2024年10月20日日曜日

相対性理論と量子力学のホントの話

相対性理論と量子力学のホントの話

こんばんわ、冬生真礼です。

ーーこの記事は過去ログの記事の改稿です。


今回の記事は、量子力学や相対性理論に関わる話です。


先ずは、数学の話から。

数学における計算式は、純粋な論理だけの世界に見えます。

しかし、その向こうには、物理的な世界の実際的な何かに関連付けられています。

というか、その実際に的な何かがなければ人間は数式を理解できません。

数式の理解は、言語の理解と同様に脳が数式の意味を内部的に再現します。

そのため、数式の理解は必ず身体感覚が必要になります。

視覚や聴覚などにとどまらず、身体そのものを使って理解しています。

通常は、内部的な再現が微弱なためそのことに気づきませんが、数学に高い適性を持った方の中には身体感覚が強烈に感じられる場合もあります。

単純に、視覚的な物理運動で再現したり、数が増える減るという感覚を再現したり、抽象的な感覚で理解したりしています。

そこで問題となるのは、虚数です。

虚数というのは実際的な何かに関連付けるのは非常に苦労します。

二乗するとマイナス1になる数。

非常に厄介です。

しかしこれは、虚数というのが物理的な世界の実際的な何かと関連付けられていると考えればそう難しい理解ではないのです。

単純です。

虚数が出てくる数式がどのような現象を記述するかによるのです。

虚数はその現象の世界の何かに関連付けられているのです。

単純なマイナスの数に関しても、身長を記述する計算式の解に、マイナス163cmとでればそれはそれは間違った計算式になります。

というか身長の世界にマイナス163cmは存在しないのでマイナスの概念は身長の世界では引くという範囲でしか適用できないのです。

マイナスという数学の世界で至極基本的な概念ですら、現実の世界では適用範囲が在るということ(つまり、現実の世界の実際的な何かに関連付けられないことがある)は、数学の計算式は現実の世界の実際的な何かに関連付けられる範囲で使用しなくてはならないし、その世界には必ず数式と関連付けれた実際的な何かがあるということです。

マイナスという概念は、借金の計算や、数直線の動きなどの適用できる範囲の中でしか存在しないのです。

もし、量子力学など範囲で虚数が計算式の中にどうしても出てくるのなら、虚数に関連付けられるような現実の世界の実際的な何かがあり、虚数が計算式の中に登場しない範囲(つまり、身長の話とか)のではありえない何かが在るということです。

それを考えると量子力学などで出てくる虚数は、量子の世界の実際的な何かと関連付けられるというのが分かります。

それは超紐理論で登場する1次元の紐も同じです。

単純に1次元の紐があると考えるのではなく、1次元の紐と数学の世界で表すことができる何かが在るということなのです。

さらに言えば、数式に存在する次元すらもその数式がどのような現象に適用されるかで、次元が関連付けられる物理的な世界の実際的な何かが変わってくるのです。

もしある数式を現実世界の何らかの現象に適用できるなら、その現象にその数式と関連付けられる現実世界の物理的な実際的な何かが在るということだけなのです、それは別の数式が表す別の現象とは結構無関係なのです。

というわけで数学の話は終わります。


次に量子力学の話。

私は別の記事で、次のようなことを述べています。

物質は気からできている。

物質は気がなんかエネルギーが渦巻いているような状態です。

気とは存在質ともいうべき、実際に存在しているけど物性(現代物理学でいう量子場のようなものです)は持たない存在です。

気は世界につながりを持って広がっていて、それを気の場(比較的、量子力学でいう波動関数など)という。

気の場は、当たり前ですが基本的なフラットなものです。

フラットというのは歪みや偏りがなくドコまでも平坦ということです。

しかし、物質はある種の気の場の歪みです。

しかし元々は気の場は、フラットな存在ですのでエネルギーが渦を巻いているような歪みは存在できません。

フラットな存在がエネルギーが渦を巻いているような歪みを持つには、方向性の概念が必要でした。

1次元のベクトルで表せるような、エネルギーの渦は向きがあります。

フラットな存在である気の場は、右まわりのエネルギーの渦を生み出す代わりに、左回りのエネルギーの渦を産み出して、2つのベクトルを合成して相殺したら結果的に気の場がフラットに成るようにしました。

