2024年10月20日日曜日

集団の力学から考える4つの性格類型。リーダー・サポーター・オブザーバー・フォロワー

 集団の力学から考える4つの性格類型。リーダー・サポーター・オブザーバー・フォロワー

こんばんわ、冬生真礼です。

ーー今回の記事は過去ログからの抜粋です。

今回の記事は、人間の性格タイプを集団の力学の視点から分析してみました。


古来から人間の集団には、基本的な四つの役割が見て取れます。


1つは、リーダー(先導者)。

集団の意思決定に大きな役割を果たし、集団の行くべき道、取るべき行動を集団の成員に対して提示し集団を先導します。他の集団の成員に影響されずに、自身の内的な導きに従います。

2つ目は、サポーター(後援者)。

リーダーの決定に従い、集団全体の利益の為に奉仕します。時には、自己の利益より集団の利益を優先し、集団の目的達成の為に集団を底支えします。

3つ目は、オブザーバー(観察者)。

集団においてリーダーを支持せず、また左右もされず集団が誤った選択をしないように常に一歩離れた場所から集団を観察します。
監察者(インスペクター)ではなく観察者(オブザーバー)なのは、多くの場合オブザーバーは集団を取り締まることをせず、一定割合のオブザーバーがいる事自体が集団が誤った方向に進む事を抑止する為です。

4つ目は、フォロワー(追従者)。

集団の成員の大多数を占めます。リーダーの提示した行くべき道、取るべき行動に追従して集団そのものを形成する。 フォロワーの性質として影響の受けやすさがあります。リーダーやサポーターやオブザーバーの影響を常に受ける事によって、集団の性質を決めるフォロワーの性質が偏らずいることができます。

以上の4つの役割が古来から人間の集団には存在したと考えられます。この4つの役割だけで、人間の集団を定義することが可能だと思います。


人間は上記の4つの役割を階層的に持ちます。

階層的にというのは、家庭という小集団の中ではリーダーな男性が、それ以上の規模の集団(会社や地域社会)ではフォロワーという場合があるということです。

また、基本的に人間は個人レベルで性質が完結しておらず、必ず集団レベルで性質のバランスを取ります。

簡単に言うと、一人でリーダー、サポーター、オブザーバー、フォロワーの性質をバランスよく持ち他者の助けを借りなく一人で全部出来て生きていけると言うことはないとうことです。

個人の役割のバランスには必ず偏りがあり、集団を形成することでそのバランスの偏りを解消する必要があります。

ひとことで言うと、「人間はたった一人で完結することはできない、人間は集団の中でしか完成できない」という事です。

具体的に言うと、全ての人間が社長(リーダー)に成ることは出来ないし、成る必要がない。会社を運営するには必ず社員(フォロワー)や投資家(サポーター)が必要で、時には外部の識者(オブザーバー)の助けが必要だということです。

注、(社員が必ずフォロワーだったり、投資家が必ずサポーターだったりするわけではないのでそこは注意が必要です)。



自分の性質は4つの役割でどれが一番強いかどのようなバランスになっているかを分かっていないと、無駄に苦労することがあります。

自分がフォロワーの性質が強いのに無理にリーダーの役割をやろうとしたり、オブザーバーに性質が強い人がサポーターやフォロワーの役割が上手くできないと悩んだり、リーダーの性質が強い人がフォロワーとして役割を強要されて問題を起こしたり、サポーターの性質が強いのに昇進して部下を持ってリーダーの役割を引き受たり、あまつさえリーダーの性質が強い人の真似をして失敗している場合があります。

フォロワーの性質が強い人は周りに影響を受けやすく自分の意思を貫くのが得意ではないので、基本的に強いリーダーには成れません。

オブザーバーの性質が強い人は基本的に他者から強い影響を受ける事を嫌うため、影響を受けやすいという特質が必要なフォロワーの役割は向きませんし、サポーターの役割も強い奉仕の精神など殆ど無いためその様な役割を求められても上手く役割をこなすことが出来ません。

リーダーの性質が強い人は生まれつき自己の感情や欲望に忠実な傾向あり、外部から影響に左右されないと同時に他者に従属する事を嫌います。そのため、そのような人がフォロワーの役割を求められても上手くやるどころが度々問題を起こすことになりやすいです。

