時に偉人が「根拠のあるアイディア」しか実践していなかったら、既存の枠組みに収まるばかりで飛躍も躍進もなかったはずです。(そして現代社会で生み出されてきた文化的な退廃も産まれ得なかったのは事実なのでしょう。


だから、あなたは自分の思う通りにやっていいのです。

エビデンス(根拠)はあなた自身で良いのです。

あなたが良いと思ったやり方を自分自身で確かめてそしてみんなでアイディアを試して、磨いて傷つけて修正して形作っていくしかないのです。修正していくしかないのです(これ重要)。

試して(try)、洗練(refine)磨いて(polish)いくしかないのです。それで良いのです。

 

智慧の実を着けた木を育てるためには、実を磨いていて、汚れや虫食いのないキレイで美味しい実を見つけて選別するようにしなければいけないのです。

 

その種を植えることによって、多くの人達がお美味しい実を食べることができるのです。(少なくとも私はそう思います)

その時の考え方は、トライアルアンドエラーでないのです。

トライアンドリファインアンドポリッシュなのです

エラー(失敗)したとは考えずに、リファイン(修正、洗練)すると共にポリッシュ(磨いていく)と考えるのです。それがよりベターなやり方だと私は思います。
 
むかしから、大きなことを為した人はうまくいかないことを「失敗」とは考えてはいなかったと思います。(そして反省と後悔と立ち直りそして立ち上がる気概を忘れずに行くこと、そのような大人の精神をもって、自分たちの置かれている状況と現実と未来と過去に起きた事と過ちたちと永遠に付き合ってその度に信じる気持ちを忘れずに生きることでのみ未来は開けていかないのでしょうね

むしろ、上手くいないことがあるたびに「修正、洗練、研磨、精錬」していき、どんどんゴールに近づいていくと考えたのではないでしょうか。(そのような精神を持って覚悟を決めて来て生きて、生ききったのではないでしょうか)

あなたは、「こうすれば上手くいく」というあなたのアイディアを、どんどんトライしてリファインしていってください。(まずは、自分自身でそれを行い確かめること。過ちを繰り返して間違っている考えをその度捨てて一新して刷新するひつようがあります。そうしなければ何も私たちの世界は変わらないし、変われないと思っています。すこしづつ、一日一歩確実に着実に、3日進んでは牛歩の如くしっかりと大地を踏みしめて、年をとった亀のごとき歩みで自らを律しながらすすんで、間違っていたら最初に戻って振り出しから初めてその度にやり方を変えて。明日の風はドコ吹く風と思いながら、風見鶏と天気をみながら空気を読んで周囲の人たちと仲良くしながら、行きたい未来へ歩いて行くのが必要です。アラジンと魔法のランプのような魔神の力を借りたいと思ってもそんなの当てにしている内はまだまだ子供です。ガキンチョの精神では未来は作れません。

最終的に、あなたの人生で起こること、その全ての根拠をあなた自身でそして皆の力で持って証明してしまえばいのです。

人生のやりたいこと、上手く行かせ方、そのエビデンスは最初から最後まで「あなた自身」でよいのです。

 

そのような信じる心が未来を作るのです。

そして自分以外の人たちもそれぞれ譲れない何かを信じているということを理解しよう。例えあなたがそれ自体を理解できなくても。

なぜなら、ほかの全てのエビデンスは「他人の人生で起きた事の他人がエビデンスの証明」でしかないからです。

 

なぜなら、人には個人的な信念と理念と得意な事がありそれはひとそれぞれ結構違うからです。マジで大事ですよこの考え方は。

だから、とりあえずはあなたはあなたのやり方でよいのです。

時間が立つに連れて人は成長していくものなのだから。


いかがでしたでしょうか。

親や教師や上司は、あなたの主張に必ずと言っていいほど「根拠」を求めます。

あなたは、いつも思っているはずです「根拠なんてないよ、好きにさせろよ」と。たぶん。

でも、あなただって同じだと思います。他人の主張に根拠を求めている。

でも、自分自身が人生でやりたいことに「根拠」も必要ないし「他人を説得」する必要も本来ありません。

とにかく、やってみるしかないのです。

 

そこから始めるのが人生をうまくいかせる最も確実で大胆なやり方です。そして、それを信じられるのかがいつだってあなたの人生を左右してきたはずです。

なので、とりあえずやってみて、やってから初めて考え直してやり直すその都度磨き直してはやり方を変えてみるみたいな考えとやり方が適切でしょう。

 

”Try And Refine And Polish Thinking And Trust Our Policy of  Each Other And Respect Another Values and Differences of Senseor of Visual and Sounds and Preferences for Life Style  snd Saint Poeple and  UnderStand for Coropration with Every Organization On the Planet and Total International Organization Network System and Local  Organiztion's Actions and Decisions To The Our Future(TARAP Thinking and Trust TOP of Each Other And Respect Another Values and Differences and Preferences for life Style and Saint Poeple and Understand for CEO Options and LOAD To The Our Future”) 方が億倍も万倍もましです。

それが、シンプルで間違いないです。


では、今回の記事は以上になります。

ではでは。



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宇宙の厚みについて。

こんにちわ、dokubo_toshoです。

--記事の内容を更新しました。2017/10/17

今回の記事は、宇宙の厚みについてです。

最初に結論から書きます。

宇宙の4次元方向の厚みはプランク(長)です。

プランク(長)とは相対性理論とか量子力学に登場する、物理空間の最小単位です。

つまり、宇宙空間を分割しようとしたら、プランク(長)より小さくは絶対に分割できないということです。

色々書きたいことがありますが、まずは私の思索の過程をご紹介します。

私は昔、パラレルワールド理論には否定的でした。

その頃には全ては今ここにしかないというのは、理解していた(つまり、時間というのは一次元のベクトルではなく、変化量(エネルギー)の相対的な観測で脳みそが認識していると言う理解があった)

しかし、時間というのを無連続、つまり分割できないものとして捉えていました。

空間や時間というのを最小単位まで分割するということが出来ないだろうという認識があったのです。

なので、全ては今ここにあっても、時間や空間というのを分割して、あるい特定の時間の宇宙が世界のどこかに保存されているとは考えていませんでした。

だって分割できないのだもの。

今の現在の宇宙があるだけです。という認識です。

しかし、物理学の知識をちょいちょいつまみ食いしていたら「プランク定数」や「プランク時間」や「プランク長」というのが在るじゃあありませんか。

いわく、量子エネルギーの最小単位。空間の最小単位。

そこで思ったのが、「あ、最小単位あるなら分割できるじゃん」です。

また、存在質とか周波数とかそっち方向の思索や研究を続けていく内に、周波数の最小単位が「プランク定数」になるということがわかったのです。

つまり、周波数の波をどれだけ小さくしようとしても、「プランク長」より小さく出来ないのです。

つまり、周波数0の存在質から周波数を分離しようとしたら「プランク長」より大きな周波数しか分離できないのです。

なので、全ての宇宙(パラレルワールド)は4次元方向に重なって存在していますが、その宇宙の4次元方向への厚みはプランク長で記述できるのです。

いわば、今あなたがいる物理宇宙に隣在るパラレルワールドはあなたの宇宙と4次元方向へプランク長分ずれて存在しているのです。

4次元方向にちょっとだけずれているから、衝突しないし交わらないのです。

結局相対性理論で言う4次元方向への移動は、パラレルワールド間の移動になるのでしょう。

4次元方向へプランク長の厚みをもった宇宙が、存在質の中にちょっとずれて重なって存在しているのです。

そのプランク長の厚みをもった宇宙はいわばパラパラマンガのようなものです。

固定的で動きがない。

だって、ある瞬間を最小単位で分割している上に、その厚みなかでは空間的な運動をしようとしても1プランク長のなかで動こうとして動けないですよ。うごけるなら最小単位を超えてますから。(動きとは空間の中での移動です。つまり座標がずれる必要があります。座標がずれるには最小単位を最低1つ移動しないといけません。(2個以上必要)つまり、一個しか最小単位が存在しないならずれることができないので、動きもないです)

ですが、動きがない宇宙で動きを認識しているのが人間です。

つまり、人間の意識は3次元方向を超えて4次元方向へ移動していることになります。

 

上記の考えを更新します。

 

やはり、同一物理宇宙での移動は単純にいって並行宇宙の移動には成らないと考えられます。

 

3次元物理空間の移動は3次元空間内での移動であり、意識が4次元方向に移動しているというのは考えづらいのではないでしょうか。

4次元方向へ移動しているから、一個前のパラレルワールドと今のパラレルワールドとの差異を認識して「変化」や「動き」を認識しているのです。

つまりそういうことなんじゃないでしょうか。

これが宇宙の厚みの正体・プランク長の正体ではないでしょうか。


いかがでしたでしょうか。

基本的に哲学的思索から端を発しているので、物理学厳密な理論は詳しくないですが。このような考え方をすると昨今のスピ業界と最新物理学と哲学の知見を融合・統合できるのです。

信じるか信じないかは読者の方々におまかせします。

さらにこの思索をブラッシュアップさせてもよいでしょうね。

では、今回の記事は以上になります。

ではでは。 



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身体に関するあれやこれ。脳と遺伝子と魂

こんにちわ、dokubo_toshoです。

 

--誤字脱字の修正を行いました。2017/10/17

今回の記事は人間の「身体」に関する考察の記事です。

最近では脳など人間の身体に関する研究がだいぶ進んできて色々わかってきています。

しかし、そのような研究は未だ発展途上であるために、発展途上であるがゆえの誤解やミスリードが多く存在していると思います。

人間の本質は魂にあるという理解に達していないが故の大きな誤解が数あります。

そのような誤解をdokubo_toshoの仮説を元に考察していきたいと思います。


まずはイントロダクションから。

「原子」がというものが発見された時、極端な人間は「世界の全ては原子のしわざ」と考えました。

「遺伝子」というものが発見された時、極端な人間は「生物の全ては遺伝子のしわざ」と考えました。

「全ての物質はエネルギーに還元できる」ということが発見された時、極端な人間は「世界の全てはエネルギーのしわざ」と考えました。

そして、「脳」 というものが研究され始めると「人間の全ては脳のしわざ」と極端な人間は考える様になりました。

しかし、世界のすべてを原子の働きに還元することはできません。他も同様です。

世界や人間は一言で言えば「階層的かつ多面的」です。

たった一つの原理原則でなにもかもを説明できることはあり得ないのです。



私、dokubo_toshoは人間の身体の仕組みは主に「脳」「遺伝子」「魂」の三要素によって解明できると考えています。

現状の科学では「脳」と「遺伝子」の研究はそこそこ盛んになってきましたが3つめの要素である「魂」に関してはまだまだ研究が進んでいません。

なので「魂」によって行われている仕組みを「脳」「遺伝子」の仕組みに組み込んで理解してしまっています。 


例えば、最近の研究では人間の身体が動く時に「脳より先に筋肉方が動く」ことが分かっています。

この研究を理解する時に「脳」「遺伝子」の作用しか考えていないと「人間は脳すら身体をちゃんとうごかせていない、何が本当に人間を動かしているのか。そもそも人間はマリオネットにすぎないのか」と考えてしまうかもしれません。

しかし、「魂」の作用を考慮する私は次の様に考えます。


そもそも、人間の身体は本質である魂が動かしている。

しかし、単純に魂が脳に作用して「人差し指を2cm上に動かすニューロンに作用する」ということは考えにくい。

理由は単純で、身体にいくつあるかも定かでないほどの多くのニューロンから、「たった一つ電気信号の入力の入り口と出力の出口」を特定するということが難しいからだ。

しかし、その時に、魂が動かす特定の筋肉に作用して「動かす筋肉に電位を起こして、出力先を確保し脳で作用させるニューロンとの間の経路を特定する」ことができれば、そんな難しいものではないのではないか。

人間の本質は魂なのだから小難しい「どの神経にどの様な作用を起こせばこう動くという計算」はあまり得意でないはず。

だから、筋肉をどうのように動かすのかという「結果のイメージ」とイメージから逆算した「筋肉の電位の活性化 」と活性化した電位に誘導された「筋肉のに実際に作用せる脳の神経からの入力」の3セットが揃って人間は普段身体を動かしているのではないだろうか。


どうでしょう。

この考えが正確に合っているかは解りません。

しかし、「脳」「遺伝子」に加え「魂」まで考慮すると「人間が動く時、脳より先に筋肉の方が動く」という研究結果を全く違うように理解するようになります。


更に例を挙げます。


人間の容姿は遺伝子や環境できまるという考えがいまの世の中では主流です。

最近では「脳」の作用で遺伝子をかえるという「潜在意識で容姿を変える」ということも民間から上がってきています。

しかし、私は「魂」の作用が人間の容姿に強く影響を及ぼしていると考えています。


他の記事でも書いていますが、人間の容姿の一貫性を保つということを考えた時に「遺伝子」と「脳」だけでは不十分だと分かったからです。


遺伝子は主に身体を構成するタンパク質の設計図です。

脳は身体の様々な作用を制御します。

これだけでは、今日の自分と5、6年後の自分の容姿に一貫性を保つことが出来ません。

遺伝子で内蔵や身体の構造が決まるので、人間であり続けることあh出来ます。

脳が身体を制御するので、ホルモンバランスなどを保って性別や細胞の生まれ変わりを安定させます。

しかし、「左右の眼がどれくらい離れているか」とか、「耳の形」だとか「顎のライン」などの「顔立ち」は遺伝子や脳がコントロール出来る領域ではありません。

顔立ちをタンパク質の設計図で決定したり、脳による身体の制御だけで一貫性を保つのは無理なのです。

そう考えた時、「魂」という第3の要素が容姿の一貫性を保ち、ひいては容姿を決めるのに何かしらの働きをしているのではないかと思ったのです。

そう考えてまず、「魂」についての考察で得た「魂は場の歪みで物質の構造を転写する」という考えに注目しました。

物質の構造が魂に転写されるのなら、転写されて構造は「魂と重なり合っている身体の構造」に影響をおよぼすのではないかと考えました。

むしろ、物質の持つ物理構造と魂の場の歪みの論理構造は互い影響を及ぼし合っていると考えるのが妥当ではないか。

そう考えました。

そして、魂が容姿に及ぼす影響をコントロールする「潜在意識で容姿を変えるの話」の記事を書きました。


如何でしたでしょうか。

もしかしたら、脳や遺伝子など人間の身体を研究する最先端の科学者たちは、もうなにかしらの「新しい要素」を考慮しないと人間の身体をあれやこれを説明できない所まで来ていると気づいているのかもしれません。

まあ、これは全部仮説なのですけれどもね。

では以上になります。

ではでは。




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無意識の行動はあなたの本心?とんでもない間違いです!

こんにちわ、dokubo_toshoです。

--記事の更新をしました。タイトルの表記ミスを直しました。 2017/10/17


今回の記事のタイトルは「無意識の行動はあなたの本心?とんでもない間違いです!」になります。

タイトルの通り、あなたの無意識の行動、つまり「潜在意識の中で自動化された反応」はあなたの本心でもなんでもありません、それは殆どの場合「単に過去に学習したもの」というだけなのです。

では詳しい説明にはいります。


あなたの潜在意識は、おぎゃあと生まれてから(あるいはモット前から)今の今までに、ありとあらゆるあなたの行為という経験を蓄積してきました。

その行為の中には、めったに行うことのない行為から、非常に高い頻度で行われる「お決まりの行為」というものまであります。

この「お決まりの行為」(行為というのは行動、感情、思考、その他諸々を含みます)は、あなたがその都度「よしやるぞ」と息巻くこと無くできるようになるために考えなくても出来る、つまり無意識でも出来るように「自動化」されています。

この「潜在意識の中で自動化された行為」を人は「無意識の行動」として認識しているのです。


そして、精神分析の大家であるフロイトやユングの時代に、人々にこの「無意識の行動」は「人が顕在意識の中で認識できない、本心からの行動」として考えられる様になっていました。

それは、当時の神経症の患者が起こす問題行動を「潜在意識の本心を、顕在意識が抑圧していたから起こった」と考えたためです。

しかし、現代になって、実際の人間の脳というものを研究分析してみると、当時のユングやフロイトの考えは大きく否定される部分が出来てきました。

その中でも「無意識の行動はあなたの本心である」というのは非常に、人間の生活を苦しくしてしまっていた大きな間違いなのです。

それは、ただ単に過去に学習して、脳に刻みつけしまっただけの自分で望んでいない行為を、他人から訳知り顔で「それがお前の本心なのだ!おまえはそういう人間なのだ!」と自分勝手に断言されてしまうからです。

多くの間違った常識を信じ込んでいる人たちは、この訳知り顔の断罪を「本当はそうなのかも」と納得してしまっています。

そして、「自分の評価を低めてしまったり」「自己嫌悪や自己不信に落ちってしまっています」。

これはいけません。

無意識の行動は「あなたが過去に学習した刺激→反応」のプロセスにすぎません、変えられるしそれはあなたの魂から大脳新皮質を経由して行われる本心からの「意識的な行動」ではありません。

潜在意識の中で自動化された行動は常に「過去に築いた刺激→反応」のプロセスです。

それが、「現在のあなたの本心と一致」していれば良いのですが、「現在のあなたの本心と不一致」なのであれば、「変える必要があるし、変えることができるし、変えちゃっていい」のです。

その時に、あなたは「過去の自分と現在の自分の一貫性がない」ことをすこし嫌な気持ちにさせられるかもしれません。

しかし、さまつなことはともかくあなたの「アイディンティティ」は同一です。

よく勘違いされていますが、「アイデンティティ」は他者と自分を区別するもんではありません。

他者と自分は単純に違うものです、区別など必要ありません。

「アイデンティティ」は過去の自分と現在の自分との同一性を担保する核の部分のことです。

あなたは、過去ギターが趣味であれ、今はそうでないのであれ、過去の自分と現在の自分を同一のものとして認識しています。

それは、好みとか趣味とか性格とか顔形とか付き合う人間とかで同一とみなしているのではありません。

そういう周辺部分ではなく、あなたの核つまり「意識」が同一であればそれは自分なのです。

つまり、あなたのアイデンティティは「あなたという意識」であって、他の何者でもありませねん。

他人から、過去の自分と変わったよう見られること、それを批難されることはは他人がそれを分かっていないからそういわれるのです。

他者から、「アイデンティティ」以外の部分も常に一貫していることを求められても、「くそくらえ」と思ってください。

そのような人間は、あなたの無意識の行動が変わって、あなたがよりあなた自身が望む人間になることを否定する「ワガママな人間」ですので。

そのわがままは聞く必要はないのです。



また、この「潜在意識で自動化された行為(あるいは反応)」を自分の本心と区別してまえないために人はテレビやCMやサブリミナル(閾下刺激)について正しい理解ができなくなってしまっています。

例えば、サブリミナルの実験に次のようなものがあります。

映画を見ているお客さんに対して、人間の認識できないくらい短い時間「コーラの映像」を映画の途中ではさみます。

そのときに、お客さんは「実際コーラの映像を見たと認識できない」にも関わらず、映画後のコーラの売上がかなり増えたのです。

この時に、サブリミナルは人間の行動をコントロールできてしまうと大げさに考えてしまうと、怖いものになってしまいます。

この、サブリミナルが効く仕組みを理解すれば、すこし勉強になるのと同時にサブリミナルの本当の使われ方が分かっててテレビやCMに対して防衛策を講じれるようになります。

では少々説明をば。

人間の思考の中には、自分の意識で脳をコントロールして、「音を鳴らす、随意の思考」をしているものと、自分の意思ではなく何らかの作用の影響の「音が鳴ってしまう、不随意の思考」が存在します。

多くの人は、自分の頭のなかで音が鳴っている時にそれが「自分が鳴らしたもの」だと考えています。

しかし、「脳の同調・模倣・共感システム」を利用して、他人の思考や感情が自分に影響したり、「繰り返される事によって、植え付けられた反応」や「認識の隙間をぬって、他者が意図したもの」が音やイメージとして再生されることはかなり多いです。

なので、あなたの思考は「全て自分自身の意思で行っているとは限らない」のです。

サブリミナルの技術は、「人間が認識できない刺激」を与えることによって、「刺激からの反応が頭の中で再現される」ことによって、「その頭の中で再現された思考やイメージ」を「自分の意思で行った思考やイメージと勘違い」されることによって行われます。

例えば、「コーラの映像を認識できない時間見せる」ことによって「何故か、コーラの映像やコーラという言葉が脳内に浮かんでくる」ことによって「自分が起こした思考だと勘違いして、自分がコーラを欲しいと勘違い」して映画が終わったあと「コーラを買うと決める」、という一連の流れのために起きるのです。

サブリミナルでは、あなたをコーラを欲しい気持ちにさせることは出来ませんが、「コーラを欲しいと勘違いさせる」ことは出来ます。

サブリミナルだけではありませんが、多くのテレビ番組テレビCM、マスコミはこの「あなたに車などを欲しいと勘違いさせる」ための技術を、長年の試行錯誤の中で体得しています。

それは、「この技術で騙してやろう」と考えている人から「このようなCMをやると売上が上がるのを経験的に知っているだけ」という人まで様々です。

テレビ番組やテレビCMはお決まりのパターンや、ステレオタイプの行動や、刺激と感情のを組み合わせることによって、あなたの潜在意識に「刺激→反応(思考や感情など)」や「ある種のイメージ(実際に存在しない、虚構のイメージや、ねばらなぬといった幻想、世間に対する間違った印象)」を植え付けようとしています。

植え付けることによって、あなたの本心とは違っている「単なる自動化された反応」を「あなたの本心や、実際の行われている真実」だと錯覚させることによって、あなたの行動をや思考をコントロールしようとしています。(あるいはそれを無自覚にやっています。)

認知科学者の苫米地英人氏が言っているように、「テレビをぼっーっと見ていると」知らず知らず内に「潜在意識の反応」をコントロールされてしまい「洗脳されてしまう」ことになります。

ただ安心して欲しいのは、サブリミナルやテレビCM等の洗脳は「あなたの潜在意識」をコントロールできてしまいますが、あなたの本心つまり「意識的思考」はコントロールできません。

ただ、非合法な薬物を使って「あなたの前頭前野や大脳新皮質」をボロボロにされてしまうと、あなたの「大脳新皮質は、あなたの魂からの入力を受け取れなくなる」ので意識的思考ができなくなってしまいます。

しかし、あなたの意識的思考の大元である「魂」は無傷ですので「脳を再生するか、一度死んで生まれ変わる(そんなことを期待しては行けません)」ことをすれば「あなたちゃんと自分の意識で思考する自由意志を物理世界で発揮できる」ようになります。

まあ、TVというのは虚構の世界ですので、娯楽として楽しむ分には良いですが、調度良い適切な態度をとれないと洗脳されることもありますよということです。



いかがでしたでしょうか。

「無意識の行動はあなたの本心?とんでもない間違いです!」の記事は。

よくあるのが、つい本心でないのに「他者を見下してしまった」時、「あなたは本当はそんな人間だったのね、がっかりだわ」とか「本当は君は人を見下していたのだよ、君は本当はそんな人間なのだ」とか漫画の金持ちキャラクターが言われたりします。

「なわけねーだろ」です。

それは単に「あまりに周りの人間がへりくだりすぎて、不意に出てしまった反応」でしかありません。

人を見下したいと思っている人間は「ちゃんと普段から人を見下しています」。

見下した原因は「金持ちくんの心」ではなく「周りの人間の卑屈な言動を反射した」だけです。

これはサブリミナルというか「脳の同調・模倣・共感システム」のなせる技ですね。

なので、上記の様な表現をする漫画は、読んでいると「わかってないな~」とちょっぴり微妙な気持ちになります。

意外と知られてないので、変な間違いをする人が結構多いです。

では今回の記事は以上になります。

ではでは。



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並行現実への移行に関するあれやこれ

こんにちわ、dokubo_toshoです。

今回の記事は、オカルト界隈でまことしやかに囁かれている並行現実の話になります。

--記事を更新しました。2017/10/17


噂によると現実世界はいくつも平行して存在していて、人間の意識はその平行現実を移動できると言われています。

タイムリーパーの存在がネット上にまことしやかに囁かれていたり、スピリチュアル界隈でも言及されています。

では、そのような並行現実は存在しているのでしょうか。

そして、それはどうのように並行現実間の移動を実現しているのでしょうか。

並行現実はあるという仮定で考察してみます。


まず、異なる現実が在るということは、異なる宇宙が在るということです。

異なる宇宙は物理的実体をもった実際に存在する物理的存在です。

決して、意識が作り出している不可思議な幻想ではありません。

おそらく、現実と並行現実はだいぶ物理的に近いはずです。

殆ど重なり合っていると考えられます。

重なり合っているが衝突しないということは、ある種の階層的な構造により、互いに別階層に存在しているのでしょう。

単純に、鈴木ビルという建物があったとして、私のたちの現実は1階に並行現実は2階とか3階に在るということです。

私たちの現実が1階に並行現実が2階にあったとしても、同じ鈴木ビルという建物が存在している座標にあるという理解です。

同じビル内であれば、エレベータやエスカレータによって並行現実間を移動できるのではないでしょうか。


また、全ての物体は互いに異なる波動を持っています。

仮に、Aさんが買った1個130のりんごと1個490円のりんごがあったとします。

それらが全く同じ波動をもっていれば、全くのコヒーレントであり(完全な同位相)、2つのりんごを近づければ完全に重なり合ってしまいます。

しかし、現実にはそれはおこりません。

2つのりんごが重なりあって存在しないのであれば(つまり近づけてもすり抜けずに、衝突し反発するのであれば)、2つのりんごは互いに異なる波動をもっていることになります(つまり、完全な同位相ではない)。

つまり、テーブルの上にコップを置いてもすり抜けず反発しているのは、テーブルとコップが異なる波動を持っているからです。

2つ以上の宇宙が合って、それが物理的に近く、且つ衝突しないのであるのなら。

別階層に存在して且つ、殆ど同じ波動を持っているはずです。

つまり、階層を特定するための情報が違うだけで、殆ど同じような物理法則と波動のはずです。

つまり、ほとんど重なり合っている同じような波動の宇宙が、微妙に階層がずれて複数存在しているということです。


では、並行現実間の移動はどのように行われるのでしょうか。

先ずは簡単な認識の確認から。

例えば、先ほど例に上げた鈴木ビルにおいて、エスカレータなりエレベータなりで階層間の移動ができたとして、
1階からエスカレータに乗ったら2階の特定の場所に出ます。

また、1階からエスカレータにのって、2階に昇ったらそこに2階への入り口(簡単にいえばフロア間の穴)が存在していなければエスカレータに乗っても2階にはたどり着きません。

これと同じことが、並行現実間の移動でも起こりうると考えられます。

単純に、Aという現実ではあなたは自分の家のトイレにい居ます。

しかし、Bという現実のあなたは自分の家のキッチンに居ます。

AとBが重なりあっていて、意識がそれらをスライドするように移動できたとしても。

Aという現実のあなたがトイレに居る限り、Bという現実でのあなたとの物理的な距離は遠すぎます。

あなたがトイレの中でどんなに頑張ってBという現実に意識だけ移行しようとしても、エスカレータの出口がふさがっているようなもので決してBという現実には移行できません。

しかし、家の中でいさえすればAという現実とBという現実のあなたの3次元座標(X Y Z)が重なるタイミングがあるはずです。

そのタイミングで階層座標(仮にK)をAからBに書き換えられればあなたの意識はAという現実からBという現実に移行できるはずです。

あたりまえですが、Aという現実とBという現実でのあなたの生活は完全には一致していません。

しかし、おそらくですが、極稀にAとBのあなたの座標が一致するタイミングが在るはずです。

そのタイミングであなたの階層座標を書き換える事ができれば並行現実間の移動が可能になると思います。

おそらくそのタイミングでエネルギーが近づくと、別世界のあなた(これは完全に別人です)の記憶や思考に強く同調して記憶の混濁や意識障害を生む可能性があります。

時間は相対的な変化量で観測するものです。

時間とは1次元ベクトルで表わされるようなものではありません。

現在の過去から未来へ時間が流れるというものは一種の幻想みたいなものです。

そのため、現在のスピリチュアル界隈では全ての時間は同時に存在しているなどと言う方がいます。

しかしそれは、うそです。

確かに、時間は相対的な変化量の観測でしかありません。

しかしそれは、1999年1月1日と1888年3月8日が同時に存在するということを意味しません。

宇宙は今ここにしかないというだけで。

1つの宇宙の異なる在る瞬間が同時に存在するまではいきません。

ではどう言うことか。

それは、単純に異なる宇宙が複数あり。

Aという宇宙で西暦1988年3月2日なタイミングで、Bという宇宙で西暦2016年4月2であるという事が起こりうるというだけです。

もし平行現実を認識でき移動できる存在がいたとして、それゆえに異なる時間の似たような宇宙が複数あるという事を発見したとしたら。

全ての時間は同時に存在していると勘違いしてしまうかもしれません。

しかし、Aという現実の1988年3月2日はBという現実の1988年3月2日と同一ではありません。

どんなに似ていたとしても、事実として別のものです。

世界は広いですから、似たような平行現実が何百何万もそんざいしているかもしれません。

しかし、それぞれの並行現実はどんなに似通っていたとしても、別々の独立したものです。

そこらへんを勘違いしてしまうと、すべての時間は同時に存在していると思ってしまうかもしれません。



 
いかがでしたでしょうか。

並行現実というものが存在しているという仮定で考察をしてみました。

実際はどうかは解りませんが、宇宙がすべての大元である存在質(あるいは神とか大霊とか、グレスピとかなんでもいいのですが)の経験したいという欲求から生まれたとすれば、自分(分け御霊とか、スピリットとか、魂とか意識とかなんでもいいのですが)の生きたい現実を生きれる仕組みが根本として宇宙に存在していてもおかしくないのかなとは思います。

実際の所どうなんでしょうね。


では今回の記事は以上になります。




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意識の周波数が変われば、フォーカスする現実は同時に変わる

こんばんわ、dokubo_toshoです。

--記事の内容を更新しました。2017/10/17

今回の記事は、意識の周波数を変えることの重要性と、それに関する理論のご紹介です。

あなたの意識(あるいは魂)は在る周波数で振動しています。

というか、すべての物は固有の周波数で振動しています。

あなたが、このブログの記事を読んでいる時にはあなたの意識はあなたの身体に周波数をを合わせています。

これを、意識を肉体の周波数にフォーカスすると言います。

フォーカスする理由は単純で、周波数が一致しなければエネルギーのやり取りが出来ないからです。

例えば、あなたの意識はあなたが寝ている間はあなたの肉体に意識をフォーカスしていません。

フォーカスしていないので、あなたの肉体で発生する諸々のエネルギーは受け取れません。

なので、その間、あなたの肉体の感覚器では発生するエネルギーをシャットアウトするので、見えないし聞こえないし臭わないのです。

ちなみに、その間はあなたの意識は周波数を宇宙の根の方に(つまり存在質に近い方へ) 合わせるので寝ている間に高次の世界と交信したり、あるいは存在質のエネルギーを補充したりしています。

あなたが今この記事を読めるのは、視覚神経がパソコンのディスプレイを発するエネルギーを受け取れること、つまり網膜の細胞の周波数が可視光の周波数と一致していることと、あなたの肉体の周波数とあなたの意識の周波数が一致していて、網膜で発生したエネルギーをあなたの意識が受け取れることが条件です。

そして、このディスプレイの発したエネルギーを受け取る網膜の細胞の周波数や、あなたの意識の周波数は可変なのです。

網膜の細胞の話は置いておきます。

あなたの意識の周波数が変わると、あなたが今までフォーカスしていた肉体からエネルギーを受け取れなくなります。

なぜなら、周波数が一致しなくなるからです。

でも、あなたの意識は周波数を毎瞬毎瞬変化させています。なのに、肉体にフォーカスできなくなって何も見えなくなるということがありません。

それは、あなたの意識の周波数が変わるは、フォーカスする現実が変り、その現実に存在するあなたの肉体にフォーカスしているからです。

あなたの意識の周波数が変わることは、あなたの意識がフォーカスする肉体が変化するということです。

そして、その肉体が存在する現実にフォーカスするということです。

意識→(フォーカス)→肉体→(存在)→現実

見たいなイメージで考えるとわかりやすいかもしれません

ちなみに、あなたの肉体とあなたの肉体が存在する現実は、基底の周波数が一致しています。

つまり、あなたは意識の周波数が一致している肉体の基底の周波数が共通する現実を体験するということになります。


最近のスピリチュアルで意識の周波数を変えることが、体験する現実を変える事になるというのはつまりこういう事になります。

また、その時に現実が変わるのを待つのではなくあなたの意識を先に変える必要があるということは次の理由からです。


あなたがもしAという現実の肉体にフォーカスしているなら、あなたの意識とAの周波数がもちろん一致しています。

そして、そのAという現実であなたに面白くない事がたくさん起こるとします。

その時に、そのおもしろくないこと体験するあなたはもちろん意識の周波数がAという現実と一致しているからということを知らずに、世界よ変われという思っているとします。

しかし、あなたの意識の周波数は変わっていませんのであいも変わらずAという現実で面白くないことを体験して、Aの周波数と強く同調していくことになります。

しかし、あなたの意識をまずBという現実の周波数の変えることにしたらどうなりますでしょうか。

まず、AとBは周波数的にあまり変わりはありませんが、別の現実です。

ちょっとだけ、Aという周波数から離れた現実を体験する事になります。

別段わかりやすい変化はありません。

しかし、この調子でちょっとづつ自分の意識の周波数をAとは違う好みの現実の周波数に変化させていくとどうなりますでしょうか。

A→B→C→D→E→F

といった具合に、あなたの意識の周波数を自分の望みの方向にずらしていくと、段階的にフォーカスする現実が変わっていくことになります。

AからBに変わったくらいではほとんど変化をせずに、相変わらず面白くないことを体験することになるとは思いますが、その調子でGくらいまでに周波数変えることができると、Aともかなり周波数が変わっていくことになるので、体験する現実も大きく変わっていくことになります。

そうすると、面白くないことはだんだんと減っていって、面白いことが起きるようになります。

 
 現実が変わる前にあなたが変わる必要があるというのはつまり、こういうことなのです。


 ちなみに、このことを理解するにはパラレルワールド理論を理解する必要があるので、ある程度科学が発展していって、パラレルワールドの存在を認識することができるようになるか、あるいは大麻などを使って変性意識状態になって別の周波数の現実をのぞき見できるようになることでしかしっかりとした理解はできないでしょう。

今は科学が発展していってパラレルワールド理論も提唱されるようになっているので、多くの人がこの認識にいたれる可能性が十分にあるのです。

以前はこのような理解でしたが、現在ではパラレルワール間の移動は原理的に生きている間は行われないと推察します。

 

まったく完全に肉体の生命活動が停止して死なないと、そのような自体は発生しないでしょう。

 

量子力学のエフェレット解釈はマクロの世界には通用しないと思われます。

 

ただ、交通事故で死んだ人などはどっかのパラレルワールドに魂だけ移動したり、ブラックホールに吸い込まれて死んだ人間が肉体だけ自分の世界に残して魂だけ別宇宙に移動してしまうことがあるかもしれません。

 

世の中には全く別の世界で生きていたと主張する方たちが一定数います。

 

そのような方たちは基本的に病気を発症されていると思われていますが、おそらく別世界の人間が何らかの切っ掛けで死亡してこの世界の人間に憑依してしまっているだけだと思われます。

 

そのような人間は別世界の人間の記憶というのを簡単に受信してしまうのことが予想されます。

 

物理的にも魂的にも別人になっている可能性は大いに低いでしょう。(なきにしもあらずとは感じますが)

 

何らかの切っ掛けで赤の他人(自分と非常によく似ている)の記憶が勝手に思い出されてしまうのは非常に怖いことですが、自分自身の記憶ではないので本人は単なる記憶障害の可能性があります。

 

これからの世の中はこのようなサイキック現象からの防衛策も議論していく必要があると思われます。



いかがでしたでしょうか。

スピリチュアルで言われる、まずは自分自身を変えなさい、という言葉。

具体的に、なぜまずは自分自身を変える必要があるかということを説明しました。

この理論を深く理解すると、あらゆる物事に応用できるので色々捗りますよ。

では以上になります。




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願望実現におけるイメージングについて

こんにちわ、dokubo_toshoです。

今回の記事は、願望実現法におけるイメージングについてになります。

---内容を更新しました。2017年10月14日

曰く、願望を実現させたかったら、願望がかなった状態の自分をありありとイメージして感じれば良い。

このイメージングについて、色々な意見があると思いますが、何故イメージングをしたら願望を叶える事ができるか理屈を考察していきたいと思います。


まず、ポイント1。

ありありとイメージした、自分の願望がかなっている状態は多次元的な宇宙においては、すで「実在している」という点。

全ての想像がとは言いませんが、ありありとイメージできる想像というのは多次元的な宇宙において実在しているから想像できるのです。

 

これに関しては、宇宙のドコからか流れてきた電磁波を勝手に受信している可能性が高いです。

宇宙のどっかから流れてきた誰かの妄想や思考などを受信している可能性が高いです。

 

つまり、ドコかの星で文化として存在しているもしくはしていた可能性が高いです。

 

多次元という言葉を勘違いしていた可能性が高いです。


それはなぜか。

それは、そもそも人間の脳には未だ経験したことのない「願望がかなった状態の自分」のイメージをゼロから作り上げる事ができないから。

想像とはつまり、感覚器において前頭前野からの出力で、ある感覚情報を再現することです。

そして残念なことに、単なる肉体的なオペレーティングシステムである脳は、ゼロから経験したことのないイメージを作り出すことが出来ません。(自分の経験にあるものについてはイメージを作り上げることは十分に可能です。論理的思考というのは非常に重要になります。

単純な例として、コンピュータをつかって絵を描くことが出来るとは思いますが、 絵は誰か人間がゼロから作らなければいけなく、コンピュータが自動で絵を描くことができないのと一緒です。

