存在質という概念
こんにちわ、冬生真礼です。
ーーこの記事は過去ログからの抜粋です。
最近、このブログアクセス数が増えてきて嬉しいです。
今回の記事は、そろそろ現代の科学は物質・エネルギーという概念の上位である「存在質」という概念を取り入れた方が良いのではないかと思い記事にしました。
「存在質」は簡単に説明すると、「在る」という性質そのものの体現です。
存在しているものは全て存在質に含まれます。
物質は、物性を持った存在質ですし、エネルギーは変化量の現れである存在質。
まずは、私が何故存在質というモノを想定するようになったのかという説明をします。
私は昔こんな疑問を持っていました。
「何故、宇宙は何も存在しないのではなく、何かが在るのか」
宇宙も、物質も、エネルギーも、人間も、自分という存在さえも、「存在する」という原因も因果もないように思えたのです。
宇宙も、物質も、 何もかも、何故存在するのかという事を突き詰めて考えたら、それに原因とか理由とか因果とかそういったモノが無いのに、何故か存在している。
「何故、宇宙は何も存在しないのではなく、何かが在るのか」
因果とか理由とかそういったモノの考えを突き詰めてしまったら、宇宙は存在しているはずがないし、自分の心も存在しているはずがない、そんな結論に達しざるを得ないのです。
こういった考えは、他の人も考えていたようでウィキペディアで調べたら同じようなこと書いてあってびっくりした覚えがあります。
そのあとしばらくは、そのような考えでウンウン唸っていたのですが、ある時こう考える様になりました。
「何故、宇宙は何も存在しないのではなく、何かがあるのかと考えていたって、現実に目の前に宇宙は存在している。これはもう、原因とか理由とか因果とかは瑣末なことで、そもそも存在するという根本性質が宇宙にあるのではないか」と。
そういった考えで、思考をしていったのです。
余談ですが、そうした結果、時間とはそもそもベクトルで表される方向を持ったものではなく、「物の変化量」を人間の脳が観測した結果生まれたものだと考えるようになり、時間とは「変化したか、しないか」で計測するものであり、ベクトルのような方向性を持たないと考えるようになりました。
宇宙には根源的に存在するという性質があり、すべては宇宙の根源的な存在するという性質、存在質が大元になっているのではないか。
存在質から派生し、物性を獲得して物質になり、エネルギーが生まれた。
そう考えていったのです。
ちなみに、現代物理学ではこの存在質に近い考えは量子力学で研究されていますが、量子力学はまだ物性にこだわりが多く、存在質という性質を想定しきれていません。
現代物理学は、物質・物体の研究にその端を発しているため、思考の出発点が物性になってしまっています。
しかし、現実には物質は存在質が物性を獲得したものと考えるべきなのです。
何はともかく、全ては存在しているという性質から出発しているのですから。
このような思考があり、私は「存在質」という概念を築いていきました。
さらに、物質は存在質が物性を獲得したのものだ。
ならば、逆説的に考えてそもそもの存在質は物性をもたないだろうと考えるようになりました。
また、古典的ですが、エーテルの概念に近いものがあります。
私の想定する存在質とエーテルの差異は、存在質はエーテルと違って(現代物理学で想定されるような)物性を持たないということです。
つまるところ質量をもたない(より正確には、質量を観測できない)。
そういった事が考えられます。
私の存在質という概念に対する思索はいかがだったでしょう。
思考の出発点が哲学的な問いなため、物理学と相容れないようにも思えますが、現代物理学の最先端では、物性をもたないが存在する何かを想定せざるを得なくなっているように思えます。
しかし、そもそも「物」理学ですので物性から離れてものを考えるのが難しいように思えます。
色々書きましたが、今回の記事は以上になります。

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