2024年10月13日日曜日

世界が変わり始める内に…


人生のエビデンス(根拠)はあなた自身でいい

こんばんわ、冬生真礼です。

今回の記事は、「人生のエビデンス(根拠)はあなた自身でいい」です。

旧ブログより抜粋ーーー


人は、人生はこうやったら上手く行くはずだという根拠を自分以外に求めがちです。

他人の話や、学問や、あるいは宗教や道徳に求めています。

誰かが、「人生はこうやったら上手くいく」と言う話をしていたとします。

あなたは、人生をうまく行かせたいので「こうやったら上手くいく」と言う話はかならず「根拠」を聞くようにしています。

それらはあなたの周りの人間も同じです。

また、あなたの周囲の人間は「こうやったら上手くいく」という方法をあなたに教えてきました。

あなたの親は「お母さんはこうやったら上手く言ったのよ」とか「お父さんはこれは上手くいかなかったよ」とあなたに色々と聞かせてきました。

その根拠は「両親がそう経験したから」というものです。

あるいは、宗教は「神はこう仰った」とそれが神の言葉であることを根拠とします。

学問は「研究をした結果、そのような傾向がある事がわかった」という実験で得た事実であることを根拠とします。

道徳では、「そうあるべきだから、そうなのだ」とそれ自身を根拠とします。

でも、それらはあなたが「こうしたら上手くいくんじゃない」といった時に、「その根拠はなあに?私の言うことを聞いたほうが良いよ」と諭します。

そのような時に、あなたは大抵「根拠を提示できなく」、周囲の人間を説得できません。

何故なら、あなたの根拠は「あなたがそう思った」からにほかならなく、「あなた自身以外になにもない」からです。

あなたは「他人を説得する」ために「他人が納得する、自分以外の根拠」というのを提示しようとします。

もしかしたら「運良くそれを見つけられる」かもしれませんが、多くの場合そんな都合よく根拠は転がっていませねん。

なので、あなたが思った「こうやったらうまくいく」というアイディアは、実行してこなかったかもしれません。

そして、その延長線上で、周囲の人を説得する必要がなくなった後でも「こうすればうまくいく」ということを思いついたとしても「自分以外の根拠」を探そうとして失敗して「やっぱりうまくいかなそうだから、これはやめよう」という判断をしてきたのかもしれません。

あなたは、周囲の人間に「根拠を示せ」と言われてきたのかもしれません。

そして、「あなたがそう思ったから」ということだけでは納得してもらえなかったのかもしれません。

しかし、です。

あなたの中にはつねに「こうやればもっと上手くいくんじゃないか」というアイディアがあり、それはくすぶり続けていませんか。

だから、ここでハッキリ述べさせてください。

「根拠はあなた自身でいい」のです。

あなたが「こうすれば上手く行くんじゃないか」と思いついたアイディアを実行するのに、根拠を自分以外に求める必要はありません。(もちろん、周囲の人たちにはなるべく理解をしてもられるように努力することは大事です。時には慎重になることも必要な場合があるのも事実でしょう

なぜなら、大昔から「こうすれば上手くいくんじゃないか」というアイディアに「根拠なんてない」からです。(大抵の場合はです。そして、大きく失敗する事も多いのが珠に瑕ですがね。

昔の偉人が、偉大なことを為したのは「こうすれば上手くいくんじゃないか」と言う発想に「根拠を求めなかった」からです。(これがインスピレーションを信じるという行為です。ただ、おおくの雑多でたらめな妄想や破壊的な歴史を生み出した原因でもあるので、自分がただ妄想しているだけではないかというのは今も気にして、自分の中で確かめる必要があります

逆に、その当時に根拠を求められて他人が納得するものを提示できたとしたら、「当時の常識内の発想」でしかなく、偉大な躍進を遂げるのには不十分なアイディアだったはずです。(同時に既存の社会や文化に対するカウンターカルチャーとして、多くの人の理解を得られないことがありました。

当たり前ですが、根拠を「他人の理解できる範囲の過去の物」から導ける様なアイディアは、かならず古いアイディア、固定観念の上のアイディアでしかないです。(そして、それは多くの場合既存のシステムの延長線上のアイディアであり、古い社会の慣習を強化するものになります