コンピュータは勝手にアンパンマンを思いつくことが出来ません。

そのために、想像という行為は、前頭前野からの出力つまり、魂からの入力がなければ成されません。

そのときに、魂は宇宙のドコからから、すでに出来上がった状態の絵(イメージ)を受信することが出来ますあります

この受信したイメージは、すでに出来上がったイメージであり、宇宙のドコからか存在しているあるいはしていたイメージです。


つまり誰かの思考や想像や妄想や記憶です。

すでに実在しているあるいはしていた世界の情報を受信したのです。


ポイント2。

魂は、多次元的な宇宙を自由に移動できる。

魂は、存在質です。

とっても周波数が低いので、物理的にな宇宙をすり抜けることが出来ます。

すり抜けて、とどまりたい宇宙に周波数を合わせて、チューニングして、フォーカスして、その宇宙で活動することが出来ます。

多くの人は普段は意識できていませんが、その本質は魂であり、本質的に次元の壁を超えることが出来る存在です。

 

これの多次元宇宙という言葉ははパラレルワールド(並行宇宙)である可能性があります。

 

パラレルワールド間の移動が魂の状態では可能ではないのでしょうか。

 

普通に滅んだ文明とか色々あるでしょうね。また、交わらないからパラレルワールドなのです。

 

古代の魔術師(詐欺師)の生まれ変わりとかもいるやもしれません。

故に、魂が受信したイメージの世界がすでに多次元的(パラレルワールド)な宇宙に実在しているならば。

その世界に移動することが出来る(死んだら出来るかもしれないですが。それを望むのは非常に病気的です。現実を見ましょう。)。


ポイント3。

魂は、全く周波数を同じくする魂とであったら、完全に重なってしまうことがある。

つまり、すでに実在している願望がかなった状態の自分は、あなたの魂とは別物ですが、その魂と全く同じ周波数にあなたの魂が変化したら、元からあった魂の自由意志を損なうこと無く、体験したい状況を同じ場所で体験できる。唯識のアイディアですね。絶望的に危険な思想です。現代文明はこれを避ける必要があります。仏教とか仮想現実の考えは非常に危険だということです。そのような形で滅んだ文明の思想には同調しないようにしましょう

その場合は、同じ場所同じ人間として周囲には映るが、魂的には2つの魂が重なった状態。高次の存在にもエネルギー的に同一なので区別がつかない。(見た感じに区別がつかない物を同一のものとしてあつかう危険極まりない思想です。自分は意識だと思って死んでいった意識のバケモノたちの思想には同調しないようにしましょう)

もしあなたの魂だけが、ちょっと周波数が変われば、あなたの魂は重なっていた魂と袂を分かち、別の経験をすることができる。(このような考えをもっていて滅んだ存在は宇宙文明の中で多くいたのではないでしょうか。あるいは古代の地球にもです。)


 ポイント4。

ありありとイメージできたら、その状況にいる自分の感覚を体験しよう。

この感覚と言うやつが、高次の存在が散々パラ言っている「波動」です。

波動という危険な考えを信奉するのはやめましょう。

そして、波動というやつは多次元的な宇宙における「座標」のようなものです。

 

主観経験の科学を信奉したおぞましい文明は宇宙におおくいるのではないでしょうか。

 

そのような文明の発した電磁波を変な瞑想状態で受信している方たちがいっぱいいると思われます。

味わった感覚をあなたが記憶すると、あなたは多次元的な宇宙における自分の目的地(願望がかなった状態の世界)を潜在意識というナビゲーションシステムに登録したことになります。 

 

そのようなイメージを地球上に垂れ流す事によって地球全体が滅びに向かいます。

 

多くの方がそのようなイメージをインスピレーションで得ることになり無意識に誘導されていくようになります。

一端座標を登録すれば、あなたはこれ以上多重に目的地を登録したり、上書きしないように、二度イメージを味わう必要がないし、してはいけません。(自分だけに都合が良い妄想を世界に垂れ流さないでください

 

無意識のグローバル通信でイメージの共有が起こりやすくなるだけです。

 

あなたが望んだことは誰も望まないことであれば実現しません。しかし、多くの人が望むことであれば必要な協力を得られるでしょう。

そのあとは、日常生活の中にイメージしたこと忘れて生活していても あなたの魂は徐々に目的地へと導かれていくでしょう。

 

身体をもってそれを体験します。

 

イメージと全く同じ状況は起こりません。

 

似たような状況に自分が所属する集団を誘導します。

この時大事なのは、目的地への行き方をしっているのは、あなたの顕在意識ではなく存在意識なので、直観に頼ることが重要になってくるという点です。(非常に魔術的な考えです。悪意(自分さえ良ければ良いと言う考え)をもって行われれば非常に危険です。いずれ必ずしっぺ返しを受けます。


ポイント5。

いくらイメージしても、体験できないこともあります。

 

当たり前です。自分が世界をコントロールしたいという思想は捨てるべきです。

 

自分が特別な存在だという優越感を生み出すような思想には同調しないようにしましょう。

 

ただ、純粋に社会貢献をしたいという考えや現実を直視するという考えをもっているならばそような愚かな考えに同調しないので大丈夫です。

いくらありありとイメージしても、現在の自分より過去の世界はいくら潜在意識のナビゲーションシステムが優秀でも行くこと出来ません。

なぜなら道が続いていないから。(ただ、上級者だけが扱える裏技があるが、多くの人にとっては無用なもの)

また、現在全財産200万円のフリーターが、三秒後の全財産1億円の自分を想像できたとしても、それは道が続いていません。

それは妄想です。


あくまで、多次元的に宇宙の中現実の地球で、現在地から行くことが出来る場所にしか行けません。

道が続いていないのに無理やり行こうとしたら、行き止まりから動くことができなくなってしまいます。 

道が続いていないのに、無理やり行こうとする人に対しては「現実をみなさい」としか言いようがありません。


ポイント6

結局、理性を使って、努力する必要もあります。

もしあなたが、全く料理ができないのに、高級和食料理屋の大将になった自分なりたいなら、料理修行は結構たいへんでしょう。

ナビに登録したら、そのあとはちゃんと道路状況や標識や対向車が居ないかなど、ちゃんと現実の状況をみて目的に向かう必要があります。

暇があればイメージングして、願望をかなった状態の自分をイメージする流派もあります。

しかし、夢(イメージ)を観ながら車を運転していれば、それは居眠り運転です。

事故を起こす可能性もあり、下手すりゃ車はスクラップ。良くて、迷子です。

ナビの支持に従いながら、道路状況をよく確認して、運転しましょう。 

ナビの指示はそんなに細かくないことが多いです。

頭を使って、あいまいな指示を現実の道路状況にどう具体的に当てはめる必要があるか、なんてことをウンウン唸ったり。

しばらくナビの指示がない状態で、道路状況をよく観て自分の頭で考えて運転する必要が出てくるでしょう。

 
ポイント7。

思考のエネルギー密度は行動のエネルギー密度よりだいぶ低い。

イメージングをして、感覚を味わったあとは、実際に目的地を目指す必要があります。

そのためには、アファメーションをしたりして思考を変える必要がある方が多いでしょう。

思考を変えて、潜在意識の古い思考パターンを変えて、願望が叶った状態の自分に相応しい思考パターンを身につける必要があります。

ただ、この状態でとどまってしまうといくら待っても願望は実現しません。

思考を変えることは重要です。というか、思考は第一に帰る必要があり、これをしなければ願望は叶いません。

しかし、思考を変えただけでも願望は叶いません。

行動しなければいけません。

高次の存在という呼称を使う存在=非常に魔術的な存在ほどに成ればなるほど、思考=行動になってきますが、現在の私たちには、思考と行動の間には大きなギャップがあります。

ただ、魔術的な能力によって集団の同調率が高めている社会自体は悪ではありません。


非常に古い社会だということです。


このギャップの所為で、思考即行動とは行かないものです。

思考が変わっても、行動が変わらないと現実は動きません。

なぜなら、思考のエネルギー密度は行動に比べてだいぶ低いからです。

密度が低いので、あまり大きなものを動かせません。

脳神経や小規模のエネルギーに影響をあたえることは十分可能です。しかし、固く重たい物理的な現実を動かすには、思考ではなく行動レベルのエネルギー密度が必要です。

なのでめっちゃ危険です。

ためしに、目の前に鉛筆と紙を用意して思考で「どらやき」と書いてください。

もちろん書けませんよね。 

ですが、手を使えば簡単に書けます。

このように、思考と行動ではエネルギー密度が雲泥の差なので、思考だけで現実を動かそうと、願望を実現しようとしても、うまくいかないことがほとんどです。

そいうことをしてばっかの存在がものすごく危険なのです。

(ただ、波動が上がってくると思考のエネルギー密度は上がってくるし、現実が柔らかく軽くなってくるので、思考の重要性が上がってきますが )

 

つまり、思考による集団に対する無意識のコントロールがより容易になってしまってきてしまいます。

ちなみに、行動と書いてますが、ブログを書く、本を買って読むというのも立派な行動ですので、外に出て新しいことを始めるという大きな行動以外の小さな行動も重要です。

ポイント8

失敗なんてないんだよ。

 

手痛い失敗から学ぶというのが非常に重要な人間の成長になります。

try and refine。

長い目で見ればそのとおりです。


6~8は補足なので、1~5の様な理屈が前提にあって、イメージングは成り立っているのではないでしょうか。 

イメージングで願望実現した方は結構いるみたいなので、上手くいった方と上手くいっていない方の差は上記の前提に反していないかどうかなのかもしれません。

今回の記事は以上になります。

ではでは。 



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陰謀論の正体:イルミナティ、フリーメイソン

こんにちは、toshoです。

 

今回の記事は、「陰謀論の正体:イルミナティ、フリーメイソン」になります。

 

最初に行っておきますが、イルミナティやフリーメイソンというのは悪の団体でも邪悪な支配民族でもありません。

 

単なる宗教です。

 

例えばです、フリーメイソンというのは元々は建築士であり石切職人達の集団です。

 

彼らは古い時代において、高度な電磁力学について熟知していた人たちです。

 

石や鉱物といういのは、あたりまえですが電磁波がぶつかれば反射します。

 

人間が思考するときに発した電磁波というのも、石材を多く使う建築物内では反射し続けその建物内に電磁的なエネルギーが滞留していくでしょう。

 

古代の時代に、そのような石材やより電磁波を滞留させたり増幅させたりするような建築方法を発見して研究した人間がフリーメイソンの始まりでしょう。

 

そのような人たちはいわゆるヨーロッパの石畳に文化の中で非常に高度な電磁力学・建築法・高度な霊的法則について研究・研鑽してき、その有用性が認められ当時の階級社会では比較的に裕福な暮らしや階級に所属していたと思われます。

 

例えば、エジプトのピラミッドなどは、電磁力学的に内部で発生した電磁波を外に逃さない工法になっていると予想されます。

 

そのような場所が瞑想しながら思考すると過去にその場で瞑想していた人間の思考で発した電磁波と言うのは受信しやすくなります。

 

つまり、王家の人間に代々特殊な儀式的なやり方で知識を伝達していたのでしょう。

 

また、そのような時に特殊な方法で変性意識状態になり、ドーパミンがどばどば出ていると非常に明瞭にイメージできたり思考をキャッチできるので、特殊な瞑想方法なども開発していったのでしょうね。

 

そのピラミッドと同じように、フリーメイソンの方たちは建築学と電磁力学や霊的な法則などについて古い時代から連綿と知識を研鑽・研究・継続してきた方たちです。

 

古い時代に叡智を連綿と受け継いできた人たちでしょうし、そのような事が可能だったから非常に重宝されていたと思われます。

 

そのような文化があるたんなる宗教団体なので陰謀論的な物はあまり関係ありません。

 

次にイルミナティですが、これはフリーメイソンの出身の方が魔術的な教義を学んで独立していった団体だと思われます。

 

魔術的な教義とは、つまり西洋の魔術。中東の魔法(アラジンと魔法のランプとかそういうやつ)とか、インドのバラモン教から派生した密教団体、原住民族のアミニズム的な儀式とかです。

 

つまり、イルミナティはフリーメイソンより魔術的な宗教団体というわけです。

 

でも、ただの宗教団体です、現代社会では信教の自由が保証されているわけですから特に問題にしないでいいでしょう。

 

ただ、そのような魔術的な教義を連綿と受け継いで来てはいますが、魔術的な考え方についてそんなに詳しくないそれどころか無知すぎるということでそれが問題なのです。

 

魔術的な考え方というのは、つまり礼儀作法(マナー)の文化であります。

 

ある特定の礼儀作法により、その礼儀作法を採用する人間たちの間で電磁波を互いに受信しやすくなり行動や思考の同調率を高める方法です。

 

行動や思考の同調率を高める方法なので、集団の中で考えた思考やイメージというのがインスピレーションにて伝わりやすくなります。

 

つまり、金儲けばっかり考えている方たちの間ではその金儲けのやり方とかアイディがインスピレーションで共有されやすくなるのです。

 

また、そのような団体が終末論的思考をする宗教を採用している人が多いければ、集団全体が終末論的な思考に誘導されていってしまいますでしょう。

 

戦争が起こってでもお金を稼ぎたいと思っている方が多ければ、戦争を起こすような誘導を無意識的にしてしまうこともあるでしょう。

 

ただこれは、非常に完結ですが異民族同士では情報の共有は行われません。

 

単純に、遺伝的に同一もしくは比較的に近い生物でなければ松果体などの構造が違ってきますので受取りやすい電磁波の周波数帯が一致しないからです。

 

魔術的な教義とはつまり、礼儀作法の文化であり、民族的なものであり、ある特定の集団のためのものなのです。

 

つまり、つまりこれは、プロトコル(外交儀礼)です。

 

異民族間において、同一の礼儀作法を用いる事により、思考やイメージの共有が起こりやすくなるために用いられてきたもんであり、同一民族内で世代間格差を埋め合わせるために思考やイメージを共有しやすいように定められてきたものです。

 

たんなる宗教的な教義だったりするわけです。

 

ある集団が一緒に仕事をするために作られた集団プロトコルです。

 

イルミナティに所属する方たちはそのような思考やイメージを共有したり、行動や思考の同調率を上げるために、魔術的な要素をフリーメイソンの教義に加えて、魔術的(礼儀作法にうるさい)な宗教団体というわけです。

 

また、そのような方にユダヤ系の方が多いと言われるのは、やはり中東発祥の文化ですからユダヤ系の血が濃い人は思考やイメージの同調率が高くなるからです。

 

またこれは行ってしまえばとても批判と批難をうけると思われますが、ユダヤ系の血族が世界中に広まってしまうとそのようなユダヤ系のカバラ魔術文化を行う(つまりイルミナティのような、ユダヤ系の魔術団体)人達と思考やイメージの共有同調率が上がってしまうことが予想されます。

 

そうなると、イルミナティの魔術的な教義や儀式に対する影響力が(それに対して無知な人が多い中)世界的に大いに上がってしまいます。

 

第二次世界大戦のヒトラーによるユダヤ虐殺はそれを非常に恐れた結果行った可能性があります。

 

ナチスドイツは、遺伝学の研究で有名で、シンボルマークの鉤十字に見受けられるようにインドの密教的な思想の潮流が見受けられます。

 

密教系の文化に傾倒して、遺伝学の研究が勃興した、ヨーロッパ地域の独裁者は、ユダヤ系の民族の魔術(礼儀作法や文化)とイルミナティの方に支配者階級に多いことなどの裏に潜んだ大いなる陰謀や魔術的文化に対する無知を非常にお恐れたと思います。

 

もちろん、ユダヤ系民族の大虐殺が正しい行いだと思いません。

 

結果として、多くの善良なユダヤ人や全く関係ない人が殺されてしまった上に、ユダヤ系民族含む人類全体の集合意識(あるいは文化的なミーム)を非常に傷つけてしまった行為だったと思います。(当たり前ですが、ノー残虐行為です。霊的は意味は非常にあった行為だとは思いますが)

 

密教系といのは非常に怖いのです。

 

中途半端にそんなものを学んでしまうと、ゴミのように精神が汚濁されてしまうでしょう。

 

釈迦が偶像崇拝を禁じた理由がその一つだと思われます。

 

礼儀作法(マナー)は民族の同調率を高めます。

 

瞑想の姿勢とか、涅槃像とか、十字架の貼り付け像というのは、そのような姿勢をした人間の形をした人工物はその姿勢を通して見るものの思考や同著率を上げてしまいます。

 

もちろん、ハッキリ言って自分がそのような姿勢をすることだけでも同調率は跳ね上がり、より思考やイメージの共有が行われやすくなります。

 

人間は松果体のよる電磁波の受信が行われなくても、眼で見ただけで脳のミラーニューロンは反応します。

 

瞑想している釈迦の銅像を見るだけでミラーニューロンが発火した思考やイメージの共有が起こりやすくなってしまいます。

 

とくに密教系の教義を学んでしまった人たちの中には、古代インド人の末法思想や世紀末思想や頭の悪い唯識思想(全ては意識だと思いながら死んでいった非常に怖い妄想お野郎ども。そんな文明が宇宙にゴロゴロいたかもしれませんね)などの妄想をインスピレーションとして受け取ってしまうようになります。

 

昔の人が死ぬのが怖い怖いって思って、宗教にドハマリしていて虐殺とか強姦してたり、ハーレム妄想したり、文明的ではない教育を受けていない人が多くて、差別とか氏族主義とか階級社会とか形成していて、滅んだ宇宙文明の発した電磁波をキャッチしてクソな妄想垂れ流していたたりした人たちの思考を拾い易くなってしまいます。

 

特に密教系を中途半端に学んだカルト宗教は、古代インドや日本の古い時代の末法思想や、自分が所属する集団や文化や民族が滅んだ時に発せられた昔の人間の思念とかを非常にキャッチしやすくなります。

 

それを、インスピレーションで見て本当のことだとか未来そうなるとか、異民族を滅ぼさなくてはとか、その時代に自分の文化を守るために戦った人たちの英雄願望や選民思想などに同調してしまうようになります。

 

完全に病気です。

 

古代人の思考や文化的な侵略を受けて滅んでいった人たちの妄想や恐怖から発して電磁波結構地球上で滞留しています。

 

そんな物を影響をうけるのは怖いことなのです。

 

そんな事が、第二次世界大戦のヒトラーに起こってしまったのではないでしょうか。

 

地球上に滞留している危ない電磁波のお掃除がこれからの時代には非常に重要になってくると思われます。

 

また、日本などでは奈良時代に聖徳太子が広めたお香の文化が非常に危険であります。

 

聖徳太子の多くの人が言っている言葉を聞き分けてたとかそういう超人的な行為が出来たと伝わっているのは、お香による変性意識状態などを多用してためだと思われます。

 

中国から伝わったお香と仏教(あるいは密教)的な文化が花開いた、奈良以降の時代の管理階級の支配者層は洗脳的な方法を好んでいたと思われます。

 

仏像を作らせたり、寺を日本中に作らせたのは、そのような密教系の文化を自国の統治に利用したからではないでしょうか。

 

そのような時代には末法思想が広がり、死んだ後は生まれ変われるとかそういう思想で自分を慰めながら生きてそして死んでいった人が多くいた時代です。(非常に苦しい時代だったと思われます。いやですね、そういった飢饉とか戦争とか病気とかが多い時代は。統治者は非常に苦労したと思います。)

 

とても、苦しんで死んでいった人たちの発した電磁波が滞留している場所とか日本では結構あるので注意が必要です。

 

そのような場所に住んでいる、その時代の人達に遺伝的に近い人はちょっと変なインスピレーションが湧きやすいので全くもって注意が必要です。(人間は普通の人でもしょっちゅう幻聴を聞いているという研究もあるぐらいなので、まともな人も要注意です)

 

インスピレーションを信じすぎてもいかんのですよ。

 

100人に1人が統合失調症の時代です。

 

精神医学は非常にまだまだ研究が必要な学問ですが、変な声が聞こえている人はそんなもの気にせずちゃんとお薬を飲んで生活態度を整えましょう。

 

また、変な電磁波が滞留している可能性がある場所も多いので身の回りに土や植物を多く配置して部屋の湿度が多すぎないようように(大気内の水分率があがると電磁波がより滞留します。空気が乾燥しているとよりビンビン飛ぶようになりますがホコリ等があると電磁波拡散率も上がるのです。現代社会は携帯の電磁波や無線LANもビンビンとんでいるので、電磁波のジャミンングなども非常に多く行われていて、変な思考はキャッチしにくくなっているとおm割れます。)。

 

部屋にホコリが多いと、思考で発した電磁波が埃によって乱反射してしまうのでいつまでも滞留すると思われます、適度に掃除しましょう。

 

湿度が高いと電磁波が滞留しやすいので適度にエアコンで除湿しましょう。

 

自然の多い地域の大気の自由電子は土や植物に吸収されるので比較的には変な電磁波がたまりにくいです、なので地域に自然公園がある場所などを選んで住むのもいいでしょう。

 

変な電磁波が滞留している地域では、鉄筋コンクリートや石材を利用して家にすんで電磁波的な防護を施したりしましょう。(ただこれだと、思春期の子供がいる家庭などは、屋内に妄想の電磁波溜まりやすいですので、そのような子供がいる家庭は親が積極的に掃除や換気したり、霧吹きと新聞紙で窓を拭いたり、床の水拭きをしたり、埃を掃除する時に霧吹きを部屋にかけて、埃が床に落ちてから掃除しましょう。また、遮光カーテンは電磁波を遮断する効果がある物もありますから、そのような電磁波を遮断しやすいカーテンは効果を考えてから使いましょう。)

 

都会でマンション住まいの方多い理由の一つがそれかもしれません。

 

ただそのような家庭が多い地域は、家族間の思考やイメージの共有率が下がるので各家庭に独自の雰囲気とか文化とか教育が行われやすくなると思われます。

 

 

いかがでしたでしょうか。

 

陰謀論の正体を暴いてしまったのでしょうか。

 

まだまだ推測の段階なので本当のことだと信じ込みすぎるのも危険であります。

 

鵜呑みにしないで、自分の頭で考える癖をつけましょう。

 

こんなこと言っているやつがいるということでとどめておいて下さい。

 

単なる妄想ではないですが、個人的に考えているだけで証明も実証もされていません。

 

信じるか信じないかではなく、本当だと思うなら自分で勉強して検証しましょう。

 

 

イルミナティの方などは、自分たちの教義の魔術的な意味は教えれてはいるかもしれませんが実際の科学的理論やそれがどのような行為でありどのような影響があるのかなんて全くご存知のない方が多いと思います。(もちろんしっている方もいるかとは思いますが)

 

自分たちの宗教がどのようなものなのか知っている人なんていたら、さすが宗教を改宗する方が多いのではないでしょうか。

 

本人たちは非常に無自覚なのですよ。

 

ただ、そのような宗教で教えられた伝統を維持していると何故かうまくいくから、信仰しているそれだけだと思います。(ユダヤ系血族の人に金持ちが多いのもそういう理由だと思いますよ。民族的な伝統を維持している人たちは思考や行動が同調しやすいですので)

 

そして、そのような方たちは古代人の終末思想や、民族主義や、その民族が滅んだ時の思考や、そのような人たちがよくしていた空想や妄想などの電磁波をキャッチして信じ込む方が多く出てきてしまうのでしょう。

 

まったく、もって無知です。

 

これはほっといたら地球が滅ぶ案件です。

 

そのような魔術的な宗教団体からの防護方法としては、彼らが好む食生活や生活習慣や礼儀作法などを意識して避けるだけで全然全くもって十分です。

 

ただそれだけ、多くの人が彼らの魔術的な影響を避けることができます。

 

相手の土俵で喧嘩するなということです。

 

相手の土俵で喧嘩しなければ喧嘩は発生しません。

 

自分たちの土俵から出ていかなければ、魔術的な方たちというのは決して自分の土俵からでようとしないので喧嘩になりません。

 

そのようなやり方を好む人達が増えれば、イルミナティや密教やカルトなどの魔術的影響は次第に影響力を失っていくでしょう。

 

私としては信教の自由は個々人が持つ人類不変の権利だと思います。

 

個人の信仰に口を出すつもりは毛頭ありません。

 

文明人ですので。

 

ただ、自分が信仰している宗教がどのようなものなのかというのを知らなすぎる人が大勢いるので結構困りものだし、秘技の隠匿とかやっているのは非常に危険だということです。

 

無知が罪とまでは言いませんが、無知という厄介なのです。

 

今回の記事はいじょうになります。

 

ではでは~。

 

 


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色と感性と遺伝形質のアクティベーション:チャネラーの危険性

こんにちわ、toshoです。

 

今回の記事は、人間の「色彩感覚と遺伝的な形質の変遷:チャネラーの危険性」記述します。

 

 

人間は、おぎゃあと産まれてから生涯遺伝子というのは変りません。

 

しかし、その時々に発現する遺伝形質というのは生涯に渡って変遷します。

 

これは、食生活と生活習慣の影響で変遷が起こると考えられます。

 

たとえば、東急ストアのロゴの色は赤でしたでしょうか青でしたでしょうか。

 

記憶を辿って思い出そうとすると、よくわからなくって思い出せない人が大勢居ます。

 

これは、その人達が気づかない内に網膜の光受容体の感性が食生活や生活習慣、住んでいる土地などで変遷するためだと思われます。

 

簡単に言いますと、あるときには青に見えていたしあるときには赤に見えていたのです。

 

なので、記憶を辿って思い出そうとすると青だったような気もするし、赤だったような気もするのです。

 

各人の保有する遺伝形質やある遺伝形質を保有する人がおおい土地や民族などにより色の見え方すなわち光受容体の感性が大きく違います。

 

また、それは地域や世代、民族により偏差(かたより)が生じます。

 

色弱や色盲の方がいる事が一般に知られているために最近では色彩感覚の遺伝学的研究が進んでいます。

 

なので、現代社会ではそういった配慮がある場合があります。

 

例えばですが、多くの民族が共同で暮らす都会地域においては、食生活や生活習慣も様々であり変遷するので、道路の信号機が時々により見え方が変わってきてしまうので車の事故が単一民族が居住する地域に比べ格段に起きやすくなります。

 

なので、そういった大都会は信号機のライトを単色光のLEDに変更したなら、信号の見間違えによる事故が格段に減るはずです。

 

それは、自然光は複数の色スペクトルが合成されたもののために、その時時により網膜の光受容体の感受性が変わってくるので色の誤認や違和感が起きやすいからです。

 

単色の色スペクトルのライトならばそれが起きにくいです。

 

そのような光受容体の色感受性はその辺遷に多くの人が無自覚であり気づきません。

 

また、スピリチュアルなどでは網膜の色感受性の変化により自然光の見え方が違うのでどのような遺伝形質が発現しているかを光の見え方で識別しているのです。

 

しかしそれは、盛大な勘違いです。

 

光の見え方感じ方は発現している遺伝形質により左右されるだけであり、それより明るいほうが良いとかより穏やかな方が良いとかそういった区別は非常にナンセンスであり、どのような光の見え方がより霊性が高いとか、意識が高いとか神聖だとかは非常にナンセンス極まりないです。

 

また、統合失調症で過去世の人格や古い生物の発した電磁波を読み取って、食生活や生活習慣を変えて光の見え方がと色彩の感性がかわって喜んだり落ち込んだりしている方たちが非常に危ういと思えます。

 

生物学や遺伝学について無知すぎます。

 

そのような、より古い生物のつまり原種に近い生物に近い感性をこのむような方たちは、非常に現代人離れした奇妙な感性を発現していくので殴ってでも止めてあげたほうが良い気もします。

 

なぜなら、生物種として原種に近いより、ピュアな存在はそれだけ原始的だということです。

 

生物としての原始的な感性を高めるように自ら訓練していく方たちは生物の進化に反する非常に怖い考えをもっているといえるでしょう。

 

先祖返りを好むというのは非常に怖い考えです。

 

より獣に近くなるということなのですから。

 

別に進化した種である存在の方が偉いなどとは思いません。

 

しかし、生物の進化はより自然な流れですそれをむりやり捻じ曲げようと考えるのですから非常に摂理に反しています。

 

スピリチュアルな世界では、チャネリングなどと称して宇宙に拡散している生物が発した電磁波をその感受性の高さによりキャッチしてイメージなどに変換してメッセージとして発信する方が違います。

 

しかし、宇宙を飛び交い地球に届く電磁には、非常に古い時代の文明が発した電磁波と、比較的新しい時代の文明の発した電磁波があります。

 

あたりまえです、電磁波(光)の速度は有限なのですから。

 

そして、より古い時代の古い文明の発した電磁波を好んでキャッチしてしまう恐ろしい方が居ます。

 

そのような方がハッキリ行って統合失調症の方に多いです。

 

よくわからかない電磁波をキャッチして古い時代の文明のメッセージを受け取り、そのような文明にすむ生物種の好む食生活や生活様式をするように誘導され非常に原種(つまり動物的な)生活を好むように調教していくのです。(私なんかも非常に危ういです。また、スピリチュアルではないかたにも多くそのような方が存在します)

 

そしてそのような生物種はもはや現代には存在していない(おそらく進化したり絶滅したりしているでしょう)のに、より古いメッセージをキャッチして退化していくのです。

 

現代のようなストレス社会で精神病を発症した方たちの中にはこのような人たちが大勢いると思われます。

 

非常に危ういので近づかないようしましょう。(私も非常に危うかったです。そして多くの人達が未だに危ういです)

 

また、科学が発展してしすぎて滅んだ文明の思考を好んでキャッチしようとする形も非常に多く見受けられるので、世界を破壊の彷徨に進ませる文明の発達のさせかたに誘導している場合があり、そのような方たちも非常に危ういといえるでしょう。(なので私のブログも非常に注意して読んで下さいね)

 

そのような方たちは家族がとりあえず好きにやらせてあげようかと思っていたり、放置されていたり隠れてこっそりインターネット上で活動していたりするのでまあ、十分な注意が必要です。(私なんかは家族にはだまってやっています。あまり心配させたくないし、理解されるのも難しいからです)

 

そのような方たちが非常に多く散見するのは、現代の遺伝的に多様になった社会で自分の親や一族が古くから受けつぐ食生活や生活習慣を強制されストレスで死にそうになっているからというのが考えられます。

 

非常に不遇な生い立ちな方が多いのも事実でしょう。

 

今の時代には感性というのが非常に遺伝的な要素に左右されるというのが判ってきています。

 

そのような考えがまだあまり発達していない時代に産まれたいわば、新種の人類たちは自分たちが所属する集団で非常に肩身の狭い思いというのをしてきた可能性が高いです。(これはおそらく古代の時代から非常に多く見受けられます)

 

そのような方たちがストレスで精神のバランスを崩して妙な電磁波に左右され、自分たちが宇宙人的だとか、宇宙人の生まれ変わりだとか、特別な魂を持つ存在なのだとか思っていしまっているのです。

 

非常にかわいそうですが、これは病気がちの方が多いです。(もちろん安定いる方も多くいると思います)

 

中にはそのような過去世を持つ人達がいるかもしれませんが、実際の所特別な魂というのの生まれ変わりというのはすこし考えづらいです。

 

また、地球に似た星の文明の発した電磁波を勝手に読み取って、さもこれが地球のことだと勘違いしている方も多いでしょう。

 

そのような方たちは電磁波の思念を勝手に間違えて訳して信じ込んでいる可能性が高いです。

 

そのメッセージがどのような言葉、単語、言葉遣いで表現されているかというのは非常に重要なので感性ではなく論理で注意深くみてみるのが良い方も多いでしょう。(もちろん感性で考えたほうが良い方も多いぜいると思います。)

 

そのようなメッセージを送ってくる文明も現在は非常に発達したものになっているのかもしれませんがより古いメッセージを好むようになっていく人たちも一定数いるので、それが大いに懸念だったりするのではないでしょうか。

 

チャネラーのメッセージは非常に不安定です、その時々の食生活や生活習慣や精神状態によってひろいやすいメッセージが変わってきますし、より古い時代のメッセージの方感性が反応してしまう方たちが大勢いると思われます。

 

なぜなら、原始的な生活というのは非常に楽そうだから。

 

別に良いですよそのような生活を好むような方たちがいても、ただメッセージの時代性や文明の進化や電磁の速度が有限でタイムラグが有るとか、生物種によって脳の構造や遺伝子や感性や習性がぜんぜん違うとか統合失調症の妄想人格の発する電磁波も地球上にはビンビン飛んでいるとか、地球の磁場が弱くなる時は宇宙から電磁波がより地表に到達しやすいとか、太古の時代から磁場がゆるくなった時代にはふるーい文明の発した電磁波を受け取って頭おかしくなった人たちが一定数いるとか(交通事故で頭蓋骨陥没とか、頭蓋骨の穿孔手術とかは、頭蓋骨の電磁的な防御が弱くなるので危険です。脳の誤作動が多くなると予測されます、滅んだ文明の電磁波とか受け取った人がアポカリプスや終末思想を信じこんできたからそのような存在たちが死ぬときには発した電磁波が滞留している地域があるとか、そのような事に対する正確な知識がないままそのようなメッセージを聞くことが病気や社会的な立場を危うくするかもしれないというのは知っていておいてくださいね。(まったくもって推測ですが、当たってそうな気がします)

 

ハッキリ行っておきます。

 

現代は時代の最先端です。

 

今が常に最先端です。

 

古代の智慧は大いに有用ですが、現代人が築き上げた知識や学問体系やスピリチュアルではない人や科学的な人たちをより信頼してあげてください。

 

今の時代は地球が高次文明の域に到達するかという非常に不安定な揺藍期です。

 

卵の殻なかから人類が殻を破って新しく生まれ変わるのか、殻の中で死んでしまうのかは現代の人類次第です。

 

高次文明というのは、つまり複数の生物種の混血ということです。

 

4次と言うのは4つの生物種の遺伝子をかけあせた生物ということです。(おそらくですが)

 

5次元というのは5つの生物種の混血です。

 

つまり、より混血度合いが多い地域に住む人達は5次元。

 

それより1つや2つまえの世代が4次元や3次元です。

 

チャネルのメッセージでしつこいくらいすでに5次元ですと行っているのは、すでに人類の混血度合いが高次文明のと同じ域に達しているということではないでしょうか。

 

また、日本人にはすでにその世代が誕生しているのでしょう。

 

チャネリングのメッセージはそのように解釈できます。

 

しかし、社会制度はより3次元(古い世代の築いた社会制度)だということではないでしょうか。

 

ただこれらは全部推測でしかありません。

 

このブログの記事も非常に警戒して読んで下さいね、どこで勘違いや間違いや思い込みというのが生まれるのか私自身にもわからないですから。

 

たとえ親子であっても遺伝的に、4次元か五次元かというのは違ってくると思われます。

 

親世代の食生活や生活習慣というものに、ある程度合わせられる遺伝子の方もいると思いますが、それが遺伝的に無理な方たちというのが非常に現代では大勢いると思われます。

 

そのような方たちが親元でいつまでも暮らしていると、食生活や生活習慣や感性の不一致から心身共にボロボロになって病んでいくと思われます。(たとえば、遺伝的に差異が大きい子供が胎児の時に、母体から必要な栄養やタンパク質を摂取できない場合脳や身体が発達不全になるケースが考えらます。単なる推測ですので鵜呑みにしてはいけません)

 

チャネルのメッセージではこれは避けるべきだというのを強く強調しています。

 

ただ、これはいろんなチャネル(情報源)の情報を整理して分析しただけにすみません、検証が大いに必要な内容です。

 

このブログでは何度も取り上げていますが、スピリチュアルな情報を鵜呑みにして信じ込んでいく人たちの中には何人も身を崩す人たちが大勢居ます。

 

詐欺的な人も多いし、わかったふりをしているだけの方も多いです。(私もその一人かもしれません。仮説だと主張していますが結構強く信じています)

 

チャネルというのはただの情報源です。

 

ティーチャー(教師)ではありません。

 

教えられるだけの知識も経験もない方たちばかりです。

 

あのような人たちはこの高次文明の揺籃期に、情報を垂れ流して卵の殻を外から暖めるように刺激しているための役割の方たちです

 

チャネル自体は非常に勉強不足の方が多いです。(本質的にそのような性質の方を選んだのもあるのでしょうが)

 

私自身もかなり勉強不足ですが、まだ警戒心がある分マシなのかもしれません。

 

産まれてもない雛鳥を教育することはまだするつもりはないのでしょう。

 

私のブログだって、そのようなモノノひとつになるのかも知れません。

 

 

いかがでしたでしょうか。

 

今回の記事はいろんなスピ情報を整理して分析した結果になります。

 

あたりまえですが、宇宙人がいるという前提にたって話しているのであまり鵜呑みにしてはイケません。

 

ただ、なんらかの形でチャネラーの方たちが妙な情報を受信しているのは間違いありません。

 

私はそのような方を非難するつもりはありません。

 

ただ、そのような方たちが発信している情報によって混乱していたり不安になっていたり、色々難しいことになっている方に対しての警告的な内容になっています。

 

今回の記事は多分にスピ的な内容になってしまいました。

 

この記事の内容は100%完全な推測ですので、鵜呑みにせず自分の考える種にでもしてください。

 

今回の記事は以上になります

 

ではでは~。

 

 


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霊能力:ESP:チャネリングの危険性

こんにちわ、toshoです。

 

今回の記事では「霊能力:ESP:チャネリングの危険性」を扱います。

 

昨今の世の中には多くのスピリチュアルな情報というのが拡散しており、その多くは自称霊能力者やESPやチャネラーです。

 

そういった方々は、生まれつきドーパミン感受性が強い遺伝子を持って産まれており、子供の頃から「ビジュアル(視覚)に対しての強い操作能力」をもっていたり、自分の思考が現実に成りやすい(思考の内容を強く身体が再現してしまう。思念の力が強く多くの場合他者の行動に無意識から左右していしまうから)です。

 

また、中には仕事や勉強などにおいてストレスが多く、統合失調症やうつ病などの精神病を発症している方がいます。

 