サポーターの性質が強い人はリーダーの役割をやるには少々他者の意見を尊重しすぎです。また、伝統的な強いリーダーの真似は必ず失敗します。

フォロワーの性質が強いサラリーマンの方が、一念発起して起業しても他者から影響を受けて起業しようと思っただけで、苦手な決断や判断の連続や粘り強さが無いために失敗するという事もあると思います。

子供の頃からオブサーバーの性質が強い方が、日本の昔ながらの集団生活が苦手でなんとなく疎外感を覚えたり上手く友人が出来ないと悩んだりするかもしれません。

リーダーの性質が強い方が、就職した会社で我が強くて使いものにならないと判断されないともかぎりません。

人を支えたりするのが好きなサポーター性質の強い方が、他に仕事ができる人がいないとプロジェクトのリーダーに大抜擢されて、前任者がリーダーの性質が強い方でその真似をして上手く行かず大失敗したりする事があるかもしれません。

フォロワーの性質が強い方は、自分が大きな決断が苦手でや粘り強い行動できずや強い意思に欠けることを自覚しましょう。必要なのは、より良いリーダーを見つけそれに付いて行く事です。あなたは環境次第リーダー次第でおお化けする可能性があります。自分が苦手なことを他者任せるという態度があなたを上手く生かせるでしょう。男性なら自分の中のリーダーの性質から強いリーダーに憧れるかも知れませんが、その憧れはより良いリーダーを見つけることに使いましょう。影響の受けやすいあなたは、多くの人に影響を受け自分のブレた行動の中に自分なりの軸を見つけましょう。

オブザーバーの性質が強い方は、自分が他者から強い影響を受けることが嫌いなことを理解しましょう。人間関係は、自分が相手に影響を与え、自分自身も相手から影響を受けること受容しなければ成り立ちませねん。あなたの他者からの影響を拒絶する態度は、ともすれば偏屈頑固、心を閉ざしているなどと言われるかもしれません。しかし、そんなことはありません。あなたは自分の心地よい距離感の中では非常にフレンドリーにも成れますし、礼儀正しくも成れます。少しの他者からの影響の受容と、心地良い距離感でいられる相手を見つけることによりあなたは多くの友人に恵まれる事ができます。
 
リーダーの性質が強い方は、自分の中に譲れない意思や感情がある事を自覚しているかもしれません。その感情や意思はあなたの武器にもなり、弱点にもなる諸刃の剣です。自分の中の意思や感情を育てつつ、御することを覚えましょう。それを御する事ができるか出来ないかで、あなたの人生は両極端に振れます。大きな成功か大きな失敗か、あなたはどちらかに極端に振れやすいことを理解しましょう。また、オブザーバーの友人を持ちましょう。あなたに必要な、冷静な視点を彼らは提供してくれます。大いに耳を傾ける必要があります。

サポーターの性質が強い方は、もしなんらかのリーダーの役割に選ばれたら、自分が決して強いリーダーにはなれないことを受け止めましょう。あなたは、サポーターです。サポーターにはサポーターなりのやり方で集団を支え導く必要があります。あなたは導くというより、信頼する人間です。オブザーバーやリーダーの性質の方のち力を十分に頼る必要があります。あなたは信頼する人間ですが、信頼するかどうかは見極める必要もあるでしょう。