なので、基本的に逆向きの同質のエネルギーの渦がであってしまったら、互いのベクトルを相殺してフラットなただの気の場にもどります。

また、物質は気の場が素になっていて、つねに気の場とつながっているので、物質が存在する周囲の気の場は、物質のエネルギーの渦に影響されて、若干歪みます。

また、あらゆる物質は歪みの合成です。

大元である、気の場から生み出されたエネルギーの渦である物質は、重なりあうことができたり、あるいは分裂して、エネルギーとベクトルを、最終的に気の場がフラットになる感じで産み出したりします。

また、量子レベルの話になると、粒子は気の場にもどります。

ミクロの世界になると、物質はエネルギーの歪みから、気の場に近い状態もどることもある。

マクロの世界になると、物質はエネルギーの歪みが固定されるので気の場に戻ることがない。

量子力学の世界では、量子は重ねあわせの存在だとか、観測により確率が収束するとか、空間的に広がりを持つとか言われている。

その実態はなんてことはなく、次の通りです。

物質は気の場のエネルギーの歪みであり、空間の0次元の点でもなく、なんかそこら辺を渦巻いている状態です。

ミクロの状態では、なんかそこらを渦巻いている状態なので、あるい一点に存在しているということはない、といか広がりをもっている。

また、存在の確率が分散しているというより、エネルギーの総量を1として密度が薄いところとか濃いところとかバラバラな状態で存在して、かつ高エネルギーが渦巻いておりかつ軸もないためぶれている(振動している)。

観測というか、粒子をそのエネルギーの渦巻いて広がっている所にぶつけると、運動量を与える事になって、その一点に反発力がうまれてエネルギーが集中して密度が上がる(だいたい100%)。

物質として、質量がある(観測できる)状態はこの密度が100%の状態の時だけ。

みたいな感じでしょうか。

ちなみに量子もつれを利用した量子通信は、そもそも気の場がフラットな存在だということから理解できます。

物質が存在するときには、最終的にフラットな形にならなければならないので、量子もつれ状態のスピンも総合してフラットな形に成らなければいけないため、スピンの向きは絶対に同じなりません。

量子テレポーテーションも、高速より早いとか言われていますが。

次の説明のようなものです。

一本のめちゃくちゃ長い木の棒(例えば、1億kmあったとして)を、両端の人間もって右回りに回転させたら、反対側の人間からは必ず左回りに回っているように見えるはずです。