そのような方は幻聴や幻覚をきいたり、多重人格性を発症したりします。

 

人間の思考というのは脳内の神経活動で発生した電気的な活動による電磁波を体外に発します。(もちろん仮説ですよ)

 

そのような電磁波はそれが土や他の生物に吸収されるまでやはり地球の中をぐるぐる周ります。

 

そして、そのような電磁波はやはり土地や建物といった物理的な環境により一部特定の場所に滞留していたりするのです。

 

その滞留した電磁波は物理的にわけられ区分されているので、いわばそれが人間の集合無意識ということにないります。

 

その土地土地に物理的に滞留している人から発せられた電磁波(思念波と言っていいでしょう)は、その土地に住む人には度々インスピレーションと言った形で現れます。

 

右脳=ドーパミン神経回路が優位な人間は、電磁波の受信機である脳内の松果体から受けっとた人間の生体活動に変化可能な電磁波の情報を実際に神経活動に変換してそれがドーパミンの作用により有声化したりイメージとして見えたりしやすいのです。

 

それにより他人の発した思考や感情やイメージを脳内に再現してしまうのです。

 

その際には、過去に生きていてすでに死んだ人間が発した電磁波(残留思念)を受け取ってしまったり、だれか統合失調症や多重人格障害の人が作った妄想人格が発した電磁波(妄念)を受け取ってしまったり、誰かが漫画やアニメを見ている時にした妄想から産まれた電磁波や作家が頭のなかで創作したキャラクター(疑似人格)から産まれた電磁波を受信したり、長い間の歴史の中で伝説的な人物とした語られてきた人に関して多くの人がした妄想や空想のお話(それから産まれた視覚的なイメージややり取りなど)を受信したり、優れた科学者が日頃思考している時に発している電磁波などを受信したりします。

 

そのような事は、地面がアスファルトだったり石畳だったり自然物が少なかったりそういった、電磁波が自然に吸収されない環境に住む人たちの間で多いです。

 

統合失調症的な(宗教や先駆的な科学な)文化が栄えた土地というのはやはり、石材を好んだの文化が多いところと(ギリシャ、エジプト、マヤ)いう印象です。

 

石というのは電磁波を反射してしまいますので、地面がアスファルトで舗装されていたり石畳が敷き詰められているところというのは、思考から産まれた電磁波が土地に滞留しやすくなります。

 

またそのような土地土地の人は、地球外から届いた電磁波というのも土地土地に滞留させてしまうので、(いるとすればですが)地球外生命体の考えた思考から生まれた電磁波というのも受信してしまうことがあるでしょう。

 

西洋文化圏で石畳の文化や地面の舗装技術が発達したのは、このような環境では地球外生命体の思考から発した電磁波を受信しやすくしたり、人々の思念が土地に滞留するために、天才的(あるいは統合失調症的)な人が多く産まれていくのを経験的に知っていたからではないでしょうか。

 

人間の思考より発した電磁波はあたりまえですが、光の速度で地球をぐるぐる回っています。

 

しかし、やはり物理的な影響でそのような電磁波が滞留しやすい場所や、物理的に環境が区切られている場所にその場所特有の電磁波の滞留つまり集合意識ができます。

 

その土地土地に過去からずっと滞留している電磁波やその土地土地にすんでいる人が発生した電磁波というのがその土地に住む人間の影響を与えます。

 

また、脳の松果体が電磁波を受信するキーであったりしますが、それはやはり遺伝子によって松果体の構造というのが決まり遺伝的に受信する電磁波の周波数帯というのが変わってしまうでしょう。

 

つまり、人種や民族毎により受けとり易い電磁波の周波数帯が異なるということです。

 

これが、人種や民族のミームというものを形成している可能性があります。

 

ちなみに、食習慣や生活習慣で遺伝子のアクティベーションというのが変わってきますので。

 

同じような食生活や生活習慣をしている人の松果体は似通っている可能性が高いです。

 

その場合、同じような食生活や生活習慣をもっている人同士の集合無意識というのも産まれます。

 

それが本来の民族や人種の集合無意識でありミームであった可能が高いです。

 

チャネリングの基本とは食生活や生活習慣を自分で整えて、自分の中の遺伝子をアクティベーションさせその際に生じる松果体の構造の変化により、受信する電磁波周波数帯に変化を及ぼすことです。

 

それにより、どのような人たちから発せられた電磁波を受け取るかというかが大いに変わってくることが予想されます。

 

 

また、これが厄介なのですが「統合失調症の方」は多くの人場合「多重人格障害」を併発することがあります。

 

多重人格障害とはつまり「自分の中に別人がいる」のような感覚です。

 

これは、心理学で言われていますが、PTSD心的外傷後ストレス障害を発症した人に記憶障害が生じることがあります。

 

また、辛いこと避けるために新たに「第二の人格」を作ったりしてします。

 

これは人間の人格というのは記憶の集合だということがあるので別段不思議ではありません。

 

通常の人間だって、年をとるとともに人格というのは変わってきます。

 

子供の頃の記憶が薄れていって、だんだんと大人になっていく。

 

もし、大人になってもいつまでも子供の頃の楽しい思い出をずーとわすれないならば、人格というのはやはり大人になりきれません。

 

どこかしら子供っぽくなります。

 

もちろん一度経験した記憶というのは脳に深く刻みつけられ一生忘れることはありません。(脳外てきな手術で脳細胞を取り除かなければあるいは、アルコールなどで脳細胞が死滅しなければ)

 

しかし、記憶というのは存在していても引き出せなければ忘れたも同然です。

 

多くのことを忘れることで人格とは形成されるのでう。

 

学校での自分と会社での自分と自宅での自分の人格はちょっと変りますね。

 

それは、場面場面で引き出しやすい記憶というのがあるからです。

 

学校でスケベなことばっか考えている人は稀でしょうが、家ではスケベなことばっか考えている人というのは結構居ます。

 

その人がスケベ人なのかスケベじゃない人なのかはわかりませんが、学校で会う人と家であう人とでは彼の人格を違うように感じるでしょう。

 

しかし人間には魂があるので(これに関しては非常に強い確信がありますけど、仮説ですので鵜呑みにしないでください)過去世の記憶が蘇ってしまうことがあります。(なぜなら、魂ににも脳があり。脳の神経コネクションがあると予想されるから)

 

過去世の記憶を忘れていたからその記憶は人格に影響を及ぼさなかったのに、その記憶を思い出してしまったら人格に強い影響を与えます。

 

またそれが、記憶障害でその時々に思い出せる記憶が全く異なるようになってしまったら多重人格障害の誕生です。

 

過去世の記憶というのは忘れていたほうが良いのですが、それがドーパミン過多の変性意識状態や、統合失調症の方などは思い出してしまえるのです。(魂に残っている神経コネクションを復活させてしまうから)

 

このように、統合失調症の方は多重人格障害を併発しやすいのです。

 

そしてその際に産まれた人格は往々にしてすごい過去の人間だったりあるいは地球外由来の生命体だったのかもしれません。

 

そのような、統合失調症の疑似人格から生まれる思考というのもやはり電磁波を発しているので、そのような妄想人格の電磁波を受信してしまっている方が多いです。

 

妄想人格はやはり、現在の自分とはまったく違う人間ですから(産まれた時代や場所が違えばね当たり前でしょう)

 

自分とはかなり違う考えの持ち主だったりするわけです。

 

そして、当たり前ですが過去世の自分が善人だったとは限りません。

 

あるいは、その当時の自分が良いと思うことが今の自分にとって良いとは限りません。

 

それでも、今の自分が知らない有用な知識というのをもっていたりするわけです。

 

なので、その妄想人格から恩恵を受取り、それが神仏や宇宙人の類だと勘違いしてしまうのです。

 

そのような類の霊能力者:ESP:チャネラーの方はゴマンといるわけです。

 

また、そのような妄想人格が推奨するような食生活や生活習慣は、その妄想人格が生きていた場所や時代のものであったりするので遺伝子のアクティベーションに変化が生じて、宇宙や地球上に滞留する同種の生命体の発した電磁波というのをより受信しやすくします。

 

そして、電磁波というのはやはり速度制限がありますので、宇宙から来た電磁波はすご~い昔の誰かの思考で発した電磁波だったり、地球上で発せられた電磁波だったら結構昔の人間が(妄想状態だったりして)発した電磁波というのをキャッチしているわけです。

 

それで、妄想人格とどっからか来たかわからない誰かの思考がダブルで、病気の方を蝕むわけです。

 

そして、そのような妄想人格とドコから書きたか分からない思考というのは、ロストテクノロジーや現代文明とは異なる技術を持っていたりするので、そういうものに惹かれて集まる方たちやそのような妄想人格の力を借りてお金を稼ごうとする人がいるわけです。

 

これはテクニックや技術自体は、はっきりいってそこそこ使えるモノが多いのです。

 

そりゃそうでしょう、文化や国なんてものは独自の技術や学問体系を発達させるのが常なのですから、技術自体は先駆的であったり有効であったりするわけです。

 

しかし、だからといってそれが詐欺的でないとは限りません。

 

ハッキリ言って妄想の垂れ流しだし、かなり無責任で病気的なわけです。

 

そして、その病気の人が強くその人格を確信していくに連れてドーパミンレベルもあがりよりその妄想人格が強烈に強力になっていくわけです。

 

そして、多くの人間を巻き込むようになり現代の社会や文明を侵食していくわけです。

 

多くの霊能力者やESPやチャネラーはとても統合失調症的です。

 

それが悪いとは言いません。

 

しかし、自覚がないのが非常に困りものなのです。

 

また過去世ではありませんが、虐待されている子供の逃避妄想だったり、苦しみながら生きている人の逃避妄想だったりは強い電磁波として照射されます。

 

そのような人が妄想の世界で強く信じていることや、あるいはそのような人が考えていることというのは非常に荒んだ物や尊大な物となります。

 

その荒んだ思考や尊大な思考を受信してしまうことは、若い方で統合失調症の方に多いです。

 

単純な話で、食生活と生活習慣が悪いわけです。

 

同じような食生活と生活習慣をしている人同士はおなじような遺伝子がアクティベーションされていわゆる同じような松果体の構造になり、互いに電磁波を受け取りやすくなるわけです。

 

若いことに生活習慣が乱れている時に、統合失調症のような病気になると、そういった生活習慣が乱れた荒んだ生活をしている・あるいは生活をしていた人間の思考をキャッチしてしまうので、悪意があったり残虐性の高い思考というのが脳内に流入してしまうわけです。

 

そうなると、駄目な感じですね。

 

破瓜型(思春期型)の統合失調症に予後が悪いのもそういった理由があるのではないでしょうか。

 

食生活や生活習慣のみだれはマジで気をつけたほうが良いです。

 

統合失調症でも、生活習慣の乱れが少ない青年期以降の方は比較的悪意がある幻聴とかは聞きにくいのではないでしょうか。

 

 

また、どっかの誰かの人格障害で生じた妄想人格と、おおく霊能力者やESPやチャネラーの方が交信している可能性が高いのです。

 

そのような妄想人格が発した電磁波というのは当たり前に地球上にビンビンに飛んでいます。

 

そういう物に対してチャネルするような方は非常に危ういといえます。

 

そしてその妄想人格も、その宿主である誰かが死んだりしたチャネルできなくなります。

 

当たり前ですが、死んでしまえば脳の活動は停止します。

 

そうなれば、脳の神経活動から生まれる電磁波は地球から消え失せます。

 

たた、アスファルトや石畳の多い文化が増えていくと電磁波がいつまでたっても滞留することになるのでいつまでたっても妄想電波が地球上に残っている事になります。

 

また、海辺などの水は電磁波というのは吸収されて滞留するので、いつまで電磁波が残ることも考えらます。

 

なので、石畳の文化以外にも水辺(海に近かったり大きな川がある)地域というのは、思考で放出された電磁波が水伝いに拡散したり、宇宙から降り注いだ電磁波が滞留したりするので人々の思考に大きな影響を与えるでしょう。

 

文明が発達するのは、石畳の文化と水辺の地域というのが重要になるわけです。

 

 

いかがでしたでしょうか。

 

『霊能力:ESP:チャネリングの危険性」について書きました。

 

これはそのような方に対する批判になってしまうのでしょうか。

 

私はスピ情報のを結構積極的に収集しています。

 

しかし、基本的それは「ノウハウ・テクニック・知識」の収集が目的であり、結構警戒して批判的に取り扱っています。

 

そしてもちろん、科学というのが大事だと強く思っています。

 

現在の心理学や認知科学や脳機能の研究に関してもそれなりに情報を収集していますし、高校生の頃統合失調症と診断されてから色々苦労しましたので精神的な病気関してもそこそこ知識を持っています。

 

そのような私から見ると多くの人間は、心理とか脳とか精神医学とかあまりご存じないままスピ情報をというのを摂取しているのではないかという懸念を感じてしまいます。

 

正直そのような事を人一倍警戒しているし、何度か陽性症状があったしてひどい目にあったこともあります。(大学の就活の時と就職時)

 

痛い目を何度も見ているので、ハッキリ言って精神的な病気というのすごく警戒するところがあるし、認知科学や心理学とかかじっているとそっち方面の知識でスピ情報のようなものは鵜呑みはしにくくなります。

 

とかく科学的な知識や思考をベースに情報を整理するのが大事です。

 

その上で非科学領域の知識やテクニックを収集分析するので比較的にスピ情報には騙されにくくなります。(それでも騙されることなくなるなんてことはないです。)

 

警戒心が生来強いのでどうしても騙されにくいというのもありますが。(あ、嘘つきました。警戒心が強いの大体中学くらいからです。幼稚園とか小学校の時は、結構友達も多かったですし結構ポワポワしてましたよ)

 

波動やエネルギーといった言葉も非常に鵜呑みにするのは危険であります。

 

鵜呑みにするのは危険ですが、自分の中で整理して科学的な知識等整合性を合わせるように噛み砕いて分析して理性的な判断すれば、色々有用な知識や情報もあるわけです。

 

私は原理や理屈や理論と言うものに非常に拘ります。

 

当たり前ですが、そういうものを解明するのが科学なのです。

 

私はスピ情報も大好きですが、科学も同じくらいあるいはそれ以上に大好きです。

 

子供頃の夢は科学者だったこともありますし、今は一応プログラマの端くれです。

 

理屈もわからず鵜呑みにするとういうのは好きではありません。

 

理屈こねくり回して初めて色々分かるものというのが世の中かなり多いのです。

 

今回の記事ももちろん、鵜呑みにしないでくださいね。

 

これは、toshoの思索・考察なのであって科学的に証明されたわけでも、tosho自身100%の確証があるものではありません。

 

そんなこと考えているやつがいるという程度に留めておいて、いずれ科学的に証明されるまで信じないでくださいね。(つまり、永遠に証明されなかったら永遠に信じないでください)

 

このブログは徹頭徹尾、toshoが日頃考えていることや興味があることに関する、思索や考察を載せるサイトです。

 

あくまでおぼえ書きです。

 

エンジニア界隈で行ったらqiitaみたいな感じです。

 

間違った情報を流布するのは嫌いですが、思索の過程を投稿したり共有したりするのは学習や研究にはよくあることです。

 

そんなものと捉えてください。

 

今回の記事は以上になります。

 

ではでは~。

 

 


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「潜在意識で容姿を変える」の話4。美人を作るには食事から

こんにちは、toshoです。

 

今回の記事は久しぶりに「容姿を変える」事についての話です。

 

「潜在意識で容姿を変える」シリーズは今まで1~3まで書いてきました。

 

今までのシリーズは主に「ビジュアライゼーションと成りきり」による方法を扱ってきました。

 

「ビジュアライゼーションと成りきり」にかんしては過去の記事を読んでいただくとして、ここでは簡単な説明にとどめていただきます。

 

視覚的にイメージした自分の理想の姿を自分の身体に投影して、あたかも自分がそのイメージ通りの身体をしているかのように成りきるのです。

 

詳しいやり方は、旧dokubo_toshoのおぼえ書き/「潜在意識で容姿を変える」の話3(リンクを開きます)のコメント欄でのやり取りなどを参考にしていただければと思います。

 

今回は「ビジュアライゼーションと成りきり」以外の方法である「食事と意念法よる遺伝子のアクティベーション」を加えて話させていただきます。

 

第一に「ビジュアライゼーションと成りきり」による方法では「波動の高さ」転じて「脳内のドーパミンレベル」が重要になってきます。

 

脳内のドーパミンレベルが十分量出ていなければ、「ビジュアライゼーションと成りきり」での容姿の変化は成功率が下がります。

 

ドーパミンレベルが低い方は、より変化に時間がかかってしまったり、途中でくじけたりしやすいのです。

 

つまり、普段からドーパミンレベルが低い方つまり、精神的に充足感があまりなかったり、抑うつ状態だったり、人生がうまくいかなくて悩み事が多かったりする方などはなかなかドーパミンレベル=波動が上がらなくてこのやり方は不向きなのです。

 

様々な方法で「ドーパミンレベル=波動」を上げることが出来ますが、それが難しい方も多くいるでしょう。

 

なので、「ビジュアライゼーションと成りきり」以外の方法で容姿を変える事ができればうれしいですよね。

 

それで一番手っ取り早いのは食事を変えることです。

 

食事というのは人間の体と精神にダイレクトに影響を与えます。

 

食習慣を整えて上げることで、遺伝子のスイッチをオンにしてアクティベーションしてやったり、ドーパミンレベルを上げて波動を上げることも出来るわけです。

 

先ずは事前準備からです。

 

芸能人や知り合いや外国人の画像や動画をできるだけ多く集めてください。

 

集めた動画や写真をみて、自分の理想の容姿に近い人に関して情報を調べてください。

 

出身地や遺伝的なルーツや国籍や人種や現在の生活スタイルなどです。

 

そして、その方たちの遺伝的なルーツと文化を頑張って整理して分析して特定してください。

 

これは複数あっても良いですが、どのルーツの容姿がより理想に近いかという事は整理してください。

 

あとは、そのルーツや文化の食習慣と食事文化や生活習慣を調べて真似るだけです。

 

これだけで、あなたの遺伝子の中で眠っていたそのルーツに関わる遺伝子がアクティベーションされます。

 

もちろんその文化の食習慣や食事文化や生活習慣をどの程度真似るかによって、アクティベーションの度合いが変わってくるのでそれは調節してくださいね。

 

これが可能なのはあなたにその文化のルーツが有ればなのですが、どのような容姿が理想の容姿かというのはやはり遺伝子によってある程度左右されます。

 

全くこれっぽっちもその文化や遺伝的ルーツに関わりのある遺伝子がないというのは、逆に珍しいと思います。

 

なのでそうやって自分で食事を管理して行けば「ビジュアライゼーションと成りきり」では容姿を変えるのが難しい方も比較的に簡単に容姿を理想の容姿に近づけることが出来ます。

 

もちろん、このやり方は理想の容姿に「似せる」のであってそのものにするのは難しいです。

 

ですが、まあそれでも自分の容姿がより理想に近づければ嬉しいし自分に対する自己肯定感が増します。

 

そうすれば、ドーパミンレベル=波動も付随的に上がりますし、より「ビジュアライゼーションと成りきり」が成功しやすくなります。

 

ただ注意してほしいのが、このやり方はあなたの性格や気質まで変えてしまうので理想の容姿に近づけるけど性格や気質(あるいは能力まで)まで変えてたくないという方にはお勧めしません。

 

そして、これはやりすぎると赤の他人と全くの瓜二つとか、日本人なのに完全に見た目外国人とかそういう事が起きてしまいます。

 

あと、社会的な圧力によって「これが理想の容姿」などとイメージを植え付けられているだけの方は遺伝的なルーツが全く無い場合多いので、この方法は成功するどころか体調不良や病気を誘発します。

 

もし食事によって体調が悪くなったら食生活をもとに戻しましょう。

 

また、食事による遺伝子アクティベーションは急激に食習慣を変えるのではなく、徐々に徐々に変えていきゆっくり行うようにしてください。

 

できたら数ヶ月~数年の時間をかけてゆっくり自分のペースで食習慣を変えていってください。

 

ハッキリ言って、無理してやろうとするとアレルギーを発症してしまったり、自分の気質や性格の変化に周囲や自分自身もついていけなくなってしまい、精神を病んでしまうことになりかねません。

 

できれば事前の調査や下準備を丁寧に取り組んで、イケるという確信をもったらちょっとづつ食生活を変えていくのがいいでしょう。

 

またその際に食事だけで不十分なら、自分は〇〇人のルーツを持つということを意念法で強く念じて〇〇人に関わる遺伝子のアクティベーションを促してください。(自分は〇〇人である、という風には絶対に念じてはいけません。どんなに容姿が変わっても日本に生まれたあなたは日本人です)。

 

後これは超重要ですが、統合失調やうつ病などの方は意念法を使うのは避けてください。

 

精神薬を飲んで治療中の方がこのやり方をやったら絶対に悪化させます。

 

病気療養中の方は意念法を用いてはいけません。(病気徐々に治っていくことを意念法を使って念ずれば病気治りはよくなりますので、それに関しては主治医の先生と相談しながらするのなら良いです。意念法は難易度が高い技です、病気の方はまず健康になってから十分に余裕のある時に練習しましょう)

 

お薬を飲んでいる方は絶対に意念法を使うのは避けてほしいですが、食習慣の取り入れ自体はおすすめします。

 

そのような方は比較的に現在の食習慣や生活習慣が体質に合わない場合が多いです。

 

そのような方は食習慣を自分の好みに徐々に変えていくと、本来の自然な状態を取り戻して症状が回復する可能性があります。

 

もちろん全員がそうなるわけではないので、これに関しても主治医の先生と相談しながらゆっくり変えていって下さい。

 

自分にあった食事を取ることによって病状が回復する方は現代日本の遺伝的ルーツが多様になった社会では比較的多いのではないでしょうか。

 

 

いかがでしたでしょうか。

 

この記事は旧ブログ時代に異様に人気のあった「潜在意識で容姿を変える」シリーズの第4段になります。

 

もちろんこれは仮説に仮説を重ねたものですので、実証や証明はされていません。

 

鵜呑みにしないようにしましょう。

 

理論や方法論は、間違っていることもありますし個人にフィッティグされたものではないことが多いです。

 

なのに、鵜呑みにしてとりあえずそれやってみれば良いやと信じ込む方はこの方法を試さないでください。

 

実践するのはあなたなのですからあなたの責任で慎重に行うべきです。

 

ただ、理論や仮説や確度はそれなりに高い自負がありますし、方法論に関しては理詰めで導き出した物なので問題が起きないように細心の注意を払って構築しています。

 

新しいダイエット方法みたいな感じで試してみるのも良いのではないでしょうか。

 

もちろん、注意書きもちゃんと読んで下さいね。

 

現代日本人はなんか恋愛苦手な方や容姿に自信がない方が多いです。

 

若者は特にそうですしね。

 

そういった方(まあ、このブログのこんな記事を読みに来るのは女性が多いと思いますが)は自分の容姿に自身を持てるようになればもっと人生楽しくなるのではないでしょうか。

 

まあこんな記事をかいているtoshoは20代アニオタ男子なのですが。

 

今回の記事は以上になります。

 

ではでは~。

 

 


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遺伝子のアクティベーション:食材と動物・食文化と宗教

こんにちは、toshoです。

 

今回の記事は「遺伝子のアクティベート:食材と動物・食文化と宗教」です。

 

人間は保有する遺伝子というのはその多くは他の動物と共通しています。

 

遺伝子のアクティベーションというのは食習慣が大きく関わってくるものなのですが、それは動物の食習慣が大きく関わってきています。

 

単純に言えば、野生生物を研究してその動物が好んで食べるような食事を取ればその動物と共通した遺伝子をアクティベーションできる可能性が高いです。

 

例えばですが、卵を好んで食べる様な動物には爬虫類・鳥類・魚類・両生類などがいますが、人間も卵をよく食べる人はそのような動物に多く共通する遺伝子がアクティベーションされます。

 

いわば、原始脳や闘争本能に関する遺伝子をアクティベーションするので、パワーバリバリ・やる気ムンムン・生存本能ばりばりになります。

 

また、草食動物が好むような食事を取れば、草食動物に多く共通する遺伝子のアクティベーションが可能になって、比較的に穏やかな気質になったりします。

 

 

日本では古くから寺の坊さんは、肉食禁止・卵禁止な食習慣を守ってきました。

 

そのような食習慣を持つ人は、気性が穏やかで闘争本能や生存本能があまり強くない気質になっていきます。

 

昔は、肉を食ったり卵を食ったり酒を飲んだりする坊さんを生臭坊主などと読んだりしていましたが、やはりそのような食習慣を持つ坊さんはベジタリアンな坊さんより気性が穏やかではありませんし、闘争本能や生存本能がかなり強いです。

 

言ってみれば、性や闘争など原始的な本能が強い生生しさがあるのです。

 

現代人は、文化統制により性や闘争にかんしてはメディアである程度規制しています。

 

そういった現代人からしてみたら、そのような規制がなかった昔の人たちの慣習に関してはなんか生々しさを感じるでしょう。

 

昔の坊さんは、そのような生々しさを意図的に封じていたのです。

 

しかし、その戒律を守らない坊さんは非常に生々しい坊さんですので、まさに生臭坊主なわけです。

 

ですので、現代のお坊さんは肉食・卵食・酒はあまり禁止されていないので、坊さんらしい気性というのはあまり育っていないのです。

 

現代のお坊さんたちを似非坊主と批判をする方たちは、そのような坊さんの食習慣を維持していない現代坊主たちにたいしては無意識的にインチキな感じを感じているでしょう。

 

もちろん、現代のお坊さんの食生活を批判するつもりはありません。

 

食事ぐらい好きに食えば良いと思います。

 

 

ベジタリアンな人たちにも色々いて、どの程度肉食や卵食を許容するか結構幅があります。

 

あれは、どの程度そのような食材を好む動物と共通する遺伝子をアクティベーションしたいかによって許容される食事が違うからでしょう。

 

あるいは自分がどの程度肉食や卵食に耐えうる遺伝子を保有しているかとかですかね。

 

多くの人は無意識ですが、生活スタイルや文化や職業によって個人的にちょうどいい好みのラインというのがあるのでしょう。

 

なんとなく自分が心地よく要られる状態を選んでいるのでしょう。

 

なお、気質や感性というのはそれが人間の全てではありません。

 

「亜人ちゃんは語りたい」というマンガの高橋先生が言ってる台詞があります。

 

「確かにあいつは『バンパイアの性質』に即した行動はあまりしない
だがそれでバンパイアらしくないと言われると
…それは違う
ひかりは人から血を吸いたい気持ちはあるがパックで我慢している
またバンパイアの嗅覚を上回ってなお匂いの強い食べ物が好きでそういった『人間性』があいつのパンパイアらしさであり人間としての個性だ。
らしさは生まれ持った『性質』ではない 『性質』をふまえてどう生きるかだ」

 

このシーンを読んだ時には非常に感動したものです。

 

多くの人間は自分の遺伝的なルーツには無知で、食事による遺伝子のアクティベーションにも無知です。

 

自分自身の生物としての性質に無自覚な現代人たちは、自分がパンパイアだと知らないパンパイアちゃんのようなものです。

 

「自分はなんでこんな人間なんだ」という思いを人生でめぐらしたことがない人間は非常に稀でしょう。

 

でもそんな人達にも、自分の性質にこだわりを見せる人たちがいれば、自分の性質や社会と折り合いをつけて生きていこうと努力している人も居ます。

 

たしかに、自分自身の性質を知ることは非常に重要なことではあります。

 

ただし、自分は〇〇だからとか〇〇性質を持つからといった事にこだわりすぎるのも非常に生きづらい思いを抱えてしまうことにあなります。

 

高橋先生の様な考え方ができるならばそれが今の社会では一番良いことなのでしょうね。

 

「亜人ちゃんは語りたい」と言う漫画は名作ですので、興味をもった方は一度購入してみてはいかがでしょうか。

 

なので、ベジタリアンな人はその多くがガチンコで卵や肉が苦手なのです。

 

そのような人たちは、そもそも肉食や卵食に適した身体をしていない場合が多いです。

 

意図的にベジタリアンな食事をして気質をコントロールしていた人達もいますが、生物として本来的にそのような性質が強い方が多いのです。

 

 

遺伝的に生存本能が強すぎる人種の方は宗教などの戒律で、あまり闘争本能が強くなりすぎないよう食習慣をコントロールしている場合もあるでしょう。

 

その人種にあった食習慣を宗教などで伝統的に維持しているのは、そういった配慮があったためでもあると思われます。

 

たとえばイスラム教徒が多い人種の方が、文化的な交流でキリスト教徒的な食習慣や生活習慣を導入されたら、気質や習性やあるいは体調や知的な能力の発揮においてそれなりに不具合が出る可能性がります。

 

宗教とは本来そういったコントロールをしていた可能性が高いです。

 

意図的に闘争本能を抑えて戦争や反乱が起きにくくするとか、論理的な思考能力を育ちにくくして庶民の文化教養度をコントロールするとかそう言った面もあるかもしれません。

 

宗教が人種毎に違うというのは、そういった事が大いにあると考えられます。

 

なので、中東あたりの人たちはキリスト教文化を西洋から押し付けられるが心底嫌いなんですよ。

 

食生活などをキリスト教文化圏に合わせたら、体質に合わない可能性が高いですし、かなり国民の気質や習性などが変わってくるでしょう。

 

自分の信じる宗教で推奨されている食習慣を維持するのは、決してワガママなわけではありません。

 

結構大事な重要な問題なのです。

 

ただ大昔の民族同士が頻繁に戦争していた時にできた戒律ですので、現代社会でその当時に推奨されていた気質や習性を維持するような食文化が果たして適当かどうかはわかりません。

 

 

アメリカなんて移民国家で人種のるつぼですから、個人が好む食習慣や宗教的な戒律をガチンコで擁護して自由にしないと体質に合わない食習慣で不具合が生じる人がゴマンと出てくるわけです。

 

そういった経緯が今のアメリカを作ったと言う面もあるのはないでしょうか。

 

自分の人種にあった食生活というのはやっぱり身体や精神の調子が良くなるわけです。

 

保守的に宗教的な伝統や文化を守る人が多く人種差別が未だに根強いというのは実はそういった背景があるのではないでしょうか。

 

自分の信じる宗教や伝統で支持されているような食事をすれば健康で文化的な人間になれると感じているし、他人が自分の信じる宗教や伝統が非推奨として扱う食生活をしているとあまり健康で文化的な感じがしないわけです、感覚としてはですけど。

 

そのような戒律を頑なに守る人たちがなぜそのような事を好むかは科学や理性を信奉する人無宗教な人からは奇異に見えるでしょう。

 

また、安くて早いからといってファストフードを好んで食べる人は、体質的に合わない場合はとても体調を崩すことになります。

 

しかし、ファストフードを食べても全然平気むしろ力が出るという人種もいるわけですよ。

 

ハンバーガーは元をたどれば西洋から来た料理なので、それが国民食となってしまったら非西洋系の血が濃い人達は食べると調子が悪くなりやすいでしょう。

 

美味しい人たちにとってはとっても美味しいですよ。

 

でも、合わない人がアメリカにはゴマンといる。

 

若い世代は無自覚にテレビなどのマスメディアの影響でハンバーガを嗜好するようになりますので、病気が発達不全や肥満が多くなるでしょう。

 

 

ソウルフードってありますでしょう。

 

自分の体質にあったパワーを得られる食事の事をそう呼ぶのです。

 

もちろんソウルフードは人によって違います。

 

遺伝子や生活環境や職業が違えば変わってきます。

 

でも自分が好きな物はやっぱり人に勧めたくなりますよね、そして自分の好きじゃない物を強く人から勧められると不快な気持ちになります。

 

テレビでこれが健康に良いって勧められても、好みの食べ物じゃないとなにか損した気持ちになりますしそれを食べなきゃいかんのかなという気持ちになります。

 

無理して食べても美味しくないし全然健康によいとも思えない。

 

体質に合わない物を食べても別に健康になんてなりませんよ。

 

逆に健康に悪いなんて言われている物が体質に合う人がいます。

 

それは本当に人それぞれなので情報がごちゃごちゃしている現代では多くの人が情報に振り回されて体質に合わない食事をして健康になりたいとか思っているのです。

 

そういった人たちは自分の人種的なルーツに則った食生活や生活習慣を何かの切っ掛けで採用していみると、おどろくほど身体や精神の調子が良くなったりするのですよ。

 

それで自分のルーツの伝統や宗教を強く信奉するようになる。

 

別に神の教えが正しいわけでもその宗教の経典にあるような大げさなストーリまで正しいわけではないと思います。

 

ただ、遺伝的な事を考慮した食生活や生活習慣を長年の蓄積で指導しているだけですので、他の宗教に対して排他的になる必要はまるでないわけです。

 

宗教の布教をする人たちは、自分の信じる宗教が広く世に広まれば世の中良くなると本気信じている方結構居ます。

 

しかし、特定の宗教の奨励する食生活や生活習慣がハマる人がいればハマらない人もいるのが当然です。

 

神様云々はともかく、そこら辺が上手く合うひとは別にその宗教を学んでみるのもいいのではないでしょうか。

 

 

キリスト教文化圏に移民してきたイスラム系の方の子孫が現地でイスラム教に強く回帰するようになる現象がありますが、これは結構当然のことです。

 

だって体質的にそっちの文化の方があっているし、食生活や生活習慣を採用すると身体も精神も調子良くなるんですから。

 

そりゃく、移民したの地でも頑なに伝統を固持しようとしますよ。

 

イスラム圏では女性が肌や髪を隠す伝統がありますが、あれはイスラム圏に多く住む人種は男性が男性ホルモンムンムンかつ女性ホルモンも多くて昔からスケベで好色な人が多いからですよ、おそらくね。

 

男がスケベな気持ちになってしまうからお願いだからセクシーな装いはしないでください、という女性へのお願いです。

 

宗教なんてのは、食習慣や生活習慣などで遺伝的な性質をコントロールするのが目的で、多くは戒めです。

 

勤勉を推奨する宗教がある地域の人間は伝統的に怠け者です。

 

怠け者が多いから宗教家や時の為政者が勤勉を尊ぶように指導したのです。

 

そんなの現代でも変わっていないでしょう。

 

だから、キリスト教文化圏に進出してきたイスラム教徒の女性が肌や髪を隠す意味はあまりないです。

 

キリスト文化圏は比較的にイスラム圏より男性ホルモンムンムンな男性が少ないですので。

 

 

キリスト教文化圏はむしろ女性の不倫のほうが伝統的に問題です。

 

キリスト教では不倫というのは結構戒められていますが、これは伝統的に女性が「好きになったら止まらない!」とい方が多かったからではないでしょうか。

 

おそらくですが、西洋文化圏では女性が他の男性との間にできた子供を結婚相手に育てさせるといういわゆる「託卵」が非西洋文化圏に比べて多いと思われます。

 

そういった女性が多い地域では、むしろ「女性の恋愛を戒める」と言う方向に宗教が動いたのでしょうね。

 

キリスト教文化圏に住むイスラム系の女性は、遺伝的に「好きになったら止まらない!」という感じに比較的なりにくいと思いますし、身持ちが固くセクシーな人も多い。

 

おそらくですが、キリスト教文化圏ではイスラム圏よりモテることが多いでしょう。

 

歴史的に、イスラム諸国で女性への教育などの文化レベルが低く、家庭に縛り付けるのは、あれは女性が智慧を付けて外国にでもいかれたら国内の男性が見向きもされなくなるからだったのではないでしょうか。

 

女性を家に縛り付けておかないと、イスラム系の女性はキリスト教文化圏でモテてしまって国内から出ていってしまうという理由がありそうです。

 

逆にキリスト教文化圏の女性は伝統的に筋肉質でセクシー(セクシーというのは重要)なマッチョマンが好まれる傾向があるのではないでしょうか。(日本人男性が西洋圏であまりもてない理由の一つだろうと思います。)

 

キリスト教文化圏の女性はイスラム圏の男性と相性が良いが、イスラム圏の男性はスケベで嫉妬深いので尻軽な女性はあまり好みではない。

 

キリスト教とイラスム教が伝統的に対立していたのは、そのような男性社会での男女の問題が昔からあった事が一因にあるのかもしれません。

 

昔から長く続いている宗教問題は男性優位な社会での女性問題が裏に隠されてそうですね。

 

おそらく自国の女性を他国に移動させないような仕組みを男性が作り上げていったのではないでしょうか。

 

男性にとっては今も昔も「モテ」は非常に重要だったりするので。

 

 

日本人も今では西洋由来の遺伝子を持つ人が多くいると予想されるので、日本でも託卵する女性というのは増えている用に思えます。

 

最近の調査で日本で托卵する女性はは6%くらいいるという結果がでたそうです。

 

おそらく昔より増えていると思いますよ。

 

西洋由来の遺伝子の影響がありそうなので、西日本と東日本で比率が結構変わってきそうですね。

 

 

このようなことも食文化によってある程度コントロールされてきた歴史があるかもしれません。

 

イスラム教ではアルコールはよっぱらって女性に乱暴する男が多かったから禁止もしくはよっぱらってセクシーになった女性に男が我慢できなくなるから禁止とか。

 

豚肉関しては、女性ホルモンの働きを活発化させないように男女とも禁止(男は嫉妬深くなるし、女性は恋愛気質っぽくなると予想される。ちなみ中東の男性は女性ホルモンが多い方がキリスト教圏より多い印象。おそらく伝統的にイスラム系の男性は同性愛が多かったはず。キリスト教圏は逆に女性同士の同性愛が多い印象。キリスト教圏の女性は非キリスト教圏より確実に筋肉質で大柄な女性が多い印象。男性ホルモンの影響が予想されます)

 

これも食事によって女性ホルモンと男性ホルモンのバランスをとろうとしている可能性が高いですね。

 

ワインは女性ホルモンを活性化する効果があると言われているらしいですので、ワインにより女性の女性ホルモンを増やしたとかありそうです。(好きになったら止まらない!というのは男性に多い印象です。狩猟本能とか男性ホルモンの影響がありそうです。男性的な男性の恋は一途、女性的な女性の恋はあちこちうろうろ見たいな印象があります。ワインを女性に飲ませて、女性ホルモンを活性化させて恋愛気質に誘導した後に口説くとか、西洋では昔からよくやる手では?)