いかがでしたでしょうか。

今回は集団の力学という視点から、人間の性格を類型分析してみました。

しかし、上記の分析と似たようなものが色々とありそうな感じですね。

また、私は自己分析では、オブザーバー > サポーター ≒ フォロワー > リーダーな感じですね。

もともとサポーターの性質が強かったと思いますが、色々理屈こねくり回していたらオブザーバーの性質が強いくなった感じです。

では今回は以上になります。

ではでは。

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相対性理論と量子力学のホントの話

相対性理論と量子力学のホントの話

こんばんわ、冬生真礼です。

ーーこの記事は過去ログの記事の改稿です。


今回の記事は、量子力学や相対性理論に関わる話です。


先ずは、数学の話から。

数学における計算式は、純粋な論理だけの世界に見えます。

しかし、その向こうには、物理的な世界の実際的な何かに関連付けられています。

というか、その実際に的な何かがなければ人間は数式を理解できません。

数式の理解は、言語の理解と同様に脳が数式の意味を内部的に再現します。

そのため、数式の理解は必ず身体感覚が必要になります。

視覚や聴覚などにとどまらず、身体そのものを使って理解しています。

通常は、内部的な再現が微弱なためそのことに気づきませんが、数学に高い適性を持った方の中には身体感覚が強烈に感じられる場合もあります。

単純に、視覚的な物理運動で再現したり、数が増える減るという感覚を再現したり、抽象的な感覚で理解したりしています。

そこで問題となるのは、虚数です。

虚数というのは実際的な何かに関連付けるのは非常に苦労します。

二乗するとマイナス1になる数。

非常に厄介です。

しかしこれは、虚数というのが物理的な世界の実際的な何かと関連付けられていると考えればそう難しい理解ではないのです。

単純です。

虚数が出てくる数式がどのような現象を記述するかによるのです。

虚数はその現象の世界の何かに関連付けられているのです。

単純なマイナスの数に関しても、身長を記述する計算式の解に、マイナス163cmとでればそれはそれは間違った計算式になります。

というか身長の世界にマイナス163cmは存在しないのでマイナスの概念は身長の世界では引くという範囲でしか適用できないのです。

マイナスという数学の世界で至極基本的な概念ですら、現実の世界では適用範囲が在るということ(つまり、現実の世界の実際的な何かに関連付けられないことがある)は、数学の計算式は現実の世界の実際的な何かに関連付けられる範囲で使用しなくてはならないし、その世界には必ず数式と関連付けれた実際的な何かがあるということです。

マイナスという概念は、借金の計算や、数直線の動きなどの適用できる範囲の中でしか存在しないのです。

もし、量子力学など範囲で虚数が計算式の中にどうしても出てくるのなら、虚数に関連付けられるような現実の世界の実際的な何かがあり、虚数が計算式の中に登場しない範囲(つまり、身長の話とか)のではありえない何かが在るということです。

それを考えると量子力学などで出てくる虚数は、量子の世界の実際的な何かと関連付けられるというのが分かります。

それは超紐理論で登場する1次元の紐も同じです。

単純に1次元の紐があると考えるのではなく、1次元の紐と数学の世界で表すことができる何かが在るということなのです。

さらに言えば、数式に存在する次元すらもその数式がどのような現象に適用されるかで、次元が関連付けられる物理的な世界の実際的な何かが変わってくるのです。

もしある数式を現実世界の何らかの現象に適用できるなら、その現象にその数式と関連付けられる現実世界の物理的な実際的な何かが在るということだけなのです、それは別の数式が表す別の現象とは結構無関係なのです。

というわけで数学の話は終わります。


次に量子力学の話。

私は別の記事で、次のようなことを述べています。

物質は気からできている。

物質は気がなんかエネルギーが渦巻いているような状態です。

気とは存在質ともいうべき、実際に存在しているけど物性(現代物理学でいう量子場のようなものです)は持たない存在です。

気は世界につながりを持って広がっていて、それを気の場(比較的、量子力学でいう波動関数など)という。

気の場は、当たり前ですが基本的なフラットなものです。

フラットというのは歪みや偏りがなくドコまでも平坦ということです。

しかし、物質はある種の気の場の歪みです。

しかし元々は気の場は、フラットな存在ですのでエネルギーが渦を巻いているような歪みは存在できません。

フラットな存在がエネルギーが渦を巻いているような歪みを持つには、方向性の概念が必要でした。

1次元のベクトルで表せるような、エネルギーの渦は向きがあります。

フラットな存在である気の場は、右まわりのエネルギーの渦を生み出す代わりに、左回りのエネルギーの渦を産み出して、2つのベクトルを合成して相殺したら結果的に気の場がフラットに成るようにしました。

なので、基本的に逆向きの同質のエネルギーの渦がであってしまったら、互いのベクトルを相殺してフラットなただの気の場にもどります。

また、物質は気の場が素になっていて、つねに気の場とつながっているので、物質が存在する周囲の気の場は、物質のエネルギーの渦に影響されて、若干歪みます。

また、あらゆる物質は歪みの合成です。

大元である、気の場から生み出されたエネルギーの渦である物質は、重なりあうことができたり、あるいは分裂して、エネルギーとベクトルを、最終的に気の場がフラットになる感じで産み出したりします。