逆に、「新しく躍進的なアイディア」だったら、どうして「他人の理解できる範囲の過去の物」から根拠を導けるのでしょうか。(本当にこれはその通りの場合が多いです。ただ、その分破壊的な作用が生じないかの検討や議論が成されないまま今までの文化を多くの人類社会が継続されています

論理的に矛盾しています。(論理はそこまで重要な要素ではありません。現実として有効かどうかただそれだけです。それにはより多くの人達にアイディアを出し合い議論を深めて戦わせる必要があるのです。

「他人の理解できる範囲の過去の物」である根拠が「過去に成功した物の蓄積」であるなら、「新しく今までにない物」の根拠にする事ができようもありません。(ただ、多くの社会や文化の経験と知識の蓄積の中から導き出した相応しい根拠を提示するのは必要であり、それが成されないまま先に進んでもニッチもサッチも活きません

 
もちろん、新しいアイディアには上手くいくものと、上手くいかないものがあるのは事実です。

でも、本当は「新しいアイディアに根拠なんてない」のですよ。
多くの場合はそうですが、稀にちゃんと根拠を提示できる人たちがいます。より進んでいる考えを持った人たちは世の中それなりにいるものです。


多くの人は、アイディアの根拠を提示したら「それっぽい適当なものをでっち上げている」にすぎません。(これが非常に問題で、学者や知識層や統治者はこのようなものに騙されやすかったりします。ただ、多くの無学の庶民文化はこのような誘導には引っかかりにくいのです。なぜなら思考の仕方がより現実での生活や文化や習慣や風習に根付いているから。多くの異文化や新しい思想により俯瞰的な眼で見れます。

本当に今までにない新しいアイディアなら「根拠なんて提示できない」のが当たり前なのです。
これはマジでその通りなので、あまりそのような根拠のない(ように見える)アイディアを出す人を異常者扱いするのも困りますね。社会の発展が停滞します。ただ、根拠をちゃんと聞いてあげて、一緒に考えてあげるだけで良いはずです。
もし、簡単に根拠を提示できるのなら、それは今までと変わらない似たようなアイディアだからです。(そしてそのような社会がいつまでも続くと、新しい世代と古い世代の意識と生活スタイルの隔絶が起きて、多くの民族内紛争や人種間戦争の火種になります。

そこに、進歩と飛躍も望めません。(停滞している社会が悪というわけではありません。世代交代の時期にスムーズに新しい生活スタイルを受け入れないと多くの方が遺伝的な影響などにより心のバランスを崩すために、絶望と荒廃思想が広まります。

昔の偉人は「こうやれば上手くいく」という根拠もないアイディアを試行錯誤の上でものにしていったにすぎませえん。(それに社会が追いつくまでに多くの闘争と奮闘があったと思います。そして周囲の人間からの不理解も。庶民というのは無学なものなのですので。ただそれは、社会環境や教育制度の問題にあるので、多くの人が責められる言われもありませんし、そのような方たちが実践する民間の学問というのは非常に重要な智慧が詰まっているのでしょうし、全く協力が取れていないのが多くの問題認識の不一致を産んでいるんです。

逆に当時に偉人が「根拠のあるアイディア」しか実践していなかったら、既存の枠組みに収まるばかりで飛躍も躍進もなかったはずです。(そして現代社会で生み出されてきた文化的な退廃も産まれ得なかったのは事実なのでしょう。


だから、あなたは自分の思う通りにやっていいのです。

エビデンス(根拠)はあなた自身で良いのです。

あなたが良いと思ったやり方を自分自身で確かめてそしてみんなでアイディアを試して、磨いて傷つけて修正して形作っていくしかないのです。修正していくしかないのです(これ重要)。

試して(try)、洗練(refine)磨いて(polish)いくしかないのです。それで良いのです。

 

智慧の実を着けた木を育てるためには、実を磨いていて、汚れや虫食いのないキレイで美味しい実を見つけて選別するようにしなければいけないのです。

 