 

キリスト教文化圏とイスラム教文化圏が交わる地域には昔からそういった文化的な戦略があったのではないでしょうか。

 

 

いかがでしたでしょうか。

 

ここまで書いてきてなんですが、今回の話は少々単純化しすぎました。

 

男性ホルモンや女性ホルモンにも幾つかの種類がありますから、それがどのような形で身体と精神に作用するかはちょっとわからないです。(勉強不足です。ごめんなさい)

 

遺伝子のアクティベーションにも本当はもっと複雑なメカニズムがあるはずなので、まだまだわからないことが多いということ述べておきます。

 

遺伝子のアクティベーションなどは、大まかに考えればおそらく正しいしと思っています。

 

ただ、このレベルの抽象度の話ではあまり科学的なとはいえませんね。

 

モット具体的に論じて論述の精度を上げていてけば、間違いや矛盾が出てくる可能性もあります。

 

栄養素レベルの話に留まるのか、もっとそれ以上の特定の生物の身体を構成するタンパク質が関わってくるのか。

 

タンパク質は胃液でほとんとアミノ酸に分解されるらしいですが、一部分解し損なったタンパク質が腸で吸収されることもあるらしいです。

 

その分解し損なったタンパク質が何らかの影響を与えている可能性な気にしもあらずという気はします。

 

ココらへんの話はアレルギーにも関係あるしもっともっと研究が進まなければわからないでしょうね。

 

もちろんこのブログ書かれていることを鵜呑みにはしていけません。

 

自分の頭で考えて検証してみたり、科学が発達して結論が出るまで待つことをお勧めします。

 

ちなみに遺伝子のアクティベーションとは、身体を構成するどこかしらの部分でタンパク質の構造が変り、身体の構造がちょっと変わるということです。

 

身体の構造がちょっと変わったら身体の機能はちょっと変わります。

 

おそらく体型や顔立ちや骨格や筋肉のつき方とか見た目にも変わってくるところが多いはずです。

 

そういうのを意図的にコントロールする方法が食生活や生活習慣になるのです。

 

たとえば、水辺でうろちょろしているカニがいたとして、それを採取してドコか遠くの全く環境が異なる場所に放したとします。

 

多くの場合は環境不適応を起こして死んでしまうとは思いますが、中にはその環境で生存するのに適した遺伝子をアクティベーションさせて身体の構造を変化させて適応して生存できるやつが居ます。

 

新しい環境(からのストレス)とあたらしい食料がそのキーになります。

 

金魚が水槽の大きさによってその成長度合いが変わる様なものです。

 

人間だって一生の内に父親に似ていると言われる時期と母親に似ていると言われる時期がありますでしょう。

 

それはおそらく無自覚に食生活や生活習慣が変遷しているためだとは思いますが、身近な例で考えるとそんなかんじなのです。

 

また、日本人は見た目ではわからないですが多くの外国由来の遺伝子を保有していると予想されます。

 

食文化が多様な現在、「なにこれおいしい!」と思えるような国の料理と「まじ、無理」と思えるような料理が各人あると思います。

 

私なんかはイタリア料理は好きですがフランス料理はかなり苦手です。

 

キムチや焼肉、クッパなどの韓国料理は結構美味しくいただけます。

 

和食は好きですが、昔は魚料理屋刺し身が苦手でした。(最近食べられるようになってきた)

 

米もパンもどっちも同じくらい好きです。

 

でもそばよりうどん派。

 

このようなな食の好みをしている人はやはりそれが遺伝子由来であったりするわけです。

 

こうして見ると遺伝子のルーツがなんとなく分かるかもしれません。

 

この記事を読んだあなたも自分の食の好みに関していろいろ調べて考えてみてはいかがでしょうか。

 

今回の記事は以上になります。

 

ではでは~。

 

 


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遺伝子のスイッチをオンにする

こんにちは、toshoです。

 

今回の記事は、「遺伝子のスイッチをオンにする」です。

 

人間の身体の機能は遺伝子を元に設計されています。

 

遺伝子にはスイッチがオンになってアクティベートされるているモノとスイッチがオフになってアクティベートされていないものがあります。

 

遺伝子のアクティベーションにはいくつかの方法がありますが、先ずは食生活や生活習慣というのが重要になってきます。

 

例えば現代日本人多くの方が食生活が欧米化しています。

 

ご飯ではなくパン食を食べたり、野菜や魚より肉食を好んだりしています。

 

このような食生活を続けている人は、その人が欧米由来の遺伝形質を保有しているならばその遺伝子がオンになってアクティベーションされます。

 

元々、欧米由来の遺伝形質を保有していない方の場合は、欧米的な食習慣をしていると体調を崩すだけになります。

 

食い物の好みというのはかなりの部分遺伝子に左右される事が予想されます。

 

遺伝子によって何が栄養やエネルギーになるか、どのような栄養素がどれくらい必要かというのは違いが出ると思われます。

 

食の好みが似ている方同士はどこからしら遺伝子が近いのです。

 

地域によって好まれる食べ物や味というのは結構変ります。

 

日本国内だけでも、関東と関西(西洋由来の遺伝形質が多く広まっていると予想される)は味付けの好みが違います。

 

場所場所によって、集団に特徴的な遺伝子が変わるので地域によって好み違いの傾向というのが産まれます。

 

引っ越した先の食習慣に比較的早く慣れてしまう方といつまでたっても慣れない方が居ます。

 

そのような事は、保有している遺伝子形質がその地域にや文化にルーツがあるかないかによって起こってきます。

 

その遺伝形質を保有していない場合はいつまで経ってもなれないかあるい体調不良に陥ってしまうでしょう。(昔からありますよね、水が合わないとか。)

 

保有していれば、その遺伝形質がアクティベーションされ地域に比較的馴染みやすくなるでしょう。

 

子育てとかも、食の好みを父親と母親どっちに合わせるかによって遺伝子のアクティベートが変ります。

 

tosho(東京産まれ)の家族は全員食の好みがバラバラです。

 

母親はたまに食事を作るのがとても大変だったともらしますが、これは都会の家族の宿命みたいなものです。(母親は祖父母とも新潟、父親は祖母は東京で祖父は広島出身です)。

 

ちなみにtoshoと兄は食の好みが結構真逆です。

 

toshoは子供のころは魚が本当にとても苦手でしたが野菜と肉が大好きでした。

甘いものが好きで和菓子洋菓子どちらもすきです。コーヒー紅茶はどちらも好きです。

 

兄は野菜嫌いで、魚好きで肉は普通です。酒飲みです。甘いものは好みません。コーヒー紅茶は好みません。

 

これは非常に嫌な話になりますが、昔は良く結婚した旦那が彼の母親の好みの食事を奥さんに作らせていました。

 

しかし、遺伝子が異なる両親の好みの料理を片一方だけ優先させて子供に食べさせるとします。

 

確実に、父方の遺伝子の方が強くアクティベートされます。

 

昔は、嫁姑問題で料理の好みが嫁姑で合わず、お嫁さんに自分の味を覚えるように強要した姑さんも多かったでしょう。

 

これは、このように食事をコントロールをすることで子供の気質や習性が父親の方に強く似るということを、どこかしら判っていたからかもしれません。

 

このような家庭に嫁にいった女性は非常に苦労をしたでしょう。

 

子供がどんどん父親に似ていき、家庭内で自分の味方がいなくなるのです。(気質や習性や感性が合わないと理解や共感が難しくなりますからね)。

 

田舎の家に嫁に行った女性が、そのご家庭や地域の料理を仕込まれて子供が父親寄りの感性や気質や習性に育って自分の味方がいなくなるというのは古くから、日本の女性を悩ませるとても嫌な問題です。

 

現代には少なくなっているとは思いますが、今でも苦労されている方は多いでしょう。

 

そのような女性には、なんとか自分好みの食事を子供に与えるように尽力してほしいです。

 

遺伝子のアクティベートをもう少し自分(お嫁さん)よりにすれば、子供はもうちょっとあなたの味方になります。(感性や気質が少し似てきます。あなたに対する共感力や理解力が上がります。)

 

姑さんに好き勝手させてはいけません。(正直そこまで苦労することはないです。好みは半々くらいにして出せばいいです。ただこれは個人的な意見です。この知識はどのように料理するかはあなたにおまかせします)

 

ただそのような家庭でも、子供が自立して都会で暮らすように成れば母親の好みに近い食事などもするようになり、比較的あなたの良き理解者になるかも知れませんね。

 

古い田舎の村社会はこのような事を長い間行ってきています。

 

ただ、たびたび外からお嫁さんをもらったりしていますので、保有している遺伝形質は比較的多様です。

 

食事と生活習慣のコントールで、地域住民の気質や感性や習性を均一化しようと試みているのです。

 

ただ、お嫁さんだけは外の人間であることが多いのでそのような方は死ぬほど苦労します。

 

現代の古い世代の女性には田舎をおぞましくらい嫌う方は一定数いますが、このような試みをするような地域に外から来たお嫁さんは非常に辛い思いをしてきた伝統があるのであまり批難しないであげてください。

 

マジでツラたんですので。

 

氏族主義の明治以前の時代の名残でしょう。

 

ただ郷に入っては郷に従えというのも非常に重要です、あるていど食習慣などを真似ることによってその地域に馴染みやすくなる方が多いのも事実です。

 

ただ上記の内容は、理論的な分析で導き出した推測ですので、toshoは田舎の村社会にはまったくもって疎いです。(東京生まれの東京育ちですので。)

 

日本には海外由来の遺伝形質を持つ人がかなり多くいると予想されるので、日本中から人が集まる東京にはそれこそ多種多様の食事が食べられるレストランがあります。

 

食文化が多様な地域はそこに暮らす人々の遺伝形質が多様である場合が考えられます。

 

多様であるからこそ異なる文化で好まれていた様々な食事が需要があるのです。

 

もしあなたがどのような食事を取るか自分で選択することが出来るなら、自分の保有するどの遺伝形質をアクティベーションするかを選べることが出来るでしょう。

 

食事は身体を作り、気質や習性にまでに影響を及ぼせます。

 

 

または、これはあまりお勧めしませんが「意念法」というのがあります。

 

単純な理論ですがかなり強力に働きます。

 

理屈としては「意念(イメージ)の力で自分の体に眠る遺伝子のスイッチをオンにして特定の遺伝形質をアクティベーションするのです。

 

例えばですが、「私は猫である」というイメージを強く自分で信じ込みます。

 

これはもちろん興奮性神経伝達物質であるドーパミンの力を使うのですが、そのような強力な意念が身体に眠る遺伝子を呼び起こし猫と共通する遺伝形質をアクティベートする事ができます。

 

別に身体が猫になるということはありません。

 

猫特有の俊敏な筋肉とか、間接の柔軟性とか、夜目が効くとかそういった事に関係するような遺伝子がアクティベートされるのです。

 

昔から武道の世界では、鶴拳とか亀券とかがありました。

 

あれは鶴拳の特級の達人は自分は鶴であるという意念法を用いて、鶴に関係する遺伝子をアクティベート出来たかから鶴券と言うものがあったのではないでしょうか。

 

他には、自分はイギリス人であるということを強く意念法を用いて思い込めば、人によってはイギリス人由来の遺伝子をアクティベートして瞳の色が変えたりすることが出来るのです。

 

他にも自分が宇宙人だということを強く信じ込めば、宇宙由来の遺伝子をアクティベート出来るかもしれません。

 

これが昨今のスピ業界の怖いところで、スピ情報で「あなたは〇〇星人の生まれ変わりです」とか誰かに言われてそれを強く信じ込んでしまえば、〇〇星人の遺伝子をアクティベートしてしまうことになります。

 

周囲の人から異常なほどに浮いた人間になってしまいます。

(〇〇星人由来の遺伝子がその人が存在していればです。これに関しては某バシャールさんが地球には多くの宇宙由来の遺伝子があるといっているので、もしかしたら本当かもしれません)

 

そのような方は、自分が〇〇星人の生まれ変わりなどどという妄念を信じ込むのをやめるのをお勧めします。

 

地球に産まれている以上あなたは100%地球人です。

 

そんなふざけた妄想を信じ込んでいると、人生生きづらくて楽しくないだけです。

 

そんな糞つまんない人生を生きるをやめて現実を生きましょう。

 

自分は地球人であるとか自分は日本人であるとかいった事を意念法を使って信じ込めれば、ちゃんとそういった遺伝子のアクティベートを解除できます。

 

自分の遺伝子のルーツがどこであろうと、日本に産まれたあなたは日本人です。

 

それだけは、絶対に否定しないでください。

 

これはイギリス人のルーツを持つ人も同じです。

 

イギリス人のルーツをもっていようと、日本で日本的な食事をしていればイギリス人の遺伝子はアクティベートされません。

 

日本で生まれた人は日本人です。

 

国籍が日本なら日本人です。

 

イギリス人遺伝子をアクティベートしてもイギリス国籍にもイギリス人にも成れません。

 

それだけは覚えていてください。

 

 

これを使いたい人は、アスリートや武道家の中にはいるかもしれません。

 

短距離の選手であれば「私はチーターです」とか意念法を使えば人によっては、チーター特有の柔軟で強靭な筋肉に関係する遺伝子をアクティベートすることが出来るかもしません。(どのような動物が適しているかは人によって異なります)

 

これは非常に両刃の剣でもあります。

 

たとえば「私は猫です」という事を意念法をつかって信じ込めば、柔軟な筋肉や夜目などが手に入るかもしれませんが、同時に性格や気質などもどこか猫的になってしまいます。

 

元々の人格や気質にまで影響をあたえるのです。

 

先日テレビで、フィリピンの残留日本人が自分の日本人のルーツを知りたいとか、どうしても興味があるとかで日本の親戚をNGOかNPOのはからいで尋ねると言うものがありました。

 

その残留日本人のかれはフィリピン人と日本人とのハーフですが、自分の父親が日本人というのは子供の頃から聞かされていたのでしょう。

 

そして、やはり日本人の遺伝子とフィリピン人の遺伝子がミックスされた遺伝子を持ち、周囲の純粋なフィリピン人とはドコ無く違ったのでしょう。

 

それが、本人にとって辛いことだったかは定かではありませんが、周囲の人間との違いを感じる度に自分の中の日本人の血に思いを馳せたのかもしれません。

 

しかし、そのように自分の中の日本人の血に思いを馳せる行為そのものが、彼の日本人由来の遺伝子をアクティベートしてしまったのかもしれません。

 

彼がそれにより苦労したのかそれとも有利に働いたかは定かではありませんが、自分のルーツを年老いた時に知った時は非常に込み入った感情があったかも知れません。

 

実際に日本人には色々な海外由来の遺伝形質を持つひとが多く居ます。

 

しかに、日本政府による「日本人は単一民族国家」という教育によって、多くの人は自分に海外由来の遺伝形質が眠っているとは考えません。

 

自分たちは日本人という強い意念によって、多くの日本人は日本人由来(おそらく大和民族のこと)の遺伝子を強くアクティベートして海外由来の遺伝子のアクティベートを抑えているのです。

 

しかし、現在では食文化の多様化によって、様々な海外由来の遺伝子をアクティベートした人間が増えてきています。

 

今現在、日本では食育とか古き良き?日本食の復活を声高に売って得ている人が居ます。

 

もしかしたら政府には、食事の管理により全国民の日本人(大和民族)特有の遺伝子をアクティベートする意図があるかもしれません。(これは可能性はとても小さいです)

 

食文化というのはとてもと~ても重要のなのです。

 

マジでマジで、です。

 

また、自分は〇〇人である、とか自分は〇〇県民であるとかそういうのはそういう自己イメージは結構遺伝子のアクティベーションに影響します。

 

最近世界各国で、独立運動が盛んですがこれは自分たちは〇〇人でるという強いイメージが、元もともっていた〇〇人の遺伝子をアクティベートして気質や習性や感性が帰属国から大きく乖離してしまったので、自分たちの国を独自に持ちたいという思いが強くなっているためでしょう。

 

たとえば、日本でも日本人は単一民族国家と教え込んでいますが、琉球民族の末裔とかアイヌ民族の末裔とかは、今でもルーツの誇りをもっています。

 

その中でも私は〇〇民族の末裔だという強い思いがある人は、やはり〇〇民族特有の遺伝子をアクティベーションしてしまいます。

 

比較的に日本に馴染んでいる自分は日本人だという認識があるという方からは浮いてしまうでしょう。

 

自分の国に取り込んだ民族にお前たちは〇〇人だという認識を植え付け、食事や文化を取り上げることによってその民族の本来的な遺伝子をアクティベーションさせないで管理しやすくするというのは非常によくある手口です。

 

中国とか今でもそんな感じですよね。

 

中国は漢民族の末裔が支配者層に多いですから、他の民族には自分たちは中国人であるという認識を持ってもらはなければ困るのです。

 

でなければ、国としてまとまりがなくなり管理支配が難しくなります。

 

民族の誇りなんて一生忘れていてほしいのですよ。

 

すくなくともそうしなければ大国中国はその国力をまるで維持できなくなります。

 

しかしこのやり方は、特定の気質や感性や習性を持つ氏族だけが美味しい思いをするとてもアンフェアなやり方です。

 

自分たちの食習慣や文化を世界に広めて、自分たちの氏族に有利な形の社会を形成する非常に狡猾な手口です。

 

副次的に庶民の中にも似たような遺伝子を保有する人たちは美味しい思いをできます。

 

そのような人たちは社会の重要なポストで美味しい思いをして、その社会制度をとても褒めて礼賛するでしょう。

 

非常に窮屈な社会になってしまいます。

 

社会の中で割を食う人がかなりたくさん出てくることになります。

 

日本というのは食文化が多様な国です。

 

このような国は、自分がどのような遺伝子をアクティベーションできるか選べる非常に自由な国です。

 

文化的な統制がないので、世界ではちょっと変態じみた扱いをされる場合があります。

 

自分の国のアイデンティティにここまで無自覚な国民も結構珍しいと思います。

 

 

いかがでしたでしょうか

 

今回の記事は非常に現代社会の暗黒面にフォーカスしてしましました。

 

日本の村社会とか中国とかあるいは戦後のGHQの政策とか、ちょっと嫌な感じですよね。

 

ここまでの知識が彼らにあったかどうかは知りませんが、苦労されている方は今も多いと思います。

 

世界各国の中で日本は比較的に善良な国です。

 

民族のアイデンティティがここまで緩いのは、殆どの先進国が多様な遺伝形質を国民が持つ現在個性が発揮されやすいです。

 

日本人としてのまとまりを持ちつつ、比較的に緩い食文化統制は楽な方が結構多いでしょう。

 

教育統制や社会的慣習に関してはそこまでではないものの、今後はもっと楽になると思います。

 

将来的にはそういうのを意識して国民の遺伝的多様性を認めて食文化のサポートを行いつつ、国としてまとまりのある政治を行うのが個人的な理想です。

 

遺伝的なルーツというのはそこまで重要なのかは分かりません。

 

しかし、人間や社会というのに重大に影響をあたえることは確かなのです。

 

もちろんこの記事の内容を鵜呑みにしてはいけません。

 

自分の頭と感性で考えて、なっとくできる部分が多いなら試して確かめてみてください。

 

田舎の閉鎖的な家庭に嫁いで苦労している女性には、とりあえず自分の好きなお菓子を子供に与えるところから初めて見てはいかがでしょうかと、ちょっとだけ強くお勧めします。

 

ただ知識の悪用だけはしないようにお願いします。

 

今回の記事は以上なります。

 

ではでは~。

 

 


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権能の簒奪:遺伝形質の獲得

こんにちは、toshoです。

 

今回の記事は、「権能の簒奪:遺伝形質の獲得」です。

 

権能の簒奪なんていうと、非常に漫画チックな表現になりますが単純にこれは遺伝子の話になります。

 

例えば、ある特定の能力がある特定の遺伝子に特に関連する場合、その遺伝子はその能力に関わる遺伝形質を持つと表現します。

 

この場合、その能力例えば政治により優れた能力を示す遺伝形質を有する場合、やっぱり政治をやらせたら政治が得意で政治の力が高かったりします。

 

ほんで持って、人間はお父ちゃんとお母ちゃんから半分ずつ遺伝子を受け継ぎます。

 

例えば日本でしたら鎖国時代に出島がありましたが、そういう外国の偉い人間が多く出入りする場所というのは歓楽街などがあり性風俗産業があることが多いです。

 

江戸時代の長崎にも丸山遊郭というのがあり出島への遊女の主張サービスがあったそうです。

 

そういう場所には、外国人がそんなに多くいなく半ば化け物扱いされる時代に出会っても男と女の情というのがあり、外国のお偉いさんの子供を宿した「庶子」というのが生まれることもあるでしょう。

 

それは、わざわざ外国にやってきて大金稼いで女遊びが出来る程度には能力も高いし身体も健康な男だったりするわけです。

 

そのような外国人男性の持つ遺伝形質をその子供が受け継ぐ場合は多いでしょう。

 

となると、その国にはその「庶子」から外国人の遺伝子形質を自国の民族に取り入れる事になります。

 

日本では明治維新で活躍した方が西日本の出身の藩士達に多いというのは、やはり出島から幾度と外国人の遺伝子が流入している事を伺わせます。

 

いわゆる理性的で政治や論理的思考などにつよい遺伝子形質(高セロトニン感受性の遺伝形質)です。

 

そのような遺伝子形質が発露した当時の日本人は、やはり当時の日本社会と言うのは馴染みにくいというのがあると思いますし、積極的に打倒幕府の為に動いたのではないでしょうか。

 

私は一年間福岡で働いていたのですが、福岡の人たちは東京に比べて男性も女性も出で立ちがどこか西洋的です。

 

福岡美人などといいますが、西洋的な基準で美人とされる女性が多くいたかなという印象です。

 

出島の遊郭が時の長崎藩主の長期的な戦略で行われたか、たまたまこのような結果になったかは不明ですが、これはまさに権能の簒奪なのです。

 

ギリシア神話では神様が人間の女性を気に入り子供が出来、その子供が神様を殺して取って代わると言う話があります。

 

神様の権能(得意な能力を発現する遺伝形質)を簒奪すると言うエピソードです。

 

敵対する民族に優位な能力を自分の民族に取り込んで相手の民族を打倒する話というのは世界各国にあるでしょう。

 

また、人間には主に父親からした受け継がれない遺伝形質というのがあるそうです。(Y染色体とかは男性のみがもっていますよね)。

 

なので、自分の民族に得意な遺伝形質を外部に流出させなように男性の生殖を管理する場合などがあると思います。

 

たとえば、天皇位の相続問題で「男系男子は良いが男系女子は良いのか(女系は問題外)」とか議論があるとも居ます。

 

あれは、古来の天皇一族において男性によって継承されるなんらかの遺伝形質をどうしても次代に受け継がせたいという思いから来ている可能性があるとおもいます。

 

現代でそれが重要なのかは判りませんが、特定の遺伝形質を他国に流出させたくないとか、外国の遺伝形質を流入させたくないとか昔の支配者層は色々考えていたのではないでしょうか。(そのようなのは大抵支配者層の考えです。庶民などはそんな事は考えずたいてい好きに惹かれ合って子供を作ります)

 

 

中世ヨーロッパなどの貴族社会でも似たような事は起こっていたと思われます。

 

あの時代は王族や貴族の近親婚とかいろいろはっちゃけたことをやっていましたが、上流階級の遺伝形質を庶民に流出させないとかそういう意図もあったかもしれません。

 

これは上流階級の得意分野である政治を庶民に参加させてやるものかという意図でしょうか。

 

しかし、おそらく長い間の歴史で上流階級の遺伝形質は非上流階級層にちゃっかり流出してしまっていたのでしょう。

 

上流階級の男性の女遊びが原因でしょうね。

 

そのために、次第に政治的に賢い人達が庶民に増えてきて階級社会がひっくり返ったのでしょう。

 

比較的平等な社会になった現代でも、政治というのは教えられたからといってそうそう簡単に出来るものではありません。

 

政治が得意な人間ってそう多くないです。

 

中世ヨーロッパではそういった政治得意マンが上流階級に集中していたのでしょうね。

 

 

キリスト教で有名な聖母マリアは、「自分が天使に受胎された」とか「処女で子供を妊娠した」とか言う明らかに妄想過多で病気な女性です。

 

聖母マリアはおそらく統合失調症だったのでしょう。

 

これは、おそらくマリアは現代では統合失調症の方に多く見られると予想される、とてもドーパミンの感受性が強い遺伝形質をもっていたと思います。

 

そのような遺伝形質を持った女性がが、例えばユダヤ系の非常にIQの高いつまりセロトニンの感受性が高い遺伝子を持つ男性との間に子供を産んだら非常に安定的に高ドーパミン状態を維持できる子供が生まれる可能性が高いです。

 

イエス・キリストは統合失調症だという研究もありますが、実際はドーパミンの感受性が高い遺伝子とセロトニンの感受性の高い遺伝子を両方持った人間であった可能性が高く、病的な妄想などは生じていなかった可能性が高いです。。

 

現代の基準でならたしかに統合失調症的だとおもいますが、統合失調症ではなかったと思います。

 

このようなタイプは現代ではそれなりに居ますが、当時のユダヤ文化圏には非常に少なかったのではないでしょうか。

 

当時の多くのドーパミン感受性の高い女性たちは魔女あつかいされて迫害されていたと思いますし、高セロトニン感受性の遺伝子を持つようなユダヤの上流層とは交流があったとは思えませんしね。

 

おそらくは、ドーパミン感受性が極端に高い女性だったマリアが、ユダヤ上流層の男性に強姦でもされてしまったのではないでしょうか。(恋仲だっというのは、病気を発症しているわけですし考えにくいです)

 

それで、そのストレスから統合失調症を発症してしまい、わけがわからない事を言って天使がどうこう言ったのではないでしょうか。

 

当たり前ですが、人間は処女では妊娠できません。

 

そんなこと言う女性は明らかに精神的な病気です。(何かの言い訳だっという線もありますが、こんなすぐバレる嘘を言い訳に使う人はあまり居ないでしょう)

 

しかし、そんなマリアから産まれたイエスはユダヤ系の高セロトニン感受性の遺伝形質と、魔女的な高ドーパミン感受性の遺伝形質を受け継ぐ、超人的な男性だったのでしょう。

 

これは当時のユダヤ社会ではかなり異端な男性だったと思います。

 

ハッキリ言って、王の器です。

 

そんな人間が母マリアの教育でユダヤ上流層でなく庶民の味方についてしまったら、そりゃ当時の王様も恐れますよ。

 

そして、キリスト教というのはかなり女性的な感性を持つ宗教です。

 

まあ、隣人愛とか愛とか献身とか言っている宗教ですからね。

 

キリストは高セロトニン感受性を持つ遺伝形質をもちながら高ドーパミン感受性を持つ遺伝形質を持ち、そして男性ホルモンが強くない中性的男子だったのではないでしょうか。(キリストの像などの多くは細面の痩せ型ですし、マッチョではなかったと思います)

 

母親の教育で女性的な感性を育てるようにしつけられた中性的男子は、当時の男性的なユダヤ社会じゃとても生きづらいですよ。

 

色々苦労したのではないでしょうか。

 

精神的な世界に救いを求めてインドに行ったり、そこでインドの密教的なやり方を学んで自分の物にして自国で弱者や庶民の救済にあったたのではないでしょうか。

 

そんな当時のキリストやその弟子たちは、当時のユダヤの支配者層からみたら明らかに「魔女的」です。

 

キリスト教が当時は邪教であったのもうなずけます。

 

まあ結局、ユダヤの支配者層に眼を付けられて殺されるのですが。(これに関しては、逃げて生き延びたとか色々言われていて異論があると思いますが)

 

キリストの教えも結局は、寛容な部分を取り除かれて支配者たちの政治のツールにされてしまいましたし。

 

もし、キリスト教に当時の教えが残っていたら、中世の魔女狩りのような事が起きるはずはあなかったでしょう。

 

元々、原初のキリスト教は非常に魔女的だったと思われますので。

 

ユダヤ上流層からの権能の簒奪になるのでしょうか。

 

他にもアメリカのインディアンやオーストラリアにアボリジニなどは、彼ら原住民に多い高ドーパミン感受性を持つ遺伝形質を白人入植者に簒奪されてしまったのだと思います。

 

特にアメリカでは民族がごちゃまぜになっていたりしますので、あそこは拡散した高ドーパミン感受性の遺伝形質を持つスピリチュアルな感性を持つ人がたくさんいるわけです。

 

 

他にも、ナポレオンの十字軍遠征とかも、おそらく遠征途中で現地の女性を抱いていただろうからあそこらへんにナポレオンとか十字軍の血が現地に混ざっただろうとか、シルクロードでは西から来た商売人とかは交易が盛んな地域ではさぞ楽しく女遊びをしたんだろうなそこらへんで血が混じったのだろうなとか。

 

国際的な交易都市の遊郭はいろんな血が混ざる原因になるだろうなとか思います。

 

昔はいまより避妊の技術が拙かったです。

 

コンドームやピルもないですしね。

 

商売がうまくいった時の高揚感で一発みたいなかんじでしょうか。

 

外国人だから商売が終わったらさっさと自国へ変えるだろうし、昔の旅行事情では外国にはそう安々と行けなかったから子供が出来ても会うこともないし気にすることもなかったのかもしれません。

 

江戸時代の遊郭などでは妊娠した女性は子供を堕胎させるように促されていたそうですが、それでも産みたいという女性は居たのではないでしょうか。

 

西洋人には東洋系の女性が大好きな男性は一定するいるようですし、西洋人男性好きな東洋の女性も一定数いるみたいですし、西と東の交流がある場所では昔からいろいろあったろうなとおもいます。

 

世の中西洋と東洋だけじゃないのでそれ以上に色々あるでしょう。

 

 

権能の簒奪とういのはもしかしたら故意に行われていた可能性もあります。

 

非常に不快な話になりますが、高ドーパミン感受性の遺伝形質を持つ人はそうでない人にくらべて統合失調症になりやすく、非常に不安定なのです。

 

古来より魔女は自然で規則正しい生活、厳格な規律などを守る必要がありました。

 

そうやって、意識的に高セロトニン状態を維持しないと精神をやられてしまうからです。

 

そういった方たちにとって高セロトニン感受性の遺伝形質はかなり魅力的です。

 

古来の魔女たちは薬草学などに精通していましたが、それは薬草などの手を借りて精神を安定させたりしなければ非常に不具合があったからです。

 

そういった精神に作用させる術を研究しなければ、まともに生きていけないほどドーパミン感受性が高かったためだと思われます。

 

高ドーパミン感受性は制御できればかなり魅力的な遺伝形質ですが、それが単独であった場合非常に高い病気のリスクを背負います。

 

最古の魔女などは、高ドーパミン状態で様々な存在の声を聞きながら、涙ながらに鼻水を垂らしながら薬草を調合していたと思われます。

 

必要は発明の母とも居ます。

 

なんで魔女と呼ばれる人たちが、薬草などに時代に削ぐ合わないほど詳しいと思いますか、なんらかの必要性がなければ科学技術(薬草の調合なんてまさに科学技術です)というのは急速に進歩しないのです。

 

高ドーパミン感受性は遺伝子変異により産まれた可能性が高いです。

 

おそらくその遺伝子変異が最初に発生した人間は非常に苦労したでしょう。

 

現代のような安価で比較的安全な向精神薬が簡単に手に入る時代じゃないのです、必死になって自分の頭の中に吹き荒れる何ともしれない声を聞きながら薬草を調合したり、修行したりしてなんとか高セロトニン状態を維持する様に努めたのだろうと思います。

 

現代医学だってその歴史は多くの方の不幸と試行錯誤と努力に彩られています。

 

魔女だって同じです。

 

このような非科学の世界だって、体系的な理論や方法論が出来上がるまでは非常に様々な苦労があったのだと思います。

 

そして、魔女的な人たちは人間の精神や魂の領域にも明るいです。

 

輪廻転生のシステムを信じていれば、高いセロトニン感受性を自分の子孫に取り込むために、その遺伝形質をもった男性をたぶらかしたり、あえて襲わせたりしたかもしれません。

 

そのように意図的に高いドーパミン感受性と高いセロトニン感受性をもった人間が産んだ可能性があります。

 

魔女は男性をたぶらかすというお話もありますが、このようなお話があるのは実際に魔女的な女性により高セロトニン感受性をもった男性が性的に狙われていた事実があったからかもしれません。

 

 

 

ここまで書いてきてなんですが、今回の記事はかなり陰謀論チックになってしまいました。

 

しかし、現実の政治や戦争なんてものは古代から陰謀だらけでからね。

 

私は比較的にそういうのには疎いですが、歴史とか国際関係論が好きな人達にはそういった陰謀はむっかしから普通にあるというのは理解してもらえると思います。

 

現代社会では、誰もが平等に勉強の機会を与えられているので、多くのことは努力次第という考えが広く信じられています(少なくとも表立っては)。

 

ビリギャルとか言うのもありましたよね。

 

しかし、ビリギャルはたまたま素養の高いけど学校の成績が悪い女の子がうまく学習方法がはまってやる気もあったので成功しただけだと思います。

 

現代社会には、一見勉強できない、貧困層出身で学習環境が整っていない子供でも中には現代社会で有利な遺伝形質を保有している子供がいるわけです。

 

そういう子供は、色々サポートしてあげれば比較的容易に社会的成功を得やすいです。

 

でも人間は色々です。

 

そもそも、勉強は根本的に得意ではない人もやっぱりいます。

 

そういう人は別のことに才能とか興味があったりしますが、やっぱり上記のような人より格段に努力しなければ社会的成功を得るのは難しいでしょう。

 

出来なくはないですが、人より何倍も努力する必要があるのです。

 

やっぱり世の中人より何倍も努力しなければ人並みの能力に達しないとか、人よりすいすい楽にできてしまう人は当たり前にいるのですから。(普通に生きていれば普通に経験します。これに関しては異論がある方は非常に少ないと思います)

 

やはり、勝てる土俵で勝負しなければいけません。

 

不得意・苦手な事で勝負しなければいけないなんて、圧倒的に不利です。

 

そりゃやる気も無くします。

 

 

そして社会だって、政治が得意な人が全くいない国家とか「これは不味い!」とか思うでしょう。

 

政治能力がある外国人を国に招致したり、できれば現地で自分の国の人間と子供作ってもらって自国に政治家を育てたいとか、戦略的に考えるかもしれないですよ。

 

今なら自国に外国のエンジニアを招いて、できれば自国の人間と結婚してもらって子供を設けてもらいたいとかやっているかもしれませんが。

 

そういう戦略を考えるのが政治家の仕事だったりするんですよ。

 

少し昔になるだけで人間の寿命は50くらいだし子沢山だし、一人外国人招いて子供作ってもらうだけで遺伝形質の拡散力が今よりずっとすごいですし。

 

思想や信念なんかは教育すれば良いですしね(これが宗教の役割だったかもしれないですね。様々な能力がある人が自国にほしいけど、統率が取れなくなるのは怖い。だから、宗教をつかって集団を統治して、宗教の改宗は許さない)

 

また、こうして考えると日本人にも様々なタイプがいそうですね。

 

西日本は東日本より西洋人(オランダ・ポルトガル)の遺伝子が流入してそうですし、東北あたりは稲作が盛んですから弥生系(朝鮮系)の人たちの子孫が多そうですね。

 

北海道にはアイヌ系の人の遺伝子やロシア系の遺伝子も入ってそうですし。

 

東日本には太平洋からの漂流者とか何系かわからないですがあってもおかしくないですし。

 

ヨーロッパ人みたいなものすごい混ざり方はしていないとは思いますが、日本人も色々混ざってそうですね。

 

特に戸籍なんか管理していない時代にはほとんど見た目で判断されるので、見た目日本人だけど意外と西洋人の血が濃いとかありそうですね。(明治維新の立役者にちょっとかっこいい人が多いのは気になりますよね。現代日本人の価値観でかっこいいと思うというモノゴトは、西洋的なものが多いですから)

 

最近では日本人の遺伝子のルーツの研究なども行われているので、色々ワクワクしますね。

 

自分の子供が外国人と結婚するのを嫌がる人がいますよね。

 

あれは、昔の時代は一人の人間が外国人と結婚してその遺伝形質を流入させたら結構な拡散力があって、将来の自国の文化に大いに影響を与えるというのが分かっているからでしょう。

 

やっぱり外国人との間に子供が出来たら自国民の遺伝子プールに変化が起こりますからね。

 

実際に、朝鮮との交流があった時代の後に仏教が広まり(弥生系の渡来人が主に広めた文化でしょう)、西洋との交流があった時代の後に明治維新がおき、日本人の国際結婚が後に文化の西洋化が急激に進みとかね。

 

いい悪いはともかく、確実に後世の社会環境や文化や国民の気質に影響を与えますね。

 

ちなみに、明治維新の立役者たちは西洋起源の遺伝形質が強いと思うので、その人達が社会的地位を得るようになって教育も文化もそっちに傾いて今や日本は西側諸国ですから。

 

そうなると、日本人の中で西洋起源の遺伝形質が強い人達が社会で地位を得るようになってその人達の子孫が日本で増えます。

 

また大学で行ったら、東大よりも京大の方が西洋的ですよね。

 

あれは、立地条件により遺伝形質がより西洋的な人が京大の方に多く集まるからです。

 

まあ実際の所そんなに単純ではないでしょうが。

 

東北の自殺率が高いのは、ロシア系の遺伝子が混ざっているからかもしれません。

 

ロシアは自殺率ばり高いですから。

 

大酒飲みだというのも一致していますしね。

 

 