また、量子レベルの話になると、粒子は気の場にもどります。

ミクロの世界になると、物質はエネルギーの歪みから、気の場に近い状態もどることもある。

マクロの世界になると、物質はエネルギーの歪みが固定されるので気の場に戻ることがない。

量子力学の世界では、量子は重ねあわせの存在だとか、観測により確率が収束するとか、空間的に広がりを持つとか言われている。

その実態はなんてことはなく、次の通りです。

物質は気の場のエネルギーの歪みであり、空間の0次元の点でもなく、なんかそこら辺を渦巻いている状態です。

ミクロの状態では、なんかそこらを渦巻いている状態なので、あるい一点に存在しているということはない、といか広がりをもっている。

また、存在の確率が分散しているというより、エネルギーの総量を1として密度が薄いところとか濃いところとかバラバラな状態で存在して、かつ高エネルギーが渦巻いておりかつ軸もないためぶれている(振動している)。

観測というか、粒子をそのエネルギーの渦巻いて広がっている所にぶつけると、運動量を与える事になって、その一点に反発力がうまれてエネルギーが集中して密度が上がる(だいたい100%)。

物質として、質量がある(観測できる)状態はこの密度が100%の状態の時だけ。

みたいな感じでしょうか。

ちなみに量子もつれを利用した量子通信は、そもそも気の場がフラットな存在だということから理解できます。

物質が存在するときには、最終的にフラットな形にならなければならないので、量子もつれ状態のスピンも総合してフラットな形に成らなければいけないため、スピンの向きは絶対に同じなりません。

量子テレポーテーションも、高速より早いとか言われていますが。

次の説明のようなものです。

一本のめちゃくちゃ長い木の棒(例えば、1億kmあったとして)を、両端の人間もって右回りに回転させたら、反対側の人間からは必ず左回りに回っているように見えるはずです。