それは右回りの情報が伝わって左回りなっているのではなく、1つの繋がったものを別側から見ているだけというわけです。

量子もつれを持つ対になる量子も、気の場がフラットな存在であるために、つながっています。

対になる量子は、木の棒というより、一枚のビニール製の布のイメージですね。

ビニールを表側から引っ張ってビヨーンと伸ばして膨らませたら、反対側から見たら凹んで見えますよね。

ビニールは平面ですが、現実の物理空間でも同じようなことが起こっています。

フラットな平面で歪み(物質)を生じさせるには、膨らみとヘコミは、同時存在しなければなりません。

平面ではないですがフラット(歪みのない平坦)な気の場においても、若干次元がちがいますが同じようなことが起こっています。



次は相対性理論の話。


相対性理論では時間に対する解釈が間違っている可能性があります。

相対性理論では、光速度は普遍で、光速で運動している光子から、新たに光子を発射してもそれは光速だと言っています。

相対性理論では、相対性とか言いながら時間の測定は絶対時間を基準として時間測定から逃れていません。

時間とはそもそも、1つの基準となる系があって、その系と測定対象の系によって導き出されるものです。

しかし、一般に相対性理論を理解する時は、あくまで時間の測定の基準に従来の絶対時間を基準とした時間測定を想定しています。

相対性理論では、その式の時間は、絶対時間を基準としたものではなく、測定者を基準としたものです(というかそういうことに成らざるを得ません)。

光速で運動している物体から光子が発射されたら、それは光速であるというのは次の理解です。

時間の測定は、測定者の固有のエネルギー量(物体の運動量)と対象の運動量の関係であらわせます。

例を出します。

車が10kmの道路を走り終える速度を計算します。

簡単に表すと、時計の針が動くスピード(変化量=エネルギー量)と車が10kmの道路を走り終わる(絶対空間内での物体の移動)で表せます。

車がスタート地点からゴール地点もで移動するのに時計の分針が12から6まで移動した場合を考えます。

これは単純に10kmはしるのに30分かかったと言えます。

時速20kmです。

では、二回目の測定では、車が10kmの道路を走り終えるのに、分針が12から3に移動したとしたます。

これは単純に考えれば、15分かかったといえます。

つまり、時速40kmです。

くるまのスピードが速くなっています、アクセル全開にでもしたのでしょうか。

ですがちょっとまって下さい。

本当に車のスピードが速くなったのでしょうか。

もしかしたら時計の針が遅くなっただけかもしれないですよ。

車のスピードが早くなったのか、時計の針が遅くなったのか、この2つだけをみてもわかりません。

しかし、そこに全く関係のない第三者がいたら一目瞭然です。

その第三者の時間が変化していないとしたらですが。

相対性理論を突き詰めるとこのような話になります。

もし、光速度で運動する物体から、発射された光子が高速度に見えるというなら。

そして、高速度がどのようなときでも同じなら。

物体は高速度に近くなると、その物体の時間が遅くなる。

つまり、潜在的なエネルギーを見かけの運動量に変換しているという話になります。

そのように考えるなら、光速にたっした物体は、自身の時間が遅くなり、相対的に絶対時間で高速度の光子が、光速に見えることになります。(相対速度とかはまったく気にしていないのであしからず)

しかし、それは光速で運動する物体と、そこから発射された光速で運動する光子の2つだけの関係です。

第三者からみたら、単純に光速で運動する物体とそこから発射された光子が、光速で運動するという当たり前の光景です。

ちなみ、空間が縮むという話は次の理解です。

上記の車が10kmの道路を走り終える時間を時計で測る例です。

コピペ

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では、二回目の測定では、車が10kmの道路を走り終えるのに、分針が12から3に移動したとしたます。

これは単純に考えれば、15分かかったといえます。

つまり、時速40kmです。

くるまのスピードが速くなっています、アクセル全開にでもしたのでしょうか。

ですがちょっとまって下さい。

本当に車のスピードが速くなったのでしょうか。

もしかしたら時計の針が遅くなっただけかもしれないですよ。

車のスピードが早くなったのか、時計の針が遅くなったのか、この2つだけをみてもわかりません。

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よーく読んでください。

この具体例、時計の針が遅くなっても、車のスピードが早くなっても時速40kmという結果は変わりないのです。

つまり、自分の時間が遅くなっている状態では、空間が広がって見えるのです。

時間が遅くなるというのは外から見たらですが、測定者は絶対に自覚できません。

だって、測定者自身は自分の時間を自覚できませんから。

時間の測定は、基準となる1つの系と対象の系の関係で決まるのですから。

自分自身の時間を測定したくても、系が自分1つしかありません。

さらに、速度というのは、速度  = 距離 ÷ 時間 で計算します。

で、速度に✕2した時、距離に✕2しても時間に✕2しても計算式上ではわかんないのです。

で速度が上がって見えた時に、時間が遅くなった時、時間にX2した(つまり、より多くの時間をかけて10km移動した)と考えるのではなく、距離に✕10した(同じ時間で20km距離を進んだ)と考えたのです。

測定者自身は、自分の時間が遅くなっているとは考えないため、どうしても空間が歪んで見えるのです。

結局、時間という概念を厳密に定義したら、このように単純に相対性理論を理解できたのです。



いかがでしたでしょうか。

では今回の記事は以上になります。

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