ヨーロッパの歴史はもともと遺伝形質がバラバラな集団を宗教的価値観でまとめてきた歴史がありますね。

 

なので、あの当たりの国はイスラム系の移民の流入が心底嫌なんですよ。

 

遺伝形質がバラバラな上に宗教や文化までばらばらになってしまったら、国がバラバラになってしまいますからね。

 

まとめることが非常に難しくなります。

 

イスラム系の人間はイスラム系の国で生きろよなんで俺たちのキリスト教文化を壊してまで移民を受け入れなきゃならないんだよと言う強い思いがあるのでしょう。

 

ポリティカル・コレクトネスによって、国がきしみを挙げていますね。

 

これはそもそも、遺伝形質もバラバラ、文化もバラバラ、宗教もバラバラだったらそれって国として一つにまとめて扱うのって意味がないよねということがあるのでしょう。

 

イスラム系の文化の人はイスラム系文化の国を自分で作ってそこで生活してくれということであって、イスラム系移民を差別しているわけではないでしょう。

 

国の成り立ちを考えると、全くもって一つの集団としてまとめ上げれない集団は国として扱えません。

 

国というのは、1つの集団をつくることです。

 

その集団の生存戦略が宗教であり文化でり政治なのです。

 

連合国や合衆国では、やはり国単位州単位で独自に文化があります。

 

大きく見れば一つの国ですがまとまりがある単位で分けることでちゃんと機能するのです。

 

日本でも地域によって特色がありますよね。

 

やっぱり自分が落ち着いて暮らしていける地域というのがありますよね。

 

意外と自分の住んでいる都道府県というのは愛着があるものです。

 

よその文化というのは結構異質に見えます。

 

自分と同郷の人に対して好感を持つ人が多いと思います。

 

これはやっぱり、同郷の人のほうが遺伝子的に近くて、気が合うことが多いからではないでしょうか。

 

遺伝形質が遠くに住むひとより比較的近いですからそれ一緒にいて楽です。

 

どことなく感性が合うのでしょう。

 

たとえば声優の上坂すみれさん。

 

非常に詳しいロシアマニアとして有名ですが、彼女はどことなく西洋的な容貌をしています。

 

このような場合は、先祖のどこぞでロシア人の血が流入している可能性が高いです。

 

遺伝形質が近いということは感性とか習性なども近いということです、なんとなく親近感を覚えるでしょう。

 

例えば私なんかは中世ヨーロッパ当たりの文化が結構好きです。

 

無意識に惹かれるのは、ルーツの何処かにヨ―ロッパ系の血が流入している可能性があります。

 

これは前世がどうとかじゃないです。

 

遺伝子の問題です。

 

もしかしたら前世云々の可能性もありますが、遺伝子の影響の可能性が多いの高いです。

 

ということは遺伝子が近ければ文化も似るということでもあります。

 

感性や習性などとも関わってきますしね。

 

これを考えると遺伝子的に遠すぎる民族同士が一緒の場所で暮らすというのは、非常に難しいものがあるのが分かります。

 

ヨーロッパの移民問題はまさにそこにあるのです。

 

仲良くしようとしても、どうしても互いに齟齬が出てしまうのです。

 

ヨーロッパ系と中東系は昔から衝突がありますが、遺伝子は感性と習性を産み、感性と習性は文化をつくるということがわかればなんとも言えない気持ちになります。

 

環境の要因もあると思いますが。

 

ある遺伝形質が発現するには環境というも重要です。

 

遺伝子のオンオフが可能ですので。

 

たとえばですが、魔女というのは才能が100%です。

 

才能がなければ魔女になれる可能性は0%です。

 

これは遺伝形質の問題ですので。

 

魔女の才能がある人は魔女的な感性や習性が生来ありますので、魔女というのにどことなく惹かれる可能性が高いです。

 

才能がある人しか魔女に成れません、偉大な魔女になれるかは努力次第です。

 

自分の本来の感性や習性に沿った生き方をしているならば、かってに遺伝形質が発現していき魔女的な能力は身につきます。

 

そうしてればいずれ魔女的な導きを得るでしょう。

 

才能ない人は一生無理です。

 

 

今の時代日本にはいろんな遺伝形質を持った人が居ます。

 

画一的な社会構造はもはや無理があります。

 

小学校からのプログラミング授業とか英語授業とか。

 

あんなの、それに興味をひかれる子供だけに習わせておけばそれで十分です。

 

興味を惹かれる子供は多分才能アリです。

 

才能アリの子供を十分にサポートする環境さえ整えれば後は政治の分野で解決するしか無いです。

 

興味のない子にむりに習わせても、苦手意識をもって勉強が嫌いになるだけです。

 

それで興味があることにまでやる気を失ったら最悪ですよ。

 

人間ってなんとなく興味が惹かれることや気になることってありますよね。

 

それってその気になるモノゴトの世界に自分の感性が近いからなんとなく惹かれるのです。

 

そのような世界は、自分と似たような感性をもった人間が築き開けた世界だからやっぱり得意分野になりやすいです。

 

そのような分野では努力があまり必要なく上手く出来ることが多いし、やってて楽だし、インスピレーションもガンガン湧きます。

 

逆に、興味のない世界を金のためだけでやっても、自分より才能のあるやつばかりでイライラしますよ。

 

周りについていけないですし、努力も人一倍要ります。

 

その分野で有能な人が自然と身に着けている感性とか習性が身につかないので、全然モノゴトも上手くいきませし、差を付けられます。

 

そしてやっぱり金もあまり稼げません。(これは非常に重要)

 

そしてそんなやつがいたら結構周りに迷惑です。(すごく悲しいですけど事実です)

 

 

私なんかこうして文章書いているのがくっそ楽しいです。

 

得意だし、やってて面白いし、インスピレーションガンガン湧くし。

 

そんな人間です。

 

これを金に出来たらなぁとも思います。

 

最近toshoのブログにいいね!してくれたりする方が多いです。

 

それなりに認めてくださる方がいるようですが私は案外普通の人間ですよ、アニオタで独身20代男子です。

 

でもそれなりに認めてくれる方もいるようです、だって得意分野ですもん。

 

そして完全に趣味でやっているので、好きな時間に書きたいことがあったら書いています。

 

そんな感じで2年も好き勝手書いていると、個人的な研究は結構進みます。

 

 

これを読んでいるあなたもこのような感じで得意分野で勝負するのがよいかもしれません。(断然お勧めします)

 

とかく自分が惹かれる国を一度旅行してみるのも良いですし、国内でも良いです。

 

そういうところには結構あなたの感性に合う文化とか、ビジネスとか人とか色々あると思いおます。

 

そういうトコ行くと「私これやってみたい!」というようなドンピシャなモノがあったりするんですよ。

 

今自分が惹かれる者が身近にない人は、遠くにそういうものがある場合が多いのです。

 

身近に惹かれるモノが無いということは、感性が国内よりじゃないのです。

 

どっちかというと海外とか、住んでいる都道府県外とかにあったりするのですよ。

 

そういう所がルーツの遺伝形質がオンになっている可能性が高いです。

 

でもそういうのって意外にそれを発見する機会が無いです。

 

たまたま遭遇する人も居ますがそういうのは稀です。

 

また、そういった人は興味を引くモノが身近になくて結構退屈でつまんないですよね。

 

そういう方にたまに「国内でも通用しないのに、海外で通用するわけ無いだろ」と言う方がいます。

 

それは全くの逆です。

 

国内で通用しなくても、海外の「方が」通用するのです。

 

日本人は昔から、自分を自国を低く見て、海外を高く見上げることがあります。

 

完全な思い込みです。

 

国内で通用しないけど、海外では通用する人は今の時代の遺伝子のルーツが多様になっている日本ではかなり多いのです。

 

積極的に旅行とか遠出とか外国の情報を集めてください。

 

なんか感性が合うようなピンと来るやつがあるはずです。

 

すくなくとも、あなたの身体を構成する遺伝子は過去の地球のどっかにルーツがあるので、今現在オンになっている遺伝形質が関わっている文化は地球の歴史上のどっかにあるはずです。これは間違いありません。

 

なんだったら、太古の文化とか調べてみるのもいいかもしれません。

 

マヤとかアステカとかそういうのでもいいです。

 

そういう方って案外、現在のマヤ文明の継承者より古代のマヤ文明人に近い感性を持っていたりするので、現在伝わっているマヤの歴史以上の事を発掘できる可能性があります。

 

現代のマヤ文明の継承者は、文化がだいぶ失伝していたりするし遺伝形質もかなり変化しています。

 

またそういうような方は、ちゃんと歴史的資料を調査するとかそういう地道でアカデミックな努力を欠かしてはいけません。

 

感性が近いからと行って現在のあなたは、全然現代日本の文化に染まっています。

 

遺伝形質の本来性はそこまで発現していません。

 

ちゃんと地道に努力で知識を収集して調査などしてください。

 

当時の言葉とか学ぶのに適性があります。難しいかもですが努力してはいかがでしょうか。

 

 

外国語の習得とかもそういったルーツに関わる場合が多いです。

 

私なんかは英語は学生の頃から別段勉強しなくてもテストで高得点を取れました。

 

英語はかなり得意分野です。

 

ヨーロッパの方は近隣の国とかと民族的な交流があるので、近場の国の昔の人の遺伝形質がオンになっていたりします。

 

言語族も近いですし学習が容易です。

 

感性が近いですし、頭の中にすらすら入ってきます。

 

言葉を聞いていてなんとなく何言っているか分るという物があるのです。

 

もちろん勉強は必要ですが、言い回しとか言語の起源とかピンとくる場合が多いです。

 

逆にそれが全くピンとこない人がいます、とても残念ですがあまり上達しにくいです。

 

 

 

いかがでしたでしょうか。

 

ものすごく長い記事になってしまいました。

 

本当にいろんな所に話が飛びました。

 

記事を幾つかに分けた方が良かったかもしれませんが、ベースのテーマは一貫しているのでまあ一つの記事でいいでしょう。

 

日本人の遺伝的ルーツは今の時代は実は本当に多様になってきています。

 

色々な人が多様な遺伝形質を発現しているので、現代の学校教育や文化に合わない人が大勢居ます。

 

今の状態で画一的な社会制度を施行し続ければ、多くの人がフラストレーションが溜まった生活をおくることになります。

 

日本人が単一民族国家という考えはもはや捨てたほうがいいかもしれません。

 

古来の純粋な大和民族なんてもうほとんど残っていませんので。

 

この長いなが~い記事を読み終えた方はとりあえず自分の遺伝的なルーツを探ってみるのも良いかもしれません。

 

toshoのブログを好んで読んでるような方は結構外国がルーツの遺伝形質を発現している可能性があります。

 

自分でも思いますが私ってものすごく特殊な感性をしていますので。

 

日本以外の国が色々混ざっているっぽいです。

 

 

知らない事には誰だって興味など持ちません。

 

持ちようがありません。

 

情報を積極的に収集したりしないと、自分がどんな事に感性があっているかは分かりません。

 

テレビでたまたまみた外国の風景にピンとくることもありますが、そのような受け身では駄目です。

 

自分の身近にあるものや国内の文化にピンとくるモノがない場合明らかに感性が外国よりです。

 

もちろん自分の住んでいる都道府県外の方も多いでしょうが。

 

積極的に自分のご両親やご先祖様のルーツをしらべたり、家族の趣味を聞いてみたり。

 

何代か前に代わった趣味を持った人がいなかったかとか。

 

自分の容姿を分析してなに人っぽいとか分析してみたり。

 

本屋の中を練り歩いて何か興味の惹かれる本がないか探してみたり。

 

興味のある本がどんな人が書いたかどんな国がその最先端かとか調べてみたり。

 

外国語を聞いて好きな響きの言葉があるか探してみたり。

 

世界の宗教の中で何に対して「まあ、いわんとしようとすることはわかるわ」という反応を返すのか考えてみたり。

 

外国の紙幣や硬貨の中で「良いじゃん!」というものがないか探してみたり。

 

好きな動物がどのような国で多く飼育されているかとか。

 

好きな音楽がどのような国の音楽家とか。

 

どんなマンガやアニメを好むかとか。

 

そのような事を調べてみて、なんとなくここらへんかな~というのを特定してみてはいかがでしょうか。

 

そして今回も書きますが、この記事の内容は決して鵜呑みにしないでください。

 

自分の頭と感性を使って考えて納得できるようなら自己責任で参考にしてください。

 

今回の記事は以上になります。

 

ではでは~。

 

 


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ポジティブ(ドーパミン):ネガティブ(セロトニン)

こんにちは、toshoです。

 

今回の記事は、「ポジティブ:ネガティブ」です。

 

 

ポジティブエネルギー(ドーパミン)マシマシの方は、ネガティブエネルギー(セロトニン)で重しを付けましょう。

 

スピリチュアルな世界でポジティブエネルギーという呼ばれ方をしているものは、人間の体内にはドーパミン(あるいは興奮性神経伝達物質)で、ネガティブエネルギーという呼ばれ方をしているのがセロトニン(あるいは抑制性神経伝達物質)という形で現れています。

 

スピリチュアルな世界では「ポジティブ!最高」とか言われています。

 

確かに、ドーパミン(ポジティブエネルギー)が増すと、気分もアゲアゲ右脳能力も開発され超越能力も獲得できたりします。

 

行動力も、エネルギーレベルも、波動も上がるという寸法です。

 

しかし、ドーパミン(ポジティブエネルギー)だけが不自然に上がった状態は、普段の生活を送る私たちからしたらかなり奇妙に時には不自然に見えます。

 

あまりにドーパミン(ポジティブエネルギー)とセロトニン(ネガティブエネルギー)のバランスが悪い状態は身体にも精神にもよくありません。

 

ドーパミンレベル(ポジティブエネルギー)だけが高すぎると、現代社会では統合失調症とか診断されてしまいます。

 

必ず、セロトニンレベル(ネガティブエネルギー)も高めて身体と精神を安定させる必要があります。

 

まあ言ってみれば、魔女の掟のようなものです。

 

人よりかなりドーパミンレベルの高いESP能力者や霊能力者やエンパスの方は、意識して生活を規則正しいものにしたり、毎日軽い運動を行ったり、デジタルデバイスを使いすぎないようにしたり、瞑想したりしてセロトニンレベルを高める生活をする必要があるということです。

 

でないとドーパミンレベルとセロトニンレベルのバランスが大きく崩れて、ポジティブに偏りすぎてしまうのです。

 

そのような状態は、本人的にはふわふわした感じがして気分高揚していてとても楽しい状態ですが、身体も心もあっちいったりこっちいったり、うろうろ衝動的になります。

 

セロトニンレベルが低いので、自己抑制能力が減少したり体内の概日リズムが大きく乱れます。

 

本来ならば、ドーパミンレベルがとても高い状態でもセロトニンレベルも安定して高ければそのような状態には成らず、高位の仙人みたいな状態になります。

 

つまり、エネルギーレベルが高く、超越能力も発揮し、波動が高いのに、非常に安定していて精神も緩やか穏やかというわけです。(睡眠は少なくなりますが)

 

あるいは、「史上最強の弟子ケンイチ」の梁山泊の達人の様な感じです。

 

しかし世の中では手っ取り早い方法で超越能力を獲得しようと、ドーパミンレベルだけを妙な修行でちゃちゃっとあげようとする人も多いと聞きます。

 

特殊な瞑想で変性意識状態になりドーパミンレベルをグッとあげる。

 

そして、どのドーパミン過多の不安定な妄想状態を日常的に好んでいる。

 

これは非常に危険です。

 

変性意識状態に好んでなろうとするのは、ちょっと怖いやり方です。

 

一時的にドーパミン過多の変性意識状態になっても、しばらくしたら簡単に変性意識状態は解けます。

 

その自然な状態を特殊な技法で弄るのですから。

 

昔の記事にも書いていましたが、変性意識状態は必ず解かないと脳内で情報処理が正常に行われず記憶や人格や思考の統合が崩れます。

 

これは、脳内の正常な情報処理に必要なセロトニンが足りない状態が続いてしまうからです。

 

簡単に言えば、脳の論理演算には興奮性神経伝達物質と抑制性神経伝達物質の両方が潤沢に必要だということです。

 

セロトニンが足りないと、神経パターンの不活性が出来ず、情報のゴミが残って上手く統合できなかったり、思考のキャンセルや思い込みの消去、生理的な反応の抑制ができなかったりします。

 

なので、変性意識状態同様のドーパミンレベル(ポジティブエネルギー)だけが不自然に上がった状態は目指さないようにしましょう。

 

陰陽のバランスを保つのです。

 

陰すなわち、ネガティブエネルギー=セロトニン

 

陽すなわち、ポジティブエネルギー=ドーパミン

 

このように置き換えてみて考えましょう。

 

対極陰陽図のように、陰陽の気(セロトニンとドーパミン)は安定して、概日リズムに則って減少したり増えたりします。

 

生活にメリハリをつけるのです。

 

生活にメリハリが付くと、人間不思議なことに安定した高いレベルでセロトニンレベルとドーパミンレベルを維持できるのです。

 

このような状態が持続できると人間人生が上向いていきます。

 

行動力やポジティブな気持ち、精神的な安定などが増してくるからです。

 

現代人はそれが出来ない方が多いですが、多くの人が高レベルのセロトニンレベルとドーパミンレベルを必要としていると思います。

 

また、現代人特にサラリーマンは、我慢我慢の連続でセロトニン神経回路=左脳ばかり鍛えていますが、我慢のし過ぎでセロトニンの生産量が我慢に追いついていないです。

 

そこまで酷使すると、セロトニンを生産する機能に負荷がかかりすぎて壊れてしまいかねません。

 

酒を飲みすぎると肝臓が壊れるように、我慢し続けるとセロトニンを生産する箇所が壊れてしまうかもしれません。

 

そうしたら、安定してセロトニンを生産できなくてうつ病になってしまいます。(仮説です。実証されていません。鵜呑みにしないでください)

 

こうなったらいろんな事に我慢ができなくなります。(抑制性神経回路が機能不全に陥るので)

 

会社にもいけなくなりますし、心理的なストレスも弱くなります。

 

また、妄想症状が出たり、肉体のストレス反応を抑制できなくなったり、概日リズムが壊れて不眠症になったりします。

 

我慢しなければいけない状況が多い方は、なるべく生活リズムを整えて、規則正しい生活、適度な運動、かるい瞑想などでセロトニンレベルを落とさない様に気をつけてください。

 

その上で我慢がいらない状況というの模索すると良いかもしれません。

 

とかく日常的に我慢やストレスにさらされている現代人は、習慣的な運動を一つ続けるだけでかなりストレス耐性に違いが出てくると思います。

 

毎日の瞑想でも良いですが、意識してセロトニンレベルをあげる試みが大事です。

 

毎朝の散歩や、週末の軽い運動、室内で行える趣味を続けるなど。

 

精神が安定するようになんとなくこれをすると落ち着くなという行為を続けるのです。

 

規則正しい生活と長く続けられる趣味は人間の味方です。

 

若い人は特に若い時からそのような生活を心がけると、心身を病むような事を予防できるでしょう。

 

しかし、若い人ほどきつい状況にある事が多かったりもしますが。

 

ちなみにセロトニンだけが不自然に多い状態は、抑うつ状態です。

 

現代人はこの状態の人もかなり多いですね。

 

鬱々とした気持ちになるというのは、あれはドーパミン不足です。

 

ドーパミンは快楽ホルモンですのでそれが少ない状態だと脳に快楽を感じず欲求不満が溜まります。

 

この状態が抑うつ気分です。

 

抑うつの方はドーパミンをマシマシにしてあげれば良いので、楽しいことややりたい事やったり物事のポジティブな面にフォーカスすれば良いです。

 

鬱=セロトニンが過少

 

抑うつ=ドーパミンが過少

 

ですね。

 

抑うつの方に鬱のためのセロトニンマシマシになるお薬出しても意味がないですね。

 

抑うつ=ドーパミンが過少の方もこれこれはヤバイです。

 

鬱と一緒で、ドーパミンも脳内の情報処理に欠かせないホルモンなのでこれが少なくっても精神活動に問題が出てきます。

 

とかくやる気が起きない。知的活動が停滞する。(抽象的な思考とか集中力とかそこらへんにダメージが起きます。好きな小説を読んでも全く楽しくないとかこれは、抽象的な概念に対する理解ための感覚の強化が行われなくなる傾向です。症状が重くなると、文章の意味が追えなくなるとか。言葉を聞いても意味がわからなくなるとかあるので要注意)。

 

世の中鬱と抑うつがごっちゃにされがちなのです。

 

 

 

いかがでしたでしょうか。

 

色々書きましたが、鵜呑みにしないでください。

 

思考の種にするかそんなこと言っているやつがいる程度に留めておきましょう。

 

とりあえず試して検証してみるのは一向に構いませんが、慎重に試したほうが良いです。

 

試すなら規則正しい生活などはあたりまえに大事ですので、そこから検証してみてはいかがでしょうか。

 

このブログはtoshoが不勉強(こればっかりは申し訳ない)な上に非常識な仮説の上に成り立っています。

 

デタラメだとは思っていませんが、多くの検証が求められる内容だと考えています。

 

これから色々世の中発展すると思うので、その流れで証明されるかなと思っています。

 

今回の記事は以上になります。

 

ではでは~。

 

 


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子供は感情で動く:子育ては難しい?!

こんにちは、toshoです。

 

今回の記事は「子供は感情で動く」です。

 

 

子供は感情で動くっていうのはなんでかっていうと、子供(0~12歳くらい)の子供は、左脳のセロトニン神経回路が未発達で相対的に右脳の発達が顕著だからです。

 

でもって、なぜ右脳優位だと感情で動くのかというと、抽象的な概念や論理というのは左脳が発達しないと上手く理解できないからです。

 

またそれは、右脳優位じゃないと第一言語の学習ができないためです。

 

子供(0~12歳くらい)は、右脳優位なために「脳の同調・模倣・共感能力」を強く発揮できるのです、その能力によって親や周囲の大人のはなす言葉を聞きながら彼らの脳に強く同調して彼らの内部状態を申しながら(魚のイメージ読み取りながら)はなす言葉を聞くのです(魚という言葉を聞く)。

 

そのために、内部状態と発した言葉を関連付けていくことで言葉を覚えていきます。

 

また、0~3歳くらいの小さな子供は母親との境界が曖昧です。

 

これは、本能的な母への好意により、母親にたいして「脳の同調・模倣・共感能力」を強力に発揮するために、母親の内部状態(思考・感情等)に対して強く模倣・共感して母親と自分の思考や感情の区別がつきにくいためだと思います。

 

子供が母親の喋る言語を第一言語として学習しやすいという研究がバイリンガルの研究でありますが、それは子供はメインとして母親に対して好意を強く抱くからではないでしょうか(単純に、接触の機会が多い。単純接触効果の影響も強いでしょうが)。

 

母親への好意が強ければ右脳優位である子供時代は母親に対して脳が同調しようとするので、母親の話す言葉と内部状態を関連付けることによって言語を学習していくのではないでしょうか。(別に母親だけでないですよ。父親や周囲の大人にだって好意があれば強く同調します。)

 

そんな理由で子供というのは左脳の発達が未熟で右脳優位なために、言語の学習がスムーズにできるのだと考えられます。

(ちなみに、この理屈だと「脳の同調・模倣・共感能力」に強く関与するミラーニューロンの発達が弱い自閉症の子供は、親の言葉と内部状態を関連付ける事がとても苦手ということになり自閉症の子供の言語の学習に難が生まれる可能性が高いということを説明できます。まあ実際のところは分かりません)

 

そんなこんなで子供は周囲の人間の内部感情に対して強く同調・模倣・共感する能力が高く、そのため内部の感情や思考を読み取り、言葉の発達が未熟で、抽象的な表現や論理的な能力に欠けます。

 

小さい子供は、周囲の大人の言葉をあまり理解していません。

 

当然です、まだ学習している最中なのですから。

 

しかしある程度の年齢になると左脳が発達して自己抑制能力や抽象的な表現や論理的な能力も発達していくでしょう。

 

これはいろいろな経験をして様々な状況や人に触れていくと、睡眠時や休息時に脳が自動的な色々な情報を整理して統合していくからです。

 

脳の中の論理演算はセロトニンとドーパミンのどちらも重要ですから、その両方が十分に脳内に放出されているならば普通に生活していくだけで勝手に知能は発達していきます。

 

一般に子供は3歳くらいに言葉が急激に発達していくのでしょうから、だいたい3歳くらいから徐々に左脳が発達していくのだと思います。

 

逆に言うと3歳までの子供は、右脳が極端に優位なので半ば動物のようなものだと思います。(子供も動物を卑下するつもりはありません。動物は言葉は話しませんがとても知的な存在です。)

 

一般に理性と呼ばれるものは、左脳による自己抑制が大いに関係するので、左脳の発達も弱いから理性もない、右脳の発達は極端にあるから鬼のように衝動的・感情的という様な状態です。

 

これは人間の健全な発達過程ですが、それくらいの子供を育てる親御さんはそれはもう大変でしょうね。

 

それくらいの子供は親の言葉を聞いてるようでほとんど内側の感情を観ているので、言葉による教育はちょっとマダ難しいかもしれません。

 

子供を叱るときも褒めるときも、親の内心を見透かすので上辺の言葉だけで叱ったり褒めたりしてもあまり響かないです。

 

親も一緒に感情的なならないと上手く伝わってくれません。

 

感情的になるというのはヒステリーになるということではなく、叱る時は本気で怒る、褒める時は本気で喜ぶと言った感じです。

 

本気の感情はすんなり伝わってくれます。

 

本気で怒ったり本気喜んだりするのはかなりのエネルギーを使いますので非常に疲れますが、昨今色々省エネが叫ばれています中子育てまで省エネになってしまったら子供がかわいそうなので小さいこどもがいる親御さんはがんばってください。(かなり無責任に言い放っているのでご不快な方もいらっしゃると思います。そのような方はまずご自身を労ることから始めてください)

 

人間心底疲れていると本気怒るのも喜ぶのも難しくなるので、現代社会で多くいる忙しく働いている親御さんのご家庭はなかなか大変だなと思います。

 

怒りたい喜びたいけれども疲れて怒れないというのは、結構深刻な問題ですから。

 

ちなみに子供は本気で叱られたらちゃんと判ってくれますが、なぜ叱られたかまでは推察できません。

 

本気で叱る時は本気で怒って、なぜ怒ったかも教えてあげましょう。

 

そうすることで、怒られた時の恐怖とその原因をセットで記憶して、怒られる原因となる事は避けるようになります。

 

しかし、子供とは相当エネルギーにあふれる存在で、一回怒られたくらいではやめない場合もあります。

 

怒られるのが嫌だからこっそりやったりしますよね。

 

しかしそういう場合は、何度でも本気で叱るしかないです。

 

子供が飽きるまで叱り続けるしかないから親御さんは非常に疲れます。

 

かなり大変ですが、そこれ疲れて叱るのをやめたりすると駄目な感じで子供が学習してしまうので、あとあと学校とかで問題行動を起こすこともあるかもしれません。

 

ちなみにものによりますが、裏技で安全な環境で飽きるまでやらせてあげるということをすると、子供はちょっと楽しんだあとはすっかり飽きてしまって興味をなくしてしまうでしょう。

 

 

叱らない子育てというものを聞きます。

 

それが実際にどのようなものかは知りませんが(ごめなさい。まったくの勉強不足です)、言葉どおりの意味の叱ることをしない子育てはおすすめしません。(ちなみにtoshoは叱られた事はほとんどありません。すごい内気で大人しく真面目な子供だったのであまり叱られるような事はしなかったというのもありますが。今では怒られるのが苦手な大人になってしまいました。。。逆にtoshoさんて怒ることあるんですかとか言われる程度には怒らない人間ですが)

 

子供を一人の人間として尊重した子育てをするのはとても大事です。

 

しかし、子供を「理性的な大人」として扱う子育ては色々と問題があります。

 

一人の人間として尊重するのは、子供の価値観や好き嫌いや人格を受け入れ否定すること無く尊重することです。

 

理性的な大人として扱うのは、子供を理屈が通じる、分別のある人間として扱うことです。

 

子供に理屈が通じるようになるのは、大体中学生から、速くても小学校高学年くらいからです。

 

それまでは子供は「感情で動く生き物」であると理解する必要があります。

 

だから、小さい子に理屈で訴えかけるには、情に訴える「感情の論理」(〇〇をすると、Aちゃんが嫌に気持ちになるんだ。君はAちゃんが嫌な気持ちになったら嬉しい?それともかわいそうだと思う?とかいうやつ)を丁寧に訴えかける必要があります、大人が日常で使う「理性の論理」(AかつBならばCとか)はまだ早いです。

 

理性の論理は類推能力が発達する時期にならないと上手く理解できないのです。(それが発達するのが早い子供もいますが。。。)

 

しかし、叱らない子育てがいい悪いというよりも、子供を育てる際に「黄金律:ゴールデンルール」があると思ってしまう方が危ないですね。

 

話がとてもそれました。

 

子供は右脳が優位なので感情で動きます、それは理屈では動かないということでもあります。

 

理性の論理は通用しないですが、感情の論理ならば通じます。

 

それがだいたい中学生になるくらいまで続きます。

 

中学以降に左脳の発達が顕著になってきて、類推能力とか、抽象的な概念に対する理解度等が上がってきます。

 

理性の論理が身につきます。

 

まあ、左脳優位になる子も右脳優位になる子もバランス型になる子も色々ですが。

 

また、小学校段階で左脳を発達を促すような教育をすれば、類推能力とかはもっと速く身につきます。

(左脳の発達は、抑制性神経系の発達でもあります。規則正しい生活をさせて適度に自制を覚えさせれば良いと思います。習い事をさせて習慣的で継続的な努力を身に着けさせれば、左脳は発達します。でも、そればっかりやると右脳が鍛えられないので真面目だけど色々と低エネルギーでやる気や行動力に乏しい感じなる可能性が高いです。そのような感じに大人は今の世の中いっぱいいますね。私としてはやりたい事をやらせてあげることも重要だと思います)

 

 

いかかでしたでしょうか。

 

毎回のごとく話が脱線しまくりでした(笑い。

 

子供は感情で動くのです。あまり理屈は通用しません。

 

そんな子どもたちを育てる親御さんたちはとても大変だろうとおもいます。

 

toshoの兄は数年前に結婚して今では3歳の娘のパパです。

 

たまにその姪っ子と会いますが、私は子供と接するのは得意ではないので毎回おっかなびっくりです。

 

この年になっても子供相手に人見知りを発症するという事態になんだかなさけなくなったりすることもあります。

 

でも、世の中私みたいな男性は意外に多いと思うのでよくあることと言う感じで自分を慰めています。

 

個人的には1個上の兄が結婚してすでに1児の父というのは羨ましいなとすくなからず思ってしまいますね。

 

彼は彼なりに大変な思いをして子供を育てていると思うとなんだか自分の兄に対する尊敬の心が湧いてきますよ。

 

まあ、toshoの私生活はこんな感じですね。

 

この記事の内容は、独身の20代男子が「子供は感情で動く」なんてことを理屈っぽく語っているだけなので、そんな鵜呑みにせずにそんなこと言っているやつが居ると言う程度に留めておいてください。

 

今回の記事は以上になります。

 

ではでは~。

 

 


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自他同一:同調する脳、模倣する脳、共感する脳、同一視する脳

こんにちわ、toshoです。

 

今回の記事は、非言語コミュニケーションである脳同調型共感コミュニケーション(今回勝手に名付けました)についての考察です。

 

今回の記事で初めて定義する「脳同調型共感コミュニケーション」は従来の言語コミュニケーションとボディランゲージなどの非言語コミュニケーションに加えて、一般にテレパシーや霊感・エンパス能力とも呼称される非従来的なコミュニケーション方法を整理したものです。

 

では、なぜ「脳同調型共感コミュニケーション」という名称になったかというと、テレパシーや霊感・エンパスなどの能力は、脳のミュラーニューロンや松果体等の機能だと推測される「同調・模倣・共感」機能により直接的な非言語コミュニケーションだと思われるからです。

 

このブログの過去の記事でも書きましたが、人間の脳は互いに同調して、互いの内的状態を模倣することによって、互いの感情を自身に内部的な再現して、その再現した感情に共感するという仕組みがあります。(これは別に科学的な証明されていることではないです。このブログの仮説です)

 

この一連の機能あるいは能力をこのブログでは「脳の同調・模倣・共感能力」と呼称しています。

 

この能力には以下の生物学的な仕組みがあると思われます。

 

人間の思考や感情や動作などの精神および身体活動には、必ずそれに伴い神経活動がああります。

 

人間の神経活動には電位の変化があり、電位変化の際には物理的学的な電磁波が発生します。

 

人間の脳は、体外の電磁的な振る舞いに影響を受けます。(あたりまえですよね。物理的に連続しているのだから)

 

人間の生体活動が発した電磁波は、同じ生物構造を持つ生物にとって「解釈可能な」意味ある情報です。

 

人間Aの生体活動によって発した電磁波は、人間Bの(おそらく)松果体によって受信され、ミュラーニューロンによって実際の神経活動に変換されます。

 

これによって、人間Aの生体活動は人間Bによって模倣されます。

 

松果体が人間Aの生体活動によって発した電磁波に電磁的に同調して、ミラーニューロンの活動によって、人間Aの生体活動が人間Bによって模倣され、人間Bは自身に発生した人間A由来の内的な感情に対して共感するのです。

 

このような仕組みがあることが予想されます。(全くもって仮説段階です)

 

この脳同調型共感コミュニケーションは完全な同調状態から微弱に同調状態まで幅広い状態があります。

 

例えばですが、古来から巫女やシャーマン霊能力者、近年ではチャネラーと呼ばれる人たちの中には、降ろすという技術があります。

 

神霊や幽霊や宇宙人の言葉を彼らから受取り、人間の言葉に変換すると言う行為です。

 

これは、神様だろうと幽霊だろうと宇宙人だろうと、身体と脳と神経が存在する生命体ならば、生体活動によって必ず電磁的なエネルギーが生じるので、彼らが発した電磁波を脳の松果体で受取りミュラーニューロンで非言語的なイメージに変換してさらにその非言語的なイメージを自身の操る母国語に変換するという作業が行われるためにだと思われます。

 

神霊にかんしては異なる次元位相に存在する生命体の生体活動から発した電磁波、幽霊に関しては人間が死んだ時発した強烈な感情を伴う思考から発生したの電磁波(電磁波って、閉じた系では拡散せず普通に滞留します。イライラした人がいた部屋は、その人が発した電磁波が滞留していたりするので窓を開けたりして電磁波を逃しましょう。都会のコンクリートジャングルは地面がコンクリートなのでいつまでたっても電磁波が町中を滞留していたりします。地面が土だったり植物が多くある場所は土に電磁波が吸収されるのであまり滞留しません。水がある場所は電磁波が水に吸収されますが、水の中に電磁的なエネルギーが滞留するので循環しない水が溜まっている場所(湖や沼)で誰かが自殺とかしていると幽霊とかを多く見るかもしれません。粗塩とかの不純物が多い電気的に不安定なナトリウムイオンは大気中の自由電子を吸収して安定する性質があるので、不穏な空気のある場所に粗塩とか置くと電磁波吸収してくれて良いかも。周りに土も緑もない場所にオフィスがある方は、粗塩を溶かした水を置いておいて不穏な空気が出たらそれに電磁波吸収させて(例えば夜中の間に吸収させるとか)、その水はどっかの街路の植木にでも流しておけばよいです。土にとってそのような電磁波は大した意味をもちません。)、宇宙人に関しては別惑星に存在する生命から発生した電磁波などの受信ではないでしょうか(これに関しては、光速度不変の法則があるから時差があるはず?。)

 

ちょっと補足多すぎましたね。

 

そのような降ろすという行為は、そこら辺にうようよ漂っている電磁波に対して脳が同調する事によって、それらの存在の思念をキャッチしています。

 

また、そのような存在は非実在・実在どっちでも良いのです。

 

実際に存在する生命体の生体活動から生じた電磁波をキャッチしている場合もありますし、だれかの空想や妄想によって生じした何らかの疑似人格の神経活動から産まれた電磁波をキャッチしている場合もあるでしょう。

 

つまり、そこらへんのオタクのおっさんの脳内妄想から発生した電磁波というのも普通にそこら辺の大気中に漂っていて、それに対して同調してしまう場合もあるでしょう。

 

実際に幽霊というは、死んだ人間が発した強烈な電磁波を最初にキャッチした人がその恐怖から何らかのストーリーを脳内で組み立てそこの人格をもたせることによって、その人格(思考パターンや行動パターン)を付加した電磁波をさらにその場所に投げ返している場合もあると思います。

 

つまり、閉じた系では電磁波が滞留するので、最初に死んだ人間以外のそれ以降その場所を訪れた人の発した電磁波も滞留していく。

 

こんな感じでもはや元が何だったか分からないモノも多くあるのではないでしょうか。

 

そんなのをマンガの中では、残留思念とかいったりしますよね。

 

自殺した人がいるマンションとかで死んだ人の霊を見るとかは、マンション自体がコンクリートで建築されているので、死んだ人間が死ぬ際に発した恐怖とか色々な感情や思考から産まれた電磁波が室内に滞留しているからでしょう。

 

そういう場所では別に幽霊とかいないけど、死んだ人間が発した感情や思念を時を超えてキャッチしてしまう場合があるのだろうと思います。(走馬灯とかね)

 

そういう場所は、強力な電磁波が滞留しているので電気製品が壊れたり誤作動起こしたり、人間も電磁波に影響受けますから体調悪くなったりするのでしょう。

 

また、そういった場所は建築構造的に電磁波を滞留させやすい設計になっている場合がほとんどなので、さらにその後にそこに住んだことのある人間の負の感情時に発した電磁波も滞留していたりするかもしれません。

 

でも、そういう場所は電磁波のお掃除をすれば(これをエネルギー的に清めるとか言っている人も多々います)よいので、別に場所が汚れているとかいって放置する必要が無いと思います。