それは右回りの情報が伝わって左回りなっているのではなく、1つの繋がったものを別側から見ているだけというわけです。

量子もつれを持つ対になる量子も、気の場がフラットな存在であるために、つながっています。

対になる量子は、木の棒というより、一枚のビニール製の布のイメージですね。

ビニールを表側から引っ張ってビヨーンと伸ばして膨らませたら、反対側から見たら凹んで見えますよね。

ビニールは平面ですが、現実の物理空間でも同じようなことが起こっています。

フラットな平面で歪み(物質)を生じさせるには、膨らみとヘコミは、同時存在しなければなりません。

平面ではないですがフラット(歪みのない平坦)な気の場においても、若干次元がちがいますが同じようなことが起こっています。



次は相対性理論の話。


相対性理論では時間に対する解釈が間違っている可能性があります。

相対性理論では、光速度は普遍で、光速で運動している光子から、新たに光子を発射してもそれは光速だと言っています。

相対性理論では、相対性とか言いながら時間の測定は絶対時間を基準として時間測定から逃れていません。

時間とはそもそも、1つの基準となる系があって、その系と測定対象の系によって導き出されるものです。

しかし、一般に相対性理論を理解する時は、あくまで時間の測定の基準に従来の絶対時間を基準とした時間測定を想定しています。

相対性理論では、その式の時間は、絶対時間を基準としたものではなく、測定者を基準としたものです(というかそういうことに成らざるを得ません)。

光速で運動している物体から光子が発射されたら、それは光速であるというのは次の理解です。

時間の測定は、測定者の固有のエネルギー量(物体の運動量)と対象の運動量の関係であらわせます。

例を出します。

車が10kmの道路を走り終える速度を計算します。

簡単に表すと、時計の針が動くスピード(変化量=エネルギー量)と車が10kmの道路を走り終わる(絶対空間内での物体の移動)で表せます。

車がスタート地点からゴール地点もで移動するのに時計の分針が12から6まで移動した場合を考えます。

これは単純に10kmはしるのに30分かかったと言えます。

時速20kmです。

では、二回目の測定では、車が10kmの道路を走り終えるのに、分針が12から3に移動したとしたます。

これは単純に考えれば、15分かかったといえます。

つまり、時速40kmです。

くるまのスピードが速くなっています、アクセル全開にでもしたのでしょうか。

ですがちょっとまって下さい。

本当に車のスピードが速くなったのでしょうか。

もしかしたら時計の針が遅くなっただけかもしれないですよ。

車のスピードが早くなったのか、時計の針が遅くなったのか、この2つだけをみてもわかりません。

しかし、そこに全く関係のない第三者がいたら一目瞭然です。

その第三者の時間が変化していないとしたらですが。

相対性理論を突き詰めるとこのような話になります。

もし、光速度で運動する物体から、発射された光子が高速度に見えるというなら。

そして、高速度がどのようなときでも同じなら。

物体は高速度に近くなると、その物体の時間が遅くなる。

つまり、潜在的なエネルギーを見かけの運動量に変換しているという話になります。

そのように考えるなら、光速にたっした物体は、自身の時間が遅くなり、相対的に絶対時間で高速度の光子が、光速に見えることになります。(相対速度とかはまったく気にしていないのであしからず)

しかし、それは光速で運動する物体と、そこから発射された光速で運動する光子の2つだけの関係です。

第三者からみたら、単純に光速で運動する物体とそこから発射された光子が、光速で運動するという当たり前の光景です。

ちなみ、空間が縮むという話は次の理解です。

上記の車が10kmの道路を走り終える時間を時計で測る例です。

コピペ

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では、二回目の測定では、車が10kmの道路を走り終えるのに、分針が12から3に移動したとしたます。

これは単純に考えれば、15分かかったといえます。

つまり、時速40kmです。

くるまのスピードが速くなっています、アクセル全開にでもしたのでしょうか。

ですがちょっとまって下さい。

本当に車のスピードが速くなったのでしょうか。

もしかしたら時計の針が遅くなっただけかもしれないですよ。

車のスピードが早くなったのか、時計の針が遅くなったのか、この2つだけをみてもわかりません。

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よーく読んでください。

この具体例、時計の針が遅くなっても、車のスピードが早くなっても時速40kmという結果は変わりないのです。

つまり、自分の時間が遅くなっている状態では、空間が広がって見えるのです。

時間が遅くなるというのは外から見たらですが、測定者は絶対に自覚できません。

だって、測定者自身は自分の時間を自覚できませんから。

時間の測定は、基準となる1つの系と対象の系の関係で決まるのですから。

自分自身の時間を測定したくても、系が自分1つしかありません。

さらに、速度というのは、速度  = 距離 ÷ 時間 で計算します。

で、速度に✕2した時、距離に✕2しても時間に✕2しても計算式上ではわかんないのです。

で速度が上がって見えた時に、時間が遅くなった時、時間にX2した(つまり、より多くの時間をかけて10km移動した)と考えるのではなく、距離に✕10した(同じ時間で20km距離を進んだ)と考えたのです。

測定者自身は、自分の時間が遅くなっているとは考えないため、どうしても空間が歪んで見えるのです。

結局、時間という概念を厳密に定義したら、このように単純に相対性理論を理解できたのです。



いかがでしたでしょうか。

では今回の記事は以上になります。

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戦略型ポジティブシンキングあるいは戦略型ネガティブシンキングのすすめ

 戦略型ポジティブシンキングあるいは戦略型ネガティブシンキングのすすめ

こんにちわ、冬生真礼です。

ーーこの記事は過去ログからの抜粋です。

今回の記事は、ポジティブシンキングとネガティブシンキングに関する記事です。

巷に蔓延るポジティブシンキングとネガティブシンキングに関する誤解を解き、戦略型ポジティブシンキングと戦略型ネガティブシンキングを紹介します。



皆さんは、ポジティブシンキングやネガティブシンキングについてどう理解していますか。

単純にポジティブシンキングはを「何に対してもポジティブ(肯定的)に捉えようとすること」、ネガティブシンキングを「何に対してもネガティブ(否定的)に捉えようとすること」だとお考えでしょうか。 

実は、ポジティブシンキングとネガティブシンキングは、科学的に定義できるのです。

人間は平常状態で肯定的感情をベースにしている方と、否定的感情をベースにしている方が両方いらっしゃいます。

前者の方は、脳の感情を司る部位が快を出力しており、後者は不快を出力しています。

私は別の記事で、人間が言葉を理解する時には、常に自分の内部で言葉の意味を再現していると書きました。

また、人間が他者に共感するときには、他者の脳内状態を模倣して再現して理解しているとも書きました。

文章をを理解するときには、単純に意味を再現しているだけです。

他者が話す言葉を理解するときには、脳は言葉の意味を内部で再現しながら相手の感情状態などを共感能力で模倣しています。

平常状態で肯定的感情を脳が出力している人は、文章を理解したり他者の言葉を理解するときには元々脳が肯定的感情を出力している所に、言葉の意味を再現したり相手の感情状態などを模倣しようとします。