その種を植えることによって、多くの人達がお美味しい実を食べることができるのです。(少なくとも私はそう思います)

その時の考え方は、トライアルアンドエラーでないのです。

トライアンドリファインアンドポリッシュなのです

エラー(失敗)したとは考えずに、リファイン(修正、洗練)すると共にポリッシュ(磨いていく)と考えるのです。それがよりベターなやり方だと私は思います。
 
むかしから、大きなことを為した人はうまくいかないことを「失敗」とは考えてはいなかったと思います。(そして反省と後悔と立ち直りそして立ち上がる気概を忘れずに行くこと、そのような大人の精神をもって、自分たちの置かれている状況と現実と未来と過去に起きた事と過ちたちと永遠に付き合ってその度に信じる気持ちを忘れずに生きることでのみ未来は開けていかないのでしょうね

むしろ、上手くいないことがあるたびに「修正、洗練、研磨、精錬」していき、どんどんゴールに近づいていくと考えたのではないでしょうか。(そのような精神を持って覚悟を決めて来て生きて、生ききったのではないでしょうか)

あなたは、「こうすれば上手くいく」というあなたのアイディアを、どんどんトライしてリファインしていってください。(まずは、自分自身でそれを行い確かめること。過ちを繰り返して間違っている考えをその度捨てて一新して刷新するひつようがあります。そうしなければ何も私たちの世界は変わらないし、変われないと思っています。すこしづつ、一日一歩確実に着実に、3日進んでは牛歩の如くしっかりと大地を踏みしめて、年をとった亀のごとき歩みで自らを律しながらすすんで、間違っていたら最初に戻って振り出しから初めてその度にやり方を変えて。明日の風はドコ吹く風と思いながら、風見鶏と天気をみながら空気を読んで周囲の人たちと仲良くしながら、行きたい未来へ歩いて行くのが必要です。アラジンと魔法のランプのような魔神の力を借りたいと思ってもそんなの当てにしている内はまだまだ子供です。ガキンチョの精神では未来は作れません。

最終的に、あなたの人生で起こること、その全ての根拠をあなた自身でそして皆の力で持って証明してしまえばいのです。

人生のやりたいこと、上手く行かせ方、そのエビデンスは最初から最後まで「あなた自身」でよいのです。

 

そのような信じる心が未来を作るのです。

そして自分以外の人たちもそれぞれ譲れない何かを信じているということを理解しよう。例えあなたがそれ自体を理解できなくても。

 

なぜなら、人には個人的な信念と理念と得意な事がありそれはひとそれぞれ結構違うからです。マジで大事ですよこの考え方は。

だから、とりあえずはあなたはあなたのやり方でよいのです。

時間が立つに連れて人は成長していくものなのだから。


いかがでしたでしょうか。

親や教師や上司は、あなたの主張に必ずと言っていいほど「根拠」を求めます。

あなたは、いつも思っているはずです「根拠なんてないよ、好きにさせろよ」と。たぶん。

でも、あなただって同じだと思います。他人の主張に根拠を求めている。

でも、自分自身が人生でやりたいことに「根拠」も必要ないし「他人を説得」する必要も本来ありません。

とにかく、やってみるしかないのです。

 

そこから始めるのが人生をうまくいかせる最も確実で大胆なやり方です。そして、それを信じられるのかがいつだってあなたの人生を左右してきたはずです。

なので、とりあえずやってみて、やってから初めて考え直してやり直すその都度磨き直してはやり方を変えてみるみたいな考えとやり方が適切でしょう。

 

”Try And Refine And Polish Thinking And Trust Our Policy of  Each Other And Respect Another Values and Differences of Senseor of Visual and Sounds and Preferences for Life Style  snd Saint Poeple and  UnderStand for Coropration with Every Organization On the Planet and Total International Organization Network System and Local  Organiztion's Actions and Decisions To The Our Future(TARAP Thinking and Trust TOP of Each Other And Respect Another Values and Differences and Preferences for life Style and Saint Poeple and Understand for CEO Options and LOAD To The Our Future”) 方が億倍も万倍もましです。

それが、シンプルで間違いないです。


では、今回の記事は以上になります。

ではでは。

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