 

例えば、全く「脳の同調・模倣・共感能力」が低い人間を住まわせるとかもありです。

 

そういった人は、滞留する電磁波に同調しにくい上に、その人が楽しく過ごせばその人の楽しい感情から発生した電磁波とかも滞留するので結果的色々相殺することになるからです。

 

あとは、一度人が住んだらその人が普通に生活するだけで電磁波が身体に吸収されたり、洗濯物に吸収されたりして薄まっていくからです。

 

また話がそれました。

 

これに対して、憑依という現象があります。

 

例えば、霊に憑依されたとか、狐つきとか、神懸かりだとか。

 

これは、別に霊が実際にいるかどうか、狐が居るかどうか、実際に神様がいるかどうかは知りません。

 

たが、完全に人格を乗っ取られたかのように憑依された本人の人格が豹変する事からそのような表現がなされるようです。

 

これに関しては、単純に同調率がかなり高くなり、同調している本人の人格が薄れるほど霊なり狐なり神様なりの人格を模倣してしまっているだけです。

 

めっちゃなりきっているだけです。

 

しかし、このレベルになると同調率が高すぎて、半ば電磁波の周波数がロックされてしまっている状態になります。

 

つまり自分から電磁波との同調を解く事ができない(しようとする気にならない)のです。(相手のこいつを支配してしまおうとかそういう精神性も模倣した上で成りきるのでそういったことが起きます)

 

ここまで来るとお薬のんだ方が良いよってな感じで病気扱いでいいと思います。

 

これは、完全に自分の人格がなくなる状態です。(正確にはなくなっていないのですが、表面上はそう見えます)

 

それに対して、憑依と近い現象ですが自他同一という現象があります。(やっとここまで来ました。めっちゃ脱線しまくって申し訳ないです)。

 

これは、同調率がトンデモなく高い状態において、互いに相手の感情・思考・感覚情報まで完全に模倣しあってしまう現象です。

 

相手のかなり深い感情や思考まで模倣し合うので、相手の気持ちが手に取るように分かります。

 

また、自分の感情も相手伝わってそれに対するレスポンスも瞬時に伝わります。

 

なので、二人の人間が全く同じ感情や思考やはては記憶まで共有する形になり、「私があなたで、あなたが私」というような自己と他者の境界が完全に融解した状態になり、完全な一体感を感じることになります。

 

いわゆる「一つになる」という感覚です。

 

ここまで来ると、「全ては一つだったんだ」という宗教的な精神性を見出すことになるかもしれません。

 

正確には、感情や思考や記憶を完全に共有する程度まで互いの脳が同調し模倣し共感しあっているだけです。

 

そこまで来ると、模倣とか共感ではなく同一化なのでしょうね。

 

もちろん全ては一つというスピリチュアルな観念はまっこと正しいとは思いますよ。

 

この自他同一という現象はスピリチュアルな世界では昔から確認されていて、これが出来る状態まで完全に脳を同調する能力が高い人が古来より、巫女とかシャーマンとか預言者の中にいたんじゃないでしょうか。

 

だから「全ては一つ」だといった、標語が宗教やスピリチュアルの中にあったのでしょう。

 

ちなみにこの全ては一つという標語は、新世紀エヴァンゲリオンのラストでシンジ君たちがLCLの海に溶けているひとつになるさまをイメージするかもしれませんが違います。

 

単純に個としての自我を保ちながら、全てが一つな感じがするという程度です。

 

物理的に一つになる感じがあるわけではありません。

 

それをヤりたかったら、座禅を組むが床に仰向けにねるかして瞑想状態になり、セロトニンの作用でボトムアップ経路で生じる感覚を抑制して(この時点で感覚がなくなる)、全ては一つであるという言葉を使って瞑想するとドーパミンの作用で全ては一つであるという感覚がむっちゃします。(自分の身体に自然生じる感覚が、トップダウン処理のイメージに完全に上書きされるから。これをやると自分が身体をもった存在なんだという感覚(スピリチュアルでいう分離の感覚)が(一時的に)消える)。ちなみにこれをやるのは全くもっておすすめしません。興味なんて持たいないようにしましょう。

 

 

いかがでしたでしょうか。

 

今回もまたぐだぐたと書いてしまいました。

 

「脳同調型共感コミュニケーション」には、通常のESP的なものから、憑依、自他同一などの側面もあります。

 

人間ってこんなに奥深いんだなって思っていただけたら幸いです。

 

今回も例によってtoshoの考察ですので、事実扱いせずそんなこと言っているやつが居る程度に留めておき、鵜呑みにしないようにしましょう。

 

では今回の記事は以上になります。

 

ではでは~。

 

 


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抽象性と具体性:議論はなぜ噛み合わないのか

こんにちは、toshoです。

 

最近記事をあげる頻度が増えていますね、就職したら頻度が減ると思うので今のうちに書きたい記事を書いておきたいですね。

 

今回の記事は「抽象性と具体性」に関しての話です。

 

なぜ多くの議論は具体性のない議論にとどまるのか、なぜ議論のすれ違いが起こるのか、なぜ抽象性の高い話に多くの人が騙されるのか。

 

先ずは、抽象性の高さと具体性の高さに関して述べます。

 

以下は過去記事:具体的思考の重要性からの引用です。

 

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抽象的な思考とは、物事をよりシンプル(単純)に捉え、物事を俯瞰してみることです。

俯瞰してみることで、物事を本質にせまったり、様々物事の共通点を発見したり、パターン化(規則化)したりします。
 
抽象的な思考の本質は、捨象すなわち余分な情報を切り捨てることです。

高度に抽象的な思考をするには、物事の本質ではない部分を切り捨て、共通しない部分を切り捨て、規則化の為に規則的な部分のみ注目し他を切り捨てます。

高いビルの上から町並みを俯瞰してみれば、全体が見渡せて街の全体像が浮かび上がってきますが、細かな情報は見落としてしまいます。

抽象的な思考は、情報を切り捨ていることでなりたっているのです。

以下は過去記事:具体的思考の重要性からの引用です

では、具体的な思考はどうでしょう。

具体的な思考とは、具体的なシチュエーションをより詳細に想定する能力です。

物事を具体的な、より厳密に、詳細に想定することで、起こりうる様々を状況を予想して対応策を考えたり、理論的な事を踏まえたうえで現実としてどうなるかということを想定したりします。

具体的な思考は、抽象的な思考が情報を切り捨てることで成り立っているのと逆に、状況を具体的に詳細に想定するためにより多くの情報を必要とします。

想定する状況に、現実と相違ないほどの複雑性と情報量を持たせる思考です。

抽象的な思考とは真逆になります。

抽象的な思考を物事を分解してよりシンプルにする思考だとしたら、具体的な思考は情報を統合してより複雑なものにします。

分解と統合では、物事のベクトルが真逆です。

分解が得意だから、知能が高いというわけでもなく、統合が得意だから知能が高いというわけでもないのです。

自分が分解と統合の数直線上のどの位置にいるからといって、知能が高い低いとはいえないです。 

 

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抽象性が高い話というのは多くの情報を削ぎ落とした物となります。

 

多くの場合それは物事の本質に迫るために枝葉末節の情報を削ぎ落とす為に行われています。

 

具体性の高い話というのは具体詳細なシチュエーションを想定する物になります。

 

多くの場合はより実際的な話、現実的な話であり抽象的な理論をどのように現実に適用するかという事のなどの為に行われます。

 

では、次はそのような思考をする時に脳の中で実際にどのような事が起きているかを考えていきます。

 

抽象的な言葉やイメージというのは、多くの情報が削ぎ落とされた物なのであなたの目の前に広がる現実よりかなり薄ぼんやりしていて捉え所のないものになります。

 

例えば「平和」という言葉を見聞きする場合、捉え所のないぼんやりとした意味を理解するためにドーパミンによる感覚の強化が行われます。

 

ドーパミンによる感覚の強化が行われることにより、「平和」などの抽象的な言葉を見聞きし時にしっかりとその意味を捉えられる様になり「自分は平和というものを解っている・知っている」と認識するようになります。

 

抽象的な言葉やイメージにリアリティを感じる様になるにはドーパミンが重要な働きをするのです。

 

ドーパミンは快楽ホルモンでもあるので、人間は抽象的な話やイメージを見聞きする際には少なからず気持ちよさを感じています。

 

これは抽象性が高い言葉を理解する時以外にも、普通に文章を読んでいるときや絵を見ている時にもすくなからずドーパミンにより感覚が強化され快楽を感じます。

 

もちろんこのような現象は抽象的な話に親和性がある人間だけなので、そうでない人間は抽象的な話を見聞きしても理解のためのドーパミンが出ずに、快楽も生じないのです。

 

現代日本人は多くの人が学校教育で抽象性の高い話に親和性が高くなるように訓練されていますので抽象的で茫洋とした話に対しての理解力が高くまたそのような話を見聞きすると快楽を感じるようになっています。

 

また、抽象的な話は理解するのにドーパミンを必要としますが、抽象的な思考=情報を削ぎ落として考えることにはセロトニンも大量に必要とします。

 

本来の等身大のリンゴのイメージから、多くの情報例えば匂いの情報とか味の情報とかリンゴにまつわる社会的因習とかそういった物を生み出す神経パターンをセロトニンで不活性化することにより、ただのリンゴの見た目のイメージだけを抽出することにより、子供は算数の問題の中で出てきたリンゴを数式の中に当てはめられるのです。

 

では、次に具体的な話をするときにはどのような事が脳内で起こっているのでしょうか。

 

まず、具体的な話をする際にもドーパミンが必要になります。

 

実際の状況や現実を目の前に持ってこれるわけではないので、具体的なシチュエーションを詳細にイメージするために、より多くの情報を感覚に出力するからです。

 

ずばり、抽象性の高い話をするよりも大量のドーパミンが必要になります。

 

そして、具体的なシチュエーションをイメージする際にはとても快楽を感じるようになります。

 

大量のドーパミンが多量の快楽を生成するので、このような状態にある場合はドーパミンによる快楽で若干の酩酊状態になる場合もあります。

 

他者には現実感のないふわふわした印象を与える事があります。

 

従来の社会ではそのような人たちに、バカっぽい・子供っぽい・締まりがない等といった評価を与える事が多かった風に思えます。

 

子供というのは右脳=ドーパミン神経回路が優位なものですので、創造力が豊かで、自制能力にかけ(自己抑制のための左脳=セロトニン神経回路が未発達)で、抽象的な話が苦手(抽象的な話はセロトニンもかなり必要)なのです。

 

このような人たちは従来の社会教育が合わないだけで、決して馬鹿とか知能が低いわけではないのであまり誤解しないであげてくださいね。

 

マシュマロ実験と言った小さいこどもがお菓子を我慢出来るかどうかを見る実験などがありますが、あれは現代社会の教育システムや社会システムに親和性の高い左脳=セロトニン神経回路優位型かどうかを見極めているだけのテストに思えます。

 

自分の子供が右脳=ドーパミン神経回路優位型だったとしても、決して卑下してはいけません。

 

教育次第で全然社会的成功とかしますよ。

 

そんな話はともかく、抽象性の高い話や具体性の高い話をする際に人間は脳内で上記のような事が起こっていると思われます。

 

それでもって、次はなぜ多くの議論は具体性のない議論にとどまるのか、なぜ議論のすれ違いが起こるのか、なぜ抽象性の高い話に多くの人が騙されるのかという話になります。

 

まず、まず具体性のない議論がなぜここまで周り通るのか。

 

単純に、抽象的な話は楽なのです。

 

具体的な話は大量のドーパミンを必要とします。

 

つまり、かなりのエネルギーを必要とします。

 

それに比べて、抽象的な話はかなり省エネだし、具体的なイメージを描けなくてもドーパミンの作用でなんとなくわかった気になれるから達成感もあるし、気持ちよさもある。

 

さらに現代社会で中途半端に抽象的な思考の訓練をした人たちは、そのような抽象性の高い話が高度に本質的で知的であるという思想が強いのでそういうのが大好きなのです。

 

そういった人たちは逆説的に高度に具体的な話というのは苦手としています。

 

だから、そういった思考を得意とする人たちを無意識のうちにも避けるし時には馬鹿にします。

 

さらに、抽象的な話にあまり親和性のない人たちは、抽象的な話に対して強力に感覚しません。

 

つまり、なんとなくわかった気にもなれないし、気持ちよさもない。

 

そのような抽象性が高く、具体性に乏しい議論にたいしてうんざりしてしまいます。

 

抽象性の高い議論に対して強くうんざりしている人たちは、逆説的に具体性の高い議論が得意な人たちでしょう。

 

なので、議論にうんざりしている人たちの意見を上手くいかせればそのほうが議論が深まるはずです。

 

でも、世の議論の多くは中途半端に抽象的な思考の訓練をした人たちが議論での上位者なのでそれが出来ていないというわけです。

 

次は、なぜ議論のすれ違いが起こるのかという話です。

 

これは、抽象性の高い理念、〇〇主義、〇〇理論などを信じる人達は、その高度に抽象的な話を深く理解するためにドーパミンの作用で強力にその理念などを感覚しています。

 

そして同時にセロトニンの作用でその理念の形を作るためにそれにそぐわない情報や感覚を強力に不活性化・抑制しています。

 

自分の中で、〇〇主義、〇〇理論などの輪郭がハッキリと浮き上がってきてしまうのです。

 

抽象的な話の場合、削ぎ落とされる部分がどうしても強く出てきてしまうので、自分が削ぎ落としている部分を議論の相手が強く感覚している場合やその逆でもって、互いに譲れなくなってしまい議論がすれ違ってしまうのです。

 

相手は、〇〇という事があるという主張をしても自分が□□という事を強く感覚していると○○の感覚がひどく弱くなってしまうので相手の話を聞いても全然ピンとくる(何らかの生理的反応が起こる。感情が動く)ことがないのです。

 

最後に、なぜ抽象性の高い話に多くの人が騙されるのかという話。

 

簡単に言えば、具体性が乏しいが故に多くの無知な人が理解出来てしまうからです。

 

正確には理解できたと錯覚してしまうからです。

 

知識や経験がないと高度に具体的な話というのはあまり理解できません。

 

しかし、高度に抽象的な話は知識や経験が乏しい中学生でも理解できてしまいます。

 

なんとなくそういうものかと思ってしまうからです。

 

私のブログもそうですが、そこまで抽象性が高いわけでも、高度に具体的でもない微妙なラインで記事を書いています。

 

どの程度の抽象度に親和性が高いかというのは人によって違いますが、私のブログに記事を深いことを言っていると感じる人も浅い事を言っていると感じる場合もあるでしょう。

 

自分の親和性の高い抽象度で語られている話に関しては、人はかなり「グっとくる」のです。

 

もちろん人間は知識や経験の変化がありますから(基本的に増えていくものですが)、その時によってそのテーマによって、「グッとくる」話は違ってきます。

 

一年前にぐっと来た話が今では浅く感じるなどあると思います。

 

知識が経験が浅い人に対して「グッとくる」程度の抽象性で話してあげれば、容易に人は「グっと」きて「そうだったのか!」と騙されていまいます。

 

抽象性の高い話は、具体性の高いレベルでは矛盾や齟齬を生じるものであっても成立しているように見せかける事ができます。

 

論述の精度が向上するに連れてより矛盾や齟齬が浮き彫りになるので、ごまかしたりする場合に会えて抽象的に持っていくという手法が取られます。

 

そうなると、抽象性の高い詐欺話は普段具体性の高い思考や話に慣れていない人は、容易に「グッとくる」事となり「そうだったのか!」という感じて強く信じ込んでしまいます。

 

さらに、それが聞く人の利益になるなど感情的に巻き込れるような話だったりすると余計に信じ込んでしまいます。

 

そのような理屈があると思われます。

 

 

いかかでしたでしょうか。

 

抽象性と具体性に関しての記事でした。

 

一口に抽象度という軸で表現しても良いですが、これだと抽象度が高い事が良いことだという感じに誤解されそうなので抽象度という表現があまり使われないようにしました。

 

脳内でどの様の事が起こっているかでも書きましたが、抽象的思考は基本的に省エネです。

 

セロトニンとドーパミンを両方使いますが、具体的思考の必要とするドーパミン量はそれ以上に多いです。

 

具体的であればあるほど、より多くのドーパミンを必要になるのでかなりのエネルギーが必要になります。

 

なので、具体的思考能力の高い人はエネルギーの「溜め」が必要な方が多いと思います。

 

コンスタントに高出力というのはなかなか厳しいものがありますね。

 

今回の記事も、決して鵜呑みにせずそんなこと言っているやつが居る程度にするか、ご自身の思考の種にでもしてください。

 

今回の記事も以上になります。

 

ではでは~。

 

 


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「感情的に巻き込まれる」ということの重大さ

こんばんわ、toshoです。

 

今回の記事は「「感情的に巻き込まれる」ということの重大さ」という題名です。

 

世の中には数多の事象、現象、物体、人が在ります。

 

しかしあなたは一人だけです。

 

あなたが保有するエネルギー(時間、金、体力、気力)は有限であり、かつ持続的に生成されています。

 

世の中の殆どの人は、自らの保有するエネルギーを注ぎ込む対象を100%感情で決めます。

 

これは、人は感情的な繋がりが無いものに対しては決して意識を向けずエネルギーを注ごうとしないからです。

 

この感情的な繋がりとは、好き・嫌い・憧れ・嫌悪・面白さなど、数多ある種類の感情がどれか一つでも対象に対して感じていればよいのです。

 

逆に言えばその感情的な繋がりが感じられれば、人間は意識してエネルギーを注がざるを得なくなってしまうということです。

 

TVで放送されるニュース・ドラマ・アニメ・バラエティ、ラジオ、新聞、友人がする噂などなど。

 

多くのメディアは、あなたを感情的に巻き込もうとしてきます。

 

あるニュースを見て嫌な気持ちを感じる。

 

アニメを見て面白いと感じる。

 

友人が好きな人の噂をする。

 

感情的に巻き込まれた物事に関して、あなたは否が応でも生理的に反応してあなたの感覚(スピリチュアルな世界ではこの感情的な繋がりがあって意識に昇る感覚的な世界をリアリティと呼ぶ場合が多い)の中に入ってきます。

 

感情的な繋がりを一度でも持ってしまったら、あなたはそれを否が応でも意識せざるを得ませねん。

 

もちろん、それに対して意識的に接触を避けることは可能です。

 

しかし、一度感情的に反応してしまえば、潜在意識が動いてしまい無意識的に反応してしまいます。(雑多なニュースサイトの記事の中からふと目に入ってしまう。暇な時にインターネットで探してしまう。本屋でぶらついていたらふと気になって眼を向けたらそれに関連した本がある。など)

 

その結果、多くの人が感情的に繋がりを持つ物事はニュースサイトで閲覧数が多くなり、インターネットでの検索数が多くなり、それに関連した本が多く売れるようになり、社会的なムーブメント・トレンドを生み出し、それが実際に正しいのかなどの事実がどうあれ、「既成事実化」されてしまいます。

 

一度既成事実化したモノゴトは、さらに多くの人を感情的に巻き込みながら、事実や真実の検証や追求が起きぬまま、肥大化して社会現象化するでしょう。

 

これが正しい例かどうかは分かりませんが、韓国との間で日本が抱えている従軍慰安婦問題などは上記の一連の流れを確認できる良い例でしょう。

 

私は、従軍慰安婦問題の真実は全く知りませんが、俯瞰して見る限り上記の「多くの人が感情的に巻き込まれた結果既成事実化したモノゴト」の流れが追えます。

 

また他にも、若者の草食化やスティーブ・ジョブズが偉人として扱われるなどが当てはまるかも知れません。

 

あらゆるメディアの裏の目的に、読者・視聴者・ユーザを感情的に巻き込むという事があります。

 

あらゆる手段で多くのモノや人があなたを感情的に巻き込もうとしてきます。

 

あなたの関心を得ることで、人であれば優越感を感じたり承認欲求を満たしたり自身を得たり同情を買いたいのです、企業であればお金や閲覧数やイイネの数やリツイートやメディアでの注目が欲しいのです。

 

この私が書くブログも究極、インターネット越しに読者の関心を得て、社会的な影響を獲得したり、お金を得たり、あるいは言論・思想家としての自信をつけたり、色々な方との交流で理論をブラッシュアップしたり、自身の思想の確かさを測りたいという事があります。

 

ちなみに私の場合はお金を得るというのは現時点で志向はしていません(将来的に理論の裏付けが出来たタイミングでお金にできればという思いはあります)し、社会的な影響を獲得したいのは本やインタ―ネットで見る限り多くの「無慈悲な自己責任論と説明不十分」に翻弄されている方が多くいるということが見えてきて、私自身その一人なので多く失敗や試行錯誤の結果から産まれたノウハウやテクニックやTIPsをできれば有効活用していただき世の中から無慈悲さ減少させたいという思いがあります。(世の中の無慈悲さというのは個人的にだいぶ辟易していることです。今20代で後何十年(あるいは何百年?)生きるならば、今より無慈悲さが減少した社会で生きたいと割りとガチに思っています)

 

まあ、私の自身の言い訳はどうでもよいのです。

 

人間は感情的な繋がりを持つモノゴトにしか意識もエネルギーも注がないのです。

 

そして、多くの人間は「人間の心理的特性・生物学的特性」には非常に無知です。

 

自ら意識的に感情的な繋がりを断つというのは非常にテクニックが居ることですので、多くの方はあまり得意ではないのです。

 

感情的な繋がりを断ち切るというのはそうとう難しいのです。

 

ちなみに私はこのブログの記事を書いている時にアニメ「ボールルームにようこそ!」を見ていたりします。私はアニメやマンガがかなり好きで熱心なアニメオタクです。

 

これもアニメやマンガを見て面白いと感じると言った風な感情的な繋がりをもっていますね。

 

ちなみに、この程度のことなら誰もがわざわざ「感情的な繋がり」と言わずともわかっているよ小難しく言って知った風な感じを装うなと言われるかもしれません。

 

しかし、わざわざ「感情的な繋がり」と言う言葉を使ったのは「おもしろさ」や「好き」や「嫌い」などわかりやすい感情だけでなく「いかなる感情」でも感情的に巻き込まれるの事が出来てしまうからです。

 

劣等感や優越感、助平心でも萌えでもバブみでもなんでもよいのです。(バブみという言葉を知らない人は調べるのはおすすめしません。オタク業界の気持ち悪い側面です。あまりこのブログでは使いたくない言葉ですが具体例として秀逸なのです。もし調べるならばtoshoはこの言葉を知っているだけで使うほど濃いオタクでもないと先んじて言い訳しておきます)

 

テレビや出版などありとあらゆるメディアが「キャッチコピーやパワーワードやキラーワードや新しい言葉」を作って使いたがるのは、言いやすい言葉やわかりやすい言葉や新しい言葉は、多くの人がなんとなく使ってみたがるからです。

 

使ってみたいと思うというのも感情的な繋がりです。

 

「存在質」とい言葉もこの言葉を使ってブログを書いているとなんとなく気持ちいいです。

 

自分が言いたいことをスッキリ言い表せるというのは結構気持ちいので私も含めて多くの人がそのような類の言葉を使いたがります。

 

ちょっと前に流行ったピコ太郎さんのギャグみたいなものです、なんとなく言いたくなる言葉というのは強力な力をもっているのです。

 

例えば、「格差社会」という言葉を知ったばかりの人はなんとなくこの言葉を使いたがります。

 

格差社会という言葉があれば反応するようになります。

 

格差社会というモノのイメージがその人の中で固まっていき、次第にそのイメージを現実に投影していきます。

 

その結果、格差社会は現実であるという信念を通して人生を生きるようになります。

 

そのような人生を生きる人は、多くの人が消極的で怒りに満ちていて破壊的な作用を人生にもたらします。

 

もちろん格差がある中でどう生きればよいのかという戦略やどうすればそれを解消できるかという重要な思考はできますが、まさに格差の当事者でる方以外の方が積極的に格差社会は是であるという思考をするのは危険だったりします。

 

なぜなら、社会問題として「既成事実化」するからです。

 

そうなれば子供にそのような社会を生きるための教育をすることが次に求められるようになり、既成事実化どころか、実際に「格差社会とその生き方」をセットで生産するからです。

 

でも、これは格差社会という言葉にピンとくる(感情的な反応。なにかしらの生理的な反応がある)人だけです。

 

ピンとこない方は感情的な繋がりを形成しないので、結構そんなものとは無関係に生きることになります。

 

例え現実に格差社会が広がり始めていても、格差社会というイメージを現実に投影しないのでそれを意識しないで生きること出来ます。

 

自分自身の人生の中で格差をあまり経験(格差があると感じる事)しません。

 

その結果格差がない社会と同じくらいに軽いフットワークと心理で行動しますので、積極的にチャレンジした人は裕福になり、そうでないひとは例え相対的に豊かでなくても本人の満足行く収入を得られるまで頑張れる気力が産まれ、まあまあ苦痛なく生きられます。

 

そして、そのような方が増えたら逆に格差は縮まります。

 

「格差社会」を「既成事実化」するまえに感情的に巻き込まれない人が増えるとそれだけ「格差社会がある」という信念を生きる人が減るので、最小の被害で格差を是正できます。

 

もちろん、格差を感じる当事者の方々への支援やはとても重要ですが、社会問題として既成事実化して悪い方向へ心理的な作用が働かないように、格差がある部分があってもパワーワードがさせないというのは結構大事です。

 

研究者や政策決定者、格差の当事者の方たちは真剣にその問題に向き合って欲しいところですが、エネルギー(時間、金、体力、気力)を得たいがためにパワーワード化して多くの人を感情的に巻き込むのは結構危険です。

 

多くの人がそのような方法をやりたがりますが、パワーワード化してしまうと多くのそれに無関係な層を盛大に巻き込んでしまうのでヤバイのです。

 

言ってみれば自分のかかずらう問題の為に、無関係な人からお金や時間や体力や気力や果ては人生まで吸い上げて利用してしまうという精神なのです。

 

例えば難病の子供(心臓移植に2億円必要だったり)の為に募金などは典型例です。

 

2億円あれば色々な使いみちがあります、それを一人の子供だけ注ぎ込むのですから感情的に多くの方を巻き込んで少額ながら多くの方からお金を吸い上げる方法が取られるのでしょう。

 

これは悪意は無く搾取でもない場合が多いでしょうが、2億円は相当な額です。どれだけ多くの善意の人が寄付をしたのでしょうか、そして多くの人は全くの無関係です。

 

これは可愛い方で社会的な悪影響もほとんどないので私個人としてはあまり問題にしていません。(移植の順番を飛ばすのにお金がかかったなどといわれることもありますが、正確な知識がないのでよく分かりません。無関係な人とは結構こんなものです。しかし、それが事実であれば寄付をしなかったと言う人は多いのではないでしょうか)

 

しかし、これは後世に重大な影響を及ぼす政策に直結していたり、負の影響が強い社会現象だったりしたら、無関係だから知らないでは済まされません。

 

普通に自分が生きている間にその影響をうけることでしょう。

 

高度成長期に生じたそのようなモノゴトは今彼らが老人になってからその影響をひしひしと感じているでしょう。

 

まあ、感情的に巻き込まれる事自体が悪いことというわけではありません。

 

好きなアイドルのライブを見に行くのは感情的なつながりがあるからですが、アイドルのライブを見るのは楽しいことです。

 

楽しいことはたくさんあったほうが良いですよね。

 

ただそのような嬉しい感情的な繋がり以外の感情を誘発させて感情的に巻き込もうとしてくる悪意がある方が多くいるのでそういったものへの心理的防衛は重要です。

 

特にビジネスの世界は、そんなんだらけなので知らねば無駄に搾取され続けるということです。

 

マスメディアの世界は、そのような戦略的に作為的に感情的に巻き込む手法というのを長年の実行研鑽しています。

 

言ってしまえばマインドコントロールの手法を実行研鑽しているのです。

 

マインドコントロールは大げさなものではありません、日常の中に溶け込んでいます。

 

ニチアサのアニメ番組がおもちゃを売るのだってマインドコントロールだし、多くの子供は感情的に巻きこまれているのです。

 

それが悪とは言いませんが、企業は日夜そのような手法をつかってお金を稼いでいます。

 

私なんかもニチアサアニメからオタク化した口ですから。

 

今は数十年前のニチアサで育った世代がおとなになって立派なオタクと化してオタク産業にお金を落としたりクリエーターになっているのです。

 

そのような世代はニチアサアニメは企業のマインドコントロールだから規制しようと言う主張があったら、強硬に反対するでしょう。(だってその産業にすでに組み込まれていますから)

 

私だって反対します。企業の策略だとしてもこれだけの人間が感情的に巻き込まれているモノはもはや文化です。

 

アニメは文化などというと批判が来ることもありますが、個人的には文化といって差し支えないと思っています。

 

また、古典的な日本文化は感情的に巻き込まれている人がどんどん少なくなっているので、ここらで歯止めをかけないと文化を支えるエネルギー(時間、金、体力、気力)は賄えなくなってしまうでしょう。

 

古典的な日本文化は高尚なモノとして扱われうようになり、多くの庶民から縁遠いものになりました。庶民が感情的に巻き込まれなくなった時点で先細りが見えてきたのです。

 

文化というのは富裕層や知識人が仕掛け人であっても、庶民が支え維持するものなのですから。

 

 

話が色んな所に飛んでしまいましたね。

 

色々なことを書きましたが、それらすべてに「感情的に巻き込まれる」という事が根底にあります。

 

「感情的に巻き込まれる」ということの重大さが多少なりとも伝われば良いと思います。

 

ちなみに、私のブログをよんでいるかたは私のブログに感情的に巻き込まれていることになるのでしょうか。

 

しかし、このブログの記事は私が個人的に思索・考察したものなので事実の保証はできかねます。

 

鵜呑みにせず、適当に思考の種にでもしてください。

 

ちなみに、最後にこのような書き方をすることで、記事を読む方が無意味に感情的に巻き込まれないようにしているのです。

 

このように書くと、読み手に記事の内容を再考するタイミングを与えることになるので、この「いやちょっと待てよこれは本当だろうか」という自己抑制が無意識に正しいと思い込む事を防止するのです。

 

無意識に正しいと思い込まない方法は、読みながら「ツッコミ」をいれていくことです。

 

バーと、ツッコミを入れずに読むと無意識に刷り込んでしまうことになるので危険です。

 

学校の教科書を暗記する時はそのような無意識への刷り込みは有効ですが、インターネットやそこら辺の本をよむときに学校で覚えたそのような読み方をすると無意識に内容を刻みつけてしまうことになるので危険です、いちいち突っ込みながら読みましょう。

 

批判的に読むとか批判的に見るというのは、「いちいち心の中で「それ本当?」「うっそだー」とちゃんと心の声で突っ込みながら読み・見る」ということです。

 

そのようなツッコミをせずに、サラーッと黙読したり・視聴したりするのはいかに批判的に読む・見ているつもりでも、無意識にその内容をすりこんでいるので駄目です・危険です・批判ができていません。

 

批判的に見るというのはそういうことです。

 

ちなみにこの「ツッコミ」というのは思考の刷り込みの抑制です。

 

抑制性神経回路たるセロトニン神経回路ひいてはセロトニンそして左脳を行使します。

 

こればっかりやっている人は、右脳への血流が減少して右脳のドーパミン神経回路が非活性化するでしょう。

 

あまりいいことではありません。

 

セロトニン神経回路とドーパミン神経回路はバランス良く使いましょう。

 

ちなみに、抑制=肯定の否定=否定=ネガティブなエネルギー見たいな感じでスピリチュアルの世界で扱われていることもあります。

 

また、ドーパミンは興奮性神経伝達物質で興奮=活性化=活動の肯定みたいにポジティブなエネルギー見たいな感じで言われている場合があります。

 

ネガポジはバランスが重要です。

 

ポジだけ強ければ妄想状態ですし、ネガだけ強ければ抑うつ状態です。

 

スピの方がポジポジ言っている危険性はここにあるのですね。

 

現代社会はネガネガ言ってるので、もっとポジポジしたほうがよいですが、ポジポジ言っている人も中にはいるのでそういう人はポジポジし過ぎると妄想に溺れます。

 

多くの人には私が別の記事で言っている戦略的ポジティブシンキングをお勧めします。

 

もちろんこれも鵜呑みしないでください、ちゃんとツッコミを入れながら自分の頭で考えてください。

 

 

いかかでしたでしょうか。

 

今回の記事は深夜に書いているので深夜の妙なテンションでいろんな所に話が飛んでしまいました。(それと記事がかなり長い!)