当たり前ですが、元からあった肯定的感情(快の感情)は言葉の理解などに影響を及ぼします。

肯定的感情が、文章や言葉の理解時に上乗せされ混ざるのです。

そのために、他者の言葉を肯定的に捉えがちですし、時には過度に信用してしまいます。

平常状態が否定的感情の人がその逆です。

他者の言葉を否定的に捉えがちで、時には過度に不信を抱いたりします。

また心理的には、自分の抱いている感情状態と合致した印象を物事にいだきやすくなります。

肯定的感情を抱いている状態では物事の肯定的な感情を喚起する側面に注目が行きがちです。

否定的感情を抱いている状態でその逆です。

これは、ベースにある感情状態と結びついた記憶を引っ張り出しやすくなるためです。

これらを要約すると、ポジティブシンキングは「平常状態で脳が肯定的感情を出力しているために起こる心理的傾向あるいはその傾向があること」となり、ネガティブシンキングは「平常状態で脳が否定的感情を出力しているために起こる心理的傾向あるいはそれの傾向があること」となります。

どうでしょう、理解できたでしょうか。


では、巷に蔓延るポジティブシンキングやネガティブシンキングに関する代表的な誤解を解いていきましょう。

誤解その1

 ネガティブシンキングは悪いことだ。

誤解その2

 ポジティブシンキングは良いことだ。

誤解その3

 ポジティブシンキングをしたほうが物事(仕事・勉強・スポーツ)がうまくいく

誤解その4
 
 ポジティブシンキングをし続けることが、幸福をもたらす

誤解その5

 (ネガティブ・ポジティブ論争における)ポジティブシンキングは逆に不幸をもたらす

誤解その6

 ネガティブシンキングはし続けると、不幸をもたらす


まずは誤解その1から訂正します。

 ネガティブシンキングは悪いことではありません。

 ネガティブシンキングをすることで、犯罪や事故から身を守る事が出来ます。
 他者に対して、ネガティブな態度を貫く事が必要な場面は多々あります。海外旅行で治安の悪い地域を旅行する場合は、ネガティブシンキングは有効です。詐欺や誘拐や強盗に合うリスクを下げます。
 ネガティブシンキングで致命的なミスや過度な楽観視を避けることができます。
 自動車運転では、ネガティブシンキングの適度にストレス(不快)がある状態は運転に適しています。もしかしたら事故に合うかもしれない、事故をおこすかもしれないという事を考えることで脳は手抜きをしなくなります。

 もちろん、ネガティブシンキングの悪い側面もあります。
 通常特に疑う必要のないことに対して、過度に疑念を抱く。
 人と信頼関係を気づきにくいため、人間関係に躓きがち。
 本当に良い商品やサービスなのに、広告宣伝が下手だったり、無名だったり、怪しいくらい効果が高いと怪しい商品だと判断して購入せず利益を逃してしまいます。

誤解その2の訂正です。

 ポジティブシンキングが困る場面は多々あります。

 基本的に他者に対してポジティブな態度を取るので騙されやすくなります。相手の悪意や害意を想像しにくいので、相手に悪意があることに気づきにくいです。海外旅行で治安の悪い地域を旅行する場合、ポジティブに物事を捉える癖が、犯罪者に対して付け込まれる原因になります。
 書かれている文章に対して否定的感情を持ちにくいので、怪しい通販や商材に騙される可能性が高くなりがちです。
 批判したり訂正したり改善すべき事に対しての許容度が高くなりがちなので、それをするべき事柄が自分や友人や家族、恋人にあっても許容してしまい、相手や自分の将来の利益を失わせてしまう。(具体例、子供が友人に対して暴力や暴言を吐く。友人が他人家の冷蔵庫を勝手に開ける。夫が子供の前で煙草を吸う。毎日酒を大量に飲む等)

 もちろん、ポジティブシンキングの良い面もあります。
 他者に対して肯定的感情を持ちやすいので、人間関係が楽、上手く行きがち。
 世の中をよく捉えがちなので生きてて楽。
 どうしようもない状況でも、肯定的に捉えることによりそれほどストレスがない(逆境に強い)。


誤解その3の訂正です。

 ポジティブシンキングは勉強・仕事・スポーツに対して良い面と悪い面があります。

 ポジティブシンキングの方は、平常状態で肯定的感情(快)を抱いているので、勉強や仕事やスポーツに対して積極的に行動できます。何かを始める時に心理的抵抗が少ないからです。
 逆に、勉強や仕事やスポーツのここぞと頑張らなければいけない場面など、ストレスが必要な場面ではストレスを弱めてしまうのでガツンと頑張れません。

誤解その4の訂正です。

 場合によります。

 ポジティブシンキングでどうにもならない場合は多々あります。

誤解その5

 場合によります。

 ポジティブシンキングで物事をうまく生かせる事は可能です。
 やり方次第です。

誤解その6

  場合によります。
  ネガティブシンキングをする方で、幸福な方も沢山いらっしゃいます。
  ネガティブシンキングをする方で、不幸になることもあります。

6つの誤解を解いていきました。



では次は、タイトルにある戦略型ポジティブシンキングと戦略型ネガティブシンキングの説明になります。

大事なことを述べます。

実は、ポジティブシンキング―ネガティブシンキングの裏には、隠れたもう一つの軸があります。 

それは理想主義―現実主義の軸です。

多くのポジティブシンキング―ネガティブシンキング論争ではあまり指摘されていませんが、ポジネガの他に理想現実という隠れた変数があったのです。

多くの場合、この理想主義―現実主義の軸が語られることが無いので、よくわからない議論になってしまいます。

まずは言葉の定義からです。

理想主義とは、ある理想的な状態を目指して物事の判断や選択をしていく事、あるいは理想的な物事の状態があるという考えです。

現実主義とは、現在の状態でもっとも適した判断や選択をしていく事、あるいは理想的な状態があると考えず現在の状態(現実)があるという考えです。

多くの場合、ポジティブシンキングという言葉を使う時、その裏には理想主義があります。

ネガティブシンキングという言葉を使う時、その裏には現実主義があります。

実は、これらの組み合わせはリスクを伴います。

理想的な状況が肯定的な判断や選択だけで実現することは少なく、現実的な状況で否定的な判断や選択を行い続けてしまうと状況をより悪い方向へ行かせがちだからです。

前者は、自己啓発のポジティブシンキング教にハマり過ぎて人生を崩壊させるような方が代表的です。

後者は、より良い政治判断したつもりが、国内情勢や世界情勢をより悪化させてしまった政治家などが典型例です。

よって、ポジティブシンキングをする時は現実主義で物事に向き合い、ネガティブシンキングをする時は理想主義で物事に向き合うことが必要になります。

ポジティブシンキングと現実主義の組み合わせを、戦略型ポジティブシンキングと呼ぶことにします。

ネガティブシンキングと理想主義の組み合わせを、戦略型ネガティブシンキングと呼ぶことにします。

ポジティブシンキングと理想主義の組み合わせを、単純型ポジティブシンキングと呼ぶことにします。

ネガティブシンキングと現実主義の組み合わせを、単純型ネガティブシンキングと呼ぶことにします。

戦略型ポジティブシンキングは、平常時の脳が快の状態で物事を現実的に判断しますから、無駄な恐れを感じず徹底的に現実的に考えることができます、理想的な状態を目指すのではなく現実的な状況判断をするので、騙される事過信する事を回避できます。

戦略型ネガティブシンキングは、平常時の脳が不快の状態で物事を理想を目指して判断しますから、徹底的に様々な条件を否定的に考えることができ、そして現在の状態の向こう側(理想的な状態)を常に想定する事で短絡的な判断を回避できます。

戦略型のポイントは、バランスです。

脳の状態と、判断基準の組み合わせで、思考と主義の持つリスクを低減しています。

単純型は、思考と主義の持つリスクを高くしています。

ポジティブシンキングやネガティブシンキングについて語る時、それが単純型か戦略型かで大きく違ってきてしまいます。

ネガティブシンキングでそれにお困りの方が、無理にポジティブシンキングになる必要はなく、単純型から戦略型に移行するだけでよいのです。

単純型ポジティブシンキングの方は、戦略型に移行することが必要な場合も多いでしょう。



以上がポジティブシンキングとネガティブシンキングについての記事です。

ありふれた内容を長々と書いてしまいました、読んでいただいた方に感謝です。

ちなみに、戦略型ポジは起業家に、戦略型ネガは学者の方に多い印象です。

起業家の方が単純型ポジだと、社員が不幸です。

学者の方に単純型ネガ多いと、懐疑論者だらけで学問が発展しないです。


今回はこれで終わります。

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存在質とは 物性を獲得する前に

 存在質という概念

こんにちわ、冬生真礼です。

ーーこの記事は過去ログからの抜粋です。

最近、このブログアクセス数が増えてきて嬉しいです。

今回の記事は、そろそろ現代の科学は物質・エネルギーという概念の上位である「存在質」という概念を取り入れた方が良いのではないかと思い記事にしました。


「存在質」は簡単に説明すると、「在る」という性質そのものの体現です。

存在しているものは全て存在質に含まれます。

物質は、物性を持った存在質ですし、エネルギーは変化量の現れである存在質。


まずは、私が何故存在質というモノを想定するようになったのかという説明をします。

私は昔こんな疑問を持っていました。

「何故、宇宙は何も存在しないのではなく、何かが在るのか」 

宇宙も、物質も、エネルギーも、人間も、自分という存在さえも、「存在する」という原因も因果もないように思えたのです。

宇宙も、物質も、 何もかも、何故存在するのかという事を突き詰めて考えたら、それに原因とか理由とか因果とかそういったモノが無いのに、何故か存在している。

「何故、宇宙は何も存在しないのではなく、何かが在るのか」

因果とか理由とかそういったモノの考えを突き詰めてしまったら、宇宙は存在しているはずがないし、自分の心も存在しているはずがない、そんな結論に達しざるを得ないのです。

こういった考えは、他の人も考えていたようでウィキペディアで調べたら同じようなこと書いてあってびっくりした覚えがあります。

そのあとしばらくは、そのような考えでウンウン唸っていたのですが、ある時こう考える様になりました。

「何故、宇宙は何も存在しないのではなく、何かがあるのかと考えていたって、現実に目の前に宇宙は存在している。これはもう、原因とか理由とか因果とかは瑣末なことで、そもそも存在するという根本性質が宇宙にあるのではないか」と。

そういった考えで、思考をしていったのです。

余談ですが、そうした結果、時間とはそもそもベクトルで表される方向を持ったものではなく、「物の変化量」を人間の脳が観測した結果生まれたものだと考えるようになり、時間とは「変化したか、しないか」で計測するものであり、ベクトルのような方向性を持たないと考えるようになりました。

宇宙には根源的に存在するという性質があり、すべては宇宙の根源的な存在するという性質、存在質が大元になっているのではないか。

存在質から派生し、物性を獲得して物質になり、エネルギーが生まれた。

そう考えていったのです。

ちなみに、現代物理学ではこの存在質に近い考えは量子力学で研究されていますが、量子力学はまだ物性にこだわりが多く、存在質という性質を想定しきれていません。

現代物理学は、物質・物体の研究にその端を発しているため、思考の出発点が物性になってしまっています。

しかし、現実には物質は存在質が物性を獲得したものと考えるべきなのです。

何はともかく、全ては存在しているという性質から出発しているのですから。


このような思考があり、私は「存在質」という概念を築いていきました。

さらに、物質は存在質が物性を獲得したのものだ。

ならば、逆説的に考えてそもそもの存在質は物性をもたないだろうと考えるようになりました。

また、古典的ですが、エーテルの概念に近いものがあります。

私の想定する存在質とエーテルの差異は、存在質はエーテルと違って(現代物理学で想定されるような)物性を持たないということです。

つまるところ質量をもたない(より正確には、質量を観測できない)。

そういった事が考えられます。



私の存在質という概念に対する思索はいかがだったでしょう。

思考の出発点が哲学的な問いなため、物理学と相容れないようにも思えますが、現代物理学の最先端では、物性をもたないが存在する何かを想定せざるを得なくなっているように思えます。

しかし、そもそも「物」理学ですので物性から離れてものを考えるのが難しいように思えます。

色々書きましたが、今回の記事は以上になります。

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