 

これはドーパミンが脳内に多く放出されインスピレーションが湧いてきていろんな所に話が飛んでいます。

 

日中のドーパミンが少ない時間帯に書いていたら、ここまで話は脱線していないでしょう。

 

最後の批判的な読み方やネガポジは完全に蛇足ですね。

 

 

「感情的に巻き込まれる」ことの重大さはわかっていただけたでしょうか。

 

メディアが発信することには感情的に巻き込まれないように冷静に接しましょう。

 

ついこの間衆議院が解散しましたが、このタイミングで急に解散することで注目を集めて多くの人を感情的に巻き込もうとしているかもしれません。

 

国民の不安が高まったタイミングでやれば、多くの人は否が応でも選挙に関心を持つでしょう。

 

このタイミングで、メディアを使って真実を巧妙に隠しながら、世論を誘導されでもしたら安倍政権は盤石になるかもしれません。

 

どのようなことになるかは分かりませんが、とりあえず感情的に巻きこまれないように注意を払いながら生きるしか無いでしょう。

 

まあ、そんな重い話はともかく、TVを見ながら感情的に巻き込まれないようにするだけで、無駄金使う機会を減らせるので注意してみるのもいいのではないでしょうか。

 

記事は以上になります。

 

ではでは~。

 

 


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欲しいものを手に入れられるという確信

こんにちは、toshoです。

 

今回の記事は「欲しいものを手に入れられるという確信」がいかに重要かという話です。

 

簡単に言いますと、人間が心身の能力を十全に発揮して何かを為す時には、それが「本当にしたいこと、ほしいもの」であり、かつ「それが手に入れられる、為せるという確信」が必要という話です。

 

これは以前別の記事でも書いたことがありますが、「出来るという強い確信がドーパミンを放出する」のです。

 

過去記事:ドーパミンに関してのあれやこれ

 

ドーパミンは超越能力の発揮や、心身のエネルギーレベルの増大、認知機能や学習、潜在意識の活用など多くの事を可能にする神経ホルモンです。

 

ドーパミンの放出量が適度に高い人は、心身のエネルギーレベルが高く、認知機能や学習能力が高い傾向があると思われます。

 

もちろん、何に対してもドーパミンが出るのではなく、無意識的に本人が望んでいる事を為す、手に入れる際に出るということが重要です。

 

例えば、小説家になりたいという青年がいたとして、その人が本心から小説を書くことが好きでなければ、いくら「成りたい―」と妄想していても、小説を書くことでドーパミンが出ません。

 

やろうと思っても辛い、楽しくないとなってしまいます。(もちろん、実際に一度書いてみることが重要です)

 

また、その際に本心から望むことでも難しすぎると「自分には小説が書ける、小説を書くのが楽しい」という「出来るという確信」も起きないのでドーパミンが出にくいのです。

 

逆に言えば、自分が本当にやりたい事を「適切な難易度」でコツコツ続けると「次第に一般的に高難易度と言われることでも、出来るという確信をもってドーパミンを放出させて楽しく出来るようになる」ということです。

 

教育論として当たり前に言われていることですが、その裏にはこのような理論があると思われます。

 

また、この仕組を巧みに利用しているのがスマホゲームのガチャ機能です。

 

ユーザーが欲しいと思うアイテム等をユーザが何回かガチャを引けば手に入れられるという確信が起きる程度の確率で出現するようすると、これはもうドーパミンが脳内に出まくります。

 

また、単純にドーパミンは快楽ホルモンでもあるので、たとえアイテム自体がそれほど欲しいものでなくても、脳内のドーパミンが大量に放出する際の快楽を経験したら普段自制的なひとでもハマってしまうことでしょう。

 

特に、普段欲求不満にある人ほど、ボタンを押せば脳内に快楽物質が放出される「ワンクリック快楽装置」として利用してしまい事になるやもしれません。

 

気をつけましょう。

 

(割りとガチ目でヤバイです。普段欲求不満な人(普段のドーパミンレベルが低い方)は他の方より依存症になりやすいので、スマホのガチャには手を出さないようにしたほうが良いです。暇普段の生活が充実していないと自分で思うような方は特に避けたほうが良いです。普段のドーパミンレベルが低い(欲求不満)の方はガチャで起きる大量にドーパミンの放出に耐性がないのでかなりハマりやすいです。・・・ガチャでレア度によってアイテム等の出現の演出を変えるとかは、欲しい者が手に入るという確信の「予期」に繋がるので依存度が上がります。そのような「予期」の演出がないおみくじは予期ありよりドーパミンが出ないので依存度はグッっと低くなります。パチンコもそうですけど、スロットの表示の演出とかもドーパミンを放出させて強く依存させる効果があります。単なるパチンコはそんなに依存性が高くはならないと思います。スロット演出がかなり最悪ですね。あれがヤバイ。スロット演出を表示をやめるだけで、パチンコの当たりが外側からはランダム性が高く見える様になるので、ドーパミンの出は悪くなります。また買い物依存症などは、買い物するという行為で快楽を得ると思います。手に入るという確信が高い状態は、お金を払う瞬間です。お金を払って買うという瞬間が心地良いので、手に入る商品自体はあまり興味が無いのです。ストレスが溜まると大きい買い物をしたくなる・してしまう人は買い物依存症になりやすいので要注意です。私なんかはストレスが溜まると大きい買い物をしてしまう質なのでこれには要注意です。まあ、それでも全く無駄なものやほしくないものは買わないのですが。それでも積読が結構溜まっていたりしますが。。基本的にお金を払ってほしいものを買うというのはお金を払うことも含めて快楽なのですよ。ドーパミンがそれなりにでるので。ケチというのは、欲しいものを買うのにお金を出し渋る行為ですが、これはお金を払うと言う行為自体もドーパミンを放出する重要な要素だという事を知っていれば、気持ちよくもなくなるし、エネルギーレベルも下がるし、いわゆる波動も下がるというあまりうれしくない行為ですね。締めるところは締めるという節約は大事ですけど。収入は有限なので。)

 

めっちゃ話がそれました。

 

とかく、手に入る・出来るという確信がないとドーパミンは出ないよということです。

 

これはつまり、自己評価というのも大事なのです。

 

自己効力感とも言われることもありますが、自分の能力に自信をもっていないと、実際に出来る・手に入れられる実力があるのにドーパミンがでないのです。

 

これは、潜在意識は結構正確に出来る出来ないの判断をしてくれますが、普段から自己否定や自己卑下をしている・受けている人は、その正確な判断が負のアファメーションで歪んでしまっているからです。

 

逆に、そのようなモノがないときにおこなう出来る出来ないの判断はそこそこ正確なので、素直に従ったほうが良いですね。

 

仕事などで地道に経験を積んで知識とスキルを身に着けて、自分には出来るという確信を育てている人は結構色んな分野で活躍していると思います。

 

出来るという確信を育てることは何より大事なのですよ。

 

まあ、現代の競争社会では、その出来る確信を育てられるのが「競争に勝った一部の人だけ」というのが結構悪辣なのですけどね。

 

この競争社会の仕組みのために、色々と明暗が別れてしまっている面があります。

 

幼い頃から成功体験を積み上げて、「私・俺ならば出来る」という確信を育てている人と、競争に敗れて「私・俺にはちょっと出来ないかな」と思っている人とでは、あらゆるものが違ってきてしまいます。

 

例え本質的なポテンシャルがそれほど大差なくてもです。

 

今の社会はそういった構造を持っているので、いわゆる多くの人がドーパミンレベルが低くて、欲求不満で、エネルギーレベルが高くなくて、超越能力も発揮している人がすくなくて、意識の覚醒度低くて、いわゆる波動も高くない、という状態になるのでしょうね。

 

なので、私たちは「出来る・手に入れられると言う確信」をまず育てなければいけません。

 

そのためにアファメーションを利用したり、瞑想でまずドーパミンレベルを挙げたりしましょう。

 

ただ、ドーパミンレベルだけ不自然に上がった状態は結構病的ですので、無理して挙げすぎてはいけません。

 

また、ドーパミン以外のホルモンもとても重要ですので、ドーパミンレベルを上げさえすれば良いという考えはやめましょう。

 

単純に、生活の中で「私・俺は出来る・手に入れられると言う確信」を育てるために、アファメーションを行ったり、努力したり、物事のポジティブな面にフォーカスしたり、自分で自分を肯定的な評価したりするようにしていれば良いです。

 

また、出来るという確信がある状態と、実際に出来ると言う事は案外別物ですというのも忘れないようにしましょう。

 

出来るという確信がある状態は実際にエネルギーレベルが上って、イケイケになりますが、実際に出来る・手に入れられるためには、努力や工夫が必要です。

 

覚悟を持ってやりましょう。

 

 

いかがでしたでしょうか。

 

今回の記事は、「欲しいものを手に入れられるという確信」についてでした。

 

色々書いきましたが、大事なことは一つだけです「確信を育てましょう」ということです。

 

なによりそれが大事です。

 

あと、スマホガチャは本気でヤバイので皆さん気をつけてくださいね。

 

ではでは~。

 

 


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イメージングの原理:トップダウン処理とボトムアップ処理の連携

こんばんわ、toshoです。

 

今回の記事は、イメージングやビジュアライゼーションと言ったテクニックがどのような原理によって成り立っているかを考察します。

 

 

イメージングやビジュアライゼーションは、視覚的イメージや聴覚的イメージなどを意識的に想起することによってリラックス効果、モチベーションアップや潜在意識への働きかけ、願望実現などが期待できるテクニック(技法)です。

 

例えば、舞台の発表などの緊張を催す場面において、夕日の視覚的イメージを想起する事によって身体をリラックスさせる(実際に副交感神経が活性化する)方法などがあります。

 

私なんかは、ジムでエアロバイクを使って運動する際に、初夏の森林をサイクリングする視覚的イメージを想起することによって心拍数の増加の抑制をするという事をしたりしています。

 

このように、イメージングやビジュアライゼーションは想起したイメージが実際に身体に作用をすることは理解できると思います。

 

そして、私の考察によればこれはこのブログで取り上げている脳のトップダウン処理とボトムアップ処理の連携によって起きていると考えることが出来ます。

 

トップダウン処理とは脳→身体への処理系統です。脳が聴覚に働きかけて聴覚情報を出力することにより黙読(実際に音を発生する事無く頭の中で音が聞こえる)が可能なります。

(これはこのブログの仮説で実証されていません)

 

ボトムアップ処理とは、身体→脳の処理系統です。実際に音を聞いてそれの意味が分るなどです。

 

この二つの処理は同一の神経系に共存していると思われます。

 

人間は、常に環境からの刺激を受けボトムアップ処理が行われています。

 

しかし、人間は意識しているかしていないかで、実際に環境からの刺激を無視したり気づかなかったりすることがあります。

 

これは普通に考えたらおかしな話です。

 

刺激自体が消えるわけではないのに、痛みや圧迫感や熱さを見失って感じられなくなるというのは奇妙です。

 

これは、常に人間はボトムアップ処理が行われる感覚刺激に対してトップダウン処理による感覚の操作を行っているからだという推測ができます。

 

つまり、環境からの刺激は常に身体に生じているが、トップダウン処理によりその刺激(感覚)の増幅や減衰をおこなうことにより、痛みを無視したり、感じられなくなったり、より強く感じたりするというわけです。

 

トップダウン処理とボトムアップ処理が同一神経系に共存しているのが理解出来ると思います。

 

そして、イメージングやビジュアライゼーションはこのトップダウン処理とボトムアップ処理が感覚器を通して連結されていることで実現されていると思われます。

 

つまり、トップダウン処理により夕日のイメージを出力することで、視覚に夕日のイメージが再現されそしてその出力した夕日のイメージがそのまま視覚のボトムアップ処理の入力に使われるわけです。

 

これにより実際に夕日を見た時と同じような効果を得られるわけです。

 

実際に夕日を見ることで得られるリラックス効果は、視覚に夕日の映像(あるいはあの橙色の光)が投影される事が重要であり実際に辺りが夕方になっている事は必ずしむ重要ではありません。(たとえば、映画館で夕日の映像を見るなど)

 

なので、トップダウン処理により視覚に夕日の視覚的メージを出力しボトムアップ処理の入力に使うことが、そのまま夕日を見た時と同じ効果が期待できるのです。

 

よく脳の研究をされる方は、脳は実際に見たものとイメージを区別できない、脳は馬鹿なんだと言うことがあります。

 

しかし、脳が馬鹿なのではないのです。

 

イメージの夕日を見ることと実際に夕日を見ることは同じ「視覚→脳」のボトムアップ処理を使っているのであり、脳が馬鹿なのではなくこのようなすこし複雑な処理がイメージをすることの裏にあり、脳はただボトムアップ処理系統で正常に視覚情報を処理しているだけだったのです。

 

 

いかがでしたでしょうか。

 

今回の記事はイメージングやビジュアライゼーションの原理についての考察でした。

 

もちろんこのブログで提唱している仮説を元にした考察ですので、実証されている事をベースに考えたわけでありません。

 

決して鵜呑みにせず、こんなこと言っているやつが居る程度に留めておきましょう。

 

しかし、個人的にはこのように考えてみると色々な事に納得と理解ができると思っています。

 

エッチな想像をして身体が反応する際もその裏にはこのような原理があると思われます。

 

男性の方の中には想像の中で女性に非道い事をして興奮するとう性癖がある方もいると思います。

 

そのような方は、実際に女性に非道い事をして興奮する事と同様な影響がご自身にあると理解されたほうが良いと思います。

 

キリスト教では「女性に想像の中で非道いことをするのは実際にそうすることと同じくらい罪深い」見たいな話がありますが、これはキリストが今回の記事で書いた内容のような事を理解していたからではないでしょうか。

 

では今回の記事は以上になります。

 

ではでは~。

 

 


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宇宙の中の原子

こんにちは、toshoです。

 

今回の記事は宇宙の成り立ちについての考察と言うか駄文です。

 

現代物理学の世界では、宇宙の始まりはビックバンと呼ばれる現象がありそれから物質(水素原子)が生まれて次々と新しい元素が誕生していったとか言われています。

 

そのビックバンが生じる前は宇宙には何もなかったとか、無の空間があったとからしいですね。

 

そこら辺はよく判っておらず今でも議論が尽きないとかなんとか。

 

ココらへんの話を、このブログが提唱している「存在質」という概念を使ってなんとか説明できないかなと思っています。

 

よくビックバンが起こる前には何もなかったとは言いますが、このブログの提唱する「存在質」という概念は「物性を持たないけど存在する」というモノです。

 

ビックバンは原子が産まれた切っ掛けですが、原子の材料は存在質なのでそもそも存在質がないと原子が産まれません。

 

ビックバンは原子の世界(物質宇宙)の始まりかもしれませんが、宇宙の始まりではないと思われます。

 

元々存在質が満ち満ちている宇宙があって、その非物質宇宙の中に何らかの切っ掛けで物質の宇宙が誕生したと言う話ではないでしょうか。

 

イメージとしては。

 

すんごいでっかい水が満杯のプールがあるとします。

 

ある時、そのプールの水を使って何らかの手段で氷を作ります。

 

氷の成分は元々は水ですが、水中に出来たの氷は浮くのでプールの氷はプールの水面近くに集まります。

 

そうやってプールの中に、水の層と氷の層ができます。

 

氷の層で産まれた生物は氷(固体)の身体を持ちます。

 

水の層で産まれた生物は水(液体)の身体を持ちます。

 

もちろん、プールの中で氷の層に近い水の層は氷の影響で底の方の水よりちょっと冷えています(固体に近い状態(液体の流動性が下がっている状態)になっています。)

 

もちろん氷は放っておけば水に溶けてしまうと思いますが、何らかの手段でプール内の熱エネルギーを底のほうが暖かく上の方を冷たくしてしまえばよいのです。

 

そのようなシステムを作ってしまえば、氷の身体を持つ生物と水の身体を持つ生物の世界は二つに別れます。

 

見たいな感じではないでしょうか。

 

ビックバンはプール(非物質宇宙)の誕生ではなく、プール(非物質宇宙)の中に氷の層(物質宇宙)を誕生させたのではないでしょうか。

 

また、プールの中の水はほっておけば永遠に水なのです。

 

エントロピー増大の法則のように、自然に氷が解けて水になることはあっても、水が自然に氷のなることは無いと思います。

 

つまり、原子の誕生(物質宇宙の誕生)は非常に自然法則に反していると思われます。

 

これは、言ってみれば自然法則に反しているのならそれは何らかの人為があったかもしれないということでもあります。

 

しかし、非物質宇宙にエントロピー増大の法則が在るかは分からないのでなんとも言えないですね。

 

もし非物質宇宙の法則に(というか量子的宇宙とか言っちゃって良いと思うので量子力学に)エントロピー増大の法則が本来的に存在するならば、物質宇宙の誕生は人為って言えるのではないでしょうか。

 

 

いかがでしたでしょうか。

 

今回の記事は久しぶりに物理学が絡んだ話になります。

 

ただ、私は物理学はちゃんと学んだことのないド素人ですので、考察の内容は(たとえそれが一部であっても)保証はできかねます。

 

また、存在質を量子って言っちゃていいのかと思いますが、量子は物理学の範疇の話で、存在質は完全に物性をもたない「ただ存在するという性質を持った何か」の話なので一応両者は区別しておきます。

 

では今回の記事は以上になります。

 

ではでは~。

 

 


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目覚めたモノあるいは覚者と呼ばれる所以

こんにちは、toshoです。

 

最近求職活動中ですが、あまり無理ができない身体(体質的にストレス耐性が弱い、HSPで神経過敏気味なので無理な残業が続くと心身を壊しやすい、服薬中の薬の影響で睡眠不足が続くとこれまた心身を壊しやすい等)なので、やっぱりエンジニア派遣かな~とか思ってたりします。

 

今の時代ITエンジニアの求人倍率が4倍くらいなので、なんとか仕事にありつけそうですね。

 

正社員採用だと、無理な残業とか断れなくて体壊してしまいそうになるのが嫌なんですよね。

 

前の職場で働いて、この年になってやっと「自分は無理ができない体質なんだな」という事が分ったので、そういうことを考慮して働かなきゃイケないのは身にしみています。

 

さて、そんな私的事情はこのブログの読者さんには関係無いので置いておきます。

 

今回の記事は、一般に覚者や覚醒者や悟った人などと呼ばれている、歴史上の偉人あるいは無名だけれどもそのような呼び方で呼ばれる人たちについての考察です。

 

昔から、霊的に在るレベルに達した人たちのことを、「霊的に覚醒(かくせい)した」とか「霊的にあ目覚(めざ)めた」とか覚(かく)者とか呼ばれます。

 

それで、なぜそうした人たちがそのような呼ばれ方をするかということなのですが、それは「ある一定以上のドーパミンを脳内に放出している」人たちは「実際に、意識の明瞭さがそうでない人に比べて高い」からでしょう。

 

別の記事で書いていますがスピリチュアルでいう「波動が高い状態」というのは「脳内に多量のドーパミンを放出していて、心身のエネルギーレベルが高い状態」だと思われます。

 

霊的に覚醒した人たちは「波動が高い」とも表現されます。

 

そして、ドーパミンというホルモンには意識の覚醒作用があります。

 

実際に向精神薬を服用したことが在る人ならわかるとは思いますが、お薬の服用によって明確に意識の明瞭さや覚醒度に差が出ることがあります。

 

私なんかは、十年前から今でもリスパダールという非定型抗精神病薬を服用しています。これはドーパミンの放出量を抑制して、セロトニンの放出量を増やすお薬ですが、薬の服用量によって明確に意識に明瞭さや覚醒度に差が出ます。(これに関しては別の記事で書いていますが、toshoは医者から統合失調症の診断を受けています。あと、社交不安障害も。これに関しては色々言いたいことはありますが、「大丈夫です、寛解しています」と「精神医学界の闇というのは思っている以上に深いので、一度診断されて投薬治療を受けたら診断名覆すのも断薬するのもほぼ無理だと思ったほうが良いですよ」と「精神科医はハズレを引いたら悲惨です」とだけ書いておきます。自律神経失調症と最初に診断されたら、担当医師が交代していつの間にか統合失調症に診断名がすり替わっていたとか、たまたまリスパダールが社交不安障害に効く薬だったから症状が改善して診断名が固定されたとか、そもそも社交不安障害は10年近く診断ミスで無視されていたとか、社交不安障害がほぼ治った頃にはリスパダールを10年以上飲み続けていて今更断薬とか無理な感じなったとか、脳内ホルモンの自然の調節作用が弱くなっているから、本当に無理できない体になったとか、そういうクソな話はどうでもよいのです。あらくちがすべった)

 

まあ、私の私生活の与太話はともかく、簡単に言いますと「霊的覚醒者=波動が高い=脳内に多量のドーパミンが放出されている状態=(ドーパミンには意識の覚醒作用があるから)意識の覚醒度や明瞭さが高い=一般の人より意識明瞭で目が覚めている=霊的覚醒者に比べて一般の人は意識の覚醒度が低く寝ぼけている」ってな感じでしょう。

 

簡単に言うとそんな感じです。

 

古いスピリチュアル用語なんて、科学的に分析するとこんな感じなのです。

 

てーしたことがないのです。

 

いろんなところでよくわからない専門用語で煙に巻いてるのはこんなに単純な理屈だったからかもしれません。

 

人間なんて猿の延長線上の生物なのだから、大抵の事は生物的な基盤がベースになって成立しています。

 

スピリチュアルでは、そこら辺をぶっ飛ばして波動だのエネルギーだの言ってるからよくわからないし、色々な人に馬鹿らしく思われるのです。

 

また当たり前ですが、「霊的覚醒度=意識の明瞭度=ドーパミンの放出量」は高ければいいってもんじゃないです。

 

意識の明瞭度が高くなるってことはつまり無意識の領域が狭くなるといことです。

 

今まで無意識レベルで行っていた思考が顕在意識に現れるのですから、これはすげー気持ち悪い状態になりますよ、病気です。

 

人間はぼーっとしているときにも、脳は情報処理をしていて、例え脳内で有声化(声として頭のなかで聞こえる)されていなくても思考をしています。(デフォルトネットワークとかこのブログでも取り上げたことあります)

 

この有声化されていない思考はドーパミンが多量すぎるくらいに放出されてしまうと、有声化します。

 

このレベルになると統合失調症の意識障害と診断されるので、速攻お薬飲んで絶対安静状態になるのですが、いくら波動が高い=霊的に覚醒度が高い状態であれ人間として劇ヤバイです。

 

何事も程々が一番です。

 

なにもブッダやキリストを目指さなくても、人よりちょっとドーパミンが多く放出されている状態程度を目指すほうが、世間的にも本人的にも一番幸せな状態ではないでしょうか。

 

この「霊的に覚醒した状態=脳内ドーパミン量が多い」状態は上手く使いこなせれば色々人生が捗るのでしょうが、使いこなせないなら色々と世間からあぶれてしまうため、人によっては変にそういうのを目指さず地道に生きたほうが良いですね。

 

世にあるスピ情報をこのブログで紹介した情報を使って読み解いてみると、色々スピ系の見方が変わるかもですね。

 

いかかでしたでしょうか。

 

スピ系のテーマ以外の記事を上げると書いた直後にスピ系のネタになってしまいました。

 

でもよいですよね、一応内容は科学っぽいですし半分はtoshoの私生活の愚痴ですし(笑い)。

 

深夜に作業するのを好むクリエイターさんとかいますけれど、深夜帯は起きていると自然とドーパン量増えるから、インスピレーション湧きやすいのですよ。深夜の妙なテンションとも言いますが。(お薬事情から深夜残業が嫌な理由の一つです。)

 

また、お風呂なんかもリラックス時にはドーパミン量が多くなりますね、お風呂もインスピレーションやアイディアが湧きやすい場所ですよね。

 

無意識にしている思考は、ふっとドーパミン量が増えた瞬間有声化したり視覚的イメージとして出たりします。

 

半ば幻覚みたいなものですが、世間ではこのようなインスピレーションは幻覚とは言わないみたいですね。

 

まあよいですが。

 

ちょっと色々書きすぎました。

 

では、今回の記事は以上になります。

 

ではでは~。

 

 


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ドーパミン、右脳、超越能力、シンクロニシティ

こんばんわ、toshoです。

 

今回の記事は、脳内神経物質であるドーパミンと右脳と超越能力の関係(ついでにシンクロニシティ)について考察します。

 

このブログで以前から述べていることですが、人間には脳→身体の経路であるトップダウン処理と身体→脳の経路であるボトムアップ処理があるという仮説を提唱しています。

 

また、右脳にはドーパミン神経回路があるという考察もしています。

 

そして、人間は右脳にあるドーパミン神経回路を用いて、肉体対して強く影響を及ぼして肉体資源を活用する能力が元来備わっている様に思えます。

 

統合失調症などの精神病を患った人は、脳内のホルモンパランスが崩れて多量のドーパミンがされることにより、脳のトップダウン処理により感覚器に対する出力が行われて幻覚や妄想が生じると考えられます。

 

その状態において、感覚器に対する出力ではなく筋肉や内蔵などの肉体資源に対して強力な出力がある場合に強力な身体的能力やスタミナを利用できる場合があると思います。

 

また、右脳には自己啓発・スピリチュアル・脳科学業界では伝統的に、広大なスペックが存在していると言われています。

 

情報の大量処理能力、ビジュアル(視覚)に関する大きな能力、模倣や共感能力、想像力や創造力、インスピレーション、ESP・霊能力など関連していると言われています。

 

しかし、最近の脳の研究では、右脳と左脳には大きな構造上の違いは存在しないとも言われています。

 

このブログでは、大脳の右脳側にはドーパミン神経回路、左脳側にはセロトニン神経回路があると考えています。

 

そのために、右脳に広大なスペックが存在していると考えるのは、ドーパミン神経回路とセロトニン神経回路の役割の違いから生じていると考えます。

 

大脳の右脳側に大きく存在していると考えられるドーパミン神経回路を鍛え、発達させることが、人間の脳力や肉体資源の活用に重大に関わってくるのではないでしょうか。

 

統合失調症などの精神病で幻覚を生じさせるのは、脳内ホルモンのバランスが乱れている時に多量のドーパミンが感覚器に出力して様々な奇天烈な感覚が再現されているからだと考えれるならば、感覚器以外にも脳や筋肉や内臓などの様々な能力をボトムアップ処理ではないやり方で利用・使用できるのはないでしょうか。

 

想像力や創造力、インスピレーション、ESP・霊能力などはこのブログで提唱している人間の「同調・模倣・共感」能力を引き出したものであり、ビジュアル(視覚)に関する大きな能力は視覚に対する強い出力によるものであり、情報の大量処理能力はそもそもの脳全体の能力の底上げでありあるいはまだ発見されていない脳機能を利用したものかもしれません。

 

また、ドーパミンは多量に発生している最中は、あらゆる感覚・感情の反応が強化されます。

 

普段の状態で少し悲しいなと思うような映画は、ドーパミンが多量に発生している最中に見ると驚くほど悲しく感じることでしょう。(同じ映画を映画館で見るのとDVDでみるのでは結構違いますよね。映画館の様な環境はドーパミンを多量に放出する効果があります。それのすごい版です。)

 

もちろん怒りなどの感情も強化されるので注意が必要です

 

また、色々な感覚が強化される中で、匂いや音に対して鋭敏になりすぎてしまう事があるかもしれません。(感覚というのは、常にボトムアップ処理と同時にトップダウン処理によるフィードバックを受けています。このフィードバックが強力になればより強く感覚を感じるようになります)

 

さらに、ドーパミンが多量に発生している時は肉体のエネルギーレベルも高まりますので、睡眠時間が短くなります。場合によっては、時間の感覚が奇妙なものになります(これは、そもそも時間というものが相対的なモノのためです。肉体のエネルギーレベルが高くなるというのは主観的な時間が遅くなるのでいつもより時間の経過(時計の針が進む事)が速く感じれるようになります。)

 

また、あまり今回の記事に関しては適切ではないかもしれませんが、ドーパミンが多量に発生して右脳の機能が活性化すれば、人間の意識下のグローバル通信機能が活性化していわゆる「シンクロニシティ」を多く経験することになるかもしれません。(そもそも、スピリチュアルで言われるいわゆる「シンクロニシティ」は意識下で行われている人間の「同調・模倣・共感」機能(無意識のグローバル通信)が強化されることで、無意識的に他者の言動に対して上手く同調して色々な事が噛み合う事によって生じると考えられます。睡眠中などは脳内に多量のドーパミンが放出され無意識のグローバル通信が活発化すると考えられます)

 

 

いかがでしたでしょうか。

 

このブログで提唱している仮説を元に色々とドーパミンや右脳に関して考察してみました。

 

すでにお気づきの方も沢山いらっしゃるようですが、色々と内容がスピリチュアルの界隈で言われている事とかぶっていると思います。

 

あちらの業界では、いつも波動やら何やらよくわからない表現が多いですが、認知科学や心理学などの科学ベースで考えれば、こんなにスッキリと色々な事が説明できます。

 

おそらくですが、あちらの業界では「ドーパミンが多量に放出されて、エネルギーレベルが高い状態」を「波動が高い」と表現されていますね。

 

そう考えれば色々と共通するモノが見えてきます。

 

スピリチュアル界隈はおもしろい発見が多いですが、言ったもの勝ちで混沌としているので色々と疲れますね。

 

そろそろ全体的に科学ベースになってくれればおもしろいのにと思います。

 

まあ、私が提唱している統合科学も、トンデモや疑似科学やスピリチュアル扱いになるとは思いますが。

 

本日の記事は以上になります。

 

ではでは~。

 

 


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古代からの智慧は現代語翻訳しよう

こんにちは、toshoです。

 

今回の記事は、現代以前に発達した理論体系、気功等への現代でのアプローチの仕方についてです。

 

東洋医学には「気血」という概念があります。

 

私も詳しく走りませんが、身体の中をぐるぐると周りめぐる「血」以外にも「気」というのが身体を巡り巡っていて、人間の動かすのに重要なものとして考えられているということらしいです。

 

私は中学生の頃に気功や東洋医学を知って、「気血」という概念を知ったのですが当時はよくわからない見えないエネルギーが体の中を巡っているのかなという程度の理解でした。

 

しかし、現在ではそうは思わず、「気血」の気の事は「目に見えない、微小なホルモンや赤血球や白血球などの血液を媒介にして身体の各臓器に影響を与える物質」のことだと解釈しています。

 

当たり前ですが、気功や東洋医学が発達した時代には、顕微鏡もなく化学も発展していませんでした。

 

そういった時代に、人間の身体を修練により鍛え探求していた人たちにとっては、体感的にホルモンや赤血球などの存在を感じることが出来ても、それらは「目に見えない程微小」であったために「目に見えない何かがある」と感じ、また解剖学や生理学などが発達していない「ホルモン」や「細胞」という言葉は使えず(まあ、当たり前ですが)、当時の人たちはは一概にして「気」と表現したのではないでしょうか。

 

現在でも東洋医学では、気血の事を「よくわからない科学的ではない概念」として扱ったりしていますが、当時の人達が「気」として表現した何かは「現代に生きる私たちにとっては馴染みであり、すでに別の言葉で表現されている」のでないでしょうか。

 

「万物は陰陽の気によって出来ているらしい」ですが、万物が気だったらもちろん、ホルモンや体の中の小さな微小細胞も気でしょう。

 

それぐらい大雑把な表現なのです。

 

このように、古代から続く理論体系で語られている物は、現代において日本語として表現されていても半ば外国語のようなもので、それらの言葉で語られている何かは適切に現代語によって表現し直して見る必要があると思います。

 

「気血」と聞けば少し怪しいなと感じる人が多いかもしれませんが、気功の理論体系が発展した当時の文化と科学レベルを考えれば、現代の言葉を使えばもって適切に表現できるものなのかもしれないと考えるのがベターなのではないでしょうか。

 

単に「言葉の問題」の可能性があると思います。

 

「言葉の問題」は結構根が深いものなので、色々な分野で気をつけてみる必要があるように思います。

 

 

いかがでしたでしょうか。

 

今回の記事は、気功や東洋医学の「気血」についての考察から色々考えていたものになります。

 

結構この「現代語訳する」というのは重要でして、非科学分野の領域の知識を得ようとする時には理解の壁になっていたりするので、皆様の気にしながら知識の収集をしたほうが良いと思います。

 

特にそのような本は、「感覚派」の人間が書いている場合が多いので色々な考慮が成されていない場合が多いです。

 

読む側にリテラシーがないと変な所に迷い込む危険性が大いにあります。気をつけましょう。

 

私も感覚派なところがありますので、色々と気をつけながら(具体的には、色々な事を省略せず書く、できるだけ具体的詳細に平易な表現で書くということを気をつけています)記事を書いています。

 

今回の記事も決して鵜呑みにはせずに、考える種にでもしていただければ幸いです。

 

 


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感情、感情、感情!。感情、この劇物よ。

こんにちは、toshoです。

 

今回の記事のタイトルはちょっと劇のタイトル風にしてみました。

 

テーマは「感情」についてです。

 

感情というのは非常に厄介な面がありまして、自分自身で自分の感情をコントロールできる人はそんなに多くなく、多くの人は「怒り」や「嫉妬」あるいは「やる気」や「喜び」などの不随意に生じる感情に振り回されているかもしれません。

 

怒りっぽい人が居るとして、本人が毎度毎度怒りたいから怒ると言うのは稀でしょう。

 

多くの場合は、「何故か」特定の状況において「勝手に怒りが湧いてくる」ものです。

 

その原因は、その人の持つ観念や信念において怒る理由が存在しているから起こってしまうのですが、自覚的に自分が怒る理由を内省出来ない場合が多くあると思います。

 

まあ、それは置いておいて。

 

今回のテーマは感情ですが、感情の持つ観念や信念のような心理的問題は扱いません。

 

感情の持つ、エネルギー的側面、生物学的側面を扱います。

 

感情というのは上記のような不随意に発生するものですが、これは大きなエネルギーを持っています。

 

それは何故かと言うと、感情が発生する場合には当たり前にそれに値する脳内の生化学的あ反応が発生しているからです。

 

この生化学的反応とは、神経の発火やホルモンの産出のことです。

 

すなわち、感情とは単なる精神的なものではなく、物理的生理的なものだということです。

 

古代から続く生物が生きる為に存在する非常にダイナミックな仕組みなのです。

 

例えばですが、鹿などの野生動物が、敵対する肉食獣に遭遇した時にどのような反応が起きるというと、「闘争か逃走か」と認知科学で呼ばれるような生理状態が発生します。

 

興奮状態になって戦うか、恐慌状態になって逃げるか、です。

 

この状態になると、鹿は体内の生理反応により、ドラクエで言うような「状態異常」が発生します。

 

恐慌状態になる場合は、体内(あるいは脳内において)発生した状態異常から逃げるために、鹿は遠くまで全力で逃げるのです。

 

決して、敵対する肉食獣から逃げているのではないです。

 

肉食獣に接近する事で生じる体内の状態異常が嫌で嫌で仕方がないから、その状態異常が発生しない場所(肉食獣から遠い安全な場所)へ逃げるのです。

 

つまり、体内に生じた状態異常から逃げるようで、状態異常に導かれて居るのです。

 

そして、感情というのは強大なエネルギーを生み出します。

 

恐慌状態によって生産されたホルモンは、内臓に働きかけ体内から多量のエネルギーを取り出し、また脳内においては下位脳にはたらきかけて、潜在意識の力(つまり、肉体のOS:オペレーティングシステムの力)を使って身体を動かします。

 

このような状態になることによって、主体意識の力を用いずに、潜在意識(肉体のOS)の力と体内のエネルギー資源の力を存分に引き出せるのです。

 

話は変ります。

 

上記のように、感情というのは不随意に発生され、物理的生理的な反応を伴い、肉体から多量のエネルギーを引き出し、潜在意識(肉体のOS)に働きかけ、肉体を大きく動かします。

 

このような強大な力を持つ「感情」ですが、多くの現代人はその有用な力を上手く扱えていません。

 

それは何故かと言うと、「感情の扱い方・使い方」を単に教えられていないからです。

 

感情は大きな力そしてエネルギーを生み出します。

 

それ故に、今までの社会では感情が暴走しない様に御する方法はある程度教えています。

 

宗教などでは、感情を清らかに保つ、悪感情に飲み込まれない様に修練するなどを教えています。

 

しかし、それは、感情の持つ大きな力を扱うための一側面でしかありません。

 

感情の持つ大きな力を利用するのは、すなわち「想像力(イマジネーション)」と「現実感(リアリティ)」を知らねばなりません。

 

想像力とは、すなわち「身体の内に具体詳細な感覚情報を「随意に」再現する力」のことです。

 

そして、その想像力に現実感(リアリティ)が伴う時に、感情が動いて物理的生理的反応が起きるのです。

 

つまり、強大な感情の力を「随意に・意のままに」利用するために、想像力を用いることが必要なのです。

 

例えばですが、昔石油危機があった時に、不確かな情報から多くの人がトイレットペーパーを買い占めて、店頭からトイレットペーパーが消えたという話を学生の頃に聞いたことがあります。

 

そのような状況がなぜ起こった方というと、それは不確かな情報を聞いている内に、想像力を発揮して、トイレットペーパーがなくなってしまうと言う状況をありありと想像してしまったからでしょう。

 

そして、自らの想像に現実感を感じて、実際に感情が動いてしまったのです。

 

感情が動いてしまえば、生理的な反応から身体が反応・動いてしまいます。

 

そうなってしまえば、その「恐怖や不安」等の感情が消失するための行動を実際に取れてしまうでしょう。

 

例えば、長い行列ができているラーメン屋に2時間並んでもラーメンを食べたがる人が日本には大勢居ます。

 

それは、正直私は行列が出来ている〇〇屋に並ぶという行為は心底苦手で、ああいった所に並びたいと思いません。

 

しかし、私の兄などはそのような行列にも平気でならんで美味しいモノを食べに行く性格をしています。

 

そのような人は、うまそうなラーメンという想像をすることによって、行列に並ぶという心理的抵抗を減じているのかもしれません。

 

雑誌で見たか、匂いを嗅いだか知りませんが、そのような想像をする事によって、うまそうなラーメンに心の中でよだれを垂らして、実際に唾液も出るし、胃腸は動くし、ラーメンの味を想像の中で先取りして味わうことによって、多少の空腹をごまかしつつ、実際に味覚に想像のラーメンの味を再現しているのでしょう。

 

そのような状態に有れば、2時間位なら待てるかもしれないし、すでに何度か味わっている店なら、想像の中で美味しいラーメンを味いながら待っているのかもしれないです。

 

このように、想像力を使えば、感情の力を使って色々と、普段ならめんどくさがってやらないことも安々とできるようになるかもしれません。

 

つまり、意識的に難しい・面倒くさいと思っていることも、想像力を使って感情の力を動かしてやれば少ない努力で行うことも十分に可能ということです。

 

また、この想像力を喚起して感情を揺らして相手の行動をコントロールするという、マインドコントロールを行うことも出来ます。

 

皆さんも、子供や後輩や部下の指導をするときには、相手の感情に働きかけるというのは当たり前にやっていると思います。

 

出版や放送では、お客さんの感情を煽る様なやり方が好まれます。

 

よく「感動を届ける」という様な言い方がされますが、感動つなわち「感情が動くこと」を目的とするのは、人は感情が動いてしまえばそれを無視できないからでしょう。

 

例えそれが虚構の世界であれど、人間は感情が動いてしまえば現実感を感じて無視できないようになりますし、潜在意識にも強く影響を受けてしまいます。

 

 

いかがでしたでしょうか。

 

このような話はブログ初期にNLPや認知科学を扱っていた時に取り上げていたのですが、最近ではめっぽうそういう記事を書かなくなっていました。

 

最近はスピ系の記事もお腹いっぱいになってきたので、もっと色々なテーマで記事を書いていきたいと思っています。

 

人は、感情が動かない物事については、結構ぞんざいに、いい加減に、適当に扱います。

 

しかし、感情が動いて無視できないことについては、真剣に語り合ったり、エネルギーを注ぎ込んだり、実際に行動したりします。

 

それがどのような感情かというのもありますが、人間が普段生活してかかずらう多くの物事人とは、感情的なつながりを持つものです。

 

感情というものについて無知であれば、人間の力の70%(適当です)について無知であるといえるかもしれません。

 

また、重要なことなのでもう一度書きますが、「リアリティがある想像には、生理的に身体が反応します」というか「生理的な反応が喚起されるような想像を、リアリティがある想像と言う」のです。

 

そして、いくらどんなに強いリアリティが在ったとしても、想像は想像でしか無いと言うことは非常に重要で忘れてはいけないと思います。

 

今回の記事は結構長くなってしまいました。

 

文章構成がちょっと崩れているところがありますが、ご容赦を。

 

今回の記事も読者様の人生の為に有効に活用してくだされば幸いです。

 

もちろん、鵜呑みにせず。

 

小さな事で、「想像力による感情の引き出しテクニック」を試して、実際にどのような物かを確認して見ることお勧めします。

 

ではでは~。

 

 


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ワクワクを追えば右脳能力の開発が進む

こんにちわ、toshoです。

 

今回の記事は、波動を上げる事と右脳能力の開発に関してです。

 

スピ系の世界では、「ワクワクすることを、情熱をもって行う」事が全般的に推奨されています。

 

曰く、「それが波動を上げるのに一番」「人生をうまくさせる最高のツール」等と言われています。

 

これってなんでそう言われるかについて、私の知りうる知識で説明してみたいと思います。

 

このブログで相当昔の記事で説明したことが在るのですが、右脳と言うのは「快の感情」により上手く機能するのです。

 

「楽しい」とか「嬉しい」とか「幸せだな」とか、そういう感情状態にある場合に右脳はよく働いてくれます。

 

逆に言えば、「不快」だとか「つまらない」だとか「憎しみ」「嫌悪」「怒り」のような感情状態にある場合、右脳の機能はそこまでちゃんと働いてくれないのです。

 

そして、右脳の前頭葉にはドーパミン神経回路が備わっているとこのブログでは考えており、ドーパミンないし興奮性神経伝達物質は、人間の持つ潜在能力を引き出し開発するのにとても重要な役割を持っているとも考えています。

 

そして、そもそもワクワクしている事に情熱を持って取り組んでいる時には、人は脳内で多分にドーパミンを多量発生させているときでもあります。(それが出すぎて自力では止められなくなると病気とみなされるようになったりしますよね)

 

なので、「快の感情」にある時に(右脳がよく働いてくれる時に)、ワクワクすることを情熱を持って(ドーパミンを多量に発生させて)行うと、「右脳が開発されて」「潜在能力が開発されて」「(波動が上がって)エネルギーレベルも上がる」という事が起きます。

 

また、右脳が開発されると「人間の潜在的な能力を引き出せるようになったり、開発できたり」「通常の人間を超越した感覚(ESPや霊能力)に目覚めたり」「思い込みを外して色々頑張るので、天才的な能力を結果的に獲得したり」します。

 

また、「ESPや霊能力」を獲得できれば、「論理的思考や学校など人から教えられた知識を超えて、物事を知覚するようになるので、人の嘘や誤魔化しを見抜けたりするようになります」。

 

もちろん、右脳能力の開発が進み始める頃に「ちょっと不安定で危ない時期」というのが在るので、このタイミングで「ヤバイ方向」「行っちゃまずい方向」に傾いていく人もいます。

 

そのような人たちを、「魔境に落ちる」とか「フォースのダークサイドに堕ちる」とか「魔人化」とか「魔の領域に堕ちる」とか「人として道を踏み外す」とか言ったりします。

 

そして、「そもそも人間はワクワクして楽しいことに熱中して、人生を楽しく生きてれば自動的に波動が上がって(エネルギーレベルが上がって)、右脳能力が開発されてESPや霊能力に目覚めていくような仕組みに出来ている(デザインされている)」といえます。

 

なので、社会の管理者たちはそれを避けるため(なぜなら、嘘や誤魔化しやマインドコントロールが通用しなくなるから)に「規則や規律でがんじがらめで競争過多なストレス社会を作って人々の右脳能力や潜在能力が開発されない方向に持っていっている」のかもしれません。(これに関しては、あまり確証はないです。広く世の中を観察して、情報と金の流れと、社会構造と近代以降の歴史を観察・分析すると、もしかしたら・そうであってもおかしくないというレベルで感じています)

 

もちろん、右脳能力だけとても高くて、自己抑制や自己コントロール能力や優しさや愛情、慈悲心や忍耐力に欠けるような人間もいらっしゃるので、言葉通りの意味で「楽しいことだけやっていれば良い」というわけでもないと思います

 

個々人によって、どんなことがその人と周りにとってより良い成長につながるかと言うのは、全然違いますのでなんとも言えないですね。

 

 

如何でしたでしょうか。

 

まあ、とりえあず「ワクワクを追えば右脳能力の開発が進む」というのは以上のように説明できるのではないでしょうか。

 

「ワクワクする事を情熱を持って行う事」と「右脳能力の開発」と「波動が上がる(エネルギーレベルが上がる)事」と「ESPや霊能力の開発」は結構連動しています。

 

スピ系で言われるキャッチーなフレーズを、もう少し具体的な言葉で詳しく説明できるようになると、人類の科学もより進んでいけるのではないでしょうか。

 

今回の記事は以上になります。

 

ではでは~。

 

 


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「全ては波動」「思考は波動」に関してのあれやこれ

こんにちは、toshoです。

 

久しぶりのブログ記事の更新です。

 

今回の記事内容はスピ系メッセージの中でひときわ目立つ「全ては波動」という言葉に関してのあれやこれです。

 

「全ては波動」という言葉はいろんなチャネラー・霊能者がおっしゃっている言葉ですが、私はあまり好きではありません。

 

なぜなら、大きな誤解を生む可能性があるからです。

 

「全ては波動」という事が真実なら、私もあなたもあなたの恋人も、髪の毛もサッカーボールも頭の中の思考も、抽象概念も、言葉も文字も犬のウンコも、子どもの頃やった変な遊びも、その全ての物事が波動であるということになります。

 

痛みや病気や恋心も全て波動です。

 

この言葉を聞いた時に多くの人の中では、「全ては「単なる」波動だったんだぁ」と物事の矮小化が生じる可能性が高いからです。

 

政治もサッカーボールも、犬のうんこも、病気や痛みや恋心さえも「それは単なる波動でしかないんだなぁ」という変な思い込みが生じるからです。

 

病気が生じた時に、「病気は単なる波動、病気は単なる波動。だから〇〇○」みたいな思考をしたり。

 

政治に関しても「政治も単なる波動なのだから、波動でなんとかなる、なるはず」とか思ったり。

 

そういうしょうもないことが起きることがありうるからです。

 

「全ては波動」という言葉を聞いた時、受けての中に「全ては単なる波動」というミスリードが起きる可能性があるから嫌なのです。

 

なので、私は「全ては波動」という言葉を聞いた時には意図的に「全ては波動の性質を持つ」と軽く言い換えています。

 

政治もサッカーボールも犬のウンコも、恋心も「単なる波動」ではなく、「波動の性質を持つ物」として観てあげれば上記の様な変な思考は起きないからです。

 

病気に関しても、「既存の病気や人体に関する知識」にプラスして「波動の性質を持つもの」としての視点から観られるので変に西洋医学を否定してヒーリングに頼り切りになったりしないと思いますし。

 

政治に関しても、既存の政治学や積み重ねてきた体験や知識に加えて「波動の性質を持つ」という観点から見るので、「スピリチュアル馬鹿な発言」というのをしなくなるのでないのでしょうか。(これに関しては、スピリチュアルで言われていることを鵜呑みし続けると発症する可能性がある結構重篤な症状なので、私も常々気を付けています)

 

また、「波動の性質」とはつまり「波の性質」の事です。

 

与えるものを受け取るとか言われるのも、「受信と発信の仕組み」や「波形の同調現象」とかが根本にありますし。

 

波には寄せては返すというような「リズム」「振幅」があることもご承知だと思います。

 

後は、逆位相の波は互いの波長を打ち消すとか。

 

また、波の性質の発現率とかも重要ですね、光とか電波より、サッカーボールやトンカチは波の性質が弱い、つまりより物質的(粒子のように振る舞う)だとか。

 

「すべては波動」という言葉は「全ては波動の性質を持つ」とでも言い換えてみるとそんな変な話ではありません。

 

このブログが散々提唱している「存在質」は「ただ在るという性質をもった何か」ですし。

 

物質は「存在質が物の性質を獲得したもの」としてみることが出来るし。

 

生物は「物質が細胞の性質を獲得したもの」としてみることが出来るます。

 

このように物事は、基本となる性質を持つ何かがあり、それが組み合わさったり構造を変えたりして、新たな性質を創発・獲得していき発展・成長・進化していくと考えられます。

 

なので、全ての物事には当たり前ですが、存在質の「存在する」という性質が在るように、その一つ上位の性質である、「物性―エネルギー性」がそもそも存在しているといえるのではないでしょうか。

 

サッカーボールだって、マクロにフォーカスしたら波の性質が在るように見えなくても、サッカーボールを構成するミクロの粒子にフォーカスしたら波の性質が在るのだから、「波動の性質がある」ということが出来ます。

 

政治だって、結局は人間が行うものなのだから政治を概念や形態的なシステムとして見たとしても、人間の思考や行動に波動の性質があるのだから「波動の性質を持つ」と言ってしまえるでしょう。

 

そのような見方をしたほうが良いのではないでしょうか。

 

 

 

また別の話ですが、「全ては波動」ならばすべての物事は「波動パターン」つまり波形で記述する事ができるということになるのではないでしょうか。

 

でも、サッカーボールを波形として記述しろ、と言ってもちょっとむずかしそうですね。

 

でも、思考や行動を波形として記述するのは意外と出来るかもしれません。

 

思考には思考パターンと言うものがありますし、行動には行動パターンと言うものがあります。

 

思考パターンをある種の波形として捉えるならば、寝起き直後の何も考えられないぼーっとしている時を原点として、時間軸にそって様々な所に思考が飛んでいってまたボーッとしたりして最後には寝て原点に戻るという様なパターンが見られるかもしれません。

 

また、行動パターンも家や自室を原点として時間軸に沿って学校行ったり仕事行ったり遊んだりして、また家や自室に戻ってくるのも波形として記述する事が可能かもしれません。

 

これを考えると、思考や行動も一種の波動ということになるのでしょうか。

 

例えば、思考パターンが近い人同士は、思考の波動が近いということで似たような人かもしれませんし、趣味も近いかもしれません。

 

行動パターンが近い人は、実際に同じお店や職場に集まって、ニアミスしたり知り合いになったりするかもしれませんね。

 

これは思考パターンや行動パターンが似ている部分が多い(波形が重なる部分が多い)人ほど、仲良くなったり居心地が良かったり、実際に出会うということかもしれないですね。

 

また、思考パターンが変われば、自ずと行動パターンも変わってきますので、「思考が先、現実が後」というのは「思考パターンが変わったら、行動パターンが変わるし、行動パターンが変わったら、遭遇する出来事や出会う人や、周りからのリアクションも自然に変わってくるよ」ということだったり、「思考パターンが変わっていないのに、行動パターンが変わるわきゃないでしょ」ということなのかもしれません。

 

思考パターンの延長線上に行動パターンがあると思うので、「思考は波動」で「思考が現実を創造する」というのはこういうことなのかもしれません。

 

 

例えば、思考パターンや行動パターンを経済的に成功している人の真似をするとか。

 

仕事のできる先輩の、口癖や仕事の手順を真似てみるとか。

 

舞台で歴史上に偉人を演じることになったから、偉人の手記や作品を学んで偉人の思考パターンを再現してみたり、偉人の住んでいた町並みの資料を読んで偉人の行動パターンを想像してみたりとか。

 

チャネリングで宇宙人の考えていることに同調して、脳内で模倣して、再現してみたり。(これはこのブログが提唱している、脳の同調・模倣・共感能力ですね)

 

そういった事は、波動の模倣であります。

 

それが第三者からは技を盗んでいるように見えたり、どっかから技術や知識をダウンロードしているように見えたりするのかも知れません。

 

例えば、ダイエットを成功させたかったら、自分の思考パターンや行動パターンをスマートな人のそれに近づけなさい、真似なさいなんて言葉もありますし。

 

行動パターンが重なると言うことは、一緒に行動したり、同じテレビ番組見たり、同じようなものを食べたりするので、夫婦や恋人や友人がだんだん似てくるというのはそういうことだったりするのかもしれません。

 

また、すくなくとも、行動パターンが重なるところがない人とは、友人はおろか知り合いにもなれないっぽいなとか思います(だって、出会わないのだし)。

 

土地柄とか県民性とか国民性とかも、思考パターンを形成するので一種の波動になるのかもしれません。

 

英語使っている時の自分と日本語使っている時の自分は結構、思考パターンが違うのでどんな言語を母国語とするかで思考パターンや波動が変わってくるのかもしれませんね。

 

また、どのような情報媒体を好むかによっても、思考パターンに影響があるので、ツイッター民とかフェイスブック民とかインスタグラム民とか新聞オンリーな人とか、テレビばかり見ている人とか、色々と思考パターン、行動パターン、波動パターンが変わっていくのかもしれません。

 

どのような本を読むかもでも思考パターンは変わってくるので、言論統制・情報統制・マスメディア統制で国民の行動パターンとか波動パターンとか操れちゃうなとか思います。

 

禁書指定・有害図書指定・検閲が恐ろしいのがそのためですね。

 

見聞きする情報・触れ合う人の思考パターンを無意識に模倣したりそれが、行動パターンを形作るので危ない事も起きたりします。

 

スピ本ばっかり読んでいると、スピ系の信念体系に取り込まれかねません。

そうならないために、日常生活はしっかり地に足つけて生きましょう。

 

学歴良い人は、学校で習ったことをベースに世の中をみるようになるので特別な何かがない限り既存パラダイムを否定する事はないかもしれません。

 

何かを学ぶということは、その理論体系・信念体系を自身の中に取り込んで一部とすることだから、上意下達で指導される様な学び舎や師弟関係というのはかなーり注意が必要です。グルイズムとかホント危険です。

 

子どもの成長とは、まず周囲の人間の思考パターンの模倣から始めるので、その時点で破壊的な思考をする人間の思考パターンを模倣してしまうと大人になっても延々苦労するということ。(心理的問題の世代間連鎖とか、結構苦労させられます)

 

一度身につけた思考パターンや行動パターンを自発的な変えるのは、ちょっと難しいので時には自分の外の力を借りるのもいいでしょう。

 

 

いかがでしたでしょうか。

 

久しぶりの記事だったので、いろいろとだらだら書いてしまいました。

 

もしかしたら記事を二つに分けた方が良かったかもしれませんね。

 

結局何が書きたかったのかを簡潔にまとめると、

 

・「全ては波動」というより「全ては波動の性質を持つ」

 

・「思考は波動」は「思考は波動の性質を持つ」

 

・「思考は先、現実は後」は「思考パターンが行動パターンを作る」+「思考パターンが変われば、行動パターンが変わる。現実は行動パターンが変わった結果変わる」

 

・「思考パターンは模倣が可能」でも「思考パターンの模倣には注意が必要」

 

くらいなものですかね。

 

今回の記事もtoshoがいろいろ考察した結果に過ぎないので、あまり鵜呑みにしないでくださいね。

 

また、私の基本スタンスは、スピ系のメッセージは断定系でキャッチーな内容が多いが、あまり大げさに捉えすぎないようにする、です。

 

たとえば、そういう言葉があったとしたら、そのまま受け取るのではなく。

 

「ふむ、全ては波動。ということはつまり?」

 

「思考は波動ですか。結局それって?」

 

一拍おいて、真意を測るというようにしています。

 

普段のマスメディアの報道と一緒で、「キャッチーな言葉・フレーズ」ほど意識的に注意して見ることが大事ですからね。

 

そういう時はただ疑ってかかるというよりは、常に言葉の奥にある意図・真意を推し量るようにしています。

 

このブログでも「存在質」という珍しい言葉を使っていますが、なにかしら新しい言葉もしくはキャッチーな言葉やフレーズが出てきたときには、メッセージ発信者の意図や真意が隠れて覆い隠されている事が多いとおもいます。

 

ちなみに存在質という言葉は、「なんかかっこいい。物質という言葉との対比。科学的な用語っぽくなるように意識している」ので使っています。

 

とくに重要な意味は無いので、このブログを読んでいる方が心の中で別の言葉に言い換えていたとしても特に問題ないですね。

 

それでは、今回の記事は以上になります。

 

ではでは~。

 

 


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死ぬことと、逃げることは似て非なるものなり。死ぬな、逃げよ。

こんにちわ、toshoです。

 

今回の記事は、自殺に関してです。

 

簡潔に書きます。

 

辛いことがあっても、「死にたい」などと呟いてはいけません。

 

そういう時に呟くならば、「逃げたい」と呟いてください。

 

辛い状況からの究極の逃避には確かに「死ぬ」ということを連想することがある方は居るかと思いますが、そんな状況でもその方の心情としては根本的には「死にたい」のではなく「(辛い現実から)逃げたい」のです。

 

本来なら「逃げたい」だけなのに、そんな状況になる度に「死にたい」という間違った言葉を呟いていれば、認知が歪む「負のアファメーション」になってしまいます。

 

最悪、自殺衝動が出たり、うつ症状が出てしまいます。

 

しかし、「逃げたい」と呟いて、自分に(潜在意識にも)死にたいのではなく辛い現実から逃げ出したいだけということを認識にさせていれば「どう逃げるか」や「逃げられないならどう戦うか」などの思考をする事ができます。

 

潜在意識の中で「死にたい」という気持ちが自動化されて、ふとした瞬間に暴走してしまうことなど起こりようもありません。

 

言葉には気をつけましょう。

 

そのような間違った言葉の使い方をしていると、よろしくない方向にに自分も潜在意識も動いてしまうので、言葉の使い方の問題を軽視してはイケません。

 

自己否定を習慣化すると碌なことにならんのですよ。

 

すでに「死にたい」という言葉をくせにしてしまっている方は、呟いてしてしまったら「間違えた。逃げたいだけさ。生きる!」とでもつぶやき直してください。

 

間違った言葉の使い方を放置してはいけませんよ。

 

 

今回の記事は以上になります。

 

この記事を読んだ方の中には、安易に「逃げたい」という気持ちを増長させてよいのかと思う方がいらっしゃるかもしれません。

 

そのような方には「死にたい」という気持ちを増長させるよりだいぶマシです、とでもあらかじめ答えておきます。

 

他の記事と同じように鵜呑みにせず、自分でものを考えるために種にでもしてくれれば幸いです。

 

 


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高次存在からのメッセージ?スピブログ?鵜呑みにしてはあかんよ?

こんにちは、toshoです。

 

今回の記事は、巷でよくある高次存在や守護霊、天使からのメッセージ・スピブログについての諸注意です。

 

高次存在なども結局は一個人にすぎません。

 

あらゆるメッセージは絶対の真理ではなくその存在個人の見解・知見・経験に基づいている事にを意識してください。

 

個人の性格・趣味・嗜好・ポリシー・地球人類に対する態度・どうようなやり方で霊的覚醒を促すか・得意分野・知っていること・知らないこと・役割・長所・短所は一人ひとり全然違います。

 

また、所属する集団によって、どのような事を正しい事としているかは違います。

 

学者の中でもAという学派で正しいとされていることと、Bという学派で正しいとされていることは異なったりします。

 

どちらが正しいかそれともどちらも正しくないのかは分かる人には分かるのかもしれませんが、その判断はなかなかに難しいと言えるでしょう。

 

同じことが高次存在等のの所属する集団にも当てはめられます。

 

結局はどのような存在・集団も本当に存在の真理を余すこと無く理解していることはないということです。

 

我々人類よりいくらか進んだ感性と知識・技術・文化をもっているのでしょうが、高次の世界でも集団や個人の発展・進歩は日進月歩であり、全ての存在は未だプロセスの中にいるということを従順承知しておく必要があります。

 

立ち位置としては、我々人類の知的生命体としての先達・先輩のようなものです。

 

地球人類は田舎小学校に通う小学生、高次存在は遠い外国の大学院生でちょっと特殊なやり方で文通しているというようなイメージが近いかもしれません。

 

そして、どうのような存在もその存在の生物の延長線上の価値観・倫理観・道徳・文化をもちます。

 

これは、我々人間の価値観・倫理観・道徳・文化は我々人間の生物学的基盤が合ってこそ形成されているということでもあります。

 

当たり前ですが、高次存在が我々人類と異なる生物種であれば、異なる生物学的基盤とその延長線上の価値観・倫理観・道徳・文化を持つということです。

 

もちろん、我々人類と比較的に近い生物種である高次存在ならば比較的容易に人類の価値観・倫理観・道徳・文化を理解してもらえるかもしれません。

 

しかし、生物種としてかけ離れている高次存在ならば、それはかなり難しいと思います。

 

これは、猫と犬が異なる生物学的基盤と習性を持ち、異なる社会形態を持つことから分かるように、我々猿人の延長線上にある知的生命体と、そうではない生物(例えば鳥とか魚)の延長線上にある知的生命体では生物学的基盤と習性はかなり異なるものになるということです。

 

日本人とアメリカ人は遺伝的にも社会環境的にも異なり、本当に相互理解をしようとしたらけっこう大変です。

 

これと同じことが、もっと強大におこるのです。

 

高次存在ではないですが、いわゆる霊的に覚醒しかけている人たちの中でも、その人がどのようなな魂の系譜を辿って霊的に覚醒したかによって、趣味・嗜好・性格・霊的な助言の内容と方向性は結構異なります。

 

これは、霊的覚醒はどのような趣味嗜好の人であれ、ある一定の基準をクリアしている事が必須であり、どのようなプロセスで霊的に覚醒するか、霊的に覚醒した後どのような生活をするか、どのようなポリシーを持つかはあまり問題ではないからです。

 

また、私のようにスピリチュアルなブログを書いているような人は、ほぼ100%自身に霊的な覚醒を促すための修行やワークの一環としてブログ書いていると思います(個人的な見解です)。

 

私なんてそういう意味ではまだ未熟者ですよ。

 

すくなくとも、世の中に大体的に発表してお金取るようなものかと言ったら、まだまだ検証・確証が足りない部分が多いです。

 

霊的に覚醒したからブログを書くのでは決してないです。

 

高次存在?からのメッセージやスピリチュアルブログなどは、当ブログを含めてメッセージや内容をどのような意図があって放たれているか、そこには人間に当たり前に起こる思い込み・誤解・決めつけ・認知の歪みなどが当たり前に起こってくるという前提で向き合ったほうが良いです。

 

また、人間はどのように騙されるかということや、どのような思い込むか・誤解するか・勘違いするか・決めつけてしまうか・認知の歪みを起こしてしまうかということを、ある程度理解してからそのような情報を扱うのがベストです。

 

別に意図的に騙そうとしなくても、思い込み等が生じる状況や行いは日常的にあるので。

 

例えば、人間はじめのうちは確信がなくても、何回も口に出していたり文章にすることは徐々に強く思い込んでいくとか。

 

確証バイアスとか。

 

心理的盲点とか。

 

正しいと思うことと正しいことには明確な隔たりが合って、人間基本的に正しいと思うことはあっても、正しいと分かることは非常に少ないとか。

 

知らず知らずの間に、言葉やイメージで思考を誘導されていたりとか(これはそもそもコミュニケーション時には互いに影響を与え合うということがあるので、意図的なマインドコントロールを行わなくても起こる。対策としては見聞きする人がある程度ちゃんとした心理学等の知識をもっている必要がある)

 

また、洗脳というのは人の行動そのものを操ることだと思っている方々もいるが、そうではなく人の行動の傾向や意図や指向性に影響を及ぼす事が洗脳の大部分を占めるということ知っているか知っていないかとか。(他人の行動そのものを操るには物理的なチカラが多大に必要になるが、行動の傾向や意図や指向性をコントロールするには、よりすくないチカラでよい。いってしまえば言葉一つでそれらは操れる)

 

自分でも分かるのですが、ブログを書いていく内にはじめの頃には真偽には疑問があったスピリチュアルな事柄も今では確信をもって正しいとおもっているのです。

 

自分が段々と強く正しいと思い込んでいく過程を俯瞰して冷静に観察していたので、洗脳の手法にも同じ原理を利用していたのが合ったとか思っていたりします(いえ、もちろんこの「確信する」という行為が右脳能力や潜在能力の覚醒に必要不可欠な要素でもあるのですが。それについては「操作可能性の重要性」にて触れています)。

 

なので、自分では「正しいと思っている」けれど「それが本当に正しいかは知らん」という態度でこのブログは様々なところで鵜呑みにしないように注意喚起をしているわけです。

 

自分が正しいと思うこと感じること、考えていることは好き勝手(ある程度配慮して)記事にしているわけです。ま、いわゆる言論の自由というやつです。

 

まあ、一般的に非科学扱いされているものについても、すでに個人的にテクニックとして実証済みのやつなどもあるのですが。

 

くれぐれもこのブログの記事の内容にはついては鵜呑みにしてはいけません。

 

当ブログはあくまでもタイトルにもあるように覚書きです。

 

いわゆるメモとかTIPSです。

 

自分のための覚書きを公開しているのです。(あくまで人に読まれる事を前提に、ですが)

 

少し話がそれました。

 

結局、このような真偽不確かな内容の記事・メッセージに触れる際には強く「懸命な態度」と言うやつが求められるわけです。

 

「懸命な態度」とはすなわち、安易な判断やメッセージ内容の神格化をしないこと、メッセージの向こう側には生身の普通の生活をする人間が居ること、断定表現への注意、人間の心理的な特性(嘘をつく、調子に乗る、想像力の欠如等)への配慮、抽象的表現での喚起されるイメージが受けての脳内で換気される単なる感覚情報にすぎないことへの考慮、単純接触効果・確証バイアスが起こっていないか、用語の問題・混乱で誤解していないか、前提条件の共有は出来ているか、どのような意図でメッセージや記事が主張されているか、主張者と受け手に知識や経験の隔たりがないか、金銭的な事柄が絡んでいないか、第三者にメッセージの送信者が利用されていないか、メッセージの送信者がどの様な性格なのか、どのような信念をもっているのか、受け手への無意識の誘導が起きていないか、メッセージの主張者がメッセージ内容の影響力を過小評価していないか、それがどのような対象へ向けられたメッセージなのか、どのような経歴の人間がどのような経緯を経て集中しているか(これに関しては、詐欺を行う人間の場合特徴的な経歴がある場合がある)、どのような思想に影響を受けた人が主張しているか、自分が騙されやすい・思い込みやすいなどの性格をしていないか、安易に楽・快楽に飛びついていないか、メッセージの内容を信じる責任を主張する人に転移していないか、等々の配慮をすることです。

 

ダラーと書きましたが、最低でもこれくらいは注意している方が良いです。

 

もちろん、このブログの内容についても同様の注意が必要です、私の責任を放棄するわけではありませんが、上記の事を当たり前に行える・行っているぐらいのリテラシーを持つ方がこのブログの対象です。

 

もちろん、そうでない方も沢山いらっしゃると思うので、ブログの記事の最後には度々「鵜呑みにしないでください」と諸注意を呼びかけてもいます。

 

インターネットはオープンな場ですので、どのような方が当ブログを読み来るかは予想がつかないので、当ブログではなるべく注意は呼びかけたいと思っています。

 

ちなみに「鵜呑みにしないでください」とは「メッセージ内容を、自分なりに噛み砕いて咀嚼(整理して、理解あるいは実践して)して、まずいと思ったら(くだらない・有害・同意できないと判断したら)吐き出して捨ててくだい(否定して・忘れて下さい)」ということです。

 

再三述べますが、メッセージ内容を絶対鵜呑みにはしないでください。

 

食っちゃまずいものを鵜呑みにして消化しようと思ったら、必ず消化不良で下痢したり毒性があって病気になったりします。そんなことを延々と続けていたら、死んでしまうこともあるかもしれません。

 

すごく大事なことですので、よろしくお願いします。

 

 

如何でしたでしょうか。

 

久しぶりのブログ記事の更新でした。

 

プライベートな内容ですが、心身の体調を思い切り崩していたのでブログの更新が止まっていました。

 

元々、ストレス耐性が弱いので(いわゆるHSPとかエンパスの特徴が当てはまる人間です)、仕事のストレスで持病の精神病が悪化してしまいました。

 

寝不足が続いて、脳内ホルモンのバランスが崩れたら入院する羽目になってしまいました。

 

仕事というのは難しいものですが、あまりコンを詰めすぎても自分を追い詰めるだけですね。

 

働き方を本気で見つめ直す必要がある感じました。

 

ちなみに、HSPの特徴にあるように体質的に薬剤反応がかなり良いので、一ヶ月で退院して今では自宅療養中ですが。

 

あと、私はHSPといっても、HSPの中でも少数派のHSSHSPの特徴が当てはまる人間です。

 

外側からはめっちゃタフに視られたり、何考えている分からないとか言われたり、内面の繊細さを無視されたり、自分の中にある二極性を周囲の人からあまり理解してもらえないので、結構大変です。

 

自分の生来の特質・性質を他者から理解された経験って本気でないですね。

 

まあ、それだけ少数派なんでしょうけど。

 

自分の一つ上の兄から宇宙人あつかい(もちろん、私の人間的な感性が理解できないという比喩ですよ)されたこともあります。

 

でも、最近ではマイノリティに優しい世の中になっているのでまあそれで悩んだりはしていないのですが。

 

 

おっと話がだいぶそれました。

 

今回の記事は「高次存在からのメッセージ?スピブログ?鵜呑みにしてはあかんよ?」という記事内容でした。

 

「私は鵜呑みにしていないよ!」という方も沢山おられるとは思いますが、これは別にスピ系に限ったことではないので。

 

高次存在のところを、科学者・政治家・著名人・上司・教師・親に言い換えても全く同じことが言えますし。

 

結局、普通の人間に言えることが高次存在とかにも言えるということです。

 

そして、一番面倒くさいのは、ただの個人を神格化したり偶像化したり象徴化したり幻想化したりすることですね。

 

たまに居ますけど、IQを高めてアインシュタイン並になれば、社会的幸福をてにいれられるとか。

 

あのタイガー・ウッズを育てたメソッドとか。

 

そのような謳い文句は、アインシュタインやタイガー・ウッズと言った人を偶像化して幻想化して、さも彼らがその能力でたいそう幸福な人生を送ったかのように錯覚させる事で成立させているのですよ。

 

ちょっと歴史書紐解いてアインシュタインの生涯を調べたり、現在のタイガー・ウッズの生活ぶりをニュースで見聞きすれば彼らがたいそう幸福なバラ色人生を送っているわけではなく、偶像化や幻想化がすり替えだと気づくはずです。

 

霊的に覚醒していることや、能力を開発すること、高次の領域に目覚めていることを神格化・偶像化・象徴化・幻想化させることで、そうなればさもバラ色の人生が待っているかのように思うのは、人類古来からの思い違いですね。

 

ただ単にだいぶ生きやすくなるだけです、生きやすい世の中になるだけです。

 

あいかわらずやるべきことはやるべきことですし、失敗しなくなるわけありませんし、全ての問題や困難は自らのチカラで解決する必要があるし、誰もが空想上のお釈迦様のような性格になるわけでもないし、勘違いや思い込みやトラブルがなくなるわけではないし、調子に乗ってとちる事が急になくなるわけでないし、相変わらずわからんことはわからんし、相互不理解は普通に起こるし、全く驕らない人格者になるわけではないし、疲れることは疲れることし、仕事を一切やらなくても良くなるわけでもないし、お腹はすくし、好きな人に振られることがなくなるわけでもあるまいし、天才になるわけもないし、なんでもできるようになることなんてないし、頑張らなきゃいかんことは相変わらずあるし、自分が正しいと思い込んで図に乗って他人に迷惑かけることもあるかもしれないし、コミニュケーションと相互理解の努力は相変わらず大切だし、モテモテになるわけもないし、自分が誰かをふいに傷つけてしまうことが一切なくなるわけではないし、逆に人から理解されなくなることもあるし、、、、

 

そういった、人としての普通さ・普通な感じはあたりまえに残ります。

 

霊的に覚醒したら・能力開発したら・高次の領域の住人になったら、そういった事と無縁になるなんて大間違いの大勘違いです。

 

人間が人間じゃなくなるわけじゃありません。

 

ただ単に生きやすくなるだけです、生きることがだいぶ楽しくなるだけです、生きるのが楽になるだけです、頑張ったりするのが苦じゃなくなるだけです、あたりまえに自分に優しくなれるだけです。

 

あなたはあなたのまま幸せになるだけです、普通の自分のまま気負うこと無く幸せを感じて生きていることが可能になるだけです。

 

スーパーヒーローにも、メシアにも、預言者にも、リーダーにも、政治家にも、お姫様にも、大企業の社長にもなる必要がなく、ただありのままの素の自分の人生を送ることが幸せだと気づくことです。

 

そして、そのような個人が個人としてメッセージを送ってきたりするのが、スピブログでありチャネリングです。

 

別に集団を代表してたりしないわけでありませんが、あくまでありのままの個人として彼らを捉えていたほうが良いです。

 

ドラえもん扱いして、勝手に期待してもしょうがないです。

 

そういうのはやめて、同輩であり先達のような感じで相対したほうが良いのではないでしょうか。

 

もちろん一廉の敬意と、感謝・気遣いも忘れずに、です。

 

 

めっちゃ長くなりました。

 

今回の記事は以上になります。ではでは~。

 

 


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引き寄せの法則。引き寄せるとはいってないけど?

4月2日に記事を推敲し直しました。

わかりにくい表現を避けて、いろいろ細かいところを修正/加筆しました。

4月1日にアップロードした分しか読んでいない方は、読みおなす事をお勧めします。

 

こんばんわ、dokubo_toshoです。

 

今回の記事はかの有名な「引き寄せ」の法則について。

 

引き寄せの法則って原語は Law of Attraction。

これが日本語の引き寄せのの法則の元の言葉なのだけど、結局それってこう言える。

 

「で、どっちに?」

 

日本語でも同じだけど、「引き寄せ」までしか言ってないのですよね。

 

「引き寄せる」 なのか 「引き寄せられる」 なのか。

 

英語に関しても (subject) Attract to (object)なので、主語と目的語が抜けている。

 

というか、限定していない。

 

で、結局どっちなのです?って話なのだけれども、「どっちも」が正解なのですね。

 

つまり、「自分の希み(気、エネルギー、感情的なもの)を引き寄せている」し「自分が望む(臨む)方向へ引き寄せられている」なのですよ。

 

それで、エネルギー科学の領域や右脳の領域や女性性や感性が「希みを(自分の方向へと)引き寄せる」方を担当して

希みの状況を作り出している(簡単に言えば、波動・エネルギーの領域の話)

 

また、既存の科学の領域や左脳の領域や男性性や理性の部分が「自分が(望む方向へ)引き寄せられる」、つまり、無意識にそのような方向へ選択していることや意識的に選択するする力。(よくあるのが、潜在意識を使用したり、意思を使って方法を考えたり)。

 

なんで、波動とかイメージングとかエネルギーを使うとかの話は「引き寄せるの法則」で

 

潜在意識やアファメーションや瞑想法(主に自分の脳を鍛えるやつ)は「引き寄せられるの法則」ってことになるのだと思います。

 

前者は願望が「勝手に叶っている」の世界。

 

後者は願望を「勝手に叶えている」の世界。

 

前者はそもそも生まれつき勝手に流れている方向なのでこっちが貴方の本来性だったり好きなこと感性にあうこと。

 

後者は、理性や状況に応じてあなたが決めて初めて動き出す力、これは明確な目標設定と意識的な努力が必要。

 

人間は絶対エネルギーは感性に合う方向に流れている、これは絶対。

 

で、理性は本来それを状況に合わせてどう叶えるかを選択する力。

 

感性に合うことが本来の願望であるけれど、昨今の願望実現界隈では状況に応じて願望をコロコロ変えています。つまり理性で状況や周囲の環境に提供されたものに合わせて願望を決めてしまっています。

 

それで、感性と合致しない方向へと理性で目指すから、窮屈だったり上手くいかなかったり、なんか疲れたりする。

 

もちろん、感性で臨んだ方向へ進む為に、理性の力を使うこともあるのだけれども。また、理性で選んだ選択に感性がゴーを出すこともあります。

 

だども、両性(質)の目指す所や方向がバラバラだったら、にっちもさっちもいかなくなる。

 

そして、基本的に「引き寄せる力」は「引き寄せられる力」の三倍以上なのです。(ちなみに、個の3という数字はいたるところで出会う、マジックナンバーなので気になる方は調べてみたらよいとおもいます)。これの理由は単に物質を使うより、より軽い状態のエネルギーの方が振動・バイブレーションが早いからですね。つまり、エネルギー状態が早く変化する、変化量が多いということです。

 

どんなに、意識的に努力しても必ず感性とか情熱のチカラがないと事は上手く運ばない。

 

といか、無りやりこれが俺の選択だと理性がいって、死ぬほど頑張ってそれを達成できたとしても「感性にあうこと」じゃないので、願望が叶ってもフラストレーションが多々ありますし、溜まりつづけます。

 

なので、そういうことになると感性がその状況をぶっ壊す方向に働きます。

 

そして、理性で選んだ選択を「間違った」とか思ったり、あるいは「無理やりごまかし続ける」事になります。

 

なので、理性だけで願望を決定するのはおすすめできません、というか絶対幸せになれないのでやめてください。

 

感性が「人に何か教える仕事をしたい、その喜びを感じたい」と思って理性で「じゃあ、英語が得意だから英語を教えたい」と選択するのは良いのです、これは感性がベースになっています。

 

しかし、感性が「仕事をしたくない、やるなら勉強をしたい。学ぶ喜びを感じたい」といっている時に「仕事をして金持ちになる。勉強は金にならん」という選択を理性で(状況に合わせて)したら、「つまんないし、楽しくないし、フラストレーション溜まります。というか疲弊します」。(でも、男性性ばかりつかっているので、どちらかというとおもしろいという感情は在るかもしれないです。しかし、よっぽど上手くやらないとうまくいかないので大抵の人はつまらないです、つまらないけどたまにおもしろいみたいな感じかも)

 

楽しい時は波動が軽くなります。おもしろい時は波動・エネルギーに勢いがまします。

 

なので、おもしろいことばっかりやって、それが楽しくなりえないのなら「おもしろいけど、全然楽しくない状況」を強烈に生み出します。

 

そういう人が、「偉人の左脳型」に多いです。

 

今の社会はそういった方向から抜け出していますが、抜け出せていない人もままいます。

 

楽しいことは感性に合うのでいつまでもやっていられます。

 

また、波動も軽くなるので世の中明るくなります。

 

でも、楽しいことをメインに据えると、たまに楽しくない状況にも出くわします。

 

そういうのは面白くやれば良いのです。

 

楽しいことばかりやって、そうでない状況は面白がってやる。

 

それが今の時代に感性にあうやり方でしょうね。

 

今の時代はまだ、100%感性で生きるには難しいですから。(まあ、どんどん感性の比率がましていきますが)。やっている人も居るけれどね。

 

なので、願望を実現したいと思うなら「楽しそう」を軸に据えたほうが良いです。

 

その時に自分の女性性や感性を抑圧しているとうまくイメージできないので、まずは「自分の本来性(感性)を知る」ことをやったほうが良いです。

 

で、その方向にブーストをかけるなら「おもしろいと感じること」も状況に付加したほう良いですね。

 

エネルギー的な話になると、楽しいことは波動を上げるのでもちろん素晴らしいですが、楽しくないという状況があったら一気に波動が下がってしまいます。つまり変化量が足りなくて、動き・状況が停滞する。

 

なので、そういうときはとりあえず「面白がってやる」ことで停滞気味のエネルギーにブーストをかけて楽しい波動に持っていきます。これは基本的に楽しいを軸に据えて選んでいるからエネルギーが楽しい方向に自動的に向かって自分も楽しい状況に向かっていくのです。けっして、面白がることのみをめざしていたらできないです。

 

でも、おもしろいことがすきな人もいるので。おもしろいことを軸に据えてもよいのです。

 

ただ、おもしろいけど全く楽しくないはヤバイので、ちゃんとおもしろいし楽しい事を望んで下さい。

 

スイスイ生きたいのか、ちょっとくらい困難があるのがよいのか、です。

 

今の時代ハードモードを突き進むと言う選択はもうないので(いま現時点はあるかもしれないですが、これを移行それを選択するひとはどんどん少なくなっていきます)、「ノーマルモード」か「イージーモード」のみの選択ですね。

 

まあ、引き寄せの法則を学んでいる人に「ハードモード」を望んでいる人などいないでしょうがね。

 

なので、叶え方として「結局引き寄せるの法則」も「引き寄せられるの法則」もどっちも必要という話になります。

 

もちろん、引き寄せるの法則はベースです。

 

しかし、引き寄せられるの法則は引き寄せを高速化します。

 

また、引き寄せるの法則は精確な状況設定までは出来ない場合が多いです